015 -Aono-
体育祭の打ち上げ会場はカラオケだった。人数が人数なのでパーティールームである。
蒼乃は律を引き連れて、端の方の席に座った。あまりカラオケに来たことはない。律、遥、日向との四人で遊ぶ時くらいしかない。歌が苦手なわけではないけど、人前でわざわざ歌いたくはなかった。
だから、今日は宣言通り律の見張り役に徹するつもりだった。二人の交際に祝福ムードなクラスではあるが、律に思いを寄せていた生徒がいることを蒼乃は知っている。
「蒼ちゃんは何飲む?」
「烏龍茶で」
もはやメニューを見ていなかった。
飲み物と誰かが適当に頼んだと思われる揚げ物ばかりの皿が並べられていく。
「おっと、間に合った〜」
一度家に自転車を置いてきた遥が滑り込みで入ってきて、律の隣に座った。男子が来るよりはずっといい。
「みんな、体育祭お疲れ様!」
初めにマイクに声を通したのは、一年五組のクラス委員長である宇井寛介だった。百八十センチを超す長身で、言わずもがなバスケ部である。
委員長の短い挨拶が終わり、騒ぎたいグループの男子たちが曲を入れていく。
「蒼ちゃん、あのね」
律が耳打ちしてくる。歌声で聞きづらいからそうしているのだろうけれど、蒼乃にはクリティカルヒットだった。
「メニューにハンバーグなかった! こんなに揚げ物はたくさんあるのに」
色眼鏡で見て可愛かった。そして、ふと思った。ハンバーグと蒼乃のどっちが好きなのだろうと。今は聞かないことにした。
「蒼ちゃんも食べなよ」
律がケチャップをつけたポテトを蒼乃の口に持ってくる。「ありがと」と言って口にポテトを含んだ時、カメラのシャッター音が鳴った。
「遥、あなたね」
「いいじゃん、思い出はたくさん残そうよ」
「ちゃんとあとで送ってちょうだい」
「はいはい、グループに送っておくよ」
蒼乃はテーブルにあったたこ焼きを一つ手に取った。運んでこられたばかりだというのに冷めていた。
遥のもとにデンモクが流れてきた。遥は慣れた手つきで曲を選択する。続いてデンモクは律の手に渡った。
「どれにする?」
律が画面を見せてくる。
「一緒に歌う?」
「私はいいわよ。あまり曲も知らないし」
「蒼ちゃんの知ってる曲でいいよ。ドラマの曲とかなら知ってるかな。これとかどう?」
蒼乃も知っている曲だった。おそらく前回カラオケに行った時、蒼乃が歌った曲だと思う。
「あ、でも嫌なら無理しなくていいよ」
少しだけ蒼乃は考えた。歌いたくはない。しかし、彼女のお誘いである。断りたくはなかった。
「一回だけなら……」
そもそもこの人数だ。一人一回歌えれば十分である。
「ありがとう、蒼ちゃん」
無邪気な笑みを見れば、人前で歌うくらいどうってことない。
「日向から写真きたよ」
遥がスマホをちらつかせる。体育祭の写真のアルバムができているようだ。クラスメイトの歌声を聴いているだけでは暇なので、蒼乃のスマホで律とアルバムを眺める。
あまり体育祭に乗り気ではなかった日向だが、写真は誰よりも撮っているようだ。
「走ってる蒼ちゃんかっこいいね。あんなに蒼ちゃんが足速いなんて知らなかったよ」
ふと、ご褒美のことを律は覚えているのかなと考える。
「律」
「ん、何?」
「……いいえ、なんでもないわ。足はね、昔から速かったの。徒競走はいつも一位だったわ」
リレーの選手としても毎年選ばれていた。
「それなら陸上部からスカウトきたんじゃないの?」
「まぁね」
足の速さだけではなく、タッパもある蒼乃。バスケ部からも勧誘があった。ここだけの話、遥からもたびたび冗談半分の勧誘を受けている。
「蒼ちゃんって中学も帰宅部だったの?」
