⑧
サリファがライと合流するのが遅れてしまったのは、城と外界をつなぐ隠し通路を探していたためだった。
もしかしたら、追いつめられたレガントは毒薬を用いた兵器を使うのではないか……。
(そんなことがあったら、城内は孤立する)
当分城門から立ち入ることが出来なくなるだろう。
どうしても、気になったサリファは、そのまま逃げることも出来ず、シズクをつきあわせることとなった。
シズクは、ふらふらしていたが、底力はあるらしい。
一緒にそれらしい枯れ井戸に潜ったところ、運よくそれが隠し通路であることを発見した。
……そして、無事城の外に出てから、エレントルーデと合流し、サリファはレガントの娘ミリアを別邸からリッカ城まて連れて来るように頼んだのだ。
(できれば、こんな真似はしたくなかったが……)
元々、この男を排除するための策略を立てていたサリファだったが、私恨はなかった。
しかし、その兵器をライに使用する事があったのなら、サリファは個人的にもレガントを絶対に許すつもりはなかった。
「これ以上の戦いは無意味です。あの井戸を辿れば、城の中に入ることができます。私がレガントを説得してきましょう」
「でも……レガントが何か仕掛けてくるかもしれないわ」
「ミリア様を伴って行けば、そこまで怖い目を見なくて済むと思いますが?」
「じゃあ、俺がサリファの護衛だな」
「貴方がですか?」
「俺が適任だろ」
セディラムが断固としてこれは譲らないとばかりに、前に出た。
色々文句はつけたいところだが、彼の言う通りなのは確かなのだ。剣を扱うことのできない非力な自分が悪いのだから、仕方ない。
サリファは渋々、セディラムに頭を下げた。……と、まるでお祭りにでも行くように、セディラムは陽気に弾けた。
「よーし、お姫様。貴方の父上も……おそらく兄上も城にいるはずだから、俺と一緒に行こうな」
ミリアも人懐こいセディラムにひきずられて、笑顔になった。
「はい。父様も兄様も、忙しそうでぜんぜんお会いできなかったら、嬉しいです!」
……が、口ではそう言いながらも、見知らぬ男たちと城に行くことが心細かったのだろう。
ミリアは、シズクに視線を向けた。
これでいいのか……。
シズクが頷き返すと、にっこりと笑顔になってエレントルーデの腕を引いた。
彼女なりに兄の友人であるシズクは信頼しているようだった。
――人質……。
そんな分かり切った事実でも、誰一人その場で言い出すことはできなかった。
ライが苦しそうな顔をしている。
正直なところ、サリファはそちらの方が辛かった。
じっと見つめると、泣きそうな顔で微笑んだ。
責任は、すべて自分が取ると言っているようだった。
「行きましょうか……」
サリファは懐に忍ばせている小瓶を握りしめて、地下の通路に下りる。
城の中庭の枯れ井戸から、ミリアに引き続き、セディラムに引っ張りあげられて、ようやく外に出たサリファを、すぐに発見したのは、ユクスだった。
「……サリファ? お前、生きていたのか?」
たった一日で、人生の荒波を幾度も体験してしまったらしい、ユクスはサリファを怒鳴りつける元気もないようだった。
「シズク君も、生きていますよ……」
「……それで? なぜ、ミリアを連れてきた?」
シズクの生存に安心するどころか、ユクスはサリファが連れているミリアの存在に、眉をひそめていた。
「お兄様?」
「ミリアは体が弱いから……。だから、別邸の一番安全な部屋に住まわせていたんだ」
サリファの傍にいたミリアを、自分の脇に取り戻したユクスは、完全に逆毛を立てた猫のようだった。
信用されていないのは承知しているが、ユクスは感情的になりすぎていた。
むしろ、年端のいかない妹のミリアの方が落ち着いていた。
「お気になさらないで、お兄様。だって、私……昨夜から、屋敷が騒がしかったのを知っていたのよ。ずっと表に出て行って、お兄様のお役に立ちたいって思っていんだから……」
「ミリア? 今、どんな状況にあるのか知っているのか? お前はこの男たちに殺されるかもしれなかったんだぞ」
