第七十話 方向を定めて
「調子どう?最悪な気分?」魔王が私の顔を覗き込んで聞いてきた。
「記憶が殆どないから何とも言えないわ」記憶を確かめるけどほとんどの記憶がない。今ここにいるまでの間に何かあったということは分かるけど、それ以上は思い出せない。
「ははは、そうだね。覚えているのは羅針盤くらいかな?」
「その羅針盤ってなんなの?」覚えている単語は羅針盤。そしてここにくるきっかけになったのも羅針盤。何か関連性があると踏んでいいだろう。
「羅針盤は本来世界がどれだけ均衡かを表す機械なんだよね。今は転移用として発掘されているけど」上手く躱されているような気がする。核心を話していないけど、本当の事を言っているような感じだ。
「それだけなの?もっと重要なことがあるんじゃないの?」
「うーん、話したいんだけどリーダーがね」苦笑いをしながら魔王は髪で遊び始めた。
「そのリーダーは何て名前?組織の名前は?と言うか貴方の名前は?」彼女は私の事を知っているが、私は彼女の事を知らない。
「私の名はアタナシア・フォーズ・コントレクス。リーダの名はゼロ・ブレイク・ワールド」頭を下げながら彼女は自己紹介をした。
「ゼロって名前の偉人は聞いたことが無いわ」記憶魔法を使って自分の記憶を探ってみるが心当たりがない。同時に嫌な記憶が呼び覚まされるから使いたくないんだけど、今はそんなことを言っていられない。
「当たり前でしょ。さっきの禁断の魔法が使われるまで封印されていたんだから」
「もしかしてさっきの魔法って,,,」自分がしたことの大きさに血の気が引く。
「そ、私たちのリーダーを開放する魔法。ま、それはもっと前に発動してたから安心して」アタナシアは気遣うように言葉をくれた。
「それで組織だけど、変革組織『禍福』、リーダーはゼロ、正式な所属メンバーは七人。私は四番目」彼女はそういって服をはだけさせ、鎖骨に『Ⅳ』と彫られたマークを見せてくれた。
「禍福、聞いたことがない組織ね」血の気が戻った私は思考を巡らせていく。聞いたことが無い理由は複数考えられる。
変革組織であれば表立った活動は出来ない。後は禁断の魔法で封印されたことを真に受けるのであれば存在自体を抹消されている可能性があるし、そもそも組織と言うのは嘘で騙す為の物かもしれない。
「ブレイクと同じ思考をしているね」
「ホント?最悪ね。あんな単純な奴と同じにされるなんて」
「辛辣だねぇ~。で答えは見つかったかい?」彼女はお腹を抱えて笑った後、真剣な顔をして聞いたきた。
「いいえ。羅針盤も禍福も分からないわ。それに仲間っていう能力も聞いたことがないからお手上げ」ため息を吐きながら降参する。一気に頭を使ったから疲れちゃった。
「正直だね。う~ん、ブランはこのこと誰にも話さない?」
「話したら殺すでしょ?」ラフな状態になっても目の前にいるのは魔王。気に食わないことがあれば刈られる。最善の手とまでは行かなくても悪手だけは打たないようにしないと。
「殺しはしないけど、大切な人は殺すかも」笑顔だけど、目の奥が笑っていない。どこまで見られたか分からないけど、ブレイクとアクセルは確実に殺されるだろう。もしかしたら交差点で出会ったあの三人も含まれているかもしれない。
「覚悟がない人間に聞く資格は無いってことね」腹を括ってアタナシアの目を見つめる。決意と覚悟で燃える両の瞳。並大抵のものじゃ弾かれて終わる。でも探求心が貫きたくって疼いている。
「どうやら決まったようだね。じゃあ教えるよ、ブレイクに伝えた事と、羅針盤について」彼女から語られたのはこの世界の構造について。ここら辺はブレイクが見せたから本題のことを教えるわ。
羅針盤は確かに世界の均衡を見る装置で間違いない。でもどれだけこれは自由と束縛がどれだけ世界に蔓延っているのかを推し量るものだ。簡単に言えば法律がどれだけあるのかを見る感じだ。
法律が少なければ自由が多いことになるし、多ければ束縛が強いことになる。これがいい塩梅になるように羅針盤が一つの指標となっていた。
使える人物は八強に名を刻んだもの。彼らだけがこの真価を使うことができる。使用条件を満たしていない弱者は転移と言う形でしか扱うことができない。それで使う人間は現状を見ることができる。何がどれだけ多いのかを。
そして選択をすることができる。自由を手にするか、秩序を手にするか。選んだ人物はそれ相応の道を歩むことになる。
