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ティファレト戦記  作者: 森戸玲有
第2章 <3幕>
45/81

 ――絶対に、おかしい。


  シズクは何度もそう思ったし、それを言葉にも出した。

  しかし、不思議なことにサリファにゆったりとした口調で諭されるように言われると、そうしなければならないような気持ちになってしまって、結果的に従ってしまうのだ。


『まさか、女の子をこの家に泊めるわけにはいきませんよ。倫理的な問題です』


 サリファは至極当然といった調子で語った。

 まあ、そうだろう。

 そこまでは、理解できる。


 ―――だけど、どうして?


「僕の家……?」


 がっくりと肩を落とした。

 以前、一人暮らしではないことを話してしまった。それが災いしたらしい。

 しょせん、今更のことだ。

 すべてが後の祭りであった。

 先程強く降っていた雪は、小降りとなっていて、長靴(ブーツ)での歩行は楽になっている。

 サリファの住まいから離れてから、横道に逸れて歩き続け、日が暮れる前に、ほとんど人家のない、森の奥までやって来た。

 しかし、気が重くて足が進まない。

 シズクの自宅は、あと少しの所なのに……。


(どうしよう……)


 家の者に、ナナンの存在を何と伝えれば、良いのか……。

 無彩色の景色の中、真夏の太陽のように勢いのある少女は、ずんずんシズクの前を進む。

 そんなに急いたところで、彼女はシズクの自宅を知っているのだろうか?


(知らないだろうに……)


 脱力して力なく笑うと、ナナンに気づかれたらしい。

 振り返った彼女は、シズクをキッと睨むと、突然、体当たりしてきた。


「いたっ!」

「あのねえ、言っておくけど、私だって、好きこのんであんたの所に世話になるわけじゃないんだからね!」

「わ、分かってるよ!」

「先生以外の誰かの世話になるくらいなら、野宿だっていいのよ。私は大丈夫なんだから!」

「だったら、さっきサリファさんの所で、それを言えば良かったじゃないか。情にほだされて、泊めてくれたかも……」

「それはないわね……」


 即座にきっぱりと告げたナナンは、再び背中を向けると小さく肩を竦めた。


「先生はあれでいて、結構非情なのよ。家には置いてあげるけど、自分が出て行くとか、言い出すに決まっているんだから……」

「…………まあ、それは」


 ――そうだろう。

 もしかしたら、サリファの方がシズクの家に泊めてくれと申し出てきた可能性もある。

 あの人が自宅に押しかけてくるよりは、彼女が来る方がマシなのかもしれないが……。 


(いや、なんか僕、究極の選択をしているよね)


 絶対に巻き込まれている。

 こんなことなら、サリファの心配なんてしないで、留守番なんてしないで大人しく家に帰っておけば良かったのだ。

 たった今、会ったばかりの少女を自宅に連れていくなんて、改めて考えてみると、そら恐ろしいことこの上ない。

 更に、このナナンという少女は、意外なほど鋭いのだ。

 案の定、しっかりと指摘されてしまった。


「そういえば、ねえ? あんたのところ病人でもいるの? 先生から大量の薬を貰っていたけれど……」

「う、うん。まあ、親戚が病気がちでさ」

「そう? 本当に? それにしたって量が多すぎない。そんなに薬が必要なの?」

「とっ、ともかく!」


 シズクは珍しく怒鳴った。

 これ以上詮索されたら、駄目だ。その一心だった。


「余計な詮索はなしだよ。……じゃないと、泊められないからね。いい?」

「そっ、まあ、いいけど。病人がいるのなら、私は邪魔なんじゃないかなって思っただけだから」

「…………あっ」


 ――そうだった。

 だったら、そういうことにして、ナナンに引き下がってもらえば良かった。


(あの言葉じゃ、泊めてあげると言っているようなものじゃないか……)


