043 -Ritsu-
ボウリングの筋肉痛は、夜のうちにはきた。律の右腕は月曜日に痛みのピークを迎えていた。あとお尻が痛い。
「だらしないねー。運動だよ、運動!」
遥は五体満足そうだった。蒼乃も自転車通学をしているからか元気そうで、日向は律の仲間だった。
こんな日に限って、体育のバスケがある。右腕が痛いなら左腕でと思ったが、そんな器用にはいかない。
体育の授業が終わる頃には、体全体がだるかった。高校生からこんなではだめな気がする……。ショートホームルームも八重樫がなにを話していたか聞いていなかった。多分、大した話はしていないだろう。
「二人とも帰らないの?」
体操服姿の遥に聞かれる。遥はこれなら部活動がある。
「ちょっとお喋りしてから帰ろうかなと」
後ろは振り向かなかった。
「そっか。じゃあまあ明日」
遥に手を振った。
一人、また一人と教室から人が出ていく。まるでカウントみたいで、一人減るごとに律の心拍数が増えていく。
「お喋りするんじゃないのかしら」
後ろから声がして、律は蒼乃の方を向いた。
「今日はいい天気ですね」
「曇っているわ。明日は雨予報だから傘を忘れないようにね」
律に天気予報アプリは必要ないかもしれない。
「雨の日バス混むんだよなぁ」
「痴漢とか気をつけてよ。本当に」
「気をつけてどうにかなるものなのかな……。大丈夫だよ、今まで被害に遭ったことないよ」
「私はバスの中でも律のこと触りたいけど」
「うーん。アウトかな」
考える余地はあまりなかった。
机を挟んで、蒼乃の手が伸びてくる。綺麗な指先が律のセミロングの髪を撫でる。
「細い髪ね」
「寝癖がつきづらいから助かってるよ」
「せっかくなんだから、いろいろアレンジすればいいのに」
不器用な律にそんな真似できない。三つ編みもできない。できるとしたらポニーテールくらいだが、わりとすぐにぐちゃぁとなる。
「蒼ちゃんだって、普段髪の毛いじらないじゃない」
「私は……朝弱くて」
律の知らない蒼乃の情報だった。
「朝はギリギリまで寝ているから、髪を結う時間なんてないのよ」
「起き抜けの蒼ちゃん見てみたい」
絶対に可愛い。
自分に都合の悪い話になったからか、蒼乃は手を引いてゆっくり立ち上がる。
律に背中を向けて、蒼乃は窓際まで歩いていく。普段閉めることのないカーテンを閉めた。シャッシャッとどこか心地よい音を立てて。
いつの間にか教室は二人きりになっていた。
「カーテン閉めるだけで雰囲気変わるわよね」
蒼乃はカーテンの間から窓の外を見ている。その姿を律は写真に収めた。少し昔の言葉で言えば、エモいというやつだ。
「やっぱり意外と向こうの棟の様子見えるのね」
蒼乃が笑いかけてくる。年頃の少女より少し若いいたずらっ子ぽい笑みだ。
律も気になって窓際に寄った。窓の向こうを見ると特別棟の様子が見える。主に活動しているのは、吹奏楽部のメンバーだろうか。
「律」
カーテンの隙間が閉じられる。蒼乃の腕が律の腰に回り、そのまま抱き上げた。
「軽い」
律の足は浮いたまま、自席の方に戻っていく。律が置かれたのは蒼乃の席だった。腰にあった腕が上がってきて、肩に置かれた。
「ドアの方は鍵かけてないからね」
わざわざそんなことを言ってから、蒼乃からキスをされた。いつも最初の一回は短い。
「誰か入ってきたらどうするの?」
「その時は……見せつければいいの」
律が口を開きかけたところで、蒼乃の唇が触れ、隙間に舌が割り込んでくる。彼女の舌はいつも熱い。律の舌の上を這うように、蒼乃が撫で回す。それから舌を吸われた。
「ふふ、可愛い」
少しキスにも慣れたのか、再び蒼乃が笑った。律は笑い返す余裕がない。
「律、舌出して」
言われた通りに出したら舐められたので、律は慌てて顔を引いた。
「どうして逃げるの」
肩に入る力が強くなった。
「律、こっち向いて」
顔をあげると、またキスをされた。ついばむようなキス。蒼乃がわざとらしく音を立てる。
「愛してる」
