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第二話 全ての始まり

 俺が館の門前で呆然としていると、むぎゅという音が聞こえてきそうな感触とともに、“背後から”温かい何かに全身が包まれた。


「なっ!? 何者だ! ぐぅ……は、離せぇ」


 最初は自分の身に何が起きたのかさっぱりだったが、何者かに“掴まれている”とわかるやいなや、すぐさま脱出しようと抵抗を試みた。しかし、こちらは5歳児。対して俺を掴んでいる者は女性だと思われるが、体格からして成人しているだろう。故に、力の差は歴然だ。自由の身になったばかりなのに、こんなにも早く捕まることになるとは……完全に油断してしまった……不覚。


 ……ん? ……女性?


 どうにかしてこの状況を打開できないかと思考を巡らせていたら、はたと気づいた。俺を掴んでいるのは女性なのである。だからといって、どうすることもできないという事実に変わりはないのだが、少なくとも男性相手よりかは、勝機を見いだしやすい……はずだ。



 ――よし、やるか。



 戦闘を行う決意を固め、懐にある短剣に手を伸ばしかけたその直後、余りにもあっけなく、全身の拘束が解かれた。


 俺は急いで振り返り、先程までこちらを掴んでいた者を視界に入れる。するとそこには、数時間前に顔を合わせていた少女が立っていた。

全身を覆う白装束に、黄金に輝く瞳……間違いない……大司教の従者をしている少女だな。どういうことだ?


「……目的はなんだ?」


 そう、この者の目的が全くの謎だ。何故この少女が今この場に居て、そして俺を掴んだのか。その本意を知りたい。


 俺は全身の感覚を研ぎ澄ませ、分散していた全ての意識を目の前の少女に集中させた。

彼女の呼吸、身体の微振動、目の動き、言葉の発し方などの五感から得られる膨大な情報をもって、その真偽を判定する。今の俺に嘘は通用しない――



 ――さぁ、答えろ。



「ッ……」


 少女が息を呑んだ。自らの全てを捉えられている感覚は中々なれるものではないだろう。申し訳ないが、こちらの命に係わる重大なことだ。妥協はできない。


 そして、この張りつめた空気の中、少女が発した言葉は――


「……ノア君について行けと、大司教から命令されたのよ」


 周囲の空間に満ちていた重苦しい雰囲気が一気に霧散した。


 ……ノア君、だと?


 確かに俺はノアという名前だ。しかし、生まれてこのかた君付けで呼ばれとことはない。

 ……色々と言いたいことはあるが、それよりも気になることがある。


「……それは本当に大司教から命令されたのか?」


「ええ、ノア君を見守れって言われたわ」


 なるほど、おかしいな……あの男が俺のことを心配して護衛をつけるなど、たとえ天地がひっくり返ってもあり得ない。しかし、目の前にいる少女からは嘘をついた気配が感じられない……となると、大司教、或いはこの少女が核心となる部分を伏せて話したという可能性が高いな。

恐らく後者だとは思う。先程から少女は周囲の人目を気にしているようだから、ここでは話しづらいことなのかもしれない。


 どういうわけかこの少女は、主人ともいえる大司教のことを嫌っているようだ。言葉の端々から奴に対する(とげ)を感じる。


「よし、わかった。とりあえず、ここから移動するぞ」


「どこに向かうの?」


「スラム街だ」


「えっ? なんでそんな危険なところに……」


 疑問に思うのも無理はない。ヴァルグリンド家が治めている領地のスラム街は非常に危険な場所だ。他の領とは比較にならない程に……。これも、ヴァルグリンド家が透明性の低い政治を行っていることが原因なのだがな……今は関係ない話か。


 俺の目的なんかは、スラム街に向かう道中でしっかり説明する必要がある。この少女が今後も俺についてくるのだとしたら、考えの摺り合わせは行っておくべきだ。咄嗟の時に想定外の行動を取られたら困る。こちらとしてもまだまだ聞きたいことはあるし、話せることは話しておこう。一方的に質問するのは流石に無礼だろうしな。


「スラム街に向かう目的は金の確保だ。方法は単純明快、物を売って稼ぐだけ。表社会で売ると足がつくからな、裏社会で売る方が何かと都合が良い。売る物自体は館で調達してきた」


