⑤
満月から一夜明けた晴天の朝一番だった。
面白そうだと言って、アルガスの使者をルティカ城内の応接間に通したのはセディラムだった。
そんなことは、サリファにはどうでも良いことだったが、なぜかサリファを同席させるという。
まったくもって、この男もよく分からない。
エレントルーデに次いで二番目くらいに、サリファの神経を逆なでしてくれるような男であることは間違いなさそうだった。
「セディラム。一応、私捕虜ですよね?」
「えっ。ああ、でもこういうことは大勢の方が楽しめるだろう?」
「貴方には仲間がいるでしょう? 使者も、ティファレト語で話してくれるそうですし」
「しかしな。珍獣仲間ばかりじゃ、相手さんも可哀想だろう。何せ全員手が早い。アルガスの兵士ってだけで話を聞く前に殺しちまうかもしれねえ」
「はあ」
なるほど……。
いかつい顔の連中が豪奢な長机いっぱいに座っていた。
アルガス語でなければ「珍獣」と言っただけで喧嘩を売られるかもしれない。 ほぼ半裸状態の族長の補佐やら、顔まで刺青があるような男、椅子の上に胡坐をかいている者までいた。
敵意がないことを示すため、軽装でやってきたアルガスの交渉係二人は小さく萎縮している。
セディラム側の事情は察しがつく。
それでも、この人選が間違っていることには変わりない。
サリファが裏切っているなんて、アルガス王に伝えられたら面倒極まりなかった。
「サリファもさ。嫌なら、逃げれば良いのに。あんた一人なら、簡単に逃げられるだろ?」
セディラムがサリファの耳元で囁いた。
とんとん巻き込んでおいて、最後には、好きにしろと突き放す。
……最低だ。
サリファの周りは、こんな奴らばかりで、いい加減、嫌気がさしていた。
「カテナ様のお加減が宜しくないのですよ」
「ああ、そんなに悪いのか?」
「ええ」
昨晩、興奮したのが良くなかったのか?
明け方から咳が止まらず、睡眠薬を飲ませても眠ってくれなかった。
一か八かで、光草の解毒剤を飲ませてみようかと本気で思った。
しかし、解毒剤の中に含まれる薬草と、イクスの相性が悪い。
かえって死期を早めてしまうかもしれないので、賭けに出ようにも、出られなかった。
「ああ、だからライがカテナ様の側から離れようとしないんだな」
「私も動きたくなかったんですけど?」
「カテナ様は、あんたにとっても、元ご主人様なんだってな。心配なのは分かるが、別に親の死に目に会えないっていうわけでもないんだ。ここはカテナ様とは一応親子に当たるライに頼めば良いってことだろ」
サリファの母こそが、正真正銘カテナなのだが……。
しかし、それを話せるほど、サリファは、セディラムを信用してなかった。
「本当に貴方のことはよく分かりませんね。セディラム。ライを利用しているのか。心配しているのか? 権力には興味なさそうですが、やっていることは王位の簒奪ですし」
「うーん。確かに、国主なんかには興味ないな。たまたま目の前に美味そうな餌がぶら下がったから食ってみようと思っただけだし」
「そうですか」
この男と話していると、今置かれている状況がどうでも良くなってしまうから、怖い。
「ともかく、お互い暇ではないのですから、話を進めたらどうですか。セディラム?」
どうせ、アルガス国王のことだ。
徹底抗戦を貫くだろう。
交渉だなんて言っているが、時間稼ぎの方便に決まっている。
本気で交渉するのなら、エレントルーデと話をする方がまだまとまりやすいはずだ。
こんな話を聞いている時間があるのならば、人員配置の見直しでもしていれば良いのだ。
……と、頭では分かっているが、口に出すまでは踏み切れない。
ライには自分のせいだと謝罪した。実際、その通りだと思っている。
けれど、この期に及んで、サリファは自分が可愛いのだ。
だから、完全にティファレト側に回ることも出来ない。
「まあ、そうだな。うん。俺もそう思ってた。……で、アルガスさんよ。交渉て何?」
「は、はい。しかし貴方が国主に推挙されているという、ティファレト王の御子は?」
