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ティファレト戦記  作者: 森戸玲有
第1章 <3幕>
15/81

「月……か」


 ……月が出ている。


 牢の中の小窓から月を見ることは出来ないが、黄金色の輝きだけは、ライの小さな体にも降り注いだ。

 きっと空の真ん中に月が浮かんでいるのだろう。


 ……三日月くらいか?


 どれくらいの時間が経ったのか。昼過ぎに牢に入ってから、何も食べていない。

 空腹なのか、眠いのかよく分からない。

 眠ったまま痛みもなく死ねるのなら、それも悪くないだろう。

 だけど、きっとそんなことを考えてしまうのは、自分が弱いからだ。

 夢うつつに、視界の中に黒い影が横切ったので、とりあえず手を伸ばし、名前を呼んでみた。


「……サリファ?」

「あ、起こしてしまいましたか?」


 本当にサリファだったらしい。

 何だ。

 名前など呼ばなければ良かった。

 まるで助けを求めたようだ。


「遅くなってしまって、すいません。今日は色々ありまして。ああ、そうだ。お腹空いてますよね」


 昔のように、サリファは常に張りつめた緊迫感など持っていない。

 馴れ馴れしくすれば刺してきそうな鋭い棘もなかった。

 ふわっと包み込むような柔和な笑顔でそこにいる。

 アルガスにいた間に、骨抜きにされたか?

 サリファには常に監視がついていた。

 その温厚さは、彼らをかわすために身に着けたものだろうか。

 値踏みするように瞳を細めると、サリファの掌から、香ばしい匂いがやってきた。


「蜂蜜入りのパンですよ。気が付いたら夕食の時間も終わってて、こんな物しか持ってこられなかったのですが」

「何だ。私は飢え死にの刑になったのかと思っていたが?」

「そんなことはないですよ。ただ今日は皆忙しかったのでしょう」

「みんな忙しいと、あんたが牢の門番になるくらいアルガスは人手不足なのか?」

「面白い皮肉ですね。ナダルサアル殿下が倒れられたんですよ。宰宮殿下はこういうことには寛大なので、入牢許可をもらいました」

「随分と絶妙な時期に、国主が倒れたよな?」


 ライが意味深にサリファを一瞥すると、にっこりと微笑で返された。

 悪意がまったくないから、かえって怖い。

 ……やはり、昔からサリファは変わっていないのだ。


「とりあえず、宰宮殿下が実権を握っている今が好機です。パンを食べたら、今度こそちゃんと逃げた方が良い。牢には貴方しかいません。門番はここから遠ざけましたし。ね?」


 保護者のようにしゃがんで、目の位置を合わせて説教するサリファを、ライは睨みつけた。

 ーー子供じゃないのだ。ライは……。


「言ったはずだよ。一人で逃げるつもりはないんだって」

「あくどいことを繰り返す反乱勢力の仲間の所には、戻りたくないですか?」

「……えっ」


 ライは目を見開いた。


「……何だ。知っているのか」 


 無言のサリファは肯定を表しているつもりなのだろう。

 一体、どこまで気づいているのか?

 ライとセディラム、それにレイラは反乱勢力に属している。

 反乱と言っているが、首領は反乱するどころか、ナダルサアルの犬だ。

 下っ端にはもちろん内緒にしているが、金を貰って、小競り合いを繰り返しているだけのみみっちい男だった。


「カテナ様が連れ去られた後、私は私たちを浚った男に拾われたんだよ。それがデニズっていう最低野郎でさ。カテナ様は私を自分の娘だと、そいつに言い残してから行かれた。皆嘘だって分かってたけど、それでもその一言が唯一、私の身を守ってくれたんだ」

「やはり……、貴方は反乱勢力の中にあっても、戦いの前線には出なかったのですね?」

「ティファレト王の娘という設定だ。戦死でもしたら目もあてられないだろう。デニズはいざとなった時の切り札として、私を使うつもりだったらしい。あまりに、馬鹿馬鹿しくて、普通は思いつかないことだろうな」

