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ティファレト戦記  作者: 森戸玲有
第2章 <2幕>
41/81

「……サリファ、お前一体何者なんだ。なぜ俺に黙っていた?」


 部屋を出た途端、ユクスが深刻な面持ちで訊いてきた。

  普段からどんな時でも、仏頂面の青年だが、不機嫌な感情も加わると、悲壮感も醸し出してくるらしい。

 泣きだしそうな顔は、感情を堪えているせいだろう。


(気になるのだったら、父がいるときに問いかけてきたら、良かったのに……)


 精神年齢は、まだまだ子供のようだった。


「何者と言っても、今、北州公に申し上げた通りですよ。私自身に何の力もあるわけではないので、報告の義務もないでしょう?」

「城に立てこもって戦ったって……?」

「前線で戦ったのは、私ではありませんから」

「……怪しいな」

「何が?」

「だって、怪しいだろう。お前のような軟弱そうな男が、城にこもって戦うことなんて出来るのか? まず、第一に逃げることを考えそうだがな」

「……そうきましたか」


 サリファは、ここに来て初めて心のままに笑った。

 この純粋な青年の言動がおかしい。

 とても、あの老獪なレガントの息子とは思えなかった。


「ええ。仰る通りですよ。あの時、私は自分が逃げることしか考えていませんでした」

「はあ? 何だそれ。 じゃあ、一体誰がティファレト王の軍勢と戦ったんだ?」

「公子さまは、そんなことを知りたいんですか?」

「俺だって、ティファレト国民で、次期州公だ。一応、アルガスとの戦いの全容は知っておきたい」

「全容もなにも……」


 サリファは試すように告げた。


「主に、女王陛下が戦っていましたからね……」

「馬鹿を言え。陛下って言ったって、まだ十代の小娘なんだろう?」

「公子様も十代の若者ではありませんか?」

「そういうことじゃなくて、俺が聞きたいのは、主に戦ったのは、軍神セディラム殿ではないのか……ということだ」

「軍神?」


 突然、繰り出してきた言葉に、サリファは耳を疑った。


(あの男の何処をどう見たら、神にまでなってしまうのか?)


 どちらかというと、あの籠城戦の時、あの男は引っ掻き回すだけの存在だったような気がする。

 ――いや、まず、何より……。


「どうして、公子さまがセディラムを知っているのです?」

「お前こそ知らないのか? セディラム殿と言ったら、この辺りでは英雄だぞ。以前、ふらりと、ここにやって来て、イエドの海賊を一気に殲滅してくれた。俺の憧れの人なんだ」

「…………はあ」


 あの男、北州までやって来て、一体何をやっているのか。

 サリファがクリアラに行くと話した時には、何も言っていなかったはずだ。


(まあ、それならそれで、やりやすいのか……?)


 即座に、考えを切り替えたサリファは、更に笑みを濃くした。


「まあ、セディラムのことなら、私、よく知っていますよ」

「本当か!?」


 どんなにサリファのもとに通うようになっても、どことなく距離を置いていたユクスの表情がにわかに明るくなった。

 それは幸運なことなのか、悔しいことなのか……。


「セディラム殿はな、海賊討伐の報酬は受け取ったが、報酬を一切求めず、また放浪の旅に出てしまった。今は強い慰留があって、国王の側近になったと聞いていたけど、あの人のことだ。またふらりと流れるかもしれないな」

「……ああ」


 有り得そうな事態だからこそ、困ってしまう。あの男までサリファ同様、放浪に出てしてしまったら、ライを本気で支える者が少なくなってしまうではないか。

 ライの家臣団は、慢性的な人手不足なのだ。

 今のところ、ナダルサアルと繋がっていた臣をそのまま残留させてはいるが、そんな者を心の底から信用できるはずがない。……かといって、アルガスとの微妙な関係もあるので、立候補する者も少なくて、採用しにくい。

