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そのまま、私は何も言えずに黙り込む。
ふっと、小さな笑い声が聞こえた。
顔を上げると、そこには優しげな笑みを浮かべた酒井がいる。
「病院に行っても意味がない、そう思ってしまったのも本当なのでしょう。では、刻一刻と病状が悪化していく中で、何故浩介は、その次の行動を取らなかったのでしょうか」
「……自分が病気だって、信じたくなかったから」
「そうですね。それもひとつの理由だったかもしれない。では静波さんは、病気だと信じたくなくて、でも胸が突然苦しくなって、そのまま自分は病気じゃない、医者なんて信じられないと、思ったままでいられますか?」
そんな酒井の言葉は、私を決して否定することはない。
少しずつ視点をずらしていく。
「……そんな人、いますかね」
私なら思ったままではいられない。迷わず病院に駆け込む。
すぐに救急車を呼んでしまうかもしれない。
けれど浩介は、自分では119番に連絡などしなかった。
私の答えに、酒井はただ片眉を少し上げる。
そもそも、こんな仮説に意味などない。
私と浩介は違う。
だから、浩介がその時に何を考えていたかなどわかりやしない。
わかるはずが、ないではないか。
ーーーやっぱり静波は、浩介さんの子ね。
激しい風が吹き上がったような感覚がした。同時に、目の前の景色から彩りが消える。
それは、敦子の言葉だ。
その言葉が脳裏を過るとともに、走馬灯のように浩介が死んだ日の事が思い返される。
目の前にいるのは酒井ではなかった。
そこにいるのは、淡々と仕事をこなす医者であり、看護師達。
もう回復の見込みはないと、医者が判断をしている。浩介に繋がれた沢山の機械が、どんどんと外されていく。
音が遠ざかる。それなのに時計の針の音だけが、嫌に耳に響く。
涙は流れなかった。死などとっくに覚悟できてきた。
ただ、目の前にある事実が、家族としての時を止める。
「静波さん。貴方の中に、本当は答えが、ありますか」
瞬きをすると、そこはもう病院ではなくて、すぐ目の前には酒井がいた。
それでも、敦子の言葉が私の頭の中で反響している。
無意識に、私は目を見開いて酒井を見ていた。
彼の真剣な眼差しが、私の姿を捉えている。
その瞳が、怖いのに、背けることができなかった。
「答え、とは」
「浩介の死の真相、について」
被っていたキャップ帽が風に飛ばされる。
私の髪が靡き、視界を覆う。
敦子の言葉が反響する。
内側でひびが割れたような音がした気がした。
「……酒井さんの中には、答えが、あるんですか?」
風が止み、視界が開けていく。
ひび割れから目を背けるように、覆い隠すように、私は酒井にそう尋ねる。
「どうでしょうか。もう少し調べてみなければ、何とも言えません」
「……私も同じです」
酒井が車から離れて歩き出す。少し離れたところに落ちたキャップ帽を拾い上げて、彼は口を開く。
「ついては、今度またご実家に伺っても宜しいですか。敦子さんでなければわからないことも何点かありますので」
「私も一緒に、ですね」
「はい。勿論です」
酒井からキャップ帽を受け取る。ーーけれど何故か酒井は手を離してはくれなくて、私は彼の顔を見上げた。
「静波さん」
眉を下げて、何故かとても辛そうな顔で酒井は言った。けれどそれを隠すように微笑みながら、彼は言葉を続ける。
「誰かの重荷にはなりたくありませんか。自分の中に仕舞い込んで自分で解決しようとすることだけが、正義ですか」
どうしてそんな顔をするのだろう。私はたかだか親友の娘でしかないのに。
何がそんなにも、彼の心を動かすのだろう。
きっとそこには、酒井という人間のこれまでの人生と本質が隠されている気がして、私は何も言えずにただその瞳を見つめ返す。
「静波さん。貴方は、一人では、ないのですよ」
絞り出すように言った酒井のそんな言葉が、ぐっと私の胸を締め付ける。
一人ではない。
そんなことは、わざわざ言われなくてもわかっている。
「そうですね。母もいるし、兄もいる。夫もいて、子どもにも恵まれてます」
そう言った途端、視界が遮られる。酒井が帽子を被せてきたせいだと、すぐに気付く。
「そういうところ、浩介にそっくりですね」
「はい?」
「何でもありません。では、帰りましょうか」
運転席の方へと戻っていく酒井の背中を見つめる。
ーーー貴方は、一人では、ないのですよ。
その酒井の言葉を、頭の中で反芻する。気付けば敦子の言葉が、酒井の言葉で上書きされている。
喉の乾きを感じて、私は唾を飲み込む。
そのまま自分の中に生まれた感情から再び目を背ける。
それで良いのだと、自分自身を納得させる。
それで、良いのだ。
ーーそれなのに、気付けば、私は口を開いていた。
「……母にも、同じことを言われました」車のドアを睨みつけて、私は言葉を続ける。「やっぱり静波は、浩介さんの子ねって。父に死亡判定が下ったすぐ後の話です」
本作は不定期更新です。




