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ティファレト戦記  作者: 森戸玲有
第1章 <3幕>
13/81

 城に隣接する塔の最上階にカテナの部屋が設けられていた。

 こんな塔、十五年前にはなかったので、ナダルサアルが作らせたのだろう。

 風通しの良い小さな個室は療養には向いているが、最上階というのが逃げられないように監禁されているようであまり良い気はしなかった。

 カテナの顔は見えない。

 多分、眠っているのだろう。

 表情が見えないのは、サリファの視界を遮るように金髪の男が陣取っているせいだ。 


「ここにおられたんですね。宰宮殿下」


 サリファは極めて淡泊に語りかけた。


「王宮内が大騒ぎだって言いたいの? 知ってるよ」 

「逃げているんですか?」

「様子を見ているんだ」


 エレントルーデは振り返らなかった。

 人払いされた小部屋に沈黙が満ちる。

 居心地の悪い静寂を破ったのは、やはり事務的な問いかけであった。


「よくここが分かったね?」

「貴方の侍女が、城で彷徨っていた私を手引きしてくれました」

「そう。彼女達は優秀な侍女だよ。僕の無理な願いをよく聞いてくれる。自分の命を懸けてまで命令に従うんだから。よほど、兄上が憎いんだね」

「……そうかもしれませんね」 

「うん」


 エレントルーデにいつもの覇気はなかった。 

 静かに返ってきた言葉に、サリファも気勢をそがれてしまう。


 ナダルサアルのこと。

 ライのこと。

 サリファに対する仕打ち。


 色々と責め立てたい気持ちがあったのに、すっかり萎えてしまった。

 ――やはり今、会うべきではなかったようだ。


「ねえ? 君は僕が君を脅迫するために、カテナ妃を監禁していたと思っているんだろう? いや、そこまでは思っていなくてもそれに近いことを考えているはずだ。まあ、それも一つにはあるけれど、でもね」


 エレントルーデの無駄に長い髪を温かいそよ風が揺らした。


「君には話したこともなかったけれど、カテナ妃は僕の恩人なんだ」

「はっ?」


 言葉の意味よりも、柄にもない台詞の方に面を食らった。


「彼女を知らなければ、君が僕の弟であることなんて僕は知らずにいただろうよ」

「何処で会ったのですか?」

「カテナ妃が父上の養女となって、アルガスに渡ると決まった時、城に挨拶に来てね。僕も引き合わされた。何しろ一応は僕達の姉になるわけだし。君は一緒にいなかったかな」


 そういえば、そんなこともあったか……。

 サリファの身分は、あくまでカテナの従者だったので、登城は許されなかったのだ。


「あの時、彼女は木登りをしていたんだ。そして、いきなり僕の眼前に降ってきた。怪しさを通り越して、僕は思わず衛兵を呼ぼうとしてしまったよ」

「……カテナ様らしい」

「難しそうな本ばかり読んでいて、自分の息子みたいだと言っていた。そこで僕は彼女に君という息子がいることを知った。……で、やがて知ったんだ。何しろ、父上とは何の縁もない子持ちの女性がいきなり養女としてティファレトに嫁ぐんだよ。兄上はティファレトへのあてつけで適当に選ばれたんだと思いこんでいたらしいけど、普通に考えても不審じゃないか」

「それで、殿下は調べただけでは飽き足らなかったというわけですか?」


 カテナが身じろぎしたので、サリファは一層、小声になった。

 エレントルーデは笑い混じりに首肯した。


「……で、兄上はご無事なのかな?」

「一応、発作は収まりましたが、急激に進行する型のイクスだと医者は断言してました」

「それは大変だ」

「ええ。大変なことです。私も殿下がそこまで直情的な方とは知りませんでしたよ」 

「面白いことを言うね。僕は君ほどじゃない」


 しれっと言い放ったエレントルーデは、ようやく振り返った。


「殿下は私がティファレトで作っていた薬の存在をご存じたったのですね」

「君はすべて処分したと思っていただろうし、実際その通りだった。だけど、僕はティファレトの神話について興味を抱いていて、ティファレトの書物を読みあさってもいたんだ。残念なことにね」

