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ティファレト戦記  作者: 森戸玲有
第2章 <3幕>
46/81

 ――深夜。


 サリファから貰った薬を横掛けの鞄に詰め込んだシズクは、自室を出ると隣のナナンの部屋に耳を当ててから、ゆっくりと階段を下りて外に出た。

 隣の部屋からは、寝息が聞こえていた。


(…………あの子、眠っていたよね?)


 ナナンは食事中も一人で喋っていたし、その後もクリアラのことを教えて欲しいと、うるさかった。

 あれだけ労力を使って、一日を生きているのだ。疲労も半端ないはずだ。

 きっと、朝までぐっすり眠っていてくれるだろう。


(大丈夫、大丈夫……)


 なにも今日、危険を冒してまで行動する必要もないのだろうが、せっかく薬をもらったのだ。

 この薬は、作るのに手間がかかるということで、たまにしか手に入らない。

 苦しんでいる人に、すぐにでも、手渡してあげたかった。


「さて……とっ」


 昼間より更に重い厚手の外套を着こんだシズクは、松明に火をともすと、雪の中をゆっくりと歩きだした。

 城に向かって行く上り坂の途中、整備されていない獣道に足を踏み入れる。

 その後、気が遠くなるくらい下っていくと、城の真裏の地域に出るのだ。

 城の真裏は、切り立った崖のようになっているが、人が住めない場所ではない。

 人家もあるし、洞窟の中に住んでいる人だっているのだ。

 サリファの住まいより、一層小さく、ぼろぼろの家に着いたシズクは松明の火を消して、軽く扉をノックすると、立てつけの悪い扉を何とか開けて、中に入った。

 狭い部屋の中には、人が重なるくらい密集して横たわっていた。

 咳き込む人や、痛みに呻く人の声がこだましている。

 いろんなものが混じり合った独特の臭いに、シズクは思わず口元を押さえた。

 この臭い……。

 慣れるまでに時間がかかるのだ。


「シズク君?」


 地獄のような屋内で平淡な声がした。彼らを看病しているのは、医者ではない。

 ここにいるのは、クリアラで階級が下の人たちだ。

 その人達を仕切っている青年が、夜だけ彼らの面倒を見ていることがあった。


「ロークさん」


 蝋燭の灯に照らされた見知っている顔に、ほっとしたシズクは、鞄の中から薬の山を出した。


「今日はずいぶんと多いね。貴重な薬をありがとう」

「いや……僕は何も」


 迷惑をかけてしまった礼として、今日のサリファは奮発してくれたらしい。


(本当に、とんだ迷惑を被ったけど……)


 まあ、それでも、誰かの助けになっているのなら、嬉しい。

 少しでも楽になるのならそれに越したことはない。


 …………たとえ、治るような病でなくても。


「ロークさん、僕もみんなに、飲ませるのを手伝っていい?」

「助かるよ」


 ロークは目尻に皺を寄せて、微笑すると、機敏に動き始めた。

 本人曰く、無精して伸びてしまった肩までの髪を紐で一つに括る。

 薬を渡すときに、わずかに触れてしまったロークの手は冷たかった。

 服装も薄い上着一枚だけの簡素なものだ。

 自分だけ温かな服装をしているのが、申し訳なかった。


「ごめんなさい」


 シズクは甕の水を、欠けた茶碗に汲みながら、謝った。


「僕はこんなことくらいしか出来ないから……」

「こんなことって、俺たちにとっては、君の存在がとても有難いことなんだよ」


 薬を渡した程度で喜んでもらって、どうするのだろう。

 彼らをどうにかすることも、自分をどうにかすることも出来やしないのに……。


「昔、君のお母さんにも、随分としてもらったからね。むしろ、こちらの方が申し訳ないくらいだよ」


 ロークは、シズクの母が彼らと同じ病で死んだのではないかと、疑っている。

 他の者もそうだ。けれど、そんなことは有り得ない。

 この病は多分、伝染しない。

 もし、伝染するのであれば、ロークはとっくに感染しているはずなのだから……。


「そういえばさ」


 ロークも気まずくなったのだろう。すぐに話題を変えた。


「最近、採掘量自体減っているのに、もっと寄越せとレガントがうるさくてな」

「……採掘量が少ないことは、知らせたんだよね?」

「伝えたさ。だったら、新しい採掘場所を探せってことらしいな。まったくあのジジイ」

「…………何で?」


 シズクは、室内の病人一人一人に薬を飲ませながら、必死に奥歯を噛みしめていた。


(新しい場所なんて……)


 …………見つかるはずがないではないか。

 この辺りで見つかったのも、奇跡だったはずだ。

 こんな狭い地域、目ぼしい土地も少なく、崖に寄りそうようにひっそりと形成された集落の何処にレガントの求める物があるのか?

