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19/22

唇の温もり、掌の温もり

 目が覚めると、すでに太陽は空高く登っており、お腹がぐぅっと鳴った。

 真結は貴重な体験をしたような違和感が脳裏を掠めたが、それよりも何よりも魔法使いの弟子として大きな第一歩をようやく進めたことを思い出して、サラが昼食を促すのも聞かずにコーディアスを探そうとした。


「でもこの広いお屋敷の中、まずはどこから探したら良いのかしら。サロン? それともご自分のお部屋?」


 部屋を出ようとして行き先が決まらず立ち往生していると、すかさずサラに部屋の中へと誘導される。

 

「私がコーディアス様がいらっしゃる場所を執事に訪ねてまいりますので、マーユ様はまずは昼食をお召し上がりください。朝も召し上がっておりませんし、お身体に障りますわ」


 くぅ。


 返事をするように鳴いたお腹の虫に、真結は我に返り赤くなる。

 お腹を両手で押さえるが、サラは何も聞こえなかったのか「では行ってまいりますね」と朗らかな微笑みで部屋を後にした。だが真結はそんな彼女のプロ魂を了解している。彼女は真結に恥をかかせないためにそのように装ってくれているのだ。

 真結としては、一緒に笑ってくれた方がマシな気がする。


 日本でもその昔、屁負比丘尼へおいびくにという職業があったという。お姫様が人前でぷぅ、としてしまった時「すみません、私がしました」と側仕えの尼さんが代わりに自己申告して恥を被ってくれるというものだ。だが真結は周りの人にも本当は誰だかバレているだろうから、逆に恥ずかしいと思うのだ。

 この調子ではサラも「まぁ、私ったら恥ずかしいわ。申し訳ありません」と真結の粗相を被ってくれそうで居た堪れない。それだけは阻止したいと思う。

 流してくれるのも良いが、今度またこんな恥ずかしい事があった時は、真結は一緒に笑ってもらおうと心に決めた。


 


 

 つつがなく昼食を終えすぐに席を立ちたい気分の真結だったが、食後のお茶までがワンセットだからと表面上は優雅にお茶を嗜んでいると、コーディアスが部屋を訪ねて来てくれた。


「私を探しているって聞いたんだが、どうしたんだい?」

「コーディアスさん、コーディアスさん、聞いてください!」


 ティーカップを手にしたまま、真結は一気に興奮が蘇った。

 

「ふふっ、さては庭の悪戯に関係あることかな?」


 さすが屋敷の主、耳が早い。今朝真結の魔法で成された事について彼はもう報告を受けているようだ。真結の向かいに腰掛けた彼の瞳は好奇心に輝いている。


「悪戯だなんてとんでもない! 私の輝かしい第一歩の成果です」

「そう、ようやく得意属性を見つけられたようで良かったよ」

「得意属性、ですか?」

「意のままに植物の成長を操ることができたんだから、土属性だろう?」


 にこにこと当然のことのように聞かれ、真結はぽんと手を叩く。そういう認識はしていなかった。


「そういう、ことでしょうか?」


 試しに掌に土や石を出現させてみようとするが、出来ない。土属性といえば地震もそうだが、怖さが勝ってイメージの段階で断念する。

 そうだろうと予測はしていたのでめげずに窓の外に見える庭の小道に手をかざし、果汁を絞るようにぐっと掌を握り締めたら、そこにはぽっかりと穴があいた。

 

「おや」


 コーディアスの意外そうな声。

 得意になって真結は次は何をしようかと庭を見下ろしたが、考え無しに作った落とし穴が丹精に整えられた庭に似合わず悲惨で、庭師に申し訳なくなったので、穴の空いてしまったパイ生地を寄せて練り合わせるようなイメージで指を動かし、小道を平らにならした。


