第12話 立ち稽古
それから土日を挟んだ三日後の月曜日に、脚本の前半部が出来上がる。
LHRの時間になるやいなや、私たちは本読みをすっと飛ばして立稽古を始めた。
私は何も書かれていない表紙をめくる。
縦書きってだけで本格的だと思えるのだから不思議なものだ。
後で修正することを想定してか、やけに行間が目立つ。
字は全部波戸のもので、読みやすくて助かった。
『アリスは大声で叫ぶ。
「ああもう退屈。何かおもしろいことでもないかしら」
白ウサギが現れ、アリスの前を横断する。
アリスは白ウサギの後を追い、穴に落ちてしまう。』
脚本というより小説のような書き方だ。
といっても私は実際の脚本がどういうものなのか知らないから、もしかしたらこれが正しい書き方なのかもしれないけれど。
なんにせよ、文化祭の劇の脚本にクオリティを求めても仕方がない。
素人が形式を気にしても碌なことにならないし、それは波戸も当然了解しているのだろう。
「ああもう退屈。何かおもしろいことでもないかしら」
私は台詞を読み上げる。
ここではまだ白ウサギの台詞はないようだ。
「ちょっとこれ、お願いしていい?」
そのへんで暇そうにしていた男子に、波戸がどこからか借りてきたウサギの被り物を被ってもらい、目の前を横切ってもらった。
デパートの屋上で風船でも配っていそうなデフォルメされたウサギの被り物は、不思議の国のアリスに出てくる白ウサギとはイメージが違ったけれど、パロディだと考えればなかなか滑稽な表情をしていて相応しい気もする。
私は驚いた演技をして、白ウサギの後を少しだけ追った。
場面が変わるからだろう、かなり余白を残したまま次のページに移る。
『気を失っていたアリスは目を覚まし、周囲を見渡す。
ハートの女王が現れアリスに問いかける。
「あなたは誰?」』
「私の出番ね」
横からのぞき込んでいた佳代が咳払いを一つした。
「あなたは誰?」
「アリス」
私も応じる。
しばらくは佳代と私の――ハートの女王とアリスの掛け合いだ。
「そう、アリスって言うのね」
「ここはどこなの」
「ここは不思議の国よ」
「不思議の国?」
「そうよ。ところで、あなたは見ない顔だけど、この国の住人かしら」
「違うわ」
「誰かに招かれた?」
「それも違う」
「そう、ならあなたは不法入国者ね」
続きには、
『ハートの女王がアリスを指さす。
「この者を捕らえなさい」』
私はページをめくる。
『メイスを持ったトランプ兵が現れる。
アリスは逃げ出し、その後をトランプ兵たちが、
「追え!」
「逃がすな!」
などと叫びながら追いかける。
アリスは城内に逃げ込み、聖剣を手にする。
そしてトランプ兵たちと戦闘を繰り広げる。』
ちらと視線をやると、トランプ兵役の男子五人が、そわそわしながら遠巻きにこちらを眺めていた。
佳代が脚本の指示通り、私を指さしてセリフを口にした。
「この者を捕らえなさい」
「何? 俺たちはどうすればいいの?」
彼らは喜々として近づいてきた。
混ざりたかったのだろう。
私は説明する。
「城内に逃げ込んだアリスが聖剣を手にして、メイスを持ったトランプ兵たちと戦うんだって」
メイスといえば突起のついた鈍器のことだろう。
西洋武器の百科事典で見た。
物騒だな、と内心でひやひやする。
「俺たちの台詞は?」
トランプ兵役の一人、中谷が尋ねてきた。
「アリスとトランプ兵のやりとりはアドリブらしいよ」
「おお、何をしてもいいのか」
その解釈はどうなんだろう?