「よくもそんな暇が……」

「第二王子ほど自由な身の上はないよ。同腹で兄がいれば申し分ない。いい隠れ蓑になるからね。兄上も長子でなければ、ここまで道を踏み外さなかったんだろうけど」

「つまり、殿下も禁書を読んだというわけですか?」

「ルティカ城明け渡しの際に、城の蔵書を一括で引き受けた。さすがに全部に目は通していないけど、目ぼしいものは読んだよ。しかし僕は光草に毒性のあることを知っていても、君のように調合はできない。植物の知識はないんだ」

「では、どうして?」


 エレントルーデはきっちりと着込んだ衣装の襟元の(ぼたん)を二つはずして、喉元から金の鎖を引っぱりだした。

 夕日はすっかり沈んでしまい、薄闇の中に金色の首飾りがきらきらと光った。 それは、サリファにも見覚えのある代物だった。


「これはカテナ様の所持品だ。この中に透明の液体が入っていてね。僕は至急成分を調べさせた。でも判然とはしなかった。何となく感じるものがあったよ。毒薬なんじゃないかって。そして、毒だとしたら君が作った毒に違いない。カテナ様はこれを飲んだんじゃないか……とね。君はカテナ様の病をイクスだと断言した。医者たちもそれ以外考えられないと診断した。確かにイクスだ。でも、もし毒の作用が引き金となったとしたら?」


 エレントルーデはにやりと笑った。


「僕達の知らない新種の毒だ。権力闘争にはもってこいの切り札だよね」

「なぜ、私に言わなかったんですか? すぐに話を聞いていれば、解毒剤が出来たかもしれないでしょう?」

「彼女のこの首飾りが開くこと自体、僕は最近知ったんだよ。それに、本当にカテナ様はイクスを発症しているんだ。たとえ解毒できたとしても、イクスが治るわけじゃない。信じてもらえないとは思うけど、これは嘘じゃない。僕はカテナ様だけは苦しめくなかった。彼女の寿命を延ばせるなら、君にだって色々と聞いていたさ」


 ふざけたことを言ってのける。

 だったら、海に落とすなと言いたかった。

 ずっとつかず離れず側にいて貰いたかった。

 しかし、それは我儘なのだ。

 サリファとて、長い間カテナを見捨てていたのだから……。


「一体、ナダルサアル殿下は、カテナ様に何をしようとしたんです?」

「サリファ。鈍い君だって、おおよそ、想像はついているんだろう?」


 どっと疲労感を覚えてサリファは溜息を吐いた。


「まあ、大丈夫だよ。気にしないでくれ。何もなかった。すぐに僕が駆け付けたからね。会った途端に病気の女性を襲おうとするほど、兄上も獣じゃない。……けど、もう、さすがに無理かなあ。あの人にはほとほと失望した」


 エレントルーデは腕を組んで他人事のように告げた。


「正直、僕の中には憶測しかなかった。人体実験なんてそうそうできるもんじゃないんだよ。しかし、あの薬品はやはりイクスと同じ症状も及ぼすものなんだね」


 ……違う。

 カテナとナダルサアルは同じ症状が出たようだが、しかしライにはイクスのような症状は起こっていない。

 あくまで彼女は年を取っていないだけだ。

 アルガス人とティファレト人で効能が違うのだろうか?


「……一概にそうとは言えません。何が起こるのか私にも分からないんですから」

「じゃあ、兄上は貴重な被験者だね。大切に本国に送り返すよ。試せて良かった」

「良かった?」


 良いはずがないではないか……。


「殿下の計画は、ほとんどご破算じゃないですか?」

「……まあね」


 やはり、否定はしないらしい。


「殿下はこざかしい策を弄してまで、ナダルサアル殿下を穏便に国主の座から退けようとしてらっしゃったのでしょう。」

「へえ。ティファレトに着いて早々、そこまで考え着いたの。それで、その根拠は何?」

「殿下がごたごたしているティファレトにわざわざ行こうとしていることと、ライやセディラムに襲われて何の利点があるのか考えた時、おぼろげにそんな気がしただけです。確証があったわけではありません」

