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 丁度、部屋の窓から見えていた中庭にカテナは仰向けに落ちていた。

 先日サリファに、好きな花ばかりだと言っていた花畑だ。

 綺麗な死に顔だった。

 戦場と化した城内で何人もの死体と向き合ったことがあるサリファだが、どれも悲惨なもので目も向けられなかった。

 だが、カテナは満開の花々の中、まるでうたた寝をしているようだった。

 死に場所が花畑の中なんて、最期まで格好良い人だった。

 それでも、サリファは間近でカテナの亡骸を見ようとはしなかった。

 静かに遠巻きで眺めていただけだ。

 ライが途方に暮れた眼差しでカテナと向き合っている様を、淡々と瞳に焼き付けていた。


「サリファ」


 呼ばれて初めて自分を取り戻した。


「どうする?」


 ライが顔を上げてサリファを凝視していた。彼女もまた機械的だった。

 ……嫌だな。

 もっとライはサリファを責めるべきだろう。何で、カテナを摑まえられなかったのかと。

 何もかもサリファのせいだと言いたいはずだ。

 こういう時こそ、殴りつけてもらいたかった。

 だけど、彼女は気にしたふうでもない。


「母上様は、ここに眠ってもらうべきか?」

「私には、それを決める権限はありません」


 ……カテナはいない。

 ただそれだけだ。

 母は、十五年前に死んだのだ。

 再会はなかったのだと、そう思えば何とも思わないのではないか? 


 ……しかし。


「そうか。では、アルガス王にカテナ様の亡骸を送らせて頂こう」

「えっ?」


 意外な言葉をライが発した。


「どうして?」

「ここでは遺体を防腐することが出来ない。私は母上を燃やしたくないんだ。その点アルガスなら上手くやってくれるはずだ。異論はないな」


 目を丸くしているサリファを無視して、ライはアルガスの伝令係を呼んだ。


「カテナ様はティファレト王の妃だ。だが、アルガス人でもある。彼らの葬礼の仕方を私たちは知らない。だからアルガス風に丁重に見送ってもらいたいのだ」

「は、はい」


 突然こんな事になってしまい、居た堪れない伝令達は、一刻も早く味方側に帰りたいようだ。


「あ、そうだ」


 ライの傍らにいたセディラムがいきなり伝令の肩に手を回して微笑した。


「ついでに宰宮に伝えてくれよ。俺を葬りたいなら、姑息な手は使わず直接来いってな」

「……それは」

「まあ、今回は不問に処してやるよ。な?」


 セディラムは、伝令の懐から小瓶を取り出して笑った。

 透明な瓶に入った茶色の液体。

 微かに漂う甘い香りでサリファにもそれが毒物であることが分かった。エレントルーデは、毒殺をちらつかせて多分セディラムの出方を見ただけだろう。

 しかし、今回のことで本気を出してくるかもれしない。


 ……アルガス王はどうするつもりなのか?


 苦しめるべき存在は自ら命を絶ってしまった。

 今回もサリファのせいで、アルガス王は永遠にカテナを失ってしまったともいえる。


 ……駄目だ。忘れよう。


 鬱々と考えているとが嫌になって、サリファが周囲を見渡すと、いつの間にかライが消えていた。


「ライ?」


 何処に行ったのだろう?