なんか、よくない気がする。
「とりあえず、アリスとトランプ兵の立ち回りは後にして、先に台詞だけ確認しよう」
場面が変わり、次のページへ。
『トランプ兵を一組倒した後、白ウサギが再び現れる。』
今度は白ウサギにも台詞があるようだった。
「唯を呼んでくる」
佳代に声をかけ、私は教室を出た。
唯は教室から少し離れた渡り廊下で、つぎはぎした大きな画用紙に半ば乗りかかりながら背景の下絵を描いていた。
二枚目と三枚目の下絵はすでに描き終わり、今取り掛かっているのは一枚目の背景だ。
どうやら土日の間に構図を決めたようだった。
それは森の中の、川のほとりの絵だった。
川原には周りの木々よりも二回りほど大きな巨木が豊な葉を茂らせていた。
遠くには壮麗な西洋のお城が見える。
どうやら佳境を迎えているようで、彼女は傍らに立つ私に気づかなかった。
他にも何人か見物人が居たが、それも気にしている様子はない。
いつもは人に注目されることを嫌うのに、すごい集中力だ。
私は踵を返した。
教室に戻ると、佳代が私の背後に視線をやり、小さく首を傾げる。
「唯は?」
「集中してたから、話しかけられなかった」
「そう。まあ唯は舞台に立つわけじゃないから、私たちと一緒に稽古する必要はないかもしれないわね」
「うん。だから佳代、代役お願い」
「別にいいけど」
佳代は私が手渡した脚本に視線を落とし、顔をしかめた。
「……これを、私が読むの?」
「アリスと白ウサギの掛け合いだから、私が代役するわけにもいかないし」
「でも」
「無理なら、やっぱり唯を呼んでくるけど?」
佳代はしばらく迷っていたが、やがて覚悟を決めたようだ。
「わかった。やるわ」
唯の邪魔をしたくないのだろう。
佳代ならそう言うと思った。
私はふとした気まぐれから、スマホを少し離れた机の上に置いた。
「有子、何してるの? やるわよ」
「ああ、うん。今いく」
佳代は何度か深呼吸をしてから、白ウサギの台詞を口にする。
「ぼ、僕はっ、ただの通りすがりだぴょん! そこのトランプ兵たちとは、なんの関係もないぴょん。だから斬らないでほしいぴょん!」
ぴょん。
何とも可愛らしい響きだった。
佳代は中途半端にやる方が恥ずかしいと判断したようで、全力だった。
耳まで真っ赤になっている。
これじゃあ赤うさぎだ。
「わ、笑わないでよ」
「笑ってないって」
「肩、震えてるわよ」
私は大きく息を吸い平静を装う。
そして佳代の持つ脚本に視線をやった。
「小腹がすいたわね」
「き、気のせいだぴょん! 食べてもおいしくないぴょん!」
「ところで、ハートの女王を見なかったかしら」
「女王様ならあっちに行ったぴょん!」
佳代は脚本の指示に従い適当な方向を指さした。
「そんなに簡単にばらしてもいいの?」
「い、いいんだぴょん! あいつはいつも僕をいじめてくるんだぴょん! むしろやられてしまえだぴょん!」
「そう、なら女王の元まで案内してくれるかしら」
「それは……」
「だめなの?」
「わ、わかったぴょん! 僕についてくるんだぴょん!」
続きには、
『アリスは白ウサギと行動を共にする。
トランプ兵が何度も現れ、アリスと戦闘を繰り広げる。』
できている脚本はそこまでだった。つまり、佳代の恥もここで終わりだ。
「さすが」
私は肩で息をする佳代に賛辞と惜しみのない拍手を贈る。
つられてトランプ兵役の男子たちもぱちぱちと手の平を鳴らした。
「いいから、そういうの本当にいらないから」
佳代は顔を真っ赤にしたまま虫をはらうような仕草をした。
私は少し離れた机に近づくと、筆箱に立てかけていたスマホを手に取り録画を停止した。
すぐに音量を抑えて再生してみる。
『有子、何してるの? やるわよ』
『ああ、うん。今いく』
よかった。
ばっちり撮れてた。
「どうしたの?」
いつの間にか背後に来ていた佳代が私の肩越しにスマホを覗いた。
「あ、いや、別に」
慌てて停止しようとしたけれど、手元が狂ってうまくできない。
『ぼ、僕はっ、ただの通りすがりだぴょん! そこのトランプ兵たちとは、なんの関係もないぴょん。だから斬らないで――』停止。
「……有子、あなた」
「ご、ごめん。悪気と悪意しかないの」
「全部あるじゃない」
スマホを奪われた。
「思い出っ、思い出だからっ」
「いらないわ、こんな思い出。記憶からも消したいくらいよ」
「……唯にあとで見せようと思ってたのに」
動画を削除しようとしていた佳代の手がぴたりと止まる。
「どういうこと?」
「佳代が唯のために体を張ったよって報告するの」
「別に感謝されたくてやったわけじゃないわ」
「でも唯はきっと『ありがとう』って言うと思うよ。頬を染めながら上目づかいで」
佳代は眉間に皺を寄せて押し黙ってしまう。
葛藤しているのだろう。
唯の上目づかいの威力は私も知っていた。
身長差の大きい佳代はなおのことだろう。
佳代は苦渋の決断を下すように、動画を削除することなくスマホを返してくれた。
「こういうのも、青春の一ページだと私は思うわ」
「佳代のそういうところ大好きだよ」
私はスマホをポケットにしまった。
× × × ×