「君は、はったりが好きだからね。断言できないことを平気で口にする」

「では、これはどうでしょう? 先程ナダルサアル殿下とお会いした時、あの御方は今起こっている反乱があと半月で決着がつくと仰っていました。おかしいことですよね? ご自分で参戦しているわけでもないのに、まるで戦地を見てきたかのように終戦日が分かるなんて」

「戦地からの報告で、知ってたんじゃない?」

「ナダルサアル殿下は、兵士の報告をそのまま信用するようなお人ですか? 私が子供の頃、散々嫌味をぶつけてきたのはあのお方でしたよ。好奇心よりは猜疑心の方が強いお方のような気がしますがね?」


 サリファが揺さぶりをかけるように答えると、エレントルーデが口元を緩めて「降参だよ」と言った。


 ――思ったより早かった。


「どうせ君には分かっているんでしょう」

「できれば、本人の口から伺いたいですね」 

「いいよ。計画残念記念というこでね」


 くだらない言葉を前置きしてから、エレントルーデは話し始めた。


「実は、兄上と反乱勢力は相互依存関係なんだよ。これは父上のせいでもあるんだけどね。ほら、父上はさ、いつまでたっても息子に王座を譲らないだろう? 後継が誰なのか指名もしない。兄上は長子で自分こそだと思っているけど、ティファレトは海を隔てているし、地味に仕事していても父上には届かない」

「まさか、それで戦争を?」


 そんな馬鹿な……と喉元にまでやってきた言葉をぐっと飲み込んだ。

 案外、馬鹿なことがまかり通るのだ。こと王家に関しては……。


「まあ、最初は本当に反乱勢力を一掃したんだろうね。それで父上に褒められたんだ。それで、気を良くした兄上は、反乱を制圧していればいつか父上に認められて、アルガスに凱旋。王座に就けると思ったんだろうね。複雑に見えて単純というか、その時既に壊れていたのか。ティファレト人の協力者を見つけ、反乱を起こさせて制圧する。反乱勢力の親玉にとっては民衆の鬱憤を晴らす良い機会にもなるし、武器と金が流れてくる。兄上にしても、一向に安定しないティファレトという国を治めていると父上に主張できるでしょう。それにアルガス本土から莫大な軍事費を融通してもらえる」

「ルティカ城が綺麗に再建出来ていたことに、私は感動してたんですが……」

「この塔も、アルガスから送った軍事費でできているのかな。兄上が後宮のつもりで、わざと城内と繋げて作ったらしいけどね」


 豊かな花々の中に佇む女神が描かれた天井画は、闇の中でも輝いていた。

 特殊な画材を用いているのだろう。相当な金がかかっているはずだ。


「……だけど、サリファ。それを僕が直接父上に報告するんじゃ、意味がない」

「いらぬ火の粉を被るってことですか?」

「平たく言えばね。まあ都合の悪いことだらけだ。兄上の仕事がなくなるだけではなく、命まで危なくなる。そして、母上の立場もなくなり、僕も周りから恨まれる。大体、僕が進言したところで、父上に届くかどうか」

「しかし、先導師(ライ)に殺されかかったと報告しただけでは、アルガス国王は動きませんよ」

「とりあえず、兄上に紹介された先導師に殺されかかったと報告する。その先導師の素性を兄上は知らなかったのではないかと、弟の情を見せる。少し調べれば分かるだろうね、反乱勢力と先導師に繋がりがあることが」


 ……そうか。

 セディラムもライも反乱勢力と繋がりがあるのか。

 それはサリファも想定してなかった。


「つまり、アルガス国王に、ナダルサアル殿下は反乱勢力の親玉に騙されていたと思わせたいがためですか?」

「さあ。どういうふうに解釈しようが父上の勝手だけど、僕が表立って告げ口したわけでないのなら、あの人だって実の子供を処刑台に送るような真似はしないだろうし、無関係な僕や母上を責める真似はしないでしょう。穏便に兄上を隠居させるだけだと思うな」

「それは、違うでしょう」


 サリファは一蹴する。

 髪をくしゃくしゃに掻き分けてから、頭を抱えた。

 どうして、この男と話していると、ややこしくなるのか?


