④
――立てこもって七日が経過した。
サリファが十五年前、城を解放した日数だ。
ライには、この数日が何年もの月日に感じられた。
嫌になるほど人の死を見送った。
たまにカテナのように死ねたら幸せなのではないかと思うくらい感覚が麻痺していた。
だが、疲労は心身から来るものだけではなかった。
……サリファが変だった。
自分のことなら、腹を括っている。
だけど、サリファのこととなると、話は別だった。
一口に変といっても、さしあたって何が変というわけでもないのが困りものだった。
むしろ、ここまで凄まじい男だったのかと、セディラムは絶賛しているし、サリファは山賊崩れの連中とも対等に向かい合ってくれる。
族長補佐役達は、今後ライに味方するか否か決めるために、セディラムについてきたらしいが、ライの能力とサリファの巧みな話術で次第にライを王と認めつつある。
皆がサリファを自然に仲間と認め、彼の的確な指示を待っていた。
たとえば、梯子をかけられないために、城の壁面に蜂蜜を塗りたくってみたり、破壊槌が使用された場合、門の強化に動物の皮を使用してみたり、矢じりに塗る毒の種類と調合の仕方や、怪我人の手当てに使う薬草の種類。腹持ちの良い食事の作り方……など。
サリファは何から何まで、事細かく緻密に知っていた。
正直、こんな勝ち目のない戦いで表舞台に出すには、勿体ないほどの才覚だと思う。
しかし。
……おかしいのだ。
カテナの死が、彼を変えたのか?
もういいのだと、サリファを強制的に無理やりにでも、解放してあげられたら、良かった。
結局ライは、ティファレトのためだと言いながら、自分のことしか考えていなかったのだ。
少しでも、長くそばに居たかったなんて……。
……自己満足も甚だしい。
カテナがいる以上、サリファを巻き込むのは仕方なかったにしても、やっぱり、ライはもっと早く、サリファから離れるべきだったのだ。
反省したところで、今更どうしようもないのだろうけど……。
「危ないですよ」
「わっ!」
驚いた。
そこは城の四階辺りだっだろうか。
セディラムから、サリファが休んでいないと聞いたライは、少しの間と断って、仕事を放置して、サリファを捜しに来たのだ。
しかし、ライが発見するよりも早く、サリファの方がライに気づいたらしい。
「貴方はどうして、そうふらふらと……」
「せっ、戦場の視察をするのは、偉い奴の義務だろう?」
「偉い人は、そんな言葉遣いをしませんよ」
「……うっ」
さすがに、切り返しも早い。言い返せないのが癪だった。
サリファの前には、緊張に手が震えている若い弩兵がいる。
狭間窓から、狙いを定めているようだ。
城に小型の弩があったことから、急ごしらえでサリファが部隊を作った。
腕は期待していないとサリファは言っていたが、人選は間違っていなかったらしく、たった数日で結構様になっている。
「今更、貴方の単独行動を責める気もありませんが、ここにいたらアルガス兵の矢が飛んできますよ。私から離れないでください。そこから一歩踏み出すのも禁止です」
「……偉そうに命令するなよな」
「違います。お願いしているのです。ライ様」
どうして、ライ「様」を強調してくるのだろうか……。
「笑顔で嫌味を言うのは、やめてくれ」
ライが頬を膨らますと、弩兵の肩が少し震えた。絶対、笑っている。
「サリファ。あまり私に恥をかかせるなよ」
「ええ。そうですね。貴方のお美しい顔が歪められてしまうのも勿体ないですしね」
「はあっ?」
何処で胡散臭い世辞を習ったのか。
十五年前のサリファならば、絶対に言わない台詞だ。
サリファは、唖然としているライを無視して、笑っていた弩兵に近づいた。
「見えますか? あの白い覆いが?」
サリファは若い弩兵の隣で、膝をついた。
「えっ?」
「どれどれ?」
前にしゃしゃりでそうになったライをサリファが片手で制する。
しかし、ライにも遠目に視認できた。
城の外はアルガス兵で一杯だったが、ぽっかりと空いた無人の空間があった。
目立たないように大木の影に人為的に作ったようだ。
確かに白い覆いがかかっていた。
「あそこにアルガス王がいます」
「えっ。本当に?」
とっさに聞き返すライより、青年の方が的確に質問をした。
「しかし、あんな目立つ所に来ますか? ここからかなり近いですよ」
「戦いが始まって今日で七日。そろそろアルガス国王や宰宮が様子見に出て来てもおかしくありません。実際、そういうことが好きな人達です」
「好きなんですか?」
「ええ。特にアルガス国王は、戦争大好きです。ですから、たまには怖がらせてやるのも良いでしょう。ここ数日、貴方の腕を見ていました。人を狙うのは難しいでしょうが、でも、あのくらい大きな標的なら十分大丈夫なのではないでしょうか?」
「あの白い覆いを射落とせと、言いますか?」
「落とさなくても良いですよ。狙って下さい」
「しかし、サリファ!?」
あそこにいるのは、サリファの父と兄ではないか?