思い返せば、中学の部活について話したことはなかったかもしれない。蒼乃も律が何部だったか知らない。
「中学時代は剣道をやっていたわ」
「えー! すごい! かっこいい! 何で高校では入らなかったの?」
「だって防具が臭いんだもの……。一度入ったからには三年間続けたけど、剣道はもういいかな。やれるなら弓道も憧れたけど……学校を選ぶじゃない」
「でも着物姿の蒼ちゃん、絶対素敵だろうな〜」
「着物なら夏に浴衣を着たじゃない」
律のうなじは破壊的だったと言っておこう。
「着物は着物でも浴衣と弓道着は違うでしょ。弓道着の蒼ちゃんはかっこよくて、浴衣の蒼ちゃんは可愛い」
「もう。浴衣しか見たことないくせに」
そう言う蒼乃も弓道着姿の律を想像する。場の雰囲気で凛々しくはなるだろうけど、やっぱり可愛い。
「あのね、私もロック画面変えたの」
おそるおそると律がスマホを取り出して、電源ボタンに触れた。そこに映っていたのは、いつ撮られたかも分からない蒼乃の横顔だった。
「何これ。隠し撮り?」
「文化祭の準備中に撮ったやつだよ」
「いや、でも隠し撮りでしょう」
「いーじゃん。こんなに綺麗に撮れたんだから」
「それなら私もロック画面変えようかしら」
蒼乃は秘密のアルバムを開いて、内一枚の写真をロック画面に設定し、律に見せた。
「それこそ隠し撮りじゃん!!」
律が昼休みに寝ていた時のものである。何の夢を見ているのか、幸せそうな寝顔をしている。
「やだやだ! めちゃくちゃ恥ずかしい、それ」
「当分は変えません」
思わずスマホ画面にキスをしたくなる。これが自室で一人ならキスしてる。
「また二人でいちゃいちゃして〜。何の話してるの?」
別のクラスメイトと話していた遥が戻ってきて話に加わる。
「スマホのロック画面の話だよ。はるちゃんは何にしてる?」
「あたし? あたしはねー、味噌汁だよ」
蒼乃はお椀に入った茶色い汁を思い浮かべる。具は豆腐とわかめだ。
「ほら、可愛いでしょ」
見せられたスマホ画面には、茶トラの猫がいた。
「あたしとりっちゃんの家の近くに出没する猫ちゃんでね、みんなで味噌汁って名前つけたの」
随分と変わったネーミングセンスだと思った。でも言われてみれば、確かに味噌汁模様に見えてくる。
「可愛いんだよ〜味噌汁。おやつあげる時だけスリスリしてくれるの」
「でもみんながみんなしてご飯とかおやつあげるから、最近丸々してきちゃったんだよね」
いいな、と思った。猫がではない。律と猫を可愛がるというシチュエーションがだ。蒼乃はあまり動物に興味はないが、猫を可愛がっている律は絶対に可愛い。
「蒼乃」
律を跨いで遥のスマホが蒼乃に渡される。『味噌汁』と名付けられた写真フォルダ。一覧を見た瞬間に分かる。猫と一緒に律が写っている。
自由に見てよさそうだったので、蒼乃は一枚ずつ写真をスライドしていく。本当に自分の彼女は可愛い。
しかし、何枚もスライドしていくうちに疑念が浮上してくる。時たま律と写っている見知らぬ少女は誰だろう。こげ茶のミディアムヘアの女子高生。制服は隣の学校の私立英鈴高等学校のものだ。
「律、これって……どなた?」
あまり重たい女にはなりたくないと思いつつ、やっぱり気になったので聞いてみた。
「あー絢先輩だよ。私とはるちゃんの中学時代の先輩。家が近いからたまに会うんだよね」
律の周りの人間の情報は、きっちり頭に入れる蒼乃。もし会うことがあれば、きちんと挨拶をしようと決める。
遥から「そろそろスマホ返して」と言われるまで律の写真を堪能した。あとでこっそり何枚か送ってもらうようにお願いしてみよう。
