第十三話
戦が終わり、国長たちは国へと引き上げました。負け戦であり、また色々あったということもあって、彼らはそろって疲れた顔をしていました。
疲労の度合いという意味では、兵法殿が一番深刻でした。
ほほがやつれ、目はどんよりと生気を失っています。生返事をすることが多く、動作のひとつひとつに疲れの色がにじみ出ています。
彼に何があったのか、国の者たちは誰も知りません。知っていそうな従人たちも、口を閉ざします。
「そんなつもりはなかったのだ……」
見えない何かに向けてそう弁解する姿を見た者もいましたが、その意味がわかると言う者は誰もいません。
一方、最も変わり果ててしまったのは若長でした。彼の場合、まるで人が変わってしまったかのようでした。
何やらぶつぶつと訳のわからないことを言います。周りがけげんに思ったり、不気味がったりしてもお構いなしです。誰かに話しかけられると、ひどく動揺します。脅えたり、あるいは突然怒り出したりします。
ぼそぼそとつぶやく彼に、娘が不思議がって声をかけた時は、どなり声をあげて殴りつけようとする始末です。そのくせ娘が泣き叫ぶと、すまないと何度も繰り返しながら抱きしめます。けれども彼のその言葉は、明らかに娘には向けられていません。まるで兵法殿と同様、見えない何かに向けてしきりに謝罪の言葉を重ねているかのようです。
西の国の人々、とりわけ兵法殿と若長の国の民たちは、国長がこれで、この先大丈夫だろうかと不安になりました。
女の子の姿が見えないことも、彼らを不安がらせました。巡行は一段落したとはいえ、あれほど人々の前に姿を見せていた女の子がぱたりと見えなくなったのは、どうにもおかしなことに思えました。
国長たちの態度も、不信感に拍車をかけます。
童女殿はいったいどうなされたのでしょうか、という民の声を、ある国長は無視し、またある国長は流れ矢に当たって亡くなったのだと言い、また別の国長は、東の騙王に捕らえられてしまったのだと説明しました。
国長同士で言うことが違うので、この嘘はすぐにばれました。初冬をむかえ、国同士の人の往来が減ったとはいえ、どの国の長が何を言ったのかだなんて、時間が経てば知れ渡ってしまうことだったからです。
民たちの不信感は増し続けます。国長たちは、それでも当初の嘘をつき続けます。
そんな折のことです。兵法殿が病に倒れました。
流行り病でした。こういうのは、体力のない者、弱っている者にまず襲いかかります。大の大人とはいえ、弱っていた兵法殿は、流行り病からすれば最初の獲物としては格好の標的でした。
この病は、はじめ風邪に似た症状を出します。のどの痛みや軽い熱、せきなどです。けれどもそれはほんの一日か二日の間のことです。その期間を過ぎると、高熱を発し、意識がもうろうとするようになります。適切な治療方法がなかったこの時代、病にかかった者の多くが、熱い、熱いとうなされながら、やがて衰弱して死んでいきます。
兵法殿もその一人でした。
彼は病床で、何度も熱いと繰り返します。意識が白く濁ってくると「違うんだ、ただ少し悔しかっただけなんだ」と誰かに弁解するような言葉を口にするようになります。最後はただ「私が悪かった……」と謝罪の言葉を繰り返し、うめくようにして息を引き取りました。
死に顔は、たいそう苦しそうであったといいます。
彼の死はほどなくして隣国へ、またその隣国へと伝えられました。
とりわけ最後の「苦しんだ」というところが誇張されました。それだけ印象的だったのかもしれません。
すると、誰かがこう言い出したのです。
「これは童女殿の怨霊による祟りである」
西の人々は、不幸な死に方をした人は、怨霊となって祟りをなすと信じていました。特に民たちはそう信じていました。
去年、東との最初の大戦の後も、民たちは、初めて見る女の子について、いったい何者なのかをいぶかしり、
「童女の正体は怨霊だ。国長たちは、それにたぶらかされている。今に怨霊の祟りがあるぞ」
などと真面目にうわさしていたくらいです。
いま、国長たちが何かを隠しているのは明らかです。一方、女の子の身に何かがあったのもこれまた明白です。そして兵法殿がうなされ、謝罪の言葉を口にしながら苦しんで死んでいきました。
これらの事実が、女の子の祟りのうわさを生み出し、また説得力を与えました。
うわさはまたたく間に広まっていきました。西の人々にとって、祟りというのはそれだけ恐ろしく、また信じるに値するものだったのです。
新しく国長となった兵法殿の息子は「祟りなどない! あれはただの病だ!」と声を張り上げてうわさを否定しました。後ろ暗い気持ちもあったのでしょう。また、兵法殿の息子からしてみれば、父が名指しで何か祟られるようなことをしたのだと言われているようであり、このようなうわさは断じて認められるものではなかったのです。
兵法殿の息子が、特に大声でこの話題を口にしていた幾人かを見せしめに厳しく処罰すると、民たちは少なくとも表向きはこの話をしなくなり、うわさは沈静化したかに見えました。