「毎回、言い逃れはしないで下さい。殿下」

「逃れたつもりはないけれど?」

「その言い方では、殿下が善人に見えますよ。違うでしょう? 殿下は随分前からナダルサアル殿下の不正を知っていたんじゃないですか。カテナ様を賊から金で買ったのは貴方だ。ナダルサアル殿下と繋がっている賊のことを、貴方が知っていてもおかしくない」

「それって、すごい偶然じゃないの?」

「賊なんて言ったって、そういうあくどいことを考える連中なんて、たかが知れています。恐らく、カテナ様を貴方に売った賊と、ナダルサアル殿下と繋がっている賊は同一人物、もしくはその人物と近しい人間なのではないでしょうか?」


 エレントルーデは苦笑している。


「面白いね。続けてよ」

「そして、殿下はナダルサアル殿下の不正が暴かれたとしても、別に困りはしなかった。逃げ道なら幾らだって確保できるでしょう」

「その説明だと、僕を買い被っているのか、貶めているのか分からないね?」

「私はあくまで状況証拠を口にしているだけですよ。殿下が急に正義感に目覚めてアルガス国王に知らせようとするなんて不自然でしょう。殿下が今回ティファレトに来たのは、そのようなことをナダルサアル殿下に突き付けて、国王に告げ口をすると脅し、ティファレト国主の座から引きずり下ろすため。殿下がなぜ急に兄上を嵌めるつもりになったのかは分かりませんが、これほど穏便な方法はないような気がします。殿下は身内ですし、誰も傷つきません」

「なるほど。そういう言い方もできるね」

「言い間違いがありましたか?」

「君の頭はすっかり錆びついたものだと思っていたけど、錆落としでもしたのかな? よく切れすぎて心が痛むよ」


 ……嘘つけ。

 サリファは剣呑な眼差しをエレントルーデに向けた。カテナを気遣ったらしい、エレントルーデが寝台からそっと離れる。


「僕には穏便に説得するなんて難しいことは無理だったよ。君に頼んだ方が良かったね」

「冗談はやめて下さい」

「君が作った毒だ。動機も君には十分。僕がもし表沙汰にしたら愉快なことが起こりそうじゃない?」

「表沙汰にしますか?」


 あえて挑発してみたのは、本気でやるつもりだったら、エレントルーデはそんなことを口にしないことが分かっていたからだ。


「何だ? 僕のようになどならないっていう目だね。だけど、君だって僕の目的が分かったと公言しているんだ。そう簡単に逃げられないのは自覚しているんじゃないの?」

「――カテナ様を人質にして、私にティファレトで毒薬でも、作らせるつもりですか?」

「嫌だな。普通人質にするつもりなら、僕の手元に置くだろう。それにカテナ様はもう」

 長くない……と言いかけて、エレントルーデは小さく咳払いした。


 その瀕死のカテナに最期の望みだからと、激しい運動をさせて、死期を早めているのはエレントルーデではないのか?


「君はアルガスにいるべきじゃない。ティファレトで植物採集に没頭して欲しいと思っただけさ。そして、短くても親子水入らずで過ごして欲しいと思っただけだ。これは本当のことだよ」

「殿下。今更、優しさを主張しないでください」


 サリファは、ようやく核心に迫った。


「つまり、王位争いなんでしょう。そのために、貴方は動いているのではないですか? その行動の深いところは、私などにはさっぱり理解不能ですけどね」

「……へえ」


 エレントルーデは肩を震わせて笑った。


「それを、渦中の僕から聞こうっていうの?」


 だが、結局エレントルーデからその話は聞けなかった。

 カテナが目を覚まし、咳の発作を起こしたからだ。

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