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第三話 身体転成

 西の空が夕焼けに染まりつつある頃、俺達の姿は街道を大きく外れた草原のど真ん中にあった。その場所で俺は、今後を左右する重大な質問をアディナに投げかける。返答次第では、今後の対応を大きく改めなければならない。


「……アディナ、一つ聞きたいんだが……なんで“ノア君”なんだ? もっと他に呼び方はあるだろう」


 ……そもそもなんで君呼びなんだ。むずがゆくてたまらない。どうにかしてもらえないだろうか。


「え? 何が不満なの? いいじゃないノア君って呼び方。私は結構気に入ってるわよ?」


 ぐ、ぐぬぅ。取り付く島もない。……し、仕方ないか、先ほど聞いた限りでは、アディナの年齢は十五歳のようだし、彼女から見たら俺はただのお子様だろう。でも諦めないぞ。いつか絶対呼び方を改めさせてやる。


「そんなことより、わざわざ街道を外れて草原のど真ん中まで来たけれど、いったい何をするつもりなのかしら?」


「そんなことって……はぁ……。これから行うのは俺自身の強化だ。“身体転成”という魔術を使う」


「身体転成? 聞いたことないわね。魔術に関してはそれなりに詳しい方だと自負しているのに……ノア君といると自身なくしちゃうわ」


 これに関して気にする必要はない。何せ、この魔術を作ったのは俺だからな。俺以外の人間は知らなくて当然といえる。

 ……だからそう肩を落とすな。


 身体転成は、肉体を構成する細胞を魔素に置き換える術だ。とある転生者の知識によれば、生物の肉体は細胞という組織が集合して成り立っているらしい。

 その肉体の仕組みを利用したものが身体転成の術なのだ。


 ただ、生物に関して大した知識もないのに術の完成を急いだ結果、理想形からかなり劣化した性能となってしまった。そこだけは残念だが、もう追放されてしまったからな、背に腹は代えられない。今必要なのは、機能性より実用性だ。使えればそれで良い。

 これらのことをかいつまんでアディナに説明した。


「なるほど、肉体の構成要素を魔素に……。魔素は確か、魔力の構成要素だったわよね? ということは、身体転成を発動した後の肉体は魔力そのものといっても過言ではないと思うのだけれど……」


「その通りだ。魔力は意志あるモノの精神に呼応し、あらゆる事象を生じさせる万能の力、全ての源とも言われている。その力を肉体の構成要素とすることで、さらなる力を手にすることができる……はずだ」


 実際はどうなるかわからない。一応自分の爪を使って何回も実験を行ったが、今回俺が術の発動対象として選んだのは自身の右腕だ。爪とは規模が全く違う。


 正直、不確定要素が多すぎて判断に困るな。現時点で確定しているのは、失敗したら腕が消し飛ぶという事実だけ。危険性は大きい、しかし、俺達の今後を考えると有益な強化であることは間違いない。


「不安は残るが、やるしかない。それに、万が一に備えて腕の再生が可能な丸薬を購入しておいた。俺に意識があれば自分で使う。けど、もしもの時は頼む」


「はぁ、止めようとしても無駄でしょうし、わかったわ。……心配だけど、私達の今後に必要なことなのよね?」


「ああ、それは間違いない。俺達が帝国の外に出る為には、この草原を抜けた先にある“魔の樹海”を抜けるしか方法がないからな」


 ヴァルグリンド公爵領は帝国の最北端にあり、公爵領のさらに北に魔の樹海という魔物の勢力圏が広がっている。その樹海を越えた先にある中立都市が今回の俺達の目的地だ。


 樹海を迂回していくという方法もあるが、その場合は十中八九検問所で足止めをくらうことになる。そうなったら大司教の思うつぼだからな。それだけは絶対に避けなければならない。


 つまり、俺達が中立都市にたどり着くには、魔の樹海を抜けるしかないと言える。そして、魔物達が蔓延る樹海の中を安全に抜けるには、身体転成による強化が欠かせないということだ。


 強化しなくても抜けること自体は可能だと思う。しかし、その場合は不測の事態に対応できない可能性が極めて高い。魔物の勢力図は常に目まぐるしく変化する。

 過去の文献を読み漁って魔の樹海についての情報をそれなりに集めたが、その情報の多くは今の樹海に対して何の役にも立たないだろう。故に妥協することはできない。万全を期す必要があるのだ。


「これが再生の丸薬だ。全部で三つある。念のため、一つ渡しておく。もしもの時は使ってくれ。……よし、始めるぞ」


「……ええ。気をつけてね」


 アディナが呟いた言葉をかき消すように、強い風が吹きつける。……言われずとも、十分気をつけるさ。それに、失敗しても丸薬で腕は元に戻るんだが……二度目はやらせてくれそうにないな。即ち、失敗は許されないということだ。いいだろう、やってやる。