キスとキスの間に愛の言葉が挟まれる。律ははっきりと言葉を表すのが難しかったので、小さく唸ることだけをした。
「大好き愛してる、律」
肩に置かれていた腕がゆっくりと下りてくる。上腕部に触れ、腰の方に回っていく。くすぐったい。
「りつ……」
甘い声が降ってくる。
教室でしているとは思えないほど、大胆で堂々としたキス。蒼乃の想いに応えるよう、律も彼女の口内に舌を伸ばした。歯の裏を舐めると、蒼乃の体が小さく跳ねた。
「蒼ちゃんだって、可愛い」
まだ、お互い初心者なのだ。なんとなくどこかで仕入れた知識を相手に落としていく。そして、いつかその行為が当たり前に落ち着く。
律のボディラインに沿わせている手を握り、指を絡める。しばらくしてから、絡めている手を引っ張られた。
「ちょっと立って」
言われた通り立ち上がると、律が座っていた椅子に蒼乃が腰を下ろす。それからスカートの上から太腿を叩いた。
「座って」
蒼乃の膝の上に座るくらいいつもやっている。それが簡単にできるのは、背中を見せているからだ。
「こちらを向いて座って」
なかなか動こうとしない律に蒼乃ははっきりと指示を出す。少し及び腰になりながら、彼女の太腿を跨いだ。律の視線が蒼乃よりも高くなる。
「律、キスして」
いつもキスの始めは蒼乃からであったから、律は固まる。蒼乃は急かしてこない。
蒼乃の頬に右手を添える。角度を調節しながら、律は頭を落とした。いつもは律が先に目を閉じるから、変な感じだった。長いまつげ、通った鼻筋、手入れのされた唇。全て律の好きにできるものだった。
長めに唇を重ねる。離れて、ニセンチくらい、至近距離で笑いかける。それから愛してるの言葉をこぼす。
「大好き」
蒼乃の顔が律の胸元に沈み込む。頭のてっぺんが見えた。律がなかなか見ることのできないものであった。
「律いい匂いがする……」
「多分それは柔軟剤の匂いだと思うよ」
「全部ひっくるめて律の匂いだから」
律はこっそり蒼乃の頭を嗅いだ。これが蒼乃の匂い。
「学校でこんなことして私たち不良だね」
「一線は越えてないから大丈夫」
超えてなくても、キスをしているところを教師に見つかったら間違いなく怒られるだろう。二人乗りとどっちが罪深いのだろうと考えた。律的にはキスの方が気軽ではないなと思う。
「漫画みたいに、使われていない部室とか、誰も来ない準備室があればいいのにねー」
気軽に言ったが、しようとしている行為自体は重たい。
「律は学校でしたいの?」
「いや、そうゆう意味で言ったんじゃなくて」
「したいの? したくないの?」
下から見つめられる。慣れていない角度なせいでドキドキが増した。
「したくない、わけがないよ。あ、でもしないよ?」
一応釘を差した。肯定だけすると蒼乃の理性をどこかに押し出してしまうかもしれないから。
「蒼ちゃんはどうせしたいんでしょ」
「当たり前じゃない。今、ここで、したいくらいよ」
身の危険を感じて、律は蒼乃から降りた。
「律は学校でするならどこでしたい?」
どこで。言葉を頭の中で繰り返し、学校の至る箇所が浮かんでくる。
「どこ?」
「……音楽室」
防音という構造を高く評価した結果だ。
「結構マニアックなところを選ぶのね。私はありかちだけど保健室かしら」
ありがちって何だろう。どこに保健室でえっちなことをする人がいるんだろう。
「もうそろそろ帰るよ」
律は自分の席に戻り、机の横にひっかけていたリュックを手に取る。
「待って。カーテンを元に戻すから」
律も半分手伝った。空はどんどん暗くなってきている。今日のうちに降り出しそうだ。
「忘れ物はしてない?」
「多分」
よくは確認していないが、きっと大丈夫であろう。
律と蒼乃は手を繋いで教室を出る。外で盗み聞きをしている不束者はいなかったので安心した。
「音楽室ねー」
蒼乃がさっきの話を掘り返そうとする。
「なにさ」
「何でも」
どうして蒼乃が満足そうな顔をしているのか分からない。と言っても、律も頭の中では保健室を想像していた。よくないな、と思う。