「ああ、ライ? ライは今お休み中。俺が聞いたら、まずいのか?」
「いえ。そういうことは」
唐突に話を振られ、壮年の交渉係は一瞬面食らったが、すぐに隣の若い男に目配せをして、ゆっくりとティファレト語で話し始めた。
「陛下は速やかにこの城から出て行けば、寛大な処分をされるということのようです」
「あれ? 不問に処すとかじゃなくて?」
「寛大な処分とのことです。具体的には仰せつかっておりません」
セディラムがにやりと、口角を上げた。
……予定調和だ。
交渉というよりは脅しに近い。
今からすぐに城から出たとしても、セディラムとライは処刑されるだろう。
「王様さあ。人質のこと忘れてない? ナダルサアル殿下以外にも、逃げ遅れた奴がいるんだけど?」
「陛下は、人質にとられるような者はいらないと仰せです」
「ナダルサアル殿下に聞かせてやりたかったな。人質にとられた失意で今まさに床に臥せっているんだぜ。気にもならないのか?」
「わ、私共は陛下のお言葉を伝えるだけです。陛下の御心まではお察しできません」
「ふーん。……だってさ。みんな、どうする?」
ずらっと勢揃いした男達が殺意むき出しのまま肩を揺らして笑った。
何処からともなく抜いた剣を舌で舐めている連中もいる。
異様な殺気だ。
……こちらも、使者を生かして帰す気はないということなのか。
「ちょっ……、しばしお待ちを! まだ陛下からのお言葉を賜っております!」
二人の伝令係は、室内の並々ならぬ様子に、椅子から転げ落ちそうになって立ち上がった。
「へえ。何?」
同じく立ち上がったセディラムが腰に手を当て、震えあがる兵士達を見下ろした。
「もう一つの選択として、陛下はカテナ妃を所望しております。もし妃がこちらに降れば、今回の件は不問に処すと。それが出来ないのなら、ルーンの森を焼き討ちし、王都諸共、灰燼に帰すと仰せでございます」
「はあっ!?」
「それは、どういう意味ですか!?」
素っ頓狂な叫声を張り上げたセディラムを制して、サリファは血相を変えて詰め寄った。
「カテナ様を、どうしようというのです?」
まったく今回の件とは無関係ではないか?
十五年前の復讐相手がようやく現れたということなのか。
それほどまでに、アルガス王は母を恨んでいたのか?
「どうやら、無関係ではなくなっちゃったみたいだな。呼んで良かっただろ? サリファ」
哄笑するセディラムを一睨みして、サリファは伝令係に更に接近した。
「この条件は、宰宮殿下が提示したものではないのですね。アルガス王の指示だと?」
「はい。宰宮殿下は関わっておられません」
血の気がひいていくようだった。
エレントルーデの三年間の選択は間違っていなかったのかもしれない。
もしも、カテナの所在が王に知れしまったら、何をされていたか分かったものではない。
「どうしよっかね。サリファさんよ?」
「そんなこと……。私に言われましてもね?」
そもそも、それを判断するのはサリファではないではないのだ。
それでも、その場にいる者全員が一斉にサリファに注目した。
視線に耐えきれず、しかし、その場を離れることも出来ず、サリファは逃げるように立ち上がり、露台に身を寄せた。
城の最上階だ。さすがに景色は良い。
ティファレトの涼やかな風が沸騰しそうな心を解していく。
しかし、眼下の緑の森の先にアルガス軍の姿を発見してしまったので、気分が悪くなった。
カテナを出さなければ、火を放つなんて、卑怯過ぎやしないか?
十五年前でも、そんな条件を出さなかった。
――アルガス国王。
年を重ねて益々残忍になったのか?
サリファの沈黙と共に、森閑となった室内に、廊下の音が大きく響き渡った。
「お待ちください! お待ちください!?」
懇願しているのは、しゃがれた老婆の声。カテナの侍女のものだ。
……そして。
「駄目です。そこには何もありません!」
それはライの声だった。
――一体、何事なのか?
「嘘おっしゃい。使者を通す部屋っていったらこの部屋なのよ。いつもそうしていたもの」
…………カテナがいる?