カラオケの順番がどんどん回ってきて、ついに遥から律にマイクが渡る。もう一本のマイクがどこにあるか分からなかったので、蒼乃は律一人に歌ってもらおうと着席したままでいたが、腕を引かれて立ち上がった。
「一緒に歌うって言ったでしょ、蒼ちゃん」
曲が始まって律が歌い始める。再び腕を引かれ、マイクを傾けられる。拍手が起きた。二本目のマイクを持っているだろう人物も空気を読んだのか、追加のマイクは回ってこなかった。
自分が歌うことよりも、律の歌声を聴くことを優先したのでデュエットとしては聴き苦しいものになってしまったかもしれない。蒼乃としては評価の低い歌唱だったが、歌い終わった時は拍手喝采の嵐だった。
ほとんどが未だに文化祭の熱にまだ浮かされているだけだと思うが、盛り上がるのは蒼乃にとっては好都合だった。公開告白を選んだのも、押しに弱い律を押すためだ。
「アイザワさんはアイザワさんのどこが好きなんですか?」
曲を一時停止にしてまで、誰かが叫んだ。するとまた誰かが「両方ともアイザワだろ」と言った。
「では、難しい方のアイザワさん!」
「私ですか」
拍手が湧くので答えないという逃げ道はなさそうだった。それと体面というものもあるので、「顔」と正直に答えるのも憚られた。
「いつも私を幸せにしてくれるところかしら」
律に聞かれた時とは違う回答にした。律の頬がほんのり赤くなる。
「続いて、簡単な方のアイザワさん!」
律が「簡単って言わないで」とお決まりの返答をしてから、「えー」と小さく唸った。蒼乃もドキドキしながら彼女の言葉を待つ。
「好きじゃないところがない、かな」
場が盛り上がる中、蒼乃のテンションも上昇する。表には出さないけど、とても嬉しい言葉だった。
「えへへ、照れくさいね」
照れる彼女が世界で一番可愛くて好き。
◆ ◆ ◆
蒼乃とは違うグループの女子が、公開告白を受け、盛大に振ってからしばらくしたところ。
「ちょっとトイレ」
と言って、律が席を立つ。蒼乃も帰る前には行きたいと思っていたので、「私も」と一緒に席を立った。
カラオケのトイレとは小さいものなので、律、蒼乃の順で入る。部屋も遠くないので先に戻っているかと思ったが、律は律儀に廊下で待っていてくれた。
「先に戻ってくれてよかったのに」
「ちょっと騒がしいの疲れちゃったから」
「それなら……」
蒼乃は確かあったはずと、律を連れて外階段に出た。ここまではさすがに喧騒は届いていない。
「今日は疲れたわね。さすがに筋肉痛きそうだわ」
「蒼ちゃん速かったもんねー」
ご褒美のために頑張っただけだ。クラスのために走ったのではない。
「あ、蒼ちゃんっ!」
少し焦った声が蒼乃を呼ぶ。
「あの……ちょっと恥ずかしいから、……目瞑ってくれる?」
いろいろ考えたいことはあったが、蒼乃は気持ちを無にして目を閉じる。輝いていた世界が真っ暗になった。
ふわっと律の香りがして、左頬に柔らかい感触があたった。
合図はなかったけど、律が至近距離から離れた気配がして蒼乃は目を開けた。そこには耳まで真っ赤にして、おもむろに髪をもじもじと触っている律がいた。
「改めて一番おめでとう。……その、蒼ちゃんすごくかっこよかったよ」
「ありがとう」
誰もいないのをいいことに、蒼乃は可愛い彼女を抱き締めた。暑苦しい夜でも気にしない。
「律、このまま二人で抜け出さない?」
ナンパ男みたいな台詞が出てきた。
「荷物が部屋の中だよ」
そして、真っ当な理由で断られてしまった。
「でも、もう少しこのままがいいかも」
律の腕が蒼乃の背中に回される。二人は遥が探しにくるまでそこにいた。