「気が散ります。ライ様はお静かに」
止めるにしても、良い理由が思いつかずライが黙っていると、青年は力いっぱい弦をひき、一本の矢を放った。
サリファが片手を額に当てて、目を眇める。
矢は見事に覆いに当たったようだ。
覆いは落ちたわけではなかったが、すぐにアルガス兵の狼狽ぶりで分かった。 しかもその直後から、ライ達がいる狭間窓に矢が嵐のように飛んできた。
サリファはそそくさと青年と、ライを部屋の奥に連れ込む。
「当たった。当たりました!」
素直に喜ぶ青年にサリファは笑顔を送った。
「良かったですね。少し弓の経験があったとはいえ、たった数日でここまでできるんですから、よほど貴方には才能があるのでしょう」
「あ、ありがとうございますっ!」
何なんだ。この会話は……。
どうして、サリファは嬉しそうなのか。
謎の展開に辟易していると、気色が悪いほど上機嫌のサリファがライの方を向いた。
「楽しめましたか?」
「……楽しめるかっ!?」
「慌てふためいたアルガス王の顔が見られないのでは、余興にもなりませんかね?」
「サリファ。……あのな。丁度良い機会だ。ちょっと話がある。か、顔を貸せ」
こうなったら、徹底的に話し合った方が良いようだ。話したところで解決策が見つかるとも思えなかったが、サリファの心の重荷くらいは軽くできるかもしれない。
強引にサリファの長ったらしい袖を掴むと、抵抗することなく彼はライの後についてきた。
「丁度良かった。ライ。私も貴方に二人で話があったんですよ」
「何だ? 武器の調達、人事の件か。セディラムが一人で討ち入りそうな気配だとか?」
「違いますよ。確かにセディラムは危険ですが……。ああ、こちらに来て下さい」
訝しげにライはついて行ったが、サリファがライを連れて来た場所は、ライにとって、馴染み深い城の地下だった。
昼でも地下は燭台に火を入れないと歩くことも出来ないほど暗い。
ライも牢から出た直後は目がやられて、暫時、動けなかったのだ。
「まさか。私にもう一度、囚人になれとか?」
「何言ってるんですか。牢には、先客のデニズが居座っているじゃないですか。近づかせませんよ。こっちです」
よく分からないが、サリファが目指しているのは、牢がある側とは逆方向のようだった。
「もしかして、兵糧の問題か?」
「いいえ。確かにこの部屋は現在備蓄庫になっていますが、十五年前は違っていました」
「……十五年前は物置だったかな?」
「物置兼私の読書部屋でしたね」
「そうだったのか。私、知らなかったよ」
サリファは何処でも本を読んでいたが、こんなところにまで進出していたなんて、知らなかった。
「こんな場所まであったら、とても私にあんたは捕まえられないよな」
「十五年前の戦いで城は焼け落ちましたが、土台は残っていました。だから、似た構造でルティカ城は再建できたのでしょう。何処を作り変えたかは、ナダルサアル殿下に確認しました」
「殿下に会ったのか? アルガス国王に見放されて以来、寝込んだままだという話だが?」
「ええ。立派に寝込んでいますよ。そんなことはどうでもいいのですが」
サリファは、早々に話を切り上げると、突然、備蓄品の酒樽や燻製などを、通路側に放り始めた。
「あんた。やっぱり相当、変だぞ?」
しかし、ライの問いかけにも答えず、サリファは必死の形相で、床に設えられた煉瓦を外し始めた。
苦しそうだ。昔から華奢で、肉体労働には向かない奴なのだ。
居た堪れなくなってライが手伝い始めると、サリファは申し訳なさそうに頭を下げた。
「すいません。一昨日一人でやった時は、案外簡単にできたのですが……。誰かに知られてはまずいと思って、結構入念に隠してしまったみたいです」
「こんなことしているうちに、誰かに見つけられなかったのか? 普通は捕まるよ」
「一昨日は、城の住人全員の食事に薬を盛って眠ってもらいましたから、大丈夫でしたよ」
「はっ! 何してっ!? ……て、私もか?」
「いいえ。貴方は私が一服盛るまでもなく、寝てました。処置室で怪我人の手当てをしながら眠ってしまったのを、見てましたから」
「……み、見てたって?」
「特に隠した様子もなかったので……」
つまり、無防備だったお前が悪いと……。
この男は、開き直っているのだろう。
呆れて言葉の出ないライを尻目に、サリファは手を動かし続けていた。
「まあ、アルガス軍も手勢は多くありませんし。植物を操る貴方もいます。夜襲は有り得ません。皆もぐっすり眠れて、英気を養うことが出来たのではないでしょうかね?」
「あのな。サリファ、この話は私以外にしない方が良いぞ。あんたのためだからな」
「ええ、そのつもりですよ」
あっけらかんと頷くサリファは、やはり不気味に見えた。
「それで、あんたは一体何を隠したんだ?」
「ああ、これですよ。これ」
ライの質問をさらりと交わして、サリファはしゃがみこむと、煉瓦を撤去した後の床の一角を、触れた。
土埃を払うと、石造りの扉のようなものが現れる。
「おい。何だ。これは?」
「見ての通り、入り口ですよ」
「はあっ!?」
「静かにして下さい。これは隠し通路の入口です。昔、ティファレト王が作らせた抜け道は、すべて塞がれてしまいましたが、幸いなことに、この隠し通路は無事だったのです」
「……もしかして?」
「私の自信作です」
衝撃の余り、倒れるんじゃないかと思った。
「どうして、そんなものを造ったんだよ?」
「昔の私は、カテナ様が嫌だと言ったら、すぐにでもこの城から逃がしてさしあげようと、本気で思っていました。当時の私の選択肢は二つ。一つは逃げる。二つは毒殺。限りなく狭い選択肢の中で生きていたんですよ」
「どちらにしても、行動したら後始末が大変そうな選択肢だな」
そういえば、あの頃のサリファは昏い沈んだ目をしていた。
……今はどうだろうか?