「ちなみに、土属性だけじゃなくってこんなことも出来るんですよ」


 水滴さえも錬成できないのだが、と前置きして真結は指をひょいと回した。ティーカップの中でお茶がくるりと渦を巻く。


「無詠唱でそれは出来るのに、基本的な四大魔法は扱えないのか」


 興味深そうにコーディアスはティーカップに視線を落とし、顎に手をあてると「概念の違いかな?」と呟く。真結は目に見えているものであれば操れるようだと自分の推測を彼に伝え、他にも何が出来るのか挑戦してみたいと師の判断を仰ぐ。


「では、滞っていた実践の指導の時に試してみよう」


 楽しみだねとコーディアスに微笑みかけられ、真結も満面の笑みで肯定した。

 もしかして、単純に物を浮かせたりもできるのかしら? とベッドを空に浮かべるイメージもしてみるが、一気に負荷がかかって重そうだったので止めておく。実験は後でにしよう。


「それにしても、マユ。随分と大雑把な魔力の使い方をしているみたいだね」


 真結が何をしようとしていたのか気づいているようで、コーディアスはベッドに視線を向けたまま言った。そこに魔力の痕跡でも残っているのだろうか。


「大雑把、ですか? 全力で集中しているつもりなのですが」

「まぁ確かに全力ではあるのかな?」


 くるっと向き直った彼は面白そうに唇の片端を上げた。


「相変わらず叩きつけるような、滝のような勢いだよ。今日珍しくお昼まで休んでいたのも、はしゃぎ過ぎて魔力切れを起こしたからだろう?」


 正にその通りなので真結は言葉を失う。


「ルーチェに聞いたから知ってるってだけじゃないよ。さっきの魔力の扱い方と庭を見れば分かるさ」


 どういうことだろうか?

 コーディアスはふふっと口元を緩めると、目を見開いてぱちぱちと瞬く真結の頬を軽くつついた。


「分からないって顔をしているね。まぁそのうち感じ取れるようにはなると思うけど、魔力の残滓とでもいうのかな? 残り香? マユの膨大なそれがね、庭に漂っているから悪戯の犯人はすぐに目星がついたって事さ」

「悪戯じゃないです」


 言って、気づいた。楽しくて後先考えずにしてしまった事だが、屋敷の景観を考えずに行ったそれは悪戯な落書きと同じだと。はっとして直ぐに謝ろうとしたが、コーディアスはくすくすと笑って上機嫌そうだ。


「そうだね、輝かしい第一歩だった」


 そのつもりで興奮していた真結だったが、今は意気消沈と身を小さくする。


「あの、すみません。お庭を勝手に弄ってしまって。出来るだけ元に戻します」

「いや気にしないで。せっかくだから、あれは記念に残しておいて良いんじゃないかな?」


 それで良いのか!? と真結は突っ込みたかったが、屋敷の主は彼だ。「主庭じゃないから構わないだろう」と付け加えられたので、来客があったとしても案内するような場所ではないのでOKなのだと理解する。もともと、真結の早朝秘密特訓はそういう人目のつかない場所を選んでいたので、それが救いとなった。そして何故か、記念となった。


「今のままじゃせっかく魔力保持量が高いっていうのに頻繁に魔力切れを起こすだろうから、もっと制御してほんの少しの力で試してごらん」

「ほんの少し、ですか? 魔道具を使う練習の時みたいですね」


 注ぐ力が大きすぎて魔道具を暴走させていたそう遠くない過ぎし日を思い出す。今回に関してもきっと同じことなのだろう。

 念じ方を気持ち弱めにして、ティーカップの中の紅茶を指と同時にくるりと揺らす。だがあまり変わらなかったような気がする。

 少し集中力も落として気軽に構えて指をひょいと振ったら、今度はカップから紅茶を零してしまった。コントロールが雑になってしまったようだ。


「……難しい」

「少しは減ったみたいだけど、それでもここ一帯に雨を降らせるだけの力は消費してるね」

「なんと! そんなにですか?!」


 それは大雑把と言われるわけだと、真結は自分の加減出来なさぶりに驚く。


「過去にもね、マユみたいな人たちは居たんだよ」


 彼の知っている人は細かく正確に無駄なくコントロールできるようになったそうだが、真結は自分はどうだろうかと両手を見つめた。この世界に生まれたわけじゃない真結は、魔法とは空想上のものだとして育ってきた。だから上手く意識できないのだろうか。