「そういうことですか」


 サリファは額に手を置いた。何やら考えこんでいるらしい。


「貴方を拾った賊の親玉が何を考えているのか、まったく分からなくて。ナダルサアル殿下に近づいたのは金を儲けるためとは思っていましたが、沢山の民を犠牲にして自分だけ豪勢な暮らしをしていたら、すぐにばれて、殺されてしまうでしょう。今の話を聞いて、違う狙いがあったことに気づきました」

「あの下劣なジジイに目的なんてものがあったのか……。まあ、どうでもいいけど」

「その下劣なジジイは、ナダルサアル殿下から貰った金を貯めて、その金を使って、いつの日か貴方を国主にしようと企んでいたのでしょうね。彼は適度に犠牲をだしながらも、確実に金をためていたはずです。貴方を国主にして、裏から自分が操る予定だったのでしょう。壮大で稚拙な野望ですね」

「……そんなこと言ったって、私は偽者。誰も信じないのにな」 

「先導師になるよう、セディラムから頼まれと言ってましたよね?」

「そうだよ。デニズの所から、セディラムの手引きで逃げ出してきた。私は、人質みたいなもんだったから、セディラムが助けてくれなかったら、今も、あの鳥かごの中にいたかもしれないよ」


 ライは、自分の声が微かに震えていることを知った。

 ――嘘じゃなかった。

 ライは、真実を誤魔化しているが、偽りは述べていないつもりだ。

 だけど、サリファは感情の読めない顔で、ライを見つめている。すへで、見透かされているようで怖かった。


「と、とにかくだ。そんなことはどうだっていい。私はカテナ様の様子が知りたいだけだ」

「実は、カテナ様は先ほど、軽い発作を起こされて」

「何だと!?」

「大丈夫です。心配はいりません。すぐにおさまりましたから」

「あっ、そう。ならいいけどな」


 とっさに立ち上がって、サリファの胸倉を掴んでいたライは、ばつが悪くなって少しずつ手を離した。

 ついでに床に落としてしまったパンをはたいて、再び頬張る。


「こんなところに落ちたものを、拾い食いするのは良くありませんよ。まったく。もう一個くらい、私が持って来たのに。お腹を壊しても知りませんからね」

「大丈夫だよ。昔はもっととんでもない物を食ってたし。このくらい全然平気」

「そうですね。貴方は特異体質なんでしょうか。カテナ様にはイクスのような症状が出ているのに、貴方には症状が出ていない」

「私の体が、元々毒に耐性があったとでも?」

「見た目、元気そうなので。年を取らないというだけの弊害なら、急いで解毒剤を作る必要はないのではないかと思っただけです」 

「あのなあ。ちょっと、それは酷いんじゃないのか?」


 ――いけない……と、ライは短気をそのままぶつけてから、後悔した。


「――あいや、だからさ。……このままじゃ、何のために女に生まれたんだか分からないだろう。子供の体じゃ、子供だって生めないんだからさ」

「えっ。ああ……」


 今度は、サリファが妙な具合に照れた。

 分からない。

 この男の羞恥心の境界線が……。


「すいません。そうですよね。すっかり失念してました。いて当然ですよね。貴方にも将来を誓い合った人が……」

「いや、ち、違う。それは違う、誤解だ!」


 必死の形相で否定してしまうのが、ライ自身情けなかった。

 目の前の朴念仁(サリファ)は、十五年経ってもやはり鈍感の極みだった。


「その……。もしも、もしもだな。その、初恋の人とかに会ったりしたらさ、そりゃあ、悩むだろ。普通じゃないんだから。出来れば、普通に戻りたいって思うんじゃないか? 違うのか? 私がおかしいのか?」