 俺は未だかつてないほどに気合を入れて魔術を起動させた。



「――身体転成」



 術式が起動し始め、俺の右腕に魔法陣が幾重も出現した。この身体転成の術式には、細胞を転成させる為に、空気中の魔素を吸い寄せる工程が組み込まれている。その工程の影響か、俺を中心としてとんでもない強風が辺りに吹き荒れた。


 爪で実験していた時にはここまでの強風は吹かなかったな。やはり、街中でやらなくて正解だったか。


 俺が細かく術式の調整を行っていると、風にあおられてアディナのフードがとれ、銀色に輝く髪がなびいた。

 ほう、銀髪とは珍しい。黒髪の俺にはない華があるな。……いかんいかん、集中しなくては。


 その後も何度かアディナに気を取られたが術式は問題なく起動し続け、最終工程に入り俺の右腕が一瞬ブレたかと思うと、次の瞬間魔法陣は消失した。……成功だ。腕もしっかり残っているし違和感も全くない。それどころか、尋常ではない力の奔流を右腕に感じる。

 これは……想像以上だな。


「アディナ、無事成功したぞ。早速そこら辺の魔物相手に力を試してみよう。……どうしたんだ?」


 俺が振り返ると、そこには着崩れしたまま呆然としているアディナの姿があった。


「どうしたんだ? じゃないわよ! 強い風が吹くなら事前に教えて欲しかったわ。はぁ……。私はノア君と違ってゆったりとした服を着ているから、風が吹くと色々大変なのよ。……まぁ、何はともあれ無事に終わって本当によかったわ」


「……す、すまない」


 なんだか締まらない結果になってしまったが、右腕の性能を確認する為、俺達は近場で魔物を探し、良さそうな個体を見繕った。

 何気に今回の戦いが初陣だな。だが不思議と緊張はない。右腕に宿る絶大な力によってむしろ安心感すら覚えるほどだ。


 俺の初陣の相手となるのは魔猪。高い攻撃力と耐久力を兼ね備えた厄介な魔物だ。しかし、そんな魔物相手だからこそ、右腕の性能を十分に測ることができるだろう。


 アディナを後方に立たせ、魔猪に向かって俺は勢いよく飛び出した。近くで見ると思いのほか大きい。それに、どす黒い体毛に赤い模様が浮かび上がっている為、威圧感がかなりある。そのせいか、周囲に俺達以外の生物の気配はなかった。


 魔猪はまだこちらに気付いていない。さぁ、まずは小手調べといこう。

左手で懐から短剣を取り出し、すれ違いざまに魔猪の側面を切りつける。



 ――硬いな。まるで金属を叩いたような手ごたえだ。



 すれ違った直後に俺は急いで振り返るも、既に魔猪はこちらに突進してきていた。


 耐久力が高いだけでなく、反応も早い。それによく見ると、先程切りつけたところに傷一つ付いていないことが確認できる。


 俺は正中線をずらし、魔猪の突進を紙一重で躱した。ギリギリか、やはり素の身体能力では歯が立たないな。



「――身体強化」



 これで少しはましになるだろう。初級魔術の中でもそれなりに使える術だ。ある程度肉体が強化されるから、攻撃が効くようになるはず……。


 そう期待を込めて、またすれ違いざまに切りつけたが、残念ながらその攻撃も浅く傷つけただけに終わった。その結果を確認した後、俺は身体強化の魔術を解除する。


 身体強化を発動したまま攻撃を続けていれば、いずれは倒せると思う。けどそれは今回の目的ではない。最後に試すことがある。


 再び突進を仕掛けてきた魔猪を迎え撃つべく、俺はその場で力強く踏ん張った。最早避ける必要はない。奴の突進に合わせて、右腕を突き出すこと。ただそれだけを行えば良い。

 通常、魔猪と俺の体重差的に俺が吹き飛ばされるのは必然なんだが、今は何故か、そうならないという確信がある。


 俺が思考を続けている間も魔猪は待ってはくれない。奴は既に目前まで迫っていた。

そして、視界全体が魔猪の巨体に埋まったその瞬間――



 ――今ッ!



 俺は右腕を全力で前に突き出した。


 骨が砕け、肉が潰れる感触とともに、凄まじい爆音が辺りに響き渡る。

 ……うるさいな。だが、その爆音に見合うだけの威力はあったようだ。


 全長五メートルはあろうかという魔猪の巨体が数メートルも吹き飛び、大地にその体を沈めた。起き上がる様子もない。殴りつけた部位は頭部だから、恐らくは即死だろう。


 対して俺の身体に異常は見られない。俺への衝撃は全て右腕が吸収、分散してくれたようだ。


 予想以上だな。ただ殴っただけでこの結果とは……。試行錯誤すれば、今後さらにやれることは増えるだろう。


 俺はこれからへの期待を胸に、アディナのもとへと歩みを進めた。

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