 足がつくのは非常によくない。俺がどのように行動したのかをヴァルグリンド家に知られたくないし、後々追手が来ても面倒だから、痕跡はできるだけ消しておくに限る。


「なるほどね。……さっきから思ってたんだけれど、ノア君は本当に五歳なの? 最初の威圧感といい、考えの深さといい、とても五歳児とは思えないわ」


「それについては俺もよくわからない。自分自身が非常識なのは理解している。だがわからないことを気にしてもしょうがないだろう? 利用できるものは利用する、それが例え、自分の力であってもな。重要なのは、何を持っているかじゃない。何ができるかだ」


「そう。……達観してるのね」


 そんなことはない。俺は自分自身の感情すら掌握できていないただの子どもだ。まだまだやるべきことはある。


 そういえばいつの間にか、なみ……目から零れ落ちる雫が止まっている。……はて? どういうことだろうか? まぁ、止まったのならそれで良いか。


「そんなことより、名前は何というんだ? 今まで何度か顔を合わせたことはあるが、話をしたのは今日が初めてだろう? 俺はお前のことを何も知らない」


「そうだったわね。私の名前はアディナよ。そして、さっきはごめんなさい。ノア君に話したことは全て本当のことなんだけれど、あの男の真意は“見守る”だなんて生易しいものではないわ」


「やはりそうだったか。大司教の目的はなんだ? 俺の監視か?」


「それもあるけれど、一番はノア君の足取りを重くすることね」


 足取りだと? 足手まといを一人押し付けただけで、俺の足取りを重くできると思ったら大間違いなんだがな。それに、アディナの戦闘能力はかなりのものだと思うのだが……。


「アディナは戦えるだろう? 先程俺を掴んでいた時の力、尋常ではなかったぞ」


「掴んでいたんじゃなくて、抱きしめていたのだけれど……はぁ、確かに私はそれなりに力があるし、戦闘もできる。でも、戦闘行為は禁じられているのよ。これのせいでね」


 そう言ってアディナは首を覆っていた布をどかし、その内側にあった物体を俺に見せてきた。

そこにあったのは、どす黒い色に染まった金属の輪っか、これは……まさか――


「奴隷の首輪だと!?」


 あの大司教、そんなものにまで手を出していたのか。奴隷の首輪は、帝国において禁呪具とされている違法物の一つであり、首輪を嵌められた者は嵌めた者の言いなりになるしかないという恐ろしい特性を持っている。


 製造はもちろん、所持しているのが判明した時点で極刑は免れない。そういった代物だ。なんてことだ……確かにこれなら俺の足取りを確実に重くすることができる。


 アディナは申し訳なさそうに、戦闘に参加できないといったが、それ自体は大した問題ではない。領地の外に蔓延る魔物や賊などは、俺だけでもある程度対処できる。しかしこの首輪だけは別だ。この首輪が存在していることがこの上なくまずい。首輪の存在が周囲に知られたら、それだけで俺たちは終わりなのだから。


 まったく。厄介なことをしてくれたものだ。


「……なるほどな。奴隷の首輪か……確かに厳しい。行動がかなり制限される。それに、奴の狙いはそれだけじゃないぞ」


「えっ、そうなの?」


「ああ、奴はアディナの死も計算に入れている。“見守れ”、と言われたのだろう? つまり、俺が魔物や賊といった何らかの外的要因によって死に直面した際に、アディナはそれを近くで見守っていなければならない。そうなると、次に襲われるのは必然的にアディナとなるわけだ。さらに言えば、もし奇跡的にアディナだけ助かったとしても、アディナは俺の死体を見守り続けることを首輪に強制されるだろう」


「そんな……」


 まぁ、俺がそんな奴らに後れを取ることはあり得ないんだが。……そのことについては、今はまだ話すべきじゃない。アディナの告白で色々と事情が変わったからな、先を急ぐ必要がある。


 その後、目的地についた俺達は、スラム街の入り口付近に張り込んでいた裏社会の人間達と取引し、目的であった金を無事入手することができた。

 その金を使って各自の服やアディナの神官服を覆い隠せるローブ、そして携帯食を購入して街の外へ向かう。


 ふと気になって、隣を歩くアディナを見る。身長差があるせいか、アディナがこちらの視線に気づく様子はない。そんなアディナは思い詰めた表情を浮かべていた。先ほど、奴隷の首輪の話をしてからずっとこの調子なのだ。心配だが、街の外に出るまで迂闊なことは話せない。しかし……そうだな――



「――アディナ、ありがとう」



 感謝の気持ちくらい、伝えてもいいだろう。



 アディナは突然の言葉に驚いたようだったが、やがて深く頷き、前へと歩みだした。心なしか表情が和らいだ気がする。少しでも不安を解消できたなら、それでいい。


 俺達の旅は今この瞬間始まったような、そんな気がした。

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