「……僕は馬鹿だ」

「あんたもさあ、人が好いんだか、馬鹿なんだか、よく分からない奴よね? やっぱり、良いところの坊ちゃんなんでしょう?」

「だから、違うって」


 ぶるぶると首を横に振ったが、ナナンの強気な飴色の瞳がシズクをしっかり見据えていた。

 身長が同じくらいなので、自然と目が合ってしまう。

 シズクは冷たい空気をごくりと飲みこんだ。


「実は……」


(何で、ついさっき出会った人に、こんな話をしているんだろう……)


 泣きたい気持ちになりながら、シズクは口を開いた。


「僕自身、母のことはよく分からないんだよ。父のことは分かっているんだけどさ……」

「もしかして、あんた、一人暮らししているの?」

「まさか!? さすがに一人だったら、絶対に断っているよ。それじゃあ、サリファさんと同じでしょ」

「それもそうね」


 立ち話をしていても、仕方ない。

 シズクは前を向いた。

 幸い、雪は止んで視界は開けている。


「この奥が僕の家なんだ」

「随分と、寂しいところに家があるのね。なんか隠れ家みたい」

「サリファさんの所ほどじゃないと思うけどね。城にもそこそこ近いし、悪い立地じゃないけど……。でも、まあ確かに君の言う通り、隠れ家みたいかもね……」


 ざくざくと、積もった雪を踏みしめて、歩いた。

 やがて開けた場所に出ると、煉瓦造りの細長い館から温かな明かりが外に漏れていた。

 煙突からはもくもくと煙が上がっている。

 シズクは改まって我が家を見上げた。

 ……坊ちゃん……なんて。

 指摘されるまで、自分の家の価値など想像したこともなかった。 

 一般家庭としては、少し大きいかもしれないし、二人暮らしにしては、広すぎるかもしれないが、しかし、ナナンが言うような金満家の住まいでないことは確かだと思えた。


「よしっ……」


 心構えをして、ノックをしようと思った途端、金属製の扉は向こう側からゆっくりと開いた。


「…………あっ」


 扉を開けたのは、灰色のドレスにショールを羽織った品の良い初老の女性だった。


「お帰りなさいませ」

「ただいま、ターニャ」


 ターニャは、シズクが生まれた時から、この家に仕えている侍女だ。

 雪の中を歩く音で、誰が屋敷にやって来たのか知ることが出来ると自慢しているくらいだから、当然シズクが誰を連れてきたのかは察しがついているのだろう。

 すぐさま、柔和な笑みをシズクの背後に突っ立っている少女に向けた。


「おや、そちらのお嬢様は?」

「ええっと、こちらは……」


 シズクが迷っていると、待ちきれないのか、ナナンはフードを取って自分から口を開いた。


「私はナナンと申します。ここより南の土地から、一人旅でここまでやって来ました」

「あらまあ! そう……なんですか?」


 彼女の尖った耳を目の当たりにして、瞬きを繰り返しているターニャに、先回りしてナナンは答えた。


「私は南のアンソカ族の族長の娘です。実は今日泊まる所に難儀しておりまして……」

「えっ!? 族長の娘なの?」


 それは知らなかった。


「あれ? 言わなかったかしら?」


 ……聞いてない。

 自分のことを棚に上げて、よくぞあれこれシズクに訊いてきたものだ。

 ナナンはあっけらかんとしている。

 意思の疎通の取れていない二人のやりとりに、業を煮やしたのだろう。

 ターニャは「まあまあ」と宥めながら、割って入った。


「ナナンさん……ですか。それはさぞお困りのことでしょう。お二人共、そこは寒いですから、とりあえず、中に入って下さいな」


 そして、ターニャは吹きこんできた北風から、シズクとナナンを庇うように、家の中に誘った。


「この近くに、宿泊施設でもあれば良いのですが……。ないですものね?」

「ええ、そうなんですよね。この辺りは森か、民家ばかりで。港近くまで行かないと……」


 主の住まう城がすぐ傍だと言うのに、宿泊施設が一軒もない。

