022 -Ritsu-
月曜日の朝、遥が教室で話しかけてきた。
「蓮ちゃんから連絡あったよ。相澤蒼乃ってどんな人って」
舐めていた飴玉を吐き出しそうだった。慌てて律は口を抑え、阻止した。
蓮という名前が挙がるにあたって、目の前に座っている蒼乃の表情も少し厳しくなった。律の手を握る力も強くなる。
「うちの姉がほんとごめん……。で、はるちゃんは何て答えたの?」
「安心して、付き合ってることはあたしの口から言ってないよ? 成績優秀なクラスメイトって返しといた。あとはりっちゃんと一番仲良いよって。嘘ついてないでしょ? わざわざあたしのところに連絡くるって何かしたの?」
律は金曜日に鉢合わせてしまったことを伝える。
「なるほどね。蓮ちゃん、りっちゃんのこととなると鋭いからなー。まぁ、頑張ってよ」
「私はいっそのこと交際していることを明かしてもいいんですけどね」
簡単に言ってくれる。姉に泣きつかれるというのがどんなに大変なことなのか、お姉ちゃんには分からないだろう。
「本当は律と二人で帰るはずだったのに……」
金曜日の夜、電話で何度も謝ったものの、まだ根に持っているようだ。
「そんなこと言ったらりっちゃんが可哀想だよ、蒼乃。ほら、学校では独り占めできるんだから」
「今は遥がいるから正確には独り占めではないわね」
「いや、取らんって」
予鈴が鳴る。遥は自分の席に戻っていった。
「でもさすが律に似て美人だったわね」
「私に似ているわけではないけど。それに蒼ちゃんの方が美人だよ」
特に意識したわけではなく、事実を口にしただけだったが蒼乃は薄っすらと頬を赤くした。
「授業前にやめてちょうだい」
「ごめん、他意はなく……」
一年五組の時間割は数学に始まり、数学に終わる。ちょっと上の空な一時間目だった。
◆ ◆ ◆
月曜日は六時間授業であり、ラストを飾るのは体育だった。体育祭が終わり、授業はソフトボールだった。女子の素人が集まったところで、ゲームとしては成立しづらい。特別ルールとしてスリーアウトを取らなくとも、攻撃側が一周したら攻守交代。
球技の中でも運動神経が試されるスポーツだと思う。男子と違って女子は小さい頃に父親とキャッチボールをしたりしないし、バッドを手にすることも滅多にない。
律の運動神経はそこそこである。蒼乃や遥みたいに体育祭で活躍するほどではないが、ソフトボール部員の投げる球をヒットさせるくらいの運動センスはあった。
カキーンと音が響くのも、周りから歓声が響くのも気持ちがいい。
「楽しそうだったわね」
更衣室で着替えながら蒼乃が話しかけてくる。蒼乃はどうにも律以上に意識をしているようで、着替えていると頑なにこちらを見ようとしない。
「体育は好きだから」
数学は得意だけど別段授業が好きなわけではない。体育はおそらく幼稚園の頃から好きだった。
「蒼ちゃんは体育好きじゃないの?」
「そうね……。今日は律と同じチームになれたら楽しかったかもね」
教師が決めたチーム分けだったので、律と蒼乃は別チームだった。
「あたしとりっちゃんのコンビネーションすごかったでしょ」
コンビネーションと言えど、ファーストとセカンドの関係である。律はボールに触りたかったので、ファーストを自ら志願した。大したボールは飛んでこないので、ちょこまか動く律と遥でほぼ守備は完璧であった。
「って、あれ? はるちゃん、何で着替えているの?」
月曜日の遥は、放課後部活があるのでわざわざ六時間目の後に着替えたりしなかった。
「土日が試合だったから今日部活休みなんだよねー。そうだ。みんなでファミレス行こうよ」
「わたしはパスします」
「えー日向冷たい」
