④
ティファレト国王から人心が離れていった理由は二つある。
神聖視されていた王のもとに同族以外の血が入ったことと、更にアルガス人の妻を娶ったことだ。
大地母神レアの血をひく一族に、穢れた血を引く子が生まれるようになってから、王は王でなくなった。
それでも、特殊な能力さえあれば、民は王を神として崇め続けただろう。
王はその力を、ルーンの森の中に群生している光草と諸々の草花を煎じた薬を飲み、生み出していた。
――しかし、その薬の副作用は激しかった。
体に適合しなければ、能力が発揮できないばかりでなく、イクスのような症状が出てやがて死に至る。ユージスの場合、副作用が顔に出たのだろう。
そして、そんなに苦しい思いをしたのにも関わらず、彼には何も力が宿らなかった。
ユージスが心の奥に抱えていた劣等感はそれであり、月が怖かったのは本来発揮できる日に力を使うことが出来ない自分が悔しかったからに違いない。
そのユージスが憎々しげに思っていただろう月を、ライは胡坐をかいて見上げていた。
なぜ、王族でもない自分にその力が宿ってしまったのか、よく分からない。
しかし、つい最近気づいてしまった力は、副作用では片づけられない異常なものだった。
そもそも、この副作用の存在さえなければ、今回のような計画を、セディラムもライも実行しようなんて、まず思わなかっただろう。
口から出まかせの嘘が、本当になりかけてしまったのだ。
……酷い話だ。
塔の屋上に吹く風は、冷たく、厳しく、皮膚に優しくない。塵が目に入ったみたいで痛いから、ライは強く目をこすった。
別に、場所はここでなくても良かった……。
しかし、高い所の方が格好良い気もする。
大量の松明の灯が、月明を打ち消そうとしている。
アルガス側の兵士達が武装しながら集結しているのだ。
いつでも攻撃出来る態勢を整えて、国王の号令を待っているのだろう。
やはり、サリファが言っていた通り、もって一日が妥当な見解だ。
……でも、もしかしたら、ライの一手で、この流れを変えることが出来るかもしれない。
――だとしたら、やってみる価値はある。
静かに、ライは目を閉じた。一つに結っていた髪が解けて、紫銀の髪が風の中に踊った。
風で揺れる木々のざわめき。草の音。滾々と湧き続ける澄んだ小川。ルーンの森の生命の息吹を全身で感じる。優しい香りがした。
「ライ!!!」
……何だ?
サリファが必死で叫んでいる。
慣れない全速力で、ライを追いかけてきたらしい。
ライの背後で、息を切らし膝に手を当てている姿が想像できた。
――十五年前。
ライは彼の背中ばかりを追いかけていた。
手を伸ばしてもいつも届かなかった。
一生届かないで、遠くに消えて行く人だと思っていた。
その彼がライを追ってくるなんて、つくづく人生は面白いものだと思う。
「ライ。信じたくないのですが……」
「普通は気づかないよな。こんなこと。私も当事者でなければ、信じなかったと思うよ」
「貴方が何を行うつもりかは分かりませんが、カテナ様の頼みです。今、それを中止することはできないのですか?」
「ここで私が逃げたら、明日にはアルガスが攻めて来る。何も変わらないままに、事態が決着する。それじゃあ、意味がないんだ。第二のデニズを作るだけのことだろう? 少しは目立っておかなきゃ。この国は人身御供がいなければ、まとまらない。ほら、私なんか一度は死んだ身だし。上手く使ってもらおうと思うんだ」
サリファが黙り込んだ。
絶句したといった方が正しいかもしれない。
薄い雲が月を横切ったせいで、一瞬暗くなりまた明るくなった。
意識を集中していくうちに、ライは空気に溶けていくような感覚に酔っていた。
今、自分は森の植物と一体化している。
心音が、遍く植物、生き物と共鳴している。
……とくん、とくん。
規則正しい脈拍を刻みながら、ライは草となり、木となり、風となり、縦横無尽に疾走する。
――直後に、ライの爽快な気分とは真逆の怒号と悲鳴が海鳴りのように発生した。
「ああああっ!」
「何だ! これは!?」
「助けてくれ~!」
眼下で繰り広げられる阿鼻叫喚。
ライは、城の周囲を大木の根となって、何度もぐるぐると回った。
大地を這いながら、触手で兵士達を巻き込み、土をえぐるように進む。
森から大木を呼び、枝を箒のように使い兵士達をごみのように吹き飛ばしていく。
……何人、敵を減らせただろうか?