「どうして?」
立ち竦んでいるサリファを前に、両開きの扉がぎいっと音を立てて開いた。
病を患っているのに、そうと感じさせない艶のある黒髪と、意志の強そうな青い瞳。
近頃、寝間着でいることが多かったのに、今日は黒いドレスに灰色の肩掛けを羽織っていた。地味な装いだが、どう見ても外見は、小娘のように若った。
「ふふっ。アルガスの兵士さんを目にするのは久しぶりのような気がするわ」
「カテナ……様?」
もう立つことも容易ではない体だろうに、カテナは笑顔のまま、ゆっくりと交渉係の方に向かって行く。
いつものように途中でよろけるようなこともなかった。
「条件は何?」
「はっ?」
「お互いに、無傷で済む条件よ」
「それは……」
「駄目です!」
見兼ねたサリファが一喝した。
「カテナ様は療養中です。いらぬことをお伝えして、煩わせるわけにはいきません」
「あら、嫌だ。療養中だなんて辛気臭い。私だって調子が良い日くらいあるのよ。貴方まるで私のお母さんみたいな言い方するのね」
カテナは頬を膨らませて、サリファを睨む。
そんなカテナの表情は、昔のまま。何一つ変わっていなかった。
…………子供の頃。
何も知らず、ただアルガス王、ティファレト王から、母を救わなければならないと、そんなことばかり考えていた。
あの時の熱情を、サリファは思い出していた。
「分かっているわ。アルガス王が私を迎えに来たのでしょう? でも、私にはユージス様がいるの。迎えに来てくれるって言ったのよ」
「えっ?」
やはり。カテナは、夢の中なのか?
セディラムも、その場にいた彼の手下も完全にカテナの勢いに圧倒されていた。
誰もそのことに指摘しない。皆が押し黙っているのを良いことにカテナは調子を上げていった。
「もし、私が役に立つのなら、抜け殻になった私で良ければ差し上げるわよ」
「それは、どういう?」
伝令係の問いを、カテナは無視して、蝶が舞うようにふわりと歩きだしていた。
「カテナ様!」
何かを察したらしいライがカテナの袖をぐいっと掴んだ。
「呼ぶなら、カテナ様じゃないでしょう? お母上様でしょう?」
「……あ。はい。すいません」
「気を付けてね」
そうして、カテナは何事かライの耳元で囁いた。
動揺するライの隙を見計らって、カテナがサリファのもとにやって来た。
今、無理をすれば後で祟る。
早々に捕まえて寝台に送り込まなければ……。手ぐすねを引いて待っていたサリファだったが……。
「カ……」
サリファの頬をそっと指で撫でたカテナは、有無をも言わさない勢いできつく抱擁した。
「えっ?」
何事かと、目を見張るサリファの胸の位置でカテナが笑い混じりに呟く。
「背、伸びたわね」
「あっ。はい」
当然だ。もう十五年も経っている。
少年を通り越して青年……、もはや中年にさしかかろうとしている。
母上はいつまでもお若く……と挨拶したら、嫌味になるだろうか?
……そんなことを考えて、でも言葉なんてどうだって良いことに気が付いた。
カテナには、サリファが分かるのだ。
忘れられたのは、サリファを恨んでいるからだとばかり思っていた。
「有難う」
「……私は何も」
「嬉しかった。ずっと、貴方に会いたかったの。でも、会うのは一度だけって決めてたわ」
「……そう、ですか?」
ーー一度だけ?
その言葉の意味がサリファには分からなかった。
分からないまま、気が付くと、柔らかいカテナの指が頬を撫でていた。
「ごめんね」
それが、カテナの最期の言葉だった。
カテナは、サリファのもとを離れると、凄まじい力を発揮して露台の上に立った。
長い髪が風にそよぎ、全身に日差しを浴びたカテナは太陽のように微笑した。
……ありえない。
その夢のような光景に、サリファの反応が一瞬だけ遅れた。
「はは……うえ?」
ぽかんと子供のように小声で呼んだ。
けれども、その声は多分誰にも、カテナにすら届かなかっただろう。
すぐさま、あらん限りの力を使って、サリファはカテナを引き寄せたが、サリファの手の中に残ったのはカテナの肩掛けだけだった。
彼女はサリファの手を拒否し、するりと自ら地面に落ちた。
……あっけないくらい簡単に。
怖いくらい鮮やかに……。
まるで死に場所を求めていたかのようだった。
―――カテナは、自ら命を絶ったのだ。