「ああ。なるほど。面白いたとえ話ですね」

「あっ。そう、そうだ。たとえばの話だ」


 ライは笑いながら、泣きたくなってきた。

 一体、自分は何がしたいのか……。

 だから、隠し事は嫌いなのだ。


「カテナ様の辛さを軽減するためにも、速やかに解毒剤は作るつもりですが、如何せん、雲行きが怪しくてすぐにできるかどうか。一から本を読み返して、植物の種類なども把握しなければなりませんし」

「可及的速やかに作ってくれ」

「……鋭意努力はしますけど」

「ならいい」


 ライは、にっこりと笑った。もう、天に運をまかせるしかない。


「要するに、雲行きが怪しいというのは、あんたも王位争いに巻き込まれて、大変だってことか?」

「……何で分かるんです?」


 憮然と答えたサリファが、可愛く見えた。

 そろそろ自分も末期かもしれない。


「それくらい私だって分かるよ。あんたは、ひきこもってたから分からないんだな?」

「まったく分かりませんね。アルガス国王が死にかけているとは思えませんし、今も戦場にいるはずですよ。隣国エンバーとの小競り合いが激化して、王は三月前に軍を率いて都を出たばかりですから」

「違う違う。死にかけているというか、病いがちなのは正后様だ」

「はっ? 宰宮殿下の母君が?」

「どうも体調がすぐれないようだ。正后の父、宰宮殿下の祖父にあたる人はフラー国王だ。左隣のエンバーとの仲が悪くなっているアルガスとしては、国境を接しているフラーとの仲だけは良くしておきたい。アルガス国王が息子たちに甘く、后の言うことを聞いていたのは、そういう事情だろう。しかし、フラーは次第に弱体化しつつあり、内部で瓦解の危機だ。そして、正后のご病気。アルガス国王が見限っても不思議じゃない」

「確か国王には、八歳になられる王子がいらっしゃると思いますけど?」

「それが曲者なんだ。生母の妃は、元々正后の侍女だった女性だが、どうしても息子を国王にしたいらしい。これは正后への嫌がらせなのかな。色々と仲間を集めているらしい。……って、これアルガス国内の噂だからな」

「そんな噂が出回っていたんですか……」


 アルガス国民のくせに、サリファはそんなことも知らなかったのか。

 ライも色々苦労したが、山奥で幽閉生活を送っていたサリファも辛かったのかもしれない。

 サリファは両手で顔を覆うと深い溜息を吐いた。


「でも、まだよく分からないな……」

「何が?」


 掌の隙間から、ライを仰いだサリファは、「あ……」と呟いた。

 多分、ライの存在を忘れていたのだろう。

 色々と教えてやったのに、本当に失礼な奴だ。


「ああ、……いや。どうして私をティファレトに連れてきたのかなって? 私に毒薬作らせて、自分が国王になるために暗殺しまくるなんて、宰宮殿下らしくないような気がして」

「サリファ……。それは芝居か? 本当に察しがついてないってわけじゃないよな?」

「分からないことは、分かりません」 


 ライは気の毒過ぎて、額を押さえた。

 サリファは自分のことに関しては、これっぽっちも考えようとしないのだ。


「そんなの決まっているじゃないか。あんたのことを味方にしておきたいからだよ」

「はあっ!?」


 冷たい床に尻餅をついたサリファは、瞬きを繰り返した。

 信じたくない気持ちと、そうかもしれないという気持ちが鬩ぎ合っているようだった。


「そっ、そういえば、貴方も私の出自を知っていましたね」

「ついさっき話したと思うけど。ボケたのか」

「つくづく、自分でもそう思います」

「あんただって、その気になれば、王位継承に巻き込まれる立場にあるってことだよ」

「まっ、まさか。ありえませんよ。私がそういう……権力抗争に興味がないことは、宰宮殿下も分かっているはずです」

「分かっていても、だからって、あんたを利用しないとは限らないじゃないか?

