③
まあ、そうだろう。
彼女が冗談のつもりで口にしていたのだと思うと、それを逆手に取りたくなるのも、サリファの悪い癖かもしれない。
自分で宣言してみて、じわじわと後悔している。
――が、今更遅かった。
意外に単純にその提案を受け入れたらしいライは、サリファの前を横切ってごろんと敷布に横になった。仰け反るようにして、サリファを見上げている。
「どうしたんだ? 一緒に寝てくれるんだろう?」
「だから、その言い方は語弊が……」
「分かっているよ。私にとって、あんたほど安全な男は、この世にいないんだ。怖い夢を見て魘されそうな私に同情して、添い寝をしてくれるんだろう?」
「私は……」
そう、彼女の言う通りなのだ。それ以外の感情など一切ない。
だけど、本当にそうなのか?
やましい気持ちが自分にないのか、サリファ自身、既に分からなくなってしまったのも事実だった。
「……ええ、ただの添い寝です」
結局、サリファは自分に言い聞かせるように
「少なくとも貴方が眠るまでは一緒にいますよ」
そう呟くと、感情を消して彼女の隣に寝転んでみせた。
(別に、たいしたことはない。多少ライの気持ちが落ち着くのなら、隣にいることなんて、たいしたことはないし、彼女が眠ったら私だけ机に戻ればいい)
――だが。
サリファの気持ちとは裏腹に、ライはどういう訳か体を寄せてくるのだった。
「一体、何をしているんですか?」
「寒いんだ。毛布が薄い」
「私は普段、それで凌いでいますし、貴方だって牢にいた時はもっと寒かったでしょう?」
「ルティカはここより暖かったけどな。ここは寒いんだよ」
そうかもしれない。ライの言葉に嘘はない。
毛布が薄いのも、サリファも日頃から感じていたことだ。
アンソカ族に貰った羊の毛布は軽くて持ち運びには便利だが、この毛布一枚でクリアラの寒さと対峙はできないのだ。
サリファはいつもこの毛布を肩に掛けて、湯を沸かしたりして、夜を明かしている。
調べものをしていたら、いつの間にか、机に突っ伏したままうたた寝して、朝を迎えることがほとんどだった。
ライが寒いと言うのもうなずける。
しかし、どうしようもなく理性が試されている気がするのは、思い過ごしではないはずだ。
「昨夜はな、珍しく民家に泊めてもらえて、髪を染めるついでに湯浴みもしたんだ。だから、今日の私は清潔だと思うよ」
「……貴方が相変わらずなのは、分かりましたが、私はそんなこと気にしていませんよ。前にも言ったじゃないですか」
むしろ、ライが湯浴みをしていた時、フィーガが何処にいたのか気になる。
覗きはしないまでも、小娘だと思って、うっかり見てしまったりしていないだろうか……。
あの男に限って、それは杞憂だろうが、どうにも気になった。
「……ああ、そうだったな。あれから、あっという間に一つ年が回ってしまったのか。懐かしいな」
「一年前の感傷に浸るほど、お互い老いてはいないでしょう?」
言いながら、目のやり場に困ったサリファは、天井の一点を見つめることに集中していた。
「これは、言おうが言うまいか、迷っていたことなのですが……?」
「それを口にしているということは、言う決心がついたってことだろう。何だ?」
ライが弾んだ声で聞き返してきた。何がそんなに楽しいのか分からない。
サリファは渋面のまま、ゆっくりと口を開いた。
「ライ、貴方、変ですよ?」
「……どんなふうに?」
どうしてか、ライはサリファの方を向いた。
あまりこちらを凝視しないで欲しい。喉が酷く乾いたふうで、息苦しくなる。
一回、ごくりと息を呑んでからサリファは言葉を重ねた。
「まるで、自棄を起こしているようです」
「そう見えるのか?」
「それ以外にしか見えませんね。私だから良かったものの……こんな」
「分かってるって。あんた以外には、おかしなことは言わないし、やらないよ」
「そういうことも言わないで下さい。……困りますから」
「あんたでも、困ることがあるんだな」