「おいおい。大切な人質をおいそれと殺すかって言うんだ。むしろ、こんな物騒なところ、人質連れていなきゃ歩けねえだろうが? てめえの親父は、毒兵器まで使ってきたんだぞ。そんな戦い方をする人間がいる場所を丸腰で歩けるか?」
「それは……」
セディラムは、言いにくいことをばっさりと告げてしまう。
おおよそ、サリファが正論をぶつけても、食ってかかてくるユクスだが、セディラムが口にすると、不思議と大人しくなるようだ。
子供時代の憧れというのは、伊達ではないらしい。
「セディラム殿……。父上がしたことについては、話を聞いている。女王の力も目の当たりにした。これ以上犠牲を出さないよう、サリファが父上と交渉に来たのだろう?」
「分かって下さっているのなら、話は早いです」
「交渉相手に手を出さないよう、兵士たちには伝えておく」
ユクスは配下に何事か申し付けて、その場から下がらせた。
その場にユクスが留まってているということは、彼自らがサリファ達の監視につくつもりなのだろう。
「州公のところに案内して下さるんですか?」
「…………残念ながら、父上がどこにいるのか俺にも分からない。今、ザッハスに捜させている」
「そうですか」
(レガントが……消えた)
サリファは、思考を巡らせた。
この状況は、何を意味するのか?
レガントがいなくなってしまった今、城内での最高責任者はユクスだ。
……ということは、クリアラ全体が女王に降ったのと同じことである。
思い残すことがない……とまでには、いかないが、これ以上逆らうつもりもないのではないか?
「…………地下でしょう」
イレリアは、井戸水に溶け込み、人体に有毒な物質を出した。
――井戸は地下と繋がっている。
「地下? リッカ城に地下はない」
「一階部分で、父上がよく立ち寄られる場所はありませんか? そこから隠し部屋に繋がる入口があると思うのですが?」
「武器倉庫には、よく行かれているようだが……」
「そこかもしれません」
結果的に、サリファの言う通りであった。
武器倉庫は荒れていて、床から地下に繋がる階段がむき出しの状態で残されていた。
いつもは、閉めているのだろう。
開け放ったままに、あえてしたということは、レガントが逃げるつもりのないことを示唆している。
「父上っ!」
ユクスは呼びながら、二十段くらい続く階段を駆け下りて行った。
ミリアも、ドレスの裾を持ち上げて、軽く咳き込みながら、それに続いた。
奥の扉を渾身の力で開け放ったユクスは、白い背景の世界で、赤い草の中でぼんやりと佇んでいる父親の姿を目の当たりにしていた。
「…………ここは?」
「ユクス様は、知らなかったのですか?」
「こんな広くて、植物だらけの所、知るはずがないだろう?」
間髪入れず、言い返したユクスを、向き合うレガントは静かに見守っていた。
感情的になったことを恥じたのだろう。ユクスの方が謝罪した。
「もっ、申し訳ありません。父上!」
「謝る必要がどこにある? 少なくとも、私はこの部屋を自分が生きている時に、お前たちに見せるつもりはなかった。臣下の中でも知っているのは、ごくごく一部だ。それも、ほとんどが死んでしまったがな……」
地下室の端から端を把握することができないのは、赤く茂った草のせいだった。
サリファは、子供たちに続いて、大きく育った光草の中に足を踏み入れた。
「……やっぱり。赤い光草……あったんじゃないですか?」
レガントは吐息を一つ落として、苦笑する。
「来たな。ディアン=サリファ。お前が必ず来ると思っていた」
背筋を伸ばしたレガントは、厳かな空気をまとっていた。
決して、乱心したわけではないかった。
おそらく、正気が過ぎて、壊れてしまったのだろう。
―――自分がいつの日か、復讐されることを独りで恐れていたのだ。
「やはり、お前はティファレト側の人間だったのか?」
「官位があるわけでもありませんけどね。女王陛下には、個人的に仲良くして頂いています」
「城内の兵力を三分する作戦だったのだろう。ノエムと海賊……シエット。この者たちに同じ日に騒動を起こさせ、こちらに余裕をなくさせた。しかし、この作戦にはティファレト以外の尽力も不可欠なはずだ。何処に助けを頼んだのだ?」