あの頃の目に戻ってはいないだろうか?
「ここは地下で人気もなかったし、土も掘りやすくて助かった。私も若かったので、毎晩隠し通路作りに専念していましたよ」
「あんたが剣術を嫌った理由が分かったよ。毎晩こんなことしてたら、疲れ果ててるよな」
「ええ。実は筋肉痛で、貴方と追いかけっこしているのもしんどかったんです。でも頑張った甲斐はありましたね。試してみましたが、まだ外と繋がっています」
「そんなに、昔のあんたは暇だったのか?」
「限りある力を、くだらないことに費やして、今このザマなんです」
その自虐的な話題は、ライに笑えということなのか?
困惑していると、サリファは入り口の取っ手を両手で引っ張った。
人が一人、辛うじて入ることができそうな暗い穴が見える。
サリファは入り口付近に置いていた燭台を取りに行き、明かりを入口に翳した。微かに風が抜けて蝋燭の灯心が頼りなく揺れる。
「さあ……」
「えっ?」
大きな骨ばった手がライの方に差し伸べられていた。
「逃げるんですよ。ライ」
「…………はっ?」
ライは、一瞬本気で、意識を失いかけた。
そしてすぐに彼が本気でいることを悟った。
彼は本気で……。
「…………本気で、頭が変になったのか。サリファ?」
「……変? 私が? ……だったら、結構前から、頭は変でしたよ。私はカテナ様が亡くなった直後から、こうするつもりでいましたから」
「えっ?」
サリファは、母であるカテナの死を悼んでいるのではなかったのか。
彼の行動が狂気じみて感じられたのは、彼が再三言っている通り、根底にどうしようもない、アルガス王に対する私怨もあるのだと、ライは思おうとしていた。
騙していたわけではないのだろうが……。
けれども、彼は失意に沈んでいたわけではなかったのだ。
サリファは恐ろしいほど、穏やかだった。しかし、冷静だったわけではない。
……彼は冷酷だったのだ。
「ある程度の信頼関係が築けなければ、私に、ここまでの自由は保障されなかったでしょう。この通路も確認しておきたかったので、戦うことに積極的なふりをしたのです」
「そんな……。皆、あんたに……、カテナ様が亡くなって、同情していたから、信じていたんだぞ……」
「誰も信じてくれなんて、頼んじゃいません。貴方が一人なら逃げないと、言いそうなので、二人で逃げる算段をしてたんです。今度は私も一緒に行きますよ。それとも、私がお供じゃ嫌ですか?」
「ち、違う。嫌とかそういう問題じゃない。駄目に決まってるだろ。無茶言うな!」
「どのみち、こんなことは長く続きません。敵は正規兵なんです。もとより素人が敵う相手ではないんですよ。もって数日がいいところです。貴方の力も、もう使えない。そうでしょう?」
喉元まで反論しかかって、ライは渋々首肯した。
サリファの言うとおりだ。
ライの力は、満月から七日程度しか使うことのできない、制約ありきの代物なのだ。
「……それに。旗印がいない方が、降参した時、許して貰いやすいはずです。……それとも、解毒剤がなければ嫌ですか? その点安心して下さい。確実に完成には近づいています。近いうちにお持ちしますよ」
「待ってくれ。サリファ。頼むよ。私は」
「残念ながら、貴方に選択させるつもりもないんです。腹が立ったら、私を恨んで下さい」
「…………そんな」
「時間がないんですよ。ライ」
サリファの暗紫色の瞳が、ライを酔わせる。
ちゃんと考えなければならないと思うほど鼓動が高鳴って、思考するのが遮られた。
このままじゃいけない。
……引きずられたら、駄目だ。
だけど、ライは夢を見たかった。
ずっと想っていたのだ。
……サリファを待っていた。
こうやって手を差し伸べて、暗闇にいる自分を助けてくれたらどんなに良いかと……。
愛されることは諦めていた。
でも、この闇の中から自分を連れ出してくれるのなら……。
ライは、恐怖心と後ろめたさに慄きながら、恐る恐る指先だけをサリファの掌に乗せた。