遥の奥にいる日向があっさりと断りを入れた。直前のお誘いとなれば仕方ない。
「私は大丈夫だよ」
「さすがりっちゃんだね。蒼乃はどうする?」
「私も行くに決まっているでしょう」
「だよねー。あたしとりっちゃんの二人で行ったら、あたし刺されるよね」
蒼乃はわざとらしくにっこり笑って、何も言わなかった。彼女が犯罪者になるのはごめんだ。
「ひなちゃんはまた今度一緒に行こうね」
「はい。出来れば事前に予定を決めていただけると助かります」
◆ ◆ ◆
学校を出て坂を上がって、道路を渡った先にファミレスがある。ファミレスの中でも安いお店だった。
席順はもちろん、律と蒼乃が二人で座って、向かいに遥が座る。
ドリンクバーとポテトとチキンとピザを頼んだ。律はもちろんメロンソーダを飲む。
「りっちゃんは昔からメロンソーダが好きだねぇ」
遥が呆れたように緑色の液体を見る。初めてメロンソーダを飲んだのがいつなのか覚えてはいないが、気がついた時からこの緑色を飲んでいる。
「では、蒼乃様のご機嫌を取るためにりっちゃんの昔話でもしますか」
遥がチキンを咥えながら言い放った。
「どうして私の昔話を掘り起こすのさ」
「だって蒼乃が知りたいと思って。ねぇ?」
「もちろん。どんな些細なことでも詳細に聞きたいわ」
「嫌だ。やだ、やだよ。そうだ、せめてかっこいいエピソードにしてよ」
遥は首を捻る。「かっこいいエピソードねー」と律の言葉を繰り返していた。
「あれかな。小四の時、男子とケンカして……川田君だっけ、彼をボコボコにしてたよね」
律も覚えている。忘れにくい話である。全然かっこいい話でもない。
「確か図書室の本をどっちが先に借りるかでケンカしたんだよね。蒼乃、気をつけた方がいいよ。いざとなると手の出る女だから」
「出さないよ……。昔の話だよ……。めっちゃ怒られたんだから」
遥が話し始めてから、隣に座る蒼乃の距離が少し狭くなった。テーブルの下で手が触れ合う。
「眉間に擦り傷作ったこともあったね」
「眉間?」
蒼乃が聞き返すと、遥が自分の目と目の間を指す。
「アスレチックで遊んでてさ、落ちたのかな? そこにはロープがあって摩擦で傷つけちゃって。しばらくガーゼを顔面に貼って登校してくるのよ。女の子だよ? 普通顔面に怪我するかって」
小二の時のエピソードだ。律自身は大したことなくケロッとしていたのだが、周りの大人がやけに心配をしてきたのをよく覚えていた。
「律、私は貴方がどんな怪我をしても嫌いにならないけど、できるだけ注意してくれると嬉しいわ」
「いや、だから子供の時の話だから」
さすがにもうそんなやんちゃではない。
「怪我なら小六の時、ハードル走でコケて腕の骨も折ったね。急に先生とりっちゃんがいなくなっちゃうから、残されたあたしたち遊んで待ってたんだよ」
蒼乃が心配そうな顔で律を伺う。あまり心配をさせると部屋にでも閉じ込められそうなのでやめていただきたい。
「牛乳嫌いでしょ。九年間、あたしがりっちゃんの分も牛乳飲んでたんだからね。おかげで骨は丈夫になったけどさー」
「はるちゃんだってニンジンを私に寄越してたじゃん。人のこと言えないよ」
「牛乳は毎日だよ?」
確かに甘えていたのは間違いない。
「蒼ちゃんって嫌いな食べ物あるの?」
「私? 食べられないってほどのものはないけど……しいて言うならキノコかしら……」
「キノコ全般だめなの?」
「ええ。ほらキノコってなんか裏側が気持ち悪いじゃない」
「じゃあキノコが出てきた時は、蒼ちゃんの分、私が食べてあげるねー」
テーブルの下にある手をギュッとする。
「律と遥はケンカとかしたことあるの?」
「はるちゃんとはないよね」
「ないねー。あたしと蓮ちゃんがケンカしたことはあるけど」