 カテナはもう運び出されている。

 それに付き添っていないとなると、彼女が行きそうな場所は一つしか……。


 サリファは、自分でも意外なほど無意識に、ふらふらとライの後を追っていた。


 ――そうして。

 サリファはカテナの部屋の前で足を止めた。


 ……想定通りだった。


 絶対に自分では近寄らないだろうこの場所に、彼女なら行くと思ったのだ。


 ライが泣いている。

 声を押し殺してはいるが、すすり泣く声が嗚咽と共に、扉越しのサリファにもしっかりと伝わっていた。


 人払いしたのか、その場には誰もいない。警備が手薄すぎだ。

 けれど、こんなふうに、自分が彼女に近づくことが出来るのは、その明け透けな態勢のおかげだ。

 本来であれば、サリファのような捕虜は、地下牢に監禁状態なのだから……。


 無意識に扉を開けようとして、サリファは手を止めた。

 何て、慰めれば良いのか、分からなかった。

 他人に対して、ここまで必死に、言葉を選んだ経験がサリファにはないのだ。


 ……どうしよう。


 悩み疲れたサリファは、扉に背をつけて、そのままずるずるとしゃがむしかなかった。


「……おい。いるんだろう?」


 ――だから。

 しばらくして、ライの震える声を聞いた時は、竦み上がりそうになるほど驚いた。


「はっ、はいっ!?」

「何してんだよ? そんなところで?」 

「えっ。ああっ、気づいていたんですか」

「そんな所にいて、気づかないはずないと思うけど?」


 ……馬鹿だった。


 気を利かせたいのなら、その場から離れるべきだったのだ。

 扉越しに人の気配があったら、ライだって気味が悪いに決まっている。


「すいません」

「何で、謝る?」

「私が……」

「思うんだが、あんたが謝罪する必要はないだろう。どれだけ自分にうぬぼれてんだ?」

「……ですよね」

「苛々するなあ。まったく」 

「ええ。私も、私にそう思います」


 サリファは、こつんと背中を扉に預けた。

 自分でも無意識のうちに、完全にその場に座りこんでしまった。


「貴方は、いつもそうやって独りで泣いているんですか?」

「嗤いたいのか?」

「いいえ。そうじゃなくて。私、泣けないんですよ。未だに実感がなくて。でも一人でいるのは心細くて。ここに来たら貴方が泣いていたから……。いつも貴方は誰かに頼らず、そうやって隠れて泣いてたのかなって。今、部屋に入ったら失礼かなって思ったんです」

「私は、そんなに強くないよ」

「じゃあ、部屋に入って良いですか?」

「だっ、駄目だ! 絶対部屋には入って来るなよ。今、とんでもない顔していからな。見たら殺すからな。いいな。殺すぞ?」

「はいはい」


 サリファは、肌寒さから逃れるように、自分の膝をぐるっと抱いた。


「ライ。貴方は何故カテナ様を、アルガス王に託したんですか。カテナ様を死に追いやったのはアルガス王です。なのに……?」 

「怒っているのか?」

「違いますよ。ただ腑に落ちなかったので」

「……カテナ様の初恋の人だからさ」

「はっ、初恋?」

「カテナ様は逃げていた。もちろんティファレト王の妃だからというのもあるだろうけど、アルガス王に対して、疾しさがあったのも事実だと思う。多分、カテナ様はアルガス王に会いたかったのだろう。会いたかったからこそ、会わなかったんだろうな」

「あのお方がアルガス王への思いを密かに持っていたというのですか。ばかばかしい」

「だけど。じゃなきゃ、あんたを生んで、一人で育てようなんて思わなかっただろう?」

「ティファレト王に魅かれたのが疾しい事だと? しかし、あの男はカテナ様を捨てて」

「本当に捨てたかどうかなんて分からないだろう? 気持ちがあっても、別々の道を歩むこともあるのだから……」 


 そうなのだろうか?

 それにしたって、アルガス王が最低なのは変わりないように思う。

 あの男がティファレトに来ていることを知ったから、カテナは死を選んだに違いない。


「あんたは、どうするんだ?」

「えっ?」


 急に話題を変えられて、サリファは驚いた。


「さっきの伝令たちとカテナ様と一緒に、アルガスに帰れば良かったんだ」

「本気で、言ってるんですか?」

「…………それは」

「解毒剤はどうするんです? 私が貴方の近くにいなければ、永遠にできませんよ」

「何だ。まだ言ってるのか。これじゃ、今までと立場が逆だな。もういいって言ってるのに。私はあんたにそう言って、あんたの目を他に向けたかったたけで……」

「それこそ、今はどうでもいい話です。貴方が決断した、その選択が、ティファレトの国にとって、役に立ったととしても、貴方にとって良かったとは、私には思えません」

「だからいいんだって。別に結婚ったって相手がいるわけでもないし。あの毒が本当に猛毒だったら、私はここにはいないんだからさ。ほら、こういう人生もありだろ。だからさ。あんたには私の分まで、少しでも長くカテナ様の側にいてもらいたいんだ。アルガスならきちんと葬礼もしてくれるだろう。息子として立ち会うべきだ。いいか。これは絶好の機会なんだ。私が良いって言ってるんだ。もう行ってくれよ。サリファ。……じゃないと」