 今ならとんとん拍子に出世できるかもしれないぞと、セディラム本人から茶化すように勧誘されたのは、サリファがルティカを発つ前日の話であった。


「……て、おい?」

「ああ」


 物思いに沈んでいて、すっかりユクスの存在を忘れていた。

 サリファは前後の会話を思い出しながら、ぼんやりと続けた。


「セディラムは、私も凄い男だと思いましたよ。いろんな意味で……ですけどね」

「なんか含みのある言い方だな?」

「含んでいますからね……。お話ししたはずです。私は女王に追放されたのです。あんまり良い気持ちはありませんよ」


 あの戦いでサリファが陣頭指揮を執ったことを知っている者は多いが、その後のライとの関係を知る者はいない。

 追放されたと口にしたら、傍目から見れば、その通りにしか見えないはずだった。

 それに、サリファの見たところ、レガントは密偵をルティカに放っているようだが、詳細は調べきれていないようだ。

 ……あの様子からして、サリファの出自のことなど、絶対に知らないはずだ。


「ふーん」


 目を眇めて、ユクスはあからさまにサリファを訝んでいる。

 ここまで開けっぴろげに怪しまれると、いっそ清々しいくらいだ。

 仮に、もし自分がそのくらいの年の頃だったら、彼にどう接していただろう。


 ――面倒。

 

 その一言だっただろう……。


(どう転んでも、友人にはなれそうもない)