「意外な組み合わせね」
遥が景気よさそうな雰囲気で笑った。
「意外じゃないよ。めちゃくちゃケンカしてたからね。主にどっちがりっちゃんと遊ぶかって話なんだけど、向こうが三つ上でしょ。容赦ないのよ。あたしもムキになって返すもんだから大変、大変」
「毎度お姉ちゃんが母さんに怒られて終わりだけどね」
ちなみに今でも二人が会うと、マウントの取り合いみたいになるからやめてほしいと律は思っている。
「律の中学時代はどんな感じだったのかしら」
「中学かー。クラスは一緒だけど部活は違ったからね。ワックスをかけたばかりの音楽室で転んだとかしか印象ないよ」
怪我のエピソードばかりで恥ずかしくなってきた。
「あとはそうねー、あたしも教師ウケは悪くなかったけど、りっちゃんは特別ウケよかったよね。多分どの先生もりっちゃんのこと気に入ってたんじゃないかなぁ」
「そんなことないよ。よく怒られてたし」
「あれは怒ってるんじゃなくてかまってるんだよ。美術の竹之内なんてめちゃくちゃ厳しいのに、りっちゃんにだけ甘かったし」
「それって男の先生?」
「そうだけど……心配しなくても手なんて出されてないよ」
蒼乃がわざとらしくため息をついた。
「八重先生のお気に入りでもあるものね」
「やっぱそうだよね、八重ちゃん絶対りっちゃんのことお気に入りだとあたしも思ってた!」
「ダメな子ほど可愛くなるみたいなやつなのかしら……」
「ダメな子って」
言い返せる成績は修めていないがひどい言われようだ。
「律。絶対に補講は受けないでちょうだい」
痛い痛い。キリキリと手に力が込められる。
「赤点、取らないでね?」
「が、頑張ります」
別にいつも頑張っていないわけではない。ドリンクバーを取りに行きたくて、蒼乃の手を解こうとするが……解けない。
「私も取りに行くわ」
手を引かれる形で律は立ち上がる。遥のも入れてこようかと思ったけど、左手は自分のグラス、右手は蒼乃の手があったのでこれ以上持ちきれなかった。
遥がポテトを食べながら「いってらっしゃーい」と手を振ってくれる。その手にも応えることができない。
「律はまたメロンソーダ?」
「そうだけど」
蒼乃が手を離してくれる気配はないので、律は左手でメロンソーダのボタンを押す。面倒くさかったので氷は足さない。
「蒼ちゃんはまた紅茶?」
「そうね。さっきのがまだ残っているから」
「あのさ、一応言っておくけど、八重ちゃんと何もないからね」
「知ってるわよ。何かあったら通報しているもの」
冤罪で通報されないといいなと考える。
「はるちゃんとも何もないからね。今までも。これからも」
「分かってます」
子供みたいな返しだった。律はどうやったら蒼乃の信頼を勝ち取れるのだろうと思案したが、どう頑張っても無理だと思い諦めた。
来た時と同じように手を繋いで席に戻る。その姿を見て、遥はにやついていた。
「いいねー。堂々といちゃつけるカップル」
確かに校内でも手を繋いでいるし、友達の時のような感覚で抱きついたりしている。キスはさすがにしないけど、多分よくいるカップルよりも堂々と接触を図っていた。
「ふつー女の子同士なんて、こっそり恋愛するものなのにねー。君たちを見てると多様性を実感するよ」
うんうんと納得したように遥は頷く。何に納得したのだろうか。
「幼馴染目線で言わせてもらうけど、りっちゃんを幸せにしてよ」
なんだか重い話だなと律は思う。軽薄なのはよくないが、高校生なのでもう少し気軽でいたい。
「もちろん。生涯かけて愛しますから」
蒼乃に体を引き寄せられる。半ば抱き締められる形となった。
重いかもしれないが、律にとっては心地のよい重みでもあった。