驚愕というよりは、しみじみと心に刻むようにライが告げた。
――そして。
「自棄というより、身につまされたって感じかな。私が国主である限り、女であるというのは失ったも同然だってさ。成長しているといっても、出産できるまでに体は出来上がらないだろう。代々王家の人間は短命だ。今のところ、私も健康だけど、いつどうなるのか分からないから」
現状をありのままに噛み砕いて教えるように、ライは語った。
「ライ……それは」
何か上手い台詞を脳内から引っ張り出そうと試みたものの、彼女の目がサリファの言動を制する。
「いいんだ。分かり切っていることだ。別に後悔をしているわけでも、卑下しているわけでもない。私の事情を知っている、あんただから、話しているだけだ。どうせ隠し事もさせてくれないんだからな」
「…………信用してくれているってことなら、有難いですけど」
愚かだった。
自分のくだらない感情なんて、どうだって良かったのだ。
どんなに一人で怖かっただろう。
抱えきれない秘密と、過去の傷と向き合いながら、一年も国の主として、職務をこなしていたのだ。
(私が知らなかったために、彼女も母も悲惨な目に遭った。あの空白の十五年間を悔いていたはずなのに……)
堪らなくなって、本能のままに、身体が動く。
気が付くと、サリファは、自分からライの方に向き直っていた。
「…………だからこそ、貴方は、私に頼みごとをしたのですね?」
はにかむライを逃すまいと、真摯に見つめた。
彼女は言いにくそうに、しかし、こくりと小さく頷いた。
「まあな。病気でぽっくり逝く前に、戦争も起こるかもしれないし、いつどうなるか分からないからな。国主になってから、つくづく思うんだ。大体、この私が国主ってこと自体、すでに有り得ないことだからな」
「申し訳ありませんでした。貴方を国主にしたのは、私の独断に等しかった」
あの時、ライがユージスの実の娘だと証言した。
公にはなっていないものの、アルガス王も、エレントルーデも、カテナ妃の息子であるサリファの言葉を無視する訳にはいかなかったのだろう。
それによって、ライがティファレトの国主になることを、アルガス側も認めたのだ。
彼らにどんな狙いがあるにせよ、あのときのサリファはそれしかないと思っていた。
――でも、あの時、他に選択肢はなかったのか……。
逃げ切ることは出来なかったのか?
今も、サリファは暗い気持ちを引きずっている。
この先も、ずっと悩み続けるのは確実だった。
「あのな、サリファ……」
「ライ?」
しかし、彼女は吹っ切れたように、晴れやかな笑みを浮かべていた。
雪明かりのせいだろうか、薄らと明るい室内で向かい合うと、ライの透き通る白い肌とその表情がはっきりと分かった。
「サリファ、何度も言うけどな、それは違う。あの時、私もセディラムも、私が国主になることを狙って籠城戦を始めたんだ。あんたは最後まで私を逃がそうとしてくれたじゃないか?」
「ええ、逃すつもりでした」
「それで良いと言ったはずだ。今更、そんなことはどうだっていい。でも、あんたとの時間は永遠ではないから……」
「……逃げてしまいましょうか?」
「はっ?」
「今からでも、まだ間に合います」
サリファが目指していることは、昔から首尾一貫して「逃げること」しかない。
今だって、最終的に彼女を逃がすために、遠大な計画を練っているに過ぎないのだ。
だけど、遠大な計画なんて、最初から必要ないのかもしれない。
今、ここにライがいるのだから……。
「私も、どうだって良くなる時があるんです」
ライと視線が絡みあう。
お互いに、目を逸らすことはしなかった。
ただひたすら、息を詰めて見つめ合うだけ。
反応を示さないライからは、拒否なのか承諾なのか、読み取ることができなかった。
彼女の気持ちが知りたいのか、箍が外れたのか、サリファは手を伸ばしてライの頬に触れた。
温かった。
ライからは小さく
「冷たいな……」