世界に人間やエルフ、ドワーフなどの亜人が多くなると、束縛が少なくなる。だから必然的に魔王が生まれたり大災害が発生する。逆に人間が少なくなれば、豊作の年が来たり、勇者が現れモンスターを打ち倒した。
でも今は完全に破壊された。度重なる禁断の魔法に想像神の追放。自由と混沌が入り混じり、束縛と秩序が身を潜めた。八強もこの世界を見限り、崩壊する時まで楽しんでいる。
でも傍観や達観している人間が全てじゃない。立ち向かう者もいた。それが変革組織の禍福。禍福は今を生きる人間を傷つけないで管理者に挑む。中にはモンスターもいる。互いの理想郷を得るために。
結果は惨敗で禍福は事実上の解散。能力も封印された。でも完全に諦めたわけじゃない。世界各地で力を付け、ゼロの復活を待った。そして禁断の魔法が使われゼロが解放され、今に至るというということだ。
「にわかには信じがたいけど、信じるしかなさそうね。ていうかなんで急に話してくれたの?」ひと段落着いたところでアタナシアに聞く。この話をする前はリーダーがと口を噤んでいた。
「変革の時が近づいてきてるから。仲間は多ければ多いだけ事を有利に進められるのさ。管理者に敗れた瞬間に気が付いたよ」彼女はそういって近くにあった金の盃に酒を入れ呷った。
「私は禍福に入らないわよ?」
「え~。ここまで教えたんだから入ってよ~」彼女はまた盃に酒を入れ、呷った。一回目よりも酒の量が増えているのか、床に大量の酒が零れた。
経験則から考えられることは一つ。アタナシアは怒りが溜まっている。爆発寸前の爆弾だ。穏便に解決するためには禍福に入るか、それ以外の方法か。後者は互いの間柄を知らないと不可能だ。気に入らなければ暴れて死ぬこと間違いないだろう。
「本当に入らないの?」緋色の目が光る。獲物を見つけた狩人の目だ。手に持っていた酒瓶もいつの間にか大剣に変わっている。折れなければここで散る。
「,,,,,,,,,,,,,,,入るわ」深く考え込み、言葉を出す。理由はたくさんあるが、ここで死ぬことだけは避けたい。
「ありがとう!ブレイクは駄目だったけど、君はそういってくれると思ったよ!だから羅針盤の事も教えたんだ!」かわいらしい笑顔の中に邪気と不気味さが混じり込んでいた。
「それで加入したけど、何かすることはあるの?」半ば強制的に入った組織だけど、やることはやらないといけない。何が死に直結するか分からない。
「今は特にないよ。と言うかこの加入は仮のもの。リーダーを騙す為の手続き。だから禍福には入ってないよ」彼女はあくどい笑みを浮かべた。それは父親とか、家族を騙せたときに見せる笑顔で、悪意とかは無かった。
「それを早く言ってよ~」体から力が抜けていく。さっきまで緊張状態だったから余計に力が入らない。迫真の演技過ぎる。心臓に悪い。
「ほら、もう立てなくなっちゃった」床にへたり込んで笑う。ここまで来たら友人として接した方がいい気がしてきた。向こうもそれに気が付いたのかさっきよりもラフな雰囲気を纏った。
「ははは、ブランもブレイクも面白いね。全員がこんな感じだったら理想郷が手に入ったのかもね」アタナシアの顔には少しだけ憂いの感情が張り付いていた。大剣を握る手も少しだけ震えている気がする。
彼女は魔王だ。でもその前に人を救う勇者だった。さらにその前は理想を追う一人の人間だった。慰めの言葉をかけるのに理由は必要だろうか。束縛の無いブレイクだったら絶対にこうする。
「力になれるか分からないけど、その時が来たら尽力するから,,,よろしくね、アタナシア」彼女の手を取る。過去のブレイクがそうしたように、優しく、でも力強く握る。
「本当に変わってるよ。君たちは,,,」大粒の涙が床に落ちる。
「だから、挫けないで生きていられるのかな」さらに大粒の涙が頬を伝って落ちる。今目の前にいるのは健気な少女一人だ。
「いつか終わりが来るその時まで、生きて、いても、いいの、かな,,,?」声を上ずらせながら泣く彼女は本当に魔王なのか疑いたくなる。本当は彼女をこうした世界が魔王なんじゃないかって思うくらい。
「当たり前でしょ。というか終わりなんて来ないわよ。理想郷が楽しくて仕方なくなるんだから」
「禍福も、君の仲間も、みんな、笑顔になれるのかな?」
「笑顔じゃすまないかもね。馬鹿過ぎて口が裂けるわよ」まだ見た事の無い