⑤
――本当に、恨まれるかもしれない。
サリファは、思っていた。
後悔はないが、ライには明らかな嘘をついた。
旗印がいない分、降参したら、犠牲者が少なく済むなんて……。
……そんなことあるはずがない。
多分、ライの行方を知るために、セディラムなど捕えられてしまったら、処刑は免れないだろう。
すでに、犠牲者は出ている。
こんなくだらない戦いで一体、何人が犠牲になっているのか……。
……仕方のないことだ。
サリファの知ったことではない。
サリファはライを逃がすことが出来れば、何だって良かったのだ。
あとの人間がどうなろうが、援軍が来ようが来まいが、関係なかった。
遠くに行きたかった。彼女を連れて。
それはライのためというより、サリファのためだった。
誰もいない所に旅立ちたかった。
それは奇しくも死を選んだカテナのようだったけれど、サリファは同じ意味で、違う行動をしようとしていた。
――そのために、邪魔な物を排除しなけければならなかった。
狭い地下通路の一角を力の限り、足蹴りにする。
背後に石が落ちてきて山となった。
ライは口元を手で覆う。
「一体、何したんだ?」
「道を絶っていたんです。追って来られたら厄介でしょう?」
「それも、十五年前に作ってたのかよ?」
「こんなふうに使って貰えて、当時の私も喜んでいるでしょうね」
中腰でないと先に進めないのは厄介だが、幼かった自分が役に立つこともあるものだ。
「ほら。もう外ですよ」
出口には扉がついてなかった。
大きな石が申し訳程度に積んであって、サリファはそれを何とか押し退けて表に出た。
燭台の灯りを吹き消すと、辺りは夕闇に包まれていた。月は分厚い雲に隠れてしまっていたので、ライの力も発揮できないが、周辺には光草が淡く輝きながら群生していた。
――カテナが好きだった光草が鮮やかに叢を彩っている。
何となく運命的だった。
当たり前のように手を差し出すと、おずおずとライが掌を重ねて来る。
柔らかい感触を確かめて、サリファは胸くらいの高さの光草の中を駆けだした。
体力的には限界に近かった。
だが、自分が率先しなければ、ライは尻込みするだろう。
「サリファ、大丈夫か?」
後ろに続くライが心配そうに尋ねてきた。
限界とは言えないので、黙っておく。
「あんたがこんなに必死になってくれるのは、私への同情なのかな?」
「そんなこと、何だって良いじゃないですか」
ここは多分、ルーンの森の真ん中辺りだろう。急がなければ確実に捕まってしまう。
「……サリファ」
「ライ、時間がないのです。細かい話は後にしましょう」
「あんたは、最初から最後まで、私を逃すことを考えてくれてたんだな」
「…………ライ」
「同情というより、罪悪感の方かな?」
「貴方は、どうしていつもそう……」
諦めているのか?
――勘違いしてもらっては困る。
同情なんかではない。
罪悪感でもない。
そんなもので突き動かされるほど、サリファは優しい人間ではないのだ。
でも、自分でも不可解で説明できない感情を、どう彼女に表現して伝えれば良いのか、サリファにも分からなかった。
「昔、こんなふうにさ、光草の茂る道をユージス様とカテナ様は手を取り合って逃げた」
「ええ。聞きました」
「夢のように綺麗な景色だった。いつか自分にも手を繋いでこの道を行く人が現れるのだろうかって、憧れたこともあった。だけど、逃げても逃げても、ユージス様もカテナ様も幸せにはなれなかなった。…………現実はそう甘くなかったんだ」
息を切らしながら話すことではないだろう。
立ち止まると、ライが惜しむようにサリファの手を放した。
「ライ?」
「サリファ、忘れてないか?」
「何をです?」
「あんたが年を取ったのなら、私も年を取っている。見た目だけは若いけどな。……夢はもう終わりなんだよ」
「何を?」