さすがに、これ以上は無理だ。
「…………はあ」
大きく息を吐くと、力が尽きたライは後ろにひっくり返った。
「大丈夫ですか?」
ライの体をサリファが支えている。
重くはないだろうか?
そんなことを考えてる余裕があるから、きっと自分は大丈夫だ。
「……どん……な塩梅だ?」
「突然、城を取り囲むように木の根のようなものが這い、ルーンの森からニナの大木がひょこっと歩いてきて、まるで掃き掃除でもするかのように、人を薙ぎ払っていきました」
「それは説明しなくとも、私にも分かっているんだが?」
「やはり、貴方の意志でやったのですね?」
サリファはアルガス人にしては、色素の薄い顔を真っ青にして、悲鳴のように呻いた。
「土嚢を築こうとしたのですね。貴方は?」
「これで多少持ちこたえられそうか? ここまで派手にやればティファレト人も王の血が絶えてなかったことを喜んで、救援とか出してくれて、少しはまとまってくれるかな」
「たった一度で、貴方のその特殊能力が国中に伝わるでしょうか?」
「……明日もやるよ」
「そういう話ではありません。ライ。その力は、ルーンの森を離れたら、発揮できないんじゃないですか? ……満月付近の数日しか使えないのではないですか。違いますか?」
「何で分かるんだよ?」
「貴方は月を気にして、城から離れようとしなかったから……」
何処までも、嫌な奴だ。
並みの人間だったら、こんな芸当を見たら真っ先に驚嘆するだろう。
見事に騙されて、ライこそが王だと賞賛するかもしれない。
だが、この男はディアン=サリファだ。
この離れ業を見て、驚くでもなく、弱点を見つけ出して深刻な顔でライに指摘するのだ。
ライが口を開かないのを肯定と認めたサリファは、盛大に溜息を吐いた。
「……ライ。そんな簡単なことじゃないと私は思います。たとえ毒のせいで、貴方に人間離れした力が宿ってしまったとしても。王と名乗れば、名乗るほど、それだけ今回、貴方は厳しくなっていくのですよ。敵にも味方にも、貴方の本当の仲間が少なくなっていってしまう。貴方にもそれが分かっているはずでしょう?」
「そんなこと……分かってるさ」
「ライ」
サリファの顔がまともに見ることが出来ないライは、声質でサリファの機嫌を判断するしかない。
今、サリファは怒っている。多分。
……でも、それはライに対してなのか?
どうやら違うらしいと感じたのは、温かい感触からだった。
冷え切った体を包んだのは、先程の外套ではなく、意外に力強い腕だった。
「…………えっ?」
ライの華奢な体は、サリファの腕の中にすっぽりと入ってしまった。
「私のせいです。私が貴方を追い詰めてしまったんですね。ライ」
「サリファ……」
そんなにあっさり、懺悔しないで欲しかった。
ライだってサリファが、どうしようもなかったことくらい分かっているのだ。
ライもカテナも辛かった。
けれど、勝手に毒を飲んだのはカテナだし、カテナの後を追って死のうと思ったのはライだ。自分が弱かっただけだ。
だけど、再び会ったのなら、昔の感傷を捨てて、己の目的のために、サリファと向き合うつもりでいた。今もそうしているつもりだ。
サリファだって、善意だけで生きてなんかいないだろう。
事実、サリファはライのことなんて、覚えてもいなかったじゃないか?
……なのに。どうして?
こんなに気持ちがざわつくのだろう。
「………………痛いよ。サリファ」
抱きしめられている背中が痛いのか、心が痛いのか……。
ライにはもう分からなくなっていた。