味方につけておけば、王位継承で揉めた時の貴重な一票になるし」

「ほとんどの人間が私とアルガス国王の関係を知らないんですよ。そんなこと……」

「正后が死ねば、それも変わる。カテナ様との仲を公にできなかったのは、正后への遠慮からだろうし、アルガス国王が認知すれば、あんたの立場も変わってくるんじゃないのか。だから、宰宮殿下もこの時期に動いたんだ」


 サリファはとんでもないと言わんばかりに、何度も顔を左右に振った。


「権力争いになる前に、殿下が私とカテナ様をティファレトに移したのだと、前向きにとらえる術はないのでしょうかね?」

「左遷されるのが前向きなのか?」

「左遷ではないですよ。新天地への移住です」

「私が宰宮殿下だったら、そんなもったいないことはしないけどね」

「はあ?」


 サリファが狼狽えている。

 ライが子供の頃、まったく敵う気がしなかったサリファが膝をついて悩んでいる。

 ……こんな誰にでも想像がつくようなことで。


「サリファ。宰宮が国王になるためには、あんたを片腕にしておく方が良いんだよ。権力に執着がなく、仕事はそこそこ真面目にやってくれそう。それでいて、腹違いとはいえ弟。こんな適任、他にいないだろう。私だったら、とりあえずティファレト国主にはとっとと引退してもらって、その手柄をあんたに譲って、首をすげかえてから、国王に事後報告するな。国王も認めざるを得ないだろうから……」

「どういう意味ですか?」

「あんたに、ティファレトの国主をやらせるってことだ」

「――ちょっと、待って下さい」

「まあ私は待っても待たなくても良いけど」


 ライはしゃがんで、さきほどのサリファと同じようにサリファと目線を同じくした。


「あんた、嫌なのか?」

「嫌ですよ。……というより、官職にすらまともに就いたことがないのに、冗談じゃない」

「皇太子殿下も宰宮殿下も、いくつもの官職を吹っ飛ばして、いきなり頂点じゃないか?」

「彼らはそういうふうに育っているんですから……って、むきになっても仕方ないんですけど。ああ。そうか。宰宮殿下が言っていた「私が私である限り分からないこと」っていうのはそういうことだったのでしょうかね。もしも、それが事実ならば、私はどうやって回避すればいいのか」

「何だ。つまらないな」


 ライがぼそっと告げると、サリファが間近でライに視線を合わせていた。


「何がでしょう?」

「あんたの国主姿見てみたかったけどなあ」

「あの……。それこそ、馬鹿にされている感じがするんですが?」

「私は本気だよ。ティファレトにはあんたみたいな人の方が合っていると思う」

「私はアルガス人ですよ」

「ナダルサアルだって、アルガス人さ」 

「そうですけど」

「……けど。まあ、そうかもな。アルガス人の国主では、どんなに優秀な人間がやっても反発があるだろうな。ティファレト人の国王の方がまとまるかもれしない」

「前々から思っていたのですが」


 サリファが悩ましげに言った。


「どうして、この国はこんなにまとまらないんでしょうね?」

「ああ。それは」


 身長より高い位置にある小窓を仰いだライは、青白い光の先にある月に心を傾けた。


「……簡単なことさ。かつて王は神の化身だった。王族は神の一族で、もっとも高貴なもの。ルーンの森は鎮守の森であり、神の坐す場所だった。しかし、今から数代前にティファレトの国王にアルガスの血が混ざるようになった。今まで、どんなにアルガスと婚姻を続けても、国王は純粋なティファレト人がやっていたのに……だ」

「でも、ティファレトは、常に王族の人数が少なくて……」

「私もそう思うよ。表沙汰にしなかっただけで、ずっと昔からアルガスの血は入っていたんだろうな。でも、異国の血が王家に入ったことが民衆に知れてしまった。王は穢されてしまったと思っている連中が大勢いるってことなんだよ」


 そう、それだけのことなのだ。

 馬鹿げた民族だと、唾棄したいところだが、見捨てることもできなければ、ライはこの国以外行き場もないのだ。



 ――そうして。


 あっという間に半月が流れた。


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