 腹が立つ。


(早くユクス様の代になってくれたら良いのに……)


 そうしたら、絶対にクリアラは良くなるだろう。

 ユクスはレガントと違って、清廉潔白だ。


(…………でも)


 シズクは知っている。

 口には出さないけど、ユクスはレガントに嫌われていると思いこんでいるようだった。

 そろそろ正式に後継者と任命しても良いのに、一向にその気配がないのも理由の一端なのだろう。


(……レガントは、もしかして永遠に領主をやるつもりなのか?)


 いずれ人は死ぬのだ。

 そんなこと出来るはずがない。

 それとも、ユクスに領主を譲るつもりはなくて、妹のミリアを選ぶつもりなのか?


(ユクス様も被害者だよな……)


 ――どうしたらいい?

 だが、領主様……レガントをどうにかしたくても、知恵も権力もシズクは持っていない。

 ただ静かに、苛立ちを鎮めながら、やり過ごすだけだ。

 どんなに切望しても、どうにもならないことを知っているのだ。

 そして、それは彼らも同じだった。


「おそらく、戦争だろうな。それでレガントは資金調達に忙しいんだ。外の世界をよく知らないから、詳しくは分からんが……」

「一体何処とクリアラは戦争をするの……?」


 圧政だけでなくて、戦争まで始まったら、一体どうなるのか……。

 しかし、その質問に答えたのは、甲高い女の子の声だった。


「決まっているでしょ!」


(げっ……)


 心臓が跳ねたのは、その台詞のせいなのか、彼女の威圧感のせいなのか、シズクにも分からない。

 彼女は、やはり迷いのない口調で宣言した。


「……ノエムよ!」

「ナナン、君は…………」

「春になったらね、ノエムが攻めてくるわ。長年の諍いの決着をつけるには、丁度良い好機だもの」

「…………はっ?」


 突然勇ましく登場した少女に、ロークが完全に唖然としていた。

 シズクは刹那に、後悔と自責の念に駆られてしまった。


(やっぱり、起きてたんだな……)


 尾行されていたのだ。まったく気づかなかった。


(サリファさんが、武芸に秀でたって言うだけのことはあるよ……)


 ナナンは外套のフードを取ると、颯爽と室内に入ってきた。

 その耳の形に、益々ロークが困惑している。


「シズク君? この子は一体?」

「いや、ロークさん、彼女はその……」

「二人とも邪魔。どいて!」

「ちょっ、ちょっと! ナナン!?」


 しかも、シズクが紹介する前から、ナナンは二人の間を割って入って、病人たちのところに行ってしまった。

 明らかに不審人物だ。

 怪しすぎて、一言で説明するのも難しくなってしまった。


「あのーー……」


 ロークが下手に呼びかける。

 それを、どう取ったのか、ナナンは勝手に話の途中を催促されていると感じたようだった。


「だからさー、ノエムと戦争よ。あちらはやりたくて仕方ないんだもの。王にクリアラの仕業と見せかけて、髪を染めた刺客を送り込むくらいにね」

「そう……なの?」

「当然、それくらいのことレガントにも分かっているでしょう。だから、身分制度の下位にある人達に更なる圧政を敷いている。……それに!」


 振り返ったナナンは、ロークとシズクを交互に睨みつけた。


「この人たち、病気じゃないわよ?」


 ナナンはこれ見よがしに病人の手を取り、瞳孔を確かめながら、早口でまくしたてた。


「中毒症状よ。……どうりで。強い痛み止めの薬なんて、先生から入手していたから、おかしいと思ったのよね。この薬はその場凌ぎのものよ。元を絶たなきゃ意味ないと思うんだけど?」

「あの、だから……。シズク君、あの子は一体……?」


 本人に訊ねても無駄だと悟ったロークがシズクに目を向ける。

 それが気に食わなかったのだろう。やはり今回も彼女は自ら大大的に名乗ったのだった。


「私は南からここまで一人旅して来たのよ。先生の下で色々聞いたから、医術にはちょっとは詳しいの。一晩の宿のお礼に、診察してあげても良いけど?」


 もはや、誰も彼女を止められない。

 シズクは何に後悔すれば良いのか、もう分からなくなってしまった。

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