震えた声が漏れた。
(限界だな……)
淡々と、自分の理性が砕けた音を聞いた。
何もかも、どうでもよくなった。
サリファは無言のまま、更に距離を縮めた。
鼻がぶつかる寸前の至近距離まで来て、ライの呼吸を感じる。
――あと少し。
多分、ここを越えてしまったら、自分は止まることをしないだろう。
日頃、丁寧だとか、優しいとか、暢気とか、色々言われているが、サリファ自身、欲深で短気な性格をよく知っている。
ライは微動だにしない。
そっと唇を寄せると、微かに葡萄酒の香りがした。
どうやら、酔っているのは、サリファの方だった。
そのまま勢い、重ねてしまおうと上体をわずかに起こしたら――
――どさり。
突然、音と共に地面がわずかに揺れた。
屋根に降り積もった雪が地面に落ちたのだ。地面が揺れるほど積もっていたらしい。
サリファは、そのままの姿勢で呼吸を忘れて硬直した。
「雪か……?」
魔法が解けたように、ライが呆然と呟いた。
そして、それは、サリファも同じだった。
「そのようですね」
「サリファ」
「何でしょう?」
「……手、繋いでもいいかな?」
彼女の丸い瞳がまるですべてを察した聖人のように、細められている。
ライの穏やかな問いかけに、サリファは小さく頷きながら、逃げるように再び距離を取った。
「……すいません」
一呼吸置いてから、小声で謝る。
――もしも、今、雪が落ちて来なかったら、一体どうなっていたのか……。
「ん? 何を謝っているんだ?」
あえて聞き返してくる彼女は、こんな時に仕返しをしているつもりなのか?
(聖人……ではないな)
少なくとも、彼女はサリファを優しく包み込んでくれる聖なる母のような存在ではない。
むしろ、無神経の類だ。
手を繋ぎたいと言ったくせして、ライは毛布の中で、サリファの手の甲に、指先だけちょこんと乗せているだけなのだ。
彼女なりの遠慮のつもりなのかもしれないが、これでは、まるで拷問だ。
全神経がそこに集中してしまう。
「ライ…………」
「やっぱり、手は駄目だったか?」
「そうじゃなくて」
今まさに、手を繋ぐ以上のことをしようとしていた人間に投げる言葉ではない。
「繋ぐなら、こう……」
サリファは、耐えきれずに、ライの手を上から包み込んだ。
「しっかりと、触って下さい」
「…………うん」
素直に頷いたライの表情を横目で伺う。
サリファと同じく天井に目を向けている彼女がどんな顔をしているのかは、結局分からなかった。
それよりも、サリファはライの滑らかな手の感触を打ち消すことに躍起となっていた。
(……軽率だったな)
いまだ燻る感情に蓋をして、サリファは反省だけするようにしている。
一線を越えてしまうのは、存外簡単らしい。
だけど、この状態でそんな関係になったところで、ライが苦しむだけではないか。
同情だとか憐みだとか、そう思うかもしれない。その場の勢いだけだったと後々、後悔すること間違いないだろう。
自分に女性として欠けた部分があるから、魅力もないなんて、そんなことを本気で思っているのだから……。
(どうして、私にはそれが分からないのか……?)
彼女と接していると、自分が自分でないようで、落ち着きが失せてしまい、最終的に猛省することばかりしてしまう。
三十過ぎの男が情けない。
しかし、懸念していた通り、自分の堪え性のなさは痛いほど実感することができた。
(早く……。何とかしなければ)
たとえ、あの薬を飲んでしまったとしても、出産をした王家筋の女性はいるはずだ。
それを調べることも、サリファの目的の一つである。
せめて、ライが女性である自分に、自信を持つことができたのなら……。
デニズが与えた嫌な記憶を越えることができたのなら……。
そうしたら、もっと違う道も模索できるはずだ。
失われた十五年の時間を取り戻すくらい、ライには女性としての幸せを味わってもらいたい。
――そのために、今、サリファが出来ることをやるしかないのだ。




