第19話 脚本の世界
山は平らになっていた。
マウンドほどの起伏も存在しない、どこまでも平坦な地面。
もう山というより、ただの森だ。
さっき木立を眺めた時の違和感はこれだったのかと、ようやく腑に落ちる。
けれど驚いてる余裕はなかった。
平坦な山を駆け抜け、城に飛び込む。
城門は開かれていた。
赤い絨毯のしかれた幅の広い廊下。
唯が描いた背景の通りに、左右の壁には豪奢な扉と燭台、それから甲冑が整然と並んでいる。
「も、もう、無理……」
私は走ることが得意ではない。
帰宅部だし、運動習慣もない。
どこにでもいる自堕落な女子高生だ。
恐怖に駆られて、というかメイスを持ったクラスメイトに狩られそうになって、必死にここまで逃げてきたけれど、もう限界だった。
とうとう足を止めてしまう。
膝に手をつき、荒い呼吸を繰り返した。
トランプ兵たちが、息を切らした様子もなく悠然と歩み寄ってくる。
「ふはは! 鬼ごっこはもうお終いかっ」
中央のスペードの2(中谷)が言った。
筋書が頭に浮かぶ。
『アリスは城内に逃げ込み、聖剣を手にする。
そしてトランプ兵たちと戦闘を繰り広げる。』
「ほら、忘れ物だぞ」
ダイヤの7(佐々木)が私の鞄を投げて寄越してきた。
逃げている最中に放り出してしまったのだ。
私はそれを拾い、すがるように抱きしめた。
手近な扉に飛びついたけれど、びくともしなかった。
鍵がかかっているとかじゃなくて、そもそも開く構造になっていないような手応えだ。
他の扉も同様だった。
諦めて廊下を進む。
どこかにあるはずなのだ。
トランプ兵たちに対抗しうる、聖なる剣が。
突き当りは丁字になっていて、左右に同じような幅の広い廊下が伸びている。
酸欠でぼやける視界。
けれど私は、確かに目にする。
それは右の廊下の床に、なんの趣向も凝らさず突き刺さっていた。
(聖剣――)
私は救われる思いで、ふらふらと駆け寄る。
目に入った汗を拭うと、ぼやけていた視界がハッキリと像を結んだ。
それは丸められた新聞紙だった。
丸められた新聞紙が、廊下の真ん中に突き刺さっていた。
「くそったれ!」
酸欠で喘いでいたはずなのに、自分でもびっくりするくらい大きな声が出た。
(あ、もしかして、私がこれでいいって言ったから……)
そうだ、ある日の放課後、私は確かにそう言った。
でも、だからって……。
トランプ兵たちも角を曲がり、追いついてくる。
「それは選ばれし者だけが抜くことのできる伝説の聖剣」
「我らでさえ扱えないのだ。貴様のような小娘に扱える道理はない」
「もう無駄な抵抗は寄せ。これ以上、我々の手を煩わせるな」
私は柄(?)を握ってみた。
伝説の聖剣は何の抵抗もなく簡単に引き抜けた。
「ば、馬鹿なっ」
「この小娘が選ばれし者などと……」
「…………」
私は試しに聖剣(丸められた新聞紙)を彼らに向けて構えてみる。
「ひぃっ!」
大袈裟なほどたじろぐトランプ兵たち。
特に先端を向けられた相手は、仰け反るようにしてビビり散らかしていた。
聖剣を左右に振ると、阿鼻叫喚の強制ウェーブみたいになる。
(……やばい、ちょっと楽しい)
追いかけ回された恨みも相まって、腹の底からふつふつと嗜虐心が湧いてきた。
「さっきまでの威勢はどうしたのよ。私のような小娘に、何をそんなに怯えているの?」
全力疾走の疲労はどこへやら。
聖剣をペシペシと手に打ち付けながら、私は距離を詰めていった。
「ほら、かかってきなさいよ。死ぬ覚悟ができているならね」
「くっ……ええい!」
スペードの2(中谷)が自棄を起こしたようにメイスを構えた。
「あ、ちょっと待って。ごめん、タイム」
まさか立ち向かってくるとは思わなかった。
彼らの持つメイスは、とても重く頑丈そうだ。
私は自分の武器を改めて確認する。
うん、やはりただの丸められた新聞紙だ。
どう考えても、死ぬ覚悟が必要なのは私の方だった。
「やってやらあああ!」
「タイムだって!」
彼は聞く耳を持たなかった。
絶叫しながらメイスを振り上げて襲いかかってくる。
足がすくみ、私は目をつむることしかできなかった。
眉間のあたりに、ちりちりとした衝撃の予感。
でもいつまで経っても衝撃は襲ってこなかった。
痛みを感じる暇もなく死んでしまったのかと思ったけれど、思考ができているということは違うみたいだ。
恐る恐る瞼を開く。
スペードの2(中谷)は眼前に迫り、鬼の形相で今まさにメイスを振り下ろそうとしているところだった。
その状態で、彼は静止していた。
