④
――ユクスがサリファを伴って、城に向かった頃。
シズクは、サリファに頼まれて、彼の住まいで留守番をしていた。
不在時に、村の人がいつもの薬を取りに来るかもしれないと、サリファは労働の一環でシズクに声を掛けたのだが、シズクにとっては渡りに船であった。
シズクも、まだ自宅に戻りたくなかったのだ。
前回、ユクスがシズクを城に連れて行ってくれたのは、奇跡的なことだった。
通常有り得ないことを、体験させてもらったのだから、今日は大人しく耐えるべきなのだが……。
やっぱり、気になってしまう。
(州公は、サリファさんにどんな用だったんだろう?)
ただの礼で、城まで呼びつけるだろうか?
まさか、生きたまま返さないとか、そんな流れになっているのでは?
可能性は否定できない。
サリファは、穏やかそうに見えて、意外に挑発的なところがある。
下手に、州公に噛みついていなければ良いのだが……。
(身分制度のこととかさ、公主さまに聞いちゃったらおしまいだしさ。それに、僕のことだって……)
他人事なのに、シズクは心配だった。
少なくとも、自分の身近の人を処刑されたくない。その気持ちが強かった。
(それにしても、本当に寒いな……)
冬の寒さには慣れているとはいえ、隙間風の吹き込むサリファの家は、住まいの体を為していない。まるで氷の中にいるようだ。
大量の本を壁際に置いて、暖でも取ろうという作戦なのかもしれないが、それは意味のないことだし、天井からぶら下がっている薬草はかえって、氷を含んだ風にゆらゆらと揺れていて、寒々しさを主張していた。
(サリファさん、よくこんな所で暮らすことができるな)
外が吹雪いてきたせいだろうか……。
一層温度が下がったようだ。
(火になるもの……。お茶でも沸かしてみようかな……)
でも、人の家で勝手に茶など飲んでしまっても良いのだろうか?
(どうしようかな……)
狭い室内を、シズクは右往左往していた。……すると、とんとんとノックの音がした。
最初、風のせいかと思ったものの、もう一度ノックは響き、薄い扉越しに、人の息遣いを感じた。
「もしかして、サリファさん?」
慌てて扉の前に駆け寄って行ったら、しかし……。
「あーーーーっ、もう!」
まさかの足蹴りで、乱暴に扉が開いた。
室内に飛び込んできたのは……。
「雪だるま?」
いや、違う。人間だろう。雪に埋もれて姿が分からなくなってしまっているだけだ。
それに、声だけなら女の子だった。
「先生、寒い~!」
「うわわっ!?」
見た目、雪だるまのくせに、機敏な動きで接近してくる。
抱きつかれそうになったシズクは、必死の形相で部屋の隅に移動した。
(酔っ払い……とか?)
家を間違えたのかだろうか。
雪だるまのような風体で、挨拶代わりに抱擁しようだなんて、そら恐ろしい娘だ。
――いや、もしかして?
(僕と年は、そんなに変わらない……とか?)
その通りだった。
雪に埋もれていたフードを取った途端、彼女の容貌は明らかになった。
はっきりとした目鼻立ちに、この辺りでは見ない橙色の髪をしていた。だけど小柄であどけなさが際立つ相貌は、子供そのものだ。
短い髪耳に掛けると、その形が常人に比べて少し尖った形をしていることに気づく。
(年が近いとか関係ないのかな? もしかして、人間ではないとか……?)
静かに凝視をしていたら、開口一番
「あんた誰?」
声色がドスの利いたものに、変化していた。
……怖い。
サリファの身を心配しているどころではなかった。今、まさに自分の身が危ない。
「き、君こそ、誰なの?」
「何よ、あんた名乗れないの? 勝手に人の家に上がり込んでいるなんて、泥棒?」
勝手も何も、最初に、無断でここに住み着いてしまったのは、サリファの方なのだが……。
「いや、僕は……サリファさんに頼まれて留守番を」
「はあっ? どうして先生があんたみたいなガキに、留守番を頼まなきゃいけないのよ」
どうやら彼女の言う「先生」とは、サリファのことらしい。
まあ、確かに学者肌というか、先生然はしている……かもしれない。
「あの……。君だって、僕とそんなに変わらないんじゃないの?」
「私はもう十四歳よ。立派な大人なんだから!」
ふんと胸を反らされたら、弾みで分厚い外套から雪が吹き飛んだ。
彼女によってもたらされた冷気に、シズクは体を擦るしかない。
やっぱり人間だったらしい。そして、まさかの同い年だった。
「…………僕も、同い年なんだけど?」
途端に、少女は目を丸くした。
「嘘でしょ?」
「嘘なんてつかないよ」
「ふーん、その割には、頼りないガキね。生白いっていうか……さ。私の一族では十四になったら、狩りに出て一人前に獲物を狩っているはずなのよ」
「クリアラは、あまり頻繁に狩りはしないからね……」
近くに海があり、漁場があるのだ。無理に山で狩りをする必要はない。
少女は三白眼を、シズクに向けると、ようやく肩掛けの鞄を唯一の調度品である机の上に置いた。
重そうだ。これが彼女を雪だるまにしていた所以だろう。
「えーっと……」
気を悪くさせてしまったのだろうか?