 今も、昔もサリファは植物が友達の変わり者なのだ。


「むしろ、私は州公とユクス様が意思疎通の取れていないことの方に驚きましたけどね」

「…………お前っ」


 カッと目を開き、威嚇してくる。

 話題は十分に逸らせただろう。

 セディラムの話をするにしても、この城の廊下で話すのは目立ちすぎるのだ。


「あっ、お兄様!!」


 ――と、また丁度が良い具合に、前方から赤絨毯をぱたぱたと少女が駆けてきた。

 ユクスと同じ茶色の髪は、今日は頭頂部できっちりと束ねられていた。

 髪を結い上げると、少女とはいえ少し大人びて見える。

 ドレスは簡素だったが、その上に羽織っている藍色のカーディガンは重そうだった。

 元気とまでは行かないものの、部屋の外に出る許可はお抱えの医者から出たようだ。


「今、サリファ様がいらしていると聞いたので是非お礼が言いたくて」

「ごきげんよう、ミリア様」


 サリファは、大人の笑みを浮かべて、彼女の視線と同じ位置に屈んだ。

 唇は乾いていたが、顔色はまあ悪くないようだ。


「だいぶ調子が良いようですね?」

「はい。サリファ様のおかげです!」


 無邪気に笑った少女は、深々と頭を下げる。

 あの州公の子供たちは、揃ってお人好しのようだった。

 それだけがサリファには、腑に落ちない。


「でも、まだ走らない方が良いと思いますよ。完全に治ったわけではないのですから」

「でもね、最近、とても気分が良いのよ。外に出て走りたくなるくらい」 

「バカ者っ」


 サリファの背後で、不機嫌に突っ立っていたユクスが低い声で間に入ってきた。


「お前は、元々寒さに弱いんだから、無理は禁物なんだよ」

「でも、退屈で……」


 ミリアは唇を尖らせながら、ユクスの前に行き、その袖を引っ張ると小声で呟いた。


「ねえ、お兄様。シズクはいないの?」

「…………ミリア」


 ちなみに、その言葉は、サリファの耳にしっかりと聞こえている。

 気配なく近くに潜んでいる彼らの護衛には、聞こえているか否か分からないが……。


「やっぱり、こっそりとじゃないと駄目なの? シズクは悪い人の子だから?」


 サリファは素知らぬふりをしてるが、子供ながらに、わざと聞かせようとしているのでないかと思うほど、よく通る声だった。

 一方のユクスも、開き直ったらしい。

 通常の声量で答えた。


「…………あのな、そういうことを何度も言っていると、二度と会えなくなるからな」

「でっ、でも、お兄様。わたしは、シズクにも会いたい」 

「お前が良い子にしていたら、連れて来てやるから……」

「じゃあ、わたし、今日はサリファ様の話を聞きたいわ」

「それは、駄目だ」

「…………えっ?」


 サリファがまだ何も言っていないのに、ユクスが断固とした口調で拒否をした。 


「公子さま、私は別に構いませんけどね?」

「その赤い草、長時間常温に置いておくと枯れるかもしれないぞ」

「えっ、ああ、それは……」


 そうかもしれない。

 いくら城内の廊下が寒くても、室内は多少温かい。

 木箱に入ったままの赤い光草の特性をサリファはまだ知らないのだから、一刻も早く自宅に持ち帰るべきなのだ。


「…………なるほど。公子さまにしては、気が利きますね」

「あんた、やっぱり俺のことを馬鹿にしているだろう?」

「お兄様……」


 怒気を孕んだユクスに反応して、ミリアがびくっと肩を震わせた。

 怖がらせてしまって後悔したのか、ユクスは申し訳なさそうに脱力してうなだれてしまった。


「いや、父様がそう言っていたんだ」

「やはり、そうでしたか……」


 そこで、ようやく合点がいった。

 光草は枯れないだろう。

 ルティカ城近くに自生していたものと成分的には同じに違いない。

 きっと、レガントは、城の中をあんまりサリファにうろうろと歩いて欲しくないのだ。


 娘に近づけさせないためか……?


(……やはり、私が何をしたのか、あの男は気づいているということか?)


 ――サリファに赤い光草を渡した意味……。


(それとも、私にこの赤い光草の調べさせたいのか?)


 一体、何のために……?


「なにを這いつくばっているんだ。サリファ?」 


 しゃがんだ姿勢で停止していることが不思議だったのだろう。

 ユクスには、感謝しなければならない。

 放っておいたら、いつまでも思索にふけっていたはずだ。


「…………君は、本当に父君に似ていませんね」

「そんなことはな、何度も言われなくったって分かってるよ」


 今回はやけに素直に頷いたユクスは、父親がいるだろう執務室の方を見つめてから、溜息を吐いた。


「父上は、俺なんかには、分からないお人だ」

「そう……なのですか」


 その顔には、蓄積した疑いと諦念と嫌悪と尊敬が入り混じっていた。

 やはり、ユクスと接していると、昔のサリファ自身に行き着く。

 友人になれるかなんて、つい考えてしまったのは、彼が昔のサリファの境遇と少しだけ似ているからだ。


(…………私にも、そんなことを思っていた時があったな)


 母カテナは、決してアルガス国王のことを悪くは言わなかった。

 あんなに不当な扱いを受けても、にこにこと笑っていた。

 子供のサリファには、さっぱり分からかった。

 父であるアルガス国王の考えが……。

 自分の子供を産んでくれた女性を、他国の見知らぬ男に下賜する男の気持ちなんて、忖度したくもなかったが、だけど、心のどこかで、あの男の考えの一片でも理解できたのなら……と、葛藤していた頃もあった。


 ――結局、サリファは己の感情を殺した。


 時を止めてしまった。


 ――彼女ライに再会するまでは。


 ごおっと音を立てて、廊下の窓に雪の欠片が当たる。

 レガントは泊めてくれるつもりもなさそうだから、吹雪になる前に早く城を出た方が良い。

 サリファはミリアに天候の良い日に必ず来ると約束をしてから、ユクスに見送られて城の外に出た。


 白い雪は冷たいけれど、嫌いではない。

 強い風と共に降り積もる雪は、すべての景色を白く染め上げてくれる。

 どんな残酷な未来だって、掻き消してしまうだろう。


 ――それに。


 降り続く雪に、彼女の面影を重ねる。

 色が抜けるように白く、紫銀の髪の少女は、いつも儚げな雪の中にいるような印象だった。

 ぎらぎら輝く太陽の日差しをいっぱい浴びているより、仄かな月明かりに照らされている方がしっくりくる。


(…………末期だな)


 サリファは苦笑しながら、光草を抱え直した。

 自分もまだまだ未熟らしい。

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