「………………アルガスです。イエドを併呑したのは彼の国です。アルガスに頼めば、イエドの公船を借りることなど容易い。警戒心の強い貴方様でも、イエドの国旗をはためかせている船を疑いはしないでしょう。易々兵をクリアラの港に送ることができます」
サリファは正直に答えた。今更、隠すつもりもなかった。
レガントは、不機嫌そうに片眉を吊り上げている。
「アルガスだけは、避けると思っていたがな……。アルガス国王を恨んでいると言った時のお前だけが……唯一、私には信用できた」
「私も、つくづく演技下手のようですね」
「…………ティファレトの背後にはいつもアルガスがいた。だが、助けと言う形でティファレトに介入してきたのは、初めてだな」
「そうかもしれませんね」
「どちらにしても、女王とアルガスが組んで攻めてきたら、たとえ毒煙を使ったところで、クリアラに勝機はなかったということだな」
「州公は、とっくに分かっていたのでしょう?」
「ユクスが連れてきたシエットの中に、女王の存在を確認した時に終焉は見えていた」
「…………ならば、どうして父上は無茶を? 理不尽かもしれませんが、すぐに降参すれば、被害が出ないで済んだじゃないですか?」
ユクスが二人の静かなやりとりに、勢いよく飛び込んできた。
彼の話していることは、正しい。
しかし、人は生きていくほどに、澱のように溜まって行く過去がある。
「私は女王に拝謁する資格がないからだ」
レガントは小さく呟くと、ユクスとミリアを手招きした。
「ディアン=サリファ。少しだけ子供と私だけで、話をさせてもらえないか」
「…………話……?」
「すぐに済む」
セディラムが駄目だと、口をぱくぱくさせながら言っているが、サリファは気にせず、深くうなずいた。
「分かりました。私たちは外で待っています。どうぞ、ご家族で過ごされて下さい」
「おいおい。いいのかよ?」
セディラムはその場に留まろうとしていたが、サリファはセディラムの寒々しい服を引っ張り、部屋の外に連れ出した。
「別に……逃げられるものなら、逃げればいいじゃないですか?」
「お前なあ……」
「……とはいえ、結局、あの人は逃げませんよ。…………むしろ、昔のことから、逃げられなかった人なんです」
「昔のことって?」
「子供時代に抱いた感情って、尾を引きますよね?」
「はあっ!?」
やがて短気なセディラムを宥めすかしているうちに、部屋からユクスとミリアが出てきた。
迷子の子供のような顔をしていたユクスは、聞き取れないほどの小さな声で、サリファに言った。
「父上が……お前を呼んでいる」
「よしゃあっ、行くか!」
俄然、やる気を出したセディラムを、再びサリファは押しのけた。
「おい? 何するんだよ?」
「ここは、私一人で行かせて下さい」
「なんだって……?」
「あの人とは、毒薬作りの話で花を咲かせたいんですよね」
「なにやら、おぞましい話し合いになりそうだな」
「……少なくとも、貴方に聞かせたい話ではありません」
「まあ、いいけどよ」
思ったとおり、セディラムはあっさりと了承した。
「しかし、俺は短気だからな。時が来たら、押し入るぞ」
「どうぞ、お好きに……」
適当に答えると、ミリアがサリファの黒い外套の袖口を掴んでいた。
「どうしたのです? ミリア様?」
「あのね……父様がね、サリファさんのこと、すごい人だって話していたんです。基本的に、父様は人を誉めないから、この機会に仲良くして頂きたいのです」
「仲良く……ですか」
釘を刺されたような気がした。
無意識なのか、意図的なのか、一見無邪気な子供だからこそ、分からないものだ。
ここにサリファ達によって連れて来られたことをミリアなりに理解はしているのだろう。
サリファは、彼らに薄い笑みを送りながら、再びレガントの待つ部屋に入った。
レガントは光草が生い茂る場所から、更に奥の乱雑に積み重ねられた書物の中に埋もれるようにして、座っていた。
ここが彼の定位置のようだった。
「昔話を…………聞いてくれるかな? ディアン=サリファ」
レガントの表情は、少なくとも、サリファが今まで見たことがないほど晴れやかだった。