シズクは急に黙りこんだ少女の対応に困ってしまった。
彼女を刺激しないように、この場から出て行くことができたら良いのだが、外が吹雪いてきたのもあって、今自宅に戻るのは大変だ。
…………ならば、この時間を上手くやり過ごすしかない。
「あのね、僕、シズクって言うんだけど、君は……?」
「…………あんた混血のようね?」
「はっ?」
名乗るより早く、再び脈略もなく飛んできた言葉に、シズクは面食らった。
「あんたは、ここにずっといる一族の出じゃないでしょ?」
「どうして、そう思うの?」
「北州の人って感じでもないんだもの。もっとも、ここの公主さまも、元々ここにいた人じゃないみたいだから、同じなのかもしれないけど……」
「公主さまの一族も?」
「あら、あんた知らないの?」
「うん」
素直に返事をすると、その対応は気に入ってくれたらしい。
彼女はふんと得意げに鼻を鳴らした。
「じゃあ、この国の神話は知っている?」
「知らないな。そんなものあるの?」
「嫌だ。ますます、信じられない……わ……」
言葉の途中で、くしゃみをした少女は、そそくさと灰色の外套を脱ぎ、椅子に腰かけた。
そして、自分の体にまとわりついてる雪を躊躇なく床に払い捨てる。
今後、それが水たまりになりそうな予感だった。
「北州って、本当何もかもが違うのね。ティファレト南部では、どの集落に行っても、神話を知っているわよ。年長者から聞いたり、学校があれば、そこで習ったり、必ず知っているものだわ」
「そう……なんだ」
意外だった。
一生行くこともないと思っていた南の地方だが、やっぱり北州とは勝手が違うらしい。
そもそも、ここに学校というものはない。個々の家で先生を雇うような形だ。
――よって、貴族以外字も読むことができないというのが現状だった。
「創生神話はこの国の根幹よ。まず、地母神レアは太陽神サーラムと婚姻し、月の神イーリアを生むの。そして、イーリアは混沌の神ミディラムと婚姻する。ティファレト国王は、イーリアとミディラムの子孫というわけ。分かった?」
早口で呪文のように唱えられても、分かるはずなんてない。
けれども、分からないと返事するのが恐ろしいシズクは、こくりと頷いた。
「本当は色々と複雑なんだけど、掻い摘んで話すとそういうことらしいわ。先生が言っていたもの」
「はあ……」
結局、サリファの受け売りだったようだ。
シズクが呆れ半分、動揺半分で、直立したまま硬直していると少女は手前に座るように目で促した。何だろう……。同い年の子に説教を受けている雰囲気だ。
「本当に何も知らないのねえ」
「ごめん」
そんなふうに謝ってしまった方が楽な威圧感を少女に感じる。
椅子に深く腰を落とした少女は、優雅に足を組んだ。
長い上着と脚衣は男物の服のようだった。
「まあ、謝る必要はないわよ。私も兄様とか、サリファ様の話を聞いて自分で歩いて知ったってところもあるから、知らないってことは仕方ないんじゃないの。ここって閉鎖的な土地なんでしょう」
「外に出たことがないので、よく分からないけど……。サリファさんを受け入れるのは早かったと思うよ」
「あのねえ、先生だけはどこでも特別なのよ」
速攻で答えが返ってきた。
「私の一族も閉鎖的でね。今までアルガス人って分かった時点で、抹殺していたけど。先生だけは別だったわ……」
うっとりとした目で、少女は虚空を見上げている。
(そこまで、あんなヘラヘラしたおじさんが良いのか……?)
正直シズクには分からないところだが、彼女なりに何か理由があるのだろう。
とりあえず、サリファの話題を振っておけば機嫌も良さそうなので、シズクは捻りだすように、彼のことを質問した。
「サリファさんと君は、その……どういう関係なの?」
「いい関係に決まっているでしょ?」
「…………そう……なんだ」
多分、いい関係とは「友好関係」ということだろう。
いくらサリファがおかしな人でも、シズクと同い年の女の子に手を出すとは考えにくい。
それに、今のところ、憐れなまでにあの人は、植物以外興味もなさそうだった。
「本当はね、兄が先生の世話役を買って出たんだけど、私も先生のお役に立ちたくて……。こうして、ティファレト国内を練り歩いているわけなのよ。わかる? この私の頑張りが?」
「国内を巡ったの?」
「愛のためなら、行けるわ。それに、私の一族は、十四で成人よ。狩の腕も一人前なんだから、自立しなきゃね」
「…………それは、素直に凄いと思う」
「……で、あんたは一体何者なわけ?」
ここまで話しておいて、またそこに戻るらしい。
シズクはおどおどしながら、小声で答えた。
「僕はただの城下に住んでいるガキだよ。サリファさんとは、仲良くさせてもらっているだけで……」
「本当に、ただのガキなのかしら? ここの子供は冬の時期は、家畜の世話とか、それなりに親の仕事を手伝って大変なはずだけどね。あんたの容姿からして、地位だけあって、何も出来ない坊ちゃまに見えたんだけど、どうも違うみたいだし……?」
「だから、僕は坊ちゃんでも何でもないよ。どちらかというと異端児というか……」
「異端児……ねえ?」
意味深に呟いた少女は、耳をぴくぴくと動かした。
長い耳は自分の意志で動くようだ。ちょっと羨ましい。
「……もしかして、あんた?」
シズクは、びくりと肩を震わせた。
寒さからではなかった。
この短時間で、あっという間に、ここの出身ではないという少女にシズクのことを言い当てられてしまっている。
(もしも、ばれてしまったら……?)
「……おや、ナナン? 貴方はシズク君に一体何をしたんですか?」
「…………サリファさんっ!?」
ハッと我に返ったシズクが振り返ると、扉の前で黒い外套についた雪を落としているサリファの姿があった。