「サリファ。私はあんたを利用してた。あんたは優しいから、私を放って逃げやしないだろうって。最悪、私を見捨てようとしても、カテナ様がこちらにいれば、無謀な籠城戦にだって首を突っ込んでくるに違いないって。あんたは十五年前の籠城戦の指揮者だ。あんたがいてくれれば頼もしいし、宰宮にも顔が利く。いざとなった時の人質にもうってつけだった。こんな逸材はいないと、最初から私はセディラムと計画を立てた。あんたを利用しつくす予定だった。だから、あんたはもっと怒ってくれて、構わないんだよ」
サリファはうつむいた。
――そんなこと。言葉にされるまでもない。
「私だって、そのくらい分かってましたよ」
「はっ?」
「貴方は嘘が下手ですからね。そうと決めていたくせに、勝手に迷って葛藤して……。私と年が近いわりには、成長が見られません。もっと上手く騙せるようにならないと、立派な大人にはなれませんよ」
「何だと?」
目を丸くしたライが大声で捲し立てようとたが、しかし、すぐに彼女は自分を取り戻して深呼吸した。
「そうか。そうだったんだな。あんたが知ってたのなら、それで良かったんだ」
――馬の蹄の音が近づいてくる。
とっくの昔に追っ手が来ていることを、彼女は知っていたのだ。
「だったら、話が早い。行ってくれ。あんた一人なら行けるはずだ。援軍が来ようが来まいが、そろそろ片が付く。最後まで立ち会えば、あんたは、どちらの勢力からも、逃れられなくなってしまう。本当はもつと早く、無理やりにでもこうするべきだったんだけどな」
「……嫌ですよ」
「サリファ……?」
「貴方の言葉の意味がようやく分かりました。一人では行けませんよ」
二人の背後から、エレントルーデとアルガス軍。
右方向から、セディラムと仲間たち。
そして、遠く前方から、大量の松明の灯が迫っている。
群衆が持っている旗の柄が、淡い灯によって浮き上がっていた。
「……あれは?」
「…………来たのか」
動じることなく、ライが呟いた。
ティファレトの神話に登場する火の鳥や、龍、黄金の葉の模様のそれぞれ。
サリファは昔見たことがある。
それは紛れもないティファレトの各部族たちの紋章だった。
「ライ!!」
セディラムが馬の手綱を激しくひいて、ライの目の前で停止した。
「ほら、待ちに待った援軍だぜ。……ったく! 教えてやろうと思ったら、いねえからよ」
「ああ、すまない。ちょっと、カテナ様のことを思い出してな。光草が見たいとサリファに無理言って連れてきてもらったんだ」
「……たく、何してんだ。ガキが。サリファは毎日疲れてんだ。無理言ったら迷惑だろう」
「いえ、私は……」
――この会話は一体?
しかし、セディラムは片目を瞑って、サリファに微笑みかけた。
セディラムは気づいているのだ。サリファがライと逃げようとしていたことに。
――ものすごく嫌な感じだった。
「ライ様!」
昼間、弩を射た若者がライ目指して駆けてきた。
それに続いて、主だった連中がライの名を呼んでこちらに向かって走って来る。
ライが近くにいるだけで心が和むというのは、サリファだけが抱いていた思いではなかったらしい。
なんだかんだで、セディラムはライがいなければ成立しない計画を立てた。
そして、そんな彼に従った仲間がいた。
ライを旗印に命懸けで戦った人間がいたのだ。
彼女には人を惹きつける魅力がある。
そして、サリファは自分にそれが欠けていることを、子供の頃から知っていた。
「まいったね。これは……」
「えっ?」
気がつくと、サリファのすぐ後ろに、甲冑姿の金髪頭がいた。
ーーエレントルーデだ。
「サリファ。相変わらず、君は隙だらけだね。他人に関しては病的なまでに頭の回転が早いのに、自分の背後はいつもがら空きなんだ。これじゃあ、一国の頂点には立てないよね」
「それを言うなら、ティファレトの人に言って下さい。殿下だって。ここにいる誰一人として殿下の存在に気づいていませんよ。ある意味、私より影が薄いんではないですか?」
「今はそれでいいんだよ。声かけたら逆に僕がセディラムに殺されちゃうじゃないか」
エレントルーデが白々しく欠伸をしているのが鎧の隙間から垣間見えた。
こんな敵の真っただ中で、この男は何をやっているのだろうか?