「じゃないと?」

「……とっ、とにかく、あんたは自由なんだから、どっか遠くに行ってくれ。な?」


 ライは声を荒げて、無言になった。

 彼女の言いたいことは、サリファにも理解できた。

 ……彼女は立場上、サリファを巻き込みたいはずだ。

 こんなに利用価値のある人質はいない。

 最初から、籠城戦ありきでセディラムと計画を立てていたのなら、サリファを手駒に使ったほうが何かと有利のはずだ。

 でも……。

 彼女は深奥で葛藤している。

 それが伝わってくるから、サリファも歯痒かった。


「ライ。さっきカテナ様は、貴方に何て言ったんですか」

「…………悪いが、話せない」 

「ああいう場で内緒話をして、貴方は顔を赤くしていた。もしかして恋愛話ですか?」

「ばっ……」


 いつものように怒鳴って、違うと否定するのかと思ったが、今回のライは違っていた。


「いいじゃないか。ちょっとくらい夢を見てた時期があったって」


 拗ねている声が悲しいくらい愛らしかった。

 サリファは眩しいものを見つけたように、目を細めた。


「今からでも遅くないでしょう。諦めるには早いんじゃないですか?」

「うるさいな。人が一生懸命頑張ろうって思ってるのに、どうしてあんたが横槍入れてくるんだよ。おかしいだろ? 私は一人で生きていかなきゃならないのに……。今更、何でだよ? 私のことなんて覚えてもいなかったくせに……。急に優しくするなんて変すぎる」

「…………ライ」


 同情かもしれない。

 お互いに相憐れむという感情かもしれない。

 それでも、傍にいたいと思うのは間違いなのだろうか?

 勢いのままに、サリファが扉を開けると、ライの小さな背中が目に入った。やはり、寝台に顔をうずめて泣いていたらしい。


「何で、入って来たんだ?」

「分かりません」

「私には、あんたが分からないよ」 


 そうだろう。

 サリファにすら自分が何を考えているのかよく分からない。


「サリファ。私は……」


 ライが何事か言いかけた矢先、あっさりと室内に赤髪の男が入ってきた。


「おやおや。ライ様。しんみりしている時間は過ぎたようだぜ。あちらさんは俄然やる気みたいだからよ。今夜の月で一発決めるか、それとも喪に服すか。決めなきゃならんだろ?」


 ライは一瞬だけ沈黙を作って声を整えてから、低い声で、一言発した。


「……分かってる」

「なら、いいけど」


 セディラムは、まるで何事もなかったかのように、中腰になって後ろからライの頭をぐしゃぐしゃに撫でた。ライは振り向くことなく、懸命に頭を直している。


「万が一、放火されたらどうするよ?」

「知るか。ルーンの森を燃やすような愚挙でも起こして、ティファレト全土の国民が私達に味方してくれれば、ありがたいことじゃないか」

「おおっ。よく言ったな。偉い偉い」

「あんまり、子供扱いすんな。おっさん」

「へいへい。失礼しました。じゃあ、行くぞ、気の短い連中がお前を試してるんだからな」

「うるさい。今行くから待ってろと伝えろ」

「分かったよ。邪魔したな。サリファ?」

「えっ?」

「じゃ、先に行ってるぜ」


 セディラムが訳知り顔の笑みを浮かべて、

 部屋から出て行った。

 すべてお見通しのような。何もかも分かっていないような謎の男だ。

 ライはすくっと立ち上がると、腕でごしごしと目を拭いてから、サリファの方を向いた。


「見苦しい顔を見せたな」

「そんなことありませんよ」

「有難う」

「ライ?」


 ライはそれだけ言い残すと、毅然と背を伸ばし、真っ直ぐ外に出て行った。

 サリファを見もしない。

 振り返りもしなかった。


 ――利用すれば良いのに……。


 とことんまでサリファを利用し、最期に、やっぱり十五年間ずっと恨んでいたのだと、カテナを死に追いやったのはサリファなのだと、責め抜いたあとで、嗤えば良い。


 どうして、彼女もセディラムもエレントルーデも、ここまで利用しておいて、中途半端に、サリファから逃げて行くのか?


 苛々していた。


 特に、彼女(ライ)は……。


 彼女は迷っているし、揺れている。

 自分が泥沼に足を踏み入れていることを、自覚しているのだ。

 そのくせ、深い泥沼の全容をサリファに見せるだけ見せて、サリファだけは泥沼には入るなと、必死に叫んでいるのだ。

 ……誰よりも、最悪なやり方だ。 


 ライは、落ちていくのは、一人で良いと言っているのだろう。

 だけど、良いはずなんてないのだ。

 ……絶対に。


 部屋に取り残されたサリファは、初めて拳を強く握りしめた。

 求めているのは、そんな半端な優しさではない。


 カテナが死んでも、サリファは動けなかった。


 ……激情が欲しかった。


 自分をつき動かす唯一無比の原動力。

 それが「ライ」であるのなら。


 ―――サリファ自身、もう引き返そうなどとは思わなかった。


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