「その人たちに共通しているのは、黒髪、黒目、異国の言葉…………マユも一緒だね」


 ぴくりと、指先が動く。

 今、聞き捨てならない言葉が耳に入ってきた。


「……え?」


 聞こえていたのに、聞き返してしまう。 

 恐る恐る視線を上げると、にっこりと微笑んだコーディアスと目が合う。


「だから、黒髪、黒目、異国の言葉を話す人たち。もしかすると、マユと同じ民族なのかもしれないね」


 私と、同じ……?


「……コーディアスさんは、その人達がどこから来たか、知ってるんですか?」

どこから・・・・、か」


 どこの国かじゃなくて? とくすくす笑う彼に、真結は焦燥と不安を覚える。

 彼は、知って、いる?

 どくんと、鼓動が跳ねる。 


「その人たちは、ある日突然ふらりと聖地に現れたそうだよ。民には秘された、各国の王が収める魔力の強い聖地に」


 真結はこくりと喉を鳴らした。


「まぁ、そこがマユとは違うところなんだけどね。だから不思議なんだ」

  

 ヘーゼルの瞳がぐっと近づく。

 吐息が触れてしまいそうなほど近くで覗き込まれても、真結は動けなかった。

 息をとめて、見つめ返す。

 すると、こつりと額を合わせられた。互いの前髪がさらさらと混じり合う。


「ねぇ、マユ。君がいつか話してくれることを願っているよ」

 

 耳に心地よい、優しい声。

 ゆっくり、ゆっくり、しっかり届けようとするように告げられたそれは、懇願と熱を纏い心の奥深くを揺さぶる。


「私はいつだって、君の力になりたいと思っている」


 頬に、ふわりと何かがあたる。

 温かく、柔らかな感触。

 コーディアスの唇が触れたのだと知って、真結は瞬きをしてその唇に目が引き寄せられた。

 胸が締め付けられるような熱が灯る。


『マユ』

 

 音もなくその唇は名前を刻む。


『君は……』


 躊躇うように、その先は続かない。

 そして、翳りのある寂しそうな微笑を浮かべる。


 真結の心に衝撃を残して、彼は不意に栗色の髪で瞳を隠すようにして立ち上がり退出の意を示した。繋がっていた視線が途切れる。

 真結はただ呆然とその後ろ姿を見送った。その後も、しばらくサラに声をかけられるまで固まっていた。


 思考が、追いつかない。

 まず、何から考えれば良いのだろう。

 幾つもの糸が絡まったのような胸にわだかまる感情は、その色が複雑すぎて解きほぐせない。

 どれからこれを収めれば?


 彼の残した、寂しそうな微笑が目に焼き付いて離れない。


「サラ! 私、庭へ行くわ!」


 追従しようとする彼女を遮って、一人になりたいとお願いして可能な限りの猛スピードの早足で廊下を歩き、階段を降り、庭へ出る。

 その剣幕に、誰も声をかけてくるものは居なかった。

 奥へ。奥へ。人の目につかない所へ。

 森と屋敷の庭の境目まで脇目も振らずに足を動かす。そこで、真結は思いっきり叫んだ。


 手当たり次第に花を咲かせる。木の成長を促す。果実を実らせる。

 足りなくて、足りなくて、大地に力を送り、まだ芽吹いていない草花も起こしてあたり一面を花畑にする。

 心地よい疲労感がやってきて、真結はそのままぱたんと仰向けに倒れた。

 身体を柔らかな草が受け止めてくれ、甘い花の香りが鼻腔をくすぐる。澄んだ空には雲が風に流され、穏やかな陽気がふわりと真結を包み込んでいた。


 そっと、頬に指を伸ばす。


 かっと熱が集まり、真結は空気を求めて喘いだ。


 彼の触れたその温もりに、暖かな感情に、偽りはないと思う。

 親愛を表す、キス。

 そこに、信じて欲しいという彼の願いを感じた。


 彼は知っている?

