普通じゃない昼休み
昼休みのチャイムが鳴った瞬間、教室の空気が一気にほどけた。
椅子を引く音や弁当の蓋を開ける音があちこちで重なり、さっきまで授業に張っていた空気が嘘みたいに崩れていく。ざわめきは強くなっているはずなのに、そこにあるのは緊張ではなく、昼休み特有の力の抜けた騒がしさだった。
白石湊は机に肘をついたまま、視線を落としていた。
腹は減っているはずだった。けれど、食べたいという感覚ははっきりしない。朝から続いている鈍い重さが、まだ頭の奥に残っている。
鞄から弁当を取り出し、蓋を開ける。
整えられた中身が目に入る。特別凝っているわけではない。それでも、卵焼きの位置や野菜の詰め方に、紬らしい几帳面さが出ていた。
箸を持ち、何も考えずに一口目へ手を伸ばした、そのときだった。
「湊くん」
名前を呼ばれて顔を上げると、すぐ横に彩音が立っていた。
「……彩音」
呼んでから、わずかに箸の動きが止まる。
朝より自然に出たはずなのに、その自然さの方が少し引っかかった。彩音はそれに気づいたのかどうか、軽く笑って机の横へ立つ。
「一緒に食べる約束したじゃん」
怒っているわけではない。むしろ楽しそうな声だった。
湊が「そうだったな」と返すより先に、近くの席で話していた男子の声が途切れた。
弁当の蓋を開けかけていた手が止まり、後ろの方で誰かが小さく吹き出しかける。何人かの視線がこちらへ向いて、すぐに逸らされた。
言葉にされなくても分かる。
――なんでお前?
湊は周囲を一度だけ見て、すぐに弁当へ視線を戻した。
彩音はその空気を気にする様子もなく、近くの男子に「椅子、借りてもいい?」と声をかける。相手が慌てて頷くと、彩音は「ありがと」と笑って椅子を引き寄せた。
その一連の動きがあまりにも自然で、教室のざわめきの中にすぐ馴染んでいく。
「なんかすごいね」
彩音が弁当を開きながら言う。
「……なにが」
「視線」
さらっと返される。悪びれた様子はなかった。
「気にしたところでしょうがない」
湊は短く答え、箸を動かした。
気にしていないわけではない。けれど、気にしたところでどうにもならないことも分かっている。
彩音は「ふーん」とだけ言い、それ以上は踏み込まなかった。代わりに自分の弁当を開き、何事もなかったみたいに食べ始める。
「ていうかさ」
彩音は卵焼きを摘まみながら、声を少し落とした。
「湊くん、目立ってるよね」
「……は?」
意味が分からず、間の抜けた声が出る。
彩音は小さく笑った。からかうというより、本当にそう思っているだけの軽さだった。
「気づいてないの? 湊くん、自分で思ってるより女の子たちに見られてるよ」
「気のせいだろ」
反射で否定する。
そんなことを考えたこともなかったし、考える必要もないと思っていた。
「いや、普通にかっこいいし」
彩音はあっさり言い切った。
「話さないだけで目立つタイプっているじゃん。湊くん、それ」
断定だった。湊は言い返そうとして、言葉を探す。けれど、否定する理由も、肯定する根拠も見つからなかった。
「……人に興味ないだけ」
弁当に視線を落としたまま呟く。
周囲のざわめきは続いている。誰かが笑い、椅子が床を擦り、弁当箱の蓋が机に置かれる。その中で、彩音の声だけは不思議と聞き取りやすかった。
「でもさ」
彩音は箸を置かずに続ける。
「興味なくても、見られることはあるよ」
押しつけるわけでもなく、ただ事実を置くみたいな言い方だった。
湊は弁当を一口食べる。
さっきまでより、卵焼きの甘さが少しはっきりした
「……そうかもな」
「でしょ」
彩音は軽く笑う。それ以上は踏み込まない。だから、湊もそれ以上は返さなかった。少しだけ会話が途切れる。
教室の音は変わらず騒がしい。けれど、その騒がしさの中で、机の上に置かれた二つの弁当だけが妙に落ち着いて見えた。
湊は箸を動かしかけて、ふと顔を上げる。
「……彩音」
気づけば、もう一度呼んでいた。
今度はさっきより自然だった。
「ん?」
すぐに返事が来る。その反応が早すぎて、湊は一瞬だけ次の言葉を見失った。
「……なんでもない」
視線を外して弁当へ戻すと、彩音は少し楽しそうに笑った。
「ふふ、照れてる?」
「照れてはない。ただ、呼び慣れないだけ」
言いながら、湊は箸で掴んだ卵焼きを一度弁当へ戻した。
彩音はそれを見て、また笑う。
「まあ、慣れて」
「ゆっくりな」
「急いでいそいで」
「変わらないだろ」
そんなやり取りをしているうちに、周囲の視線は少しずつ散っていった。消えたわけではないが、最初ほど刺さる感じはない。
「あ、そうだ」
彩音が箸を持ったまま顔を上げる。
「湊くん、明日空いてる?」
「放課後?」
「うん。紬ちゃん、買い物行くなら湊くんもいた方がいいかなって感じだったし」
「……感じ?」
「いや、そこまでは言ってないけど」
彩音は楽しそうに笑う。
「でも、嫌ではなさそうだったよ」
「紬が?」
思ったより早く聞き返していた。
彩音はその反応がおかしかったのか、楽しそうに笑う。
紬が、自分からそんなことを言うイメージはあまりない。
けれど彩音は確かに紬とそんな話をしていたらしい。