 それも不思議な話だが、事実なので仕方なかった。


「私、ノエム側から、ここに来たので、クリアラの山側に着いちゃったんですよね」

「……ノエムから?」


 一瞬、ターニャが目の色を変えたが、すぐにいつもの冷静さを取り戻して、ナナンの外套を暖炉のすぐ傍に干した。

 横目でシズクをちらりと見たが、シズクが小さく頷いて返すと、ターニャは居間の長椅子に座るように案内してくれた。


「ありがとうございます」


 人懐っこいのか図々しいのか、ナナンはシズクよりも前に座ってしまった。

 渋々、シズクは彼女の隣にちょこんと座る。


「…………やっぱり、お坊ちゃんじゃないの」


 瞬間、シズクの方向を見て、おもいっきり嫌味を告げたものの、すぐにターニャの方を向き直ると、にこにこと華やかな笑顔で、愛想を振りまいた。


(不思議な子だなあ……)


 少なくとも、シズクは今まで一度も彼女のような人間に会ったことはない。

 ターニャは基本的に、シズクの言うことには逆らわない女性だ。


(心配性だけどさ……)


 でも、きっと今回のことも、苦渋の決断だったことを分かってくれているのだろう。

 すぐに察し良く、ナナンに笑顔で接してくれた。


「では、余っている部屋もございますし、一晩泊まっていかれたら宜しいでしょう」


 そして、ナナンの荷物を半分手にすると、すぐさま二階の空き部屋にナナンを連れて行ってくれた。

 途中、どすんと大きな音が階下まで響いたのは、室内の寝台で彼女が跳ねたからだ。


(本当、元気だよな……)


 呆れながら、早速サリファから預かった薬の中身を確認する。

 …………と。


「坊ちゃま」


 一人先に戻ってきたターニャがシズクの前に立っていた。


「…………ターニャ」


 確かに呼び名は「坊ちゃま」であった。ナナンの言う通りである。

 あまりに日常だったので、忘れていたが……。


(それに、坊ちゃんのような暮らしもしていないしなあ……)


 ぼんやりと、心の中でナナンに言い返していると、ターニャがしゃがんで、シズクを見つめていた。声を落として心配そうに問いかけてくる。


「…………坊ちゃま、これで良かったのですか?」

「うん、上出来。あとは何とかするから……」

「本当に、大丈夫なのでしょうか?」


 (ああ、やっぱり、心配性だ)


 ターニャもいい年だ。

 あまり心配はかけたくなかったのだが……。


「大丈夫だよ。僕、夜にこっそり行って来るからさ!」

「そうじゃなくて……ですね?」


 一層、眉間に皺を寄せたターニャに、シズクもつられて渋面となった。

 ターニャが心配しているのは、そのことではなかったのだ。


「あの子は、ノエムから来たと申しておりましたよ。もしかしたら……」

「それはないよ」


 シズクは断言した。

 …………それだけはない。

 それは、シズクなりに導き出した結論だった。


「しっ、しかし、今ノエムとクリアラの関係は最悪だと聞きました。この機に何かあるのかも……?」

「考え過ぎだって。ターニャ」


 シズクは苦笑と共にその懸念を打ち消した。

 サリファ宅で、散々その国の名前を聞かされた。

 あの時、彼らに他意はなかったはずだ。

 ただ単に、彼女もサリファも全国を巡ってきただけだ。

 その過程で、隣のノエムの名前が出ただけのことで……。

 神話はともかく、ここ数年の古い話など興味なんて持っているはずがない。


 ――今頃、何があるというのだろう?


(何もなかったじゃないか……)


 父は、もう死んでしまったのだ。

 何事かあるはずもない。変化なんてない。きっと、この生活が一生続くのだ。


「…………何もないんだよ」


 シズクは長椅子に座ったまま、冷めた目で、闇に沈んだ外の景色を眺めていた。

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