SIDE ミア
中学三年の頃から、学校が終わると祖父母の家へ行くようになった。理由を聞かれても、あの頃のミアにはうまく説明できなかったと思う。ただ、家へ帰るより、あの家の玄関を開ける方が呼吸がしやすかった。古い木の匂いと、夕飯の匂いと、祖母の「おかえり」が混ざった場所には、何かを間違えても許される空気があった。
家には兄と姉がいた。二人とも、何でもできる人だった。兄はテストで百点を取るし、姉は表彰状を持って帰ってくる。リビングではいつも二人の話が出て、両親は嬉しそうに笑っていた。ミアも頑張った。百点は取れなくても、九十五点なら何度も取った。けれど答案用紙を見せるたび、返ってくる言葉は決まっていた。
「惜しかったね。次はもう少し頑張ろうね」
悪い言葉ではなかった。責められているわけでもない。それでも、褒められた気はしなかった。九十五点の中にある九十五個の正解より、足りなかった五点の方を見られている気がした。頑張っても、届かなかった場所ばかりが残る。だから家では、いつも静かにしていた。困らせないように、比べられないように、名前を呼ばれないように。
祖父母の家では違った。祖父は答案用紙を見ると、点数より先にミアの顔を見た。「九十五点? 十分すごいだろ」と、何でもないことみたいに言う。祖母は横から「この子は無理しすぎるんだから」と冷蔵庫を開け、プリンや羊羹を勝手に出してくる。ミアが「いらない」と言っても、湯呑みと一緒に置かれるから、結局食べることになる。
「甘やかしすぎだろ」と祖父が言うと、祖母は「あなたも昨日チョコ買ってきたでしょ」とすぐ返す。祖父は新聞へ視線を戻しながら「知らんな」と言い、数秒後にミアの方へ小さく目配せした。机の下から出てきた小さな袋には、コンビニで買ったチョコが入っていた。祖母に見つかると怒られるから、二人で黙って分けた。
そういう時間が好きだった。百点じゃなくても、そこに座っていてよかった。話さない日があっても、機嫌が悪いと決めつけられない。祖母は何も聞かずに夕飯を多めに盛り、祖父はテレビの音量を一つ下げる。疲れている日は、その二つだけで十分だった。誰かが自分を見てくれていると、言葉にされなくても分かる場所だった。
泊まる日も増えていった。最初は週に一度だったのが、二度になり、三度になった。祖母は布団を敷きながら「もう部屋作っちゃおうか」と笑い、祖父は「家賃取るぞ」と言いながら、翌朝にはミアの好きなパンを買って帰ってくる。朝食の皿には、いつも焦げ目の薄い卵焼きが乗っていた。祖母は「この子、焼きすぎると食べないの」と当然のように言う。
夜、眠れない日は居間へ行った。祖父はたいてい起きていて、古い映画かニュースを見ている。ミアが襖を開けると、振り返りもせずに座布団を一枚ずらした。「座れ」とだけ言う。その横に座ると、祖母が途中で起きてきて、「また二人で夜更かししてる」と呆れながら、温かい牛乳を入れてくれた。眠れない理由を、二人は聞かなかった。
祖父は、顔を見るとよく聞いた。
「今日はどうだった」
学校帰りでも、夕飯の前でも、テレビを見ている途中でも、本当に何でもない顔で聞いてくる。最初は面倒だった。話すことなんてない。楽しかったことが毎日あるわけでもない。だから「普通」と答える。すると祖父は少し考えて、「じゃあ、頑張ったことは」と聞く。「ない」と返すと、「嬉しかったこと」「腹立ったこと」「何か食べたもの」と、勝手に選択肢を増やしていった。
「何でもいいんだよ。楽しかったことでも、嫌だったことでも、眠かったでも、疲れたでも。ミアの今日を、ちょっと分けてくれ」