「昼以降、そちらの軍編成がおかしかった。もしやの可能性を考慮して捜してたんだよ。君とあの娘をね。だけど、まさかこんなことになるなんてね。これって挟撃っていう奴?」
「余計なことをするからですよ」
「でも、僕の意志でやったわけじゃないよ。仕方ないだろう。どっかの誰かさんが、アルガス王の頬を掠めるように矢を飛ばしてきてね。毒矢じゃないかって大騒ぎになって、ぴりぴりしてるんだよ。おかげて僕は似合わない鎧まで着せられ、睡眠時間も削られたんだ」
何だ。頬を掠めていたのか……。
随分、中途半端に当たってしまったものだ。
どうせなら、王の心臓を貫いてくれれば良かったのに……。
そうすれば、もっと状況も変わっていたかもしれない。
「援軍の数は、千単位と見るべきです。ライの力を族長たちが評価して、援軍を出す気になったのでしょう。ただの山賊に力を貸す部族はいないと侮っていたアルガスの負けですよ。降参したらどうですか。それとも、まだ戦うつもりですか?」
「それはこっちの台詞だよ。こんな大掛かりな展開に持っていっちゃって。このまま全面戦争になったら、どうするの? 第一、それを決めるのは僕じゃないんだから……」
「……それも、そうですね」
認めるしかない。
サリファは、もう……あの人物と向き合うしかないのだ。
「ならば、直接本人に訊くのが妥当ですね?」
「えっ?」
息を呑んだエレントルーデの背後に向かって、サリファはありったけの声で叫んだ。
「アルガス=レビジオラス=オルサムナハル=エレメント……国王陛下」
姓名を呼んだのは、嫌がらせのつもりだった。
さすがにサリファの大音声に、ライもセディラムも、その場にいる全員が注目した。
「陛下。いらっしゃるのではありませんか?」
ほとんど城に留まらず、戦場を転戦している食えない男だ。
この不測の事態に対して、臣下に守られながら、座っているはずがない。
案の定、光草と森の茂みに潜んでいた人影が、ゆったりとこちらにやって来た。
数十人の護衛と一緒にいるが、中心にいるのは紛れもなくアルガス国王だった。
サリファが面と向かって会うのは、実に十五年ぶりだった。
「野郎……!」
即座に馬を降りて、剣を抜こうとしたセディラムをサリファが睨みで制した。
アルガス国王は眉一つ動かさなかった。
十五年前よりだいぶ老けたが、ふてぶてしさは健在のようだ。
「久しいな。ディアン=サリファ」
「十五年ぶりです。陛下」
「そんなに経つか。早いものだ」
「社交辞令はいつでも宜しいでしょう? 失礼だと思いましたが、私も起立したままです」
言いながらも、サリファの心中にいろんな感情が渦巻いていた。
心を占める圧倒的な殺意が爆発する前に、手を打たなければならない。
「あの行軍が来る前に、交渉をしましょう」
「交渉だと? ティファレトはあの程度の兵力で我が軍を挟撃しているつもりなのか?」
かたかたとサリファの背後で震えているセディラムが気がかりだった。先導師にいただけあって、アルガス語がよく分かるようだ。
暴れられたら厄介だった。
「確かに。援軍とはいえ、どういう意図でティファレトの味方についたのか分かりません。一概に勝ったと騒ぐのは愚昧でしょう」
「今、そこの娘と男を殺せば、簡単に決着がつくのではないか?」
「それは……」
「お前も死んで、カテナのもとに行くか?」
……これは?
サリファは心半分笑った。
――多分、上手くいくだろう。
上手くいけば、ライの命を救うことは出来るはずだ。
しかし、それは幸せな結果にはならない。
だから、サリファは今の今まで黙っていたのだ。
――でも、もう。
「陛下。ライという娘は、今陛下が仰られたカテナ妃とティファレト王の娘です」
「はあっ?」
エレントルーデの奇声が響いてから、辺りはしんと静まり返った。
サリファの言葉に驚愕しながらも、皆、口に出す言葉が出てこないようだった。
「宰宮殿下は、カテナ様の従者であった私にライ様がカテナ様の御子であるか見極めて欲しいと依頼されました。その答えです。ライ様は間違いなくカテナ妃の娘でございます。再三申し上げておりましたが、ナダルサアル殿下は取り合おうとせず、事もあろうかライ様を牢に繋がれました。ライ様をお救いするべく、こうしてティファレト国内の有志が集まったのです」
「そのような戯言を申すには、手遅れでは?」
「いいえ。陛下。籠城という形になってしまったのは、速やかにライ様をお救いするつもりが並々ならぬ軍容で陛下達がいらしたため、出るに出られなくなってしまったからです」
「ちょっと、待て。サリファ!」
セディラムが激しくサリファの肩を掴んだが、サリファは取り合おうとしなかった。
「そして、あの交渉条件。錯乱したのですよ。証拠にライ様はカテナ様の亡骸を陛下に届けた。祖父であられる陛下を信頼していなければ、そんなことは出来ません」
サリファは上目遣いでアルガス王を睨んだ。
「これ以上戦いが長引くのは、陛下にとっても芳しくないことだとお察しします。ライ様は陛下の孫に当たる御方ではありませんか。ライ様を国主に認めることで、ティファレトにとってもアルガスにとっても、具合が宜しいのではありませんか」
「出過ぎたことを申しおって」
アルガス国王が血走った目でぎろりとサリファを睨んだ。
しかし、サリファが動じないのを見届けて、本当につまらなそうに王は視線を逸らした。
「それが……。お前の進む道なのか」
ぽつりと独り言のように言葉を落とす。
アルガス国王とは思えない、覇気のない、短く小さな声音に溜息が混じる。
――だが、それが幕引きの合図となったのは、確かだった。