メイスを振り上げた、かなり不安定な格好でだ。
目が合う。
彼は顎で聖剣を示した。
「え? な、なに?」
彼はまた顎で聖剣を示す。
「……攻撃、すればいいの?」
そう尋ねると、彼はかすかに頷いた。
他にどうしたらいいのかもわからず、私は聖剣の先端で彼の胸元をそっとつついてみた。
直後——
「ぐわぁああああ!」
スペードの2(中谷)はまるで巨大なゴムに弾かれたみたいに吹き飛び、遠く離れた突き当りの壁にめり込んだ。
痺れるほどの轟音。
私は驚愕のあまり、声もあげられなかった。
『トランプ兵はアリスに一方的に派手にやられる。』
瀬川によって書き足された文章が脳裏に浮かんだ。
いやでも、これはいくらなんでもやりすぎだ。
「くそおおおおおお!」
今度はダイヤの7(佐々木)が叫びながら襲い掛かってきた。
「死ねえええええ!」
私はまた固まってしまう。
聖剣を顔の前にまで持ち上げて目をつむった。
でもやっぱり衝撃は襲ってこない。
メイスは聖剣に触れる寸前で停止し、ぷるぷると震えている。
「ぐぎぎぎぎぎ」
ダイヤの7(佐々木)は演技っぽいうめき声をあげながら歯を食いしばっていた。
そして「ぐはぁ!」と大きくのけぞると、背中から派手に転んだ。
「な、なんて馬鹿力だ……」
「いや、私は何も」
「ちくしょおおおおお!」
びくっとする。
急に声を張らないでもらいたい。
ダイヤの7(佐々木)は勢いよく立ち合がり、再度攻撃をしかけてきた。
私はもう憔悴していた。
この攻撃が次も寸止めされるとは限らないのだ。
今度こそ、私は頭を砕かれて殺されてしまうかもしれない。
それを思うと、腹の底がずんと重くなるような恐怖に襲われる。
それと同時に、頭が痺れるほどの怒りが込み上げてきた。
なんで私がこんな目に――
「タイムって言ってるでしょ!」
怒りに任せて聖剣を振るう。
目を瞑りながらだったから、ちゃんと当たったのかどうかもわからない。
でもその一撃でダイヤの7(佐々木)は、独楽のように宙を回る。
何かを叫んでいるみたいだったけれど、高速回転のせいで「るるるるるるっ!」としか聞こえない。
つばが大量に飛んでくる。
「ぎいぃっ!」
あまりの気持ち悪さに、引き攣った悲鳴をあげながら追撃を加えた。
聖剣を叩きつけると、ダイヤの7(佐々木)は床にぶつかり、天高く跳ね上がった。
高速回転は維持したままだ。
そのせいで軌道が変わり、私の頭上めがけて落下してきた。
「いぃやあああ!」
バックステップと同時にゴルフのスイングのように聖剣を振り回す。
「ぐわぁああああああああ!」
ダイヤの7(佐々木)は吹き飛び、スペードの2(中谷)の隣にめり込んだ。
巨人の足音じみた衝撃音。
私はパニックになりながらも、頭の片隅で「やっぱり、ここは不思議の国なんだ」とやけに冷静に考えていた。
原作じゃなくて、文化祭の脚本に基づいた世界。
トランプ兵たちが登場した辺りでうすうす気づいていたし、平らな山を駆け抜けて城に飛び込んだ時にはすでに確信していたけれど、受け入れることができていなかった。
クラスメイトたちの悪ふざけだと思いたかった。
けれど、あの物理法則無視のめちゃくちゃな吹き飛び方を見せられてしまうと、ここが現実世界ではないと認めざるを得なかった。
私はこれからどうしたらいいのだろう。
どうすれば、元の世界に戻れるのだろう。
何が正解なのか、まるでわからない。
私は改めて聖剣を見る。
ただの丸められた新聞紙に思えるけれど、あれだけ振り回してもへたれる様子はないし、なによりあの絶大な攻撃力だ。
本来は鞭と化した方が攻撃力が増すのだが……。
ともかく見た目はただの新聞紙でも、この世界では本当に特別な武器なのだろう。
この聖剣さえあれば、多少の無茶は通せるはずだ。
元の世界に戻る方法を、なりふり構わず探すことだって……。
でも私は結局、脚本の流れに身を任せることを選んだ。
それだけがこの世界で唯一確かなことだからだ。
得体の知れない世界をなんの指針もなく走り回る度胸は、私にはなかった。
なにより脚本にさえ従っていれば、あの目で見つめられることはないのだ。
佳代の――佳代によく似た誰かの、あの虚な目で……。
(大丈夫、大丈夫。脚本通りに進めていけば……)
きっとそのうち、私は姉の膝の上で目を覚すはずだ。
私に姉はいないけれど、きっとそこに救いはあるはずだ。
そう自分に言い聞かせた。
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