その言い方が変で、最初は少し笑った。けれど、そう言われると不思議と話せた。授業が眠かったこと。コンビニの新作が微妙だったこと。隣の席の子が消しゴムを何度も落としたこと。本当にどうでもいい話ばかりだった。それでも祖父は新聞を畳み、祖母は台所から「それで?」と続きを促す。二人は、ミアの今日を途中で置き去りにしなかった。
高一の冬、祖母が亡くなった。
その日から、家の音が一つ減った。台所に立つ人がいないだけで、祖父母の家は広く見えた。食器棚の湯呑みも、椅子に掛かったままの膝掛けも、いつも通りそこにあるのに、使う人だけがいない。祖父は前と同じように新聞を読み、テレビをつけ、夕飯に惣菜を並べた。けれど、箸を持つ手が何度も止まっていた。
それからミアは、前より祖父の家へ行くようになった。祖父が一人でいるのが心配だったのか、自分が一人になるのが怖かったのかは分からない。たぶん、どちらも正しかった。祖母がいない台所で、二人でカップ麺を食べる日もあった。祖父は「ばあさんに怒られるな」と笑い、ミアは「もう怒られないよ」と言いかけて、言葉を飲み込んだ。
祖父は祖母の話をあまりしなかった。ミアも聞かなかった。その代わり、夕飯の味が薄いとか、近所の猫がまた庭に来たとか、どうでもいい話をした。祖母がいた頃より会話は減ったのに、祖父が「今日はどうだった」と聞くことだけは変わらなかった。ミアが「疲れた」と答えると、祖父は「そっか」と頷いて、湯呑みに温かいお茶を注いだ。
その祖父が、入院した。
入院した日から、毎日病院へ通った。学校が終われば病院へ向かい、休みの日は昼前から行って、面会時間ぎりぎりまで病室にいた。白い壁、乾いた空気、消毒液の匂い。窓際の小さな冷蔵庫には飲み残しのお茶が入っていて、ベッド横の台には読みかけの新聞が置かれていた。そこに祖父がいるだけで、まだ全部は終わっていないと思えた。
「また来たのか。ミア、暇だな」
祖父はそう言って笑った。前より痩せて、声も細くなっていたのに、言うことは変わらない。ミアが「うるさい」と返すと、祖父は満足そうに目を細める。病院食が薄いとか、看護師さんにお菓子を隠されたとか、テレビのリモコンが使いにくいとか、話す内容は本当にどうでもいいことばかりだった。
帰る時間になると、祖父は決まって「ほら、帰れ」と言った。「おじいちゃん、別に死なないから」と冗談みたいに続ける。ミアが黙ると、少し困った顔をして、「そんな顔すんな、ミア」と呼んだ。本当は不安なくせに、こっちを安心させようとしているのが分かった。だから最後に必ず、何かひとつ話してから病室を出た。明日も続きを話せるように。
けれど、病室を出た後の電車は苦しかった。置いてきてしまった感覚が、胸の真ん中に穴を開ける。まだ生きているのに、少しずつ遠くへ行ってしまうような気がした。また明日、と言ったはずなのに、その明日が急に遠くなる。家に帰るのが嫌だった。静かな部屋が嫌だった。何も音がしない時間の中に戻るのが怖かった。
だから途中で降りるようになった。
祖父母との思い出が残っている駅だった。ホームの奥。祖父と祖母と電車に乗る時、いつもそこから乗っていた。「前の方が空いてるから」と祖父が言い、祖母は「どこでも同じでしょ」と言いながら、結局ついてくる。ミアには甘いココア、祖父には缶コーヒー。電車が来る前に吹く風の向きも、ベンチの位置も、全部覚えていた。
そこに立っていると、祖父母がいた時間の続きを、まだ歩けている気がした。
だから病院の帰り、ミアはその駅で降りた。ホームの奥へ向かい、同じ場所に立つ。何をするわけでもない。ただ、電車を待つ人の流れから外れて、今日が終わるのを待っていた。帰らない理由も、帰る理由もないまま、白線の近くで夜の風だけを受けていた。
その日、私にとって特別になる男の子に出会った。