 真結が異世界人だと?


 真結はころんと横向きに寝返りを打った。視界には色とりどりの花々が咲き乱れている。


「ねえ、この世界では、異世界から人が落ちてくるってよくあることなの?」


 答えは帰ってくるはずもなく、真結は本日二度目の倦怠感と眠気に誘われるまま目を閉じた。


 打ち明けても、良いのだろうか?

 だが真結は聖地と呼ばれる場所に降り立ったわけではない。

 けれども真結と同じ立ち場の人たちが居たのなら、その人達は此処で何をし、どうしたのだろうか。

 帰れたのだろうか。


 聞いて、みる?

 打ち明けて、みる?


 現実と夢の境を、ふわふわと漂った。

 どのくらい、そうしていたのだろう。地面から伝わる人が草を踏みしめている足音で、真結の意識は浮上した。

 ぼうっと開いた目に眩しい陽の光が飛び込んできて、目を両手で覆う。


「泣いてる、のか?」


 そんなわけ無いじゃない。


「泣いてないわ」


 目を覆っていた手を外すと、呆れたような困惑しているような表情でルーチェが見下ろしていた。

 

「ねえ、あなたも、そうだと思っていた?」


 私が、異世界から来たと?

 寝ぼけ眼をこすりながらそうたずねたら、彼は気まずそうに顔を歪めた。


「……すまない。疑わないわけには、いかない状況だったんだ」

「そう」


 まさか彼の心底申し訳なさそうな表情を見れるとは思わなくて、真結はくすりと笑った。それが気に食わなかったのか、彼はいつものように不機嫌に眉を寄せる。


「それに、お前も疑ってくださいと言わんばかりの怪しい言動を取るからだ」


 どんな言動だろう、それは。記憶喪失の振りではやはり無理があったのだろうか。


「今もまだお前の潔白は証明されたわけじゃない。だがコーディやユアン達も言うように、お前は違うんだと……俺も最近は思っている」


 …………? 


「…………何の話?」


 真結は話の内容に食い違いを感じて首を傾げた。


「何って、お前の…」


 ルーチェも、真結の反応を受けてそれに気づいたようだ。


「いや、いい。忘れてくれ」


 気になるところだが、追求するのも今は面倒くさい。

 もともと彼には身元を怪しまれ何らかを疑われているようだったので、それが晴れかけている、という事だろう。良いことだ。


「つまり、私と仲良くしたいってことよね」


 だれがお前なんかと、と呟くが、彼は寝転がる真結の隣に腰掛けてきた。ちょうど目の前にその節だった手が置かれたので下からその手を握手するようにとる。引き抜かれそうになったが、ぎゅっと掴む。見上げればルーチェが珍しく慌てているようだったので、何も変なことしないわよと友好的に笑った。

 

 なんだか、とても大きな声で笑い出したい気分だ。


「宜しくね」


 改めて微笑みかけると、ルーチェは唇をかんで顔を背けた。

 だがまぁ良い。手は振りほどかれなかった。

 真結は捕まえたままの彼の手をじっと見ながら物思いに耽る。


 ルーチェも、異世界人の事を知っているのだろうか?

 サラは?

 料理長は? ユアンは?

 この世界の人にとって、異世界から来た人というのは、どういう位置づけにあるのだろうか。


 そして、コーディアス。

 彼は何を考えているのだろうか。


 真結は、血の通った自分より大きな手を両手で掴み、そこに頭を押し付けた。


 



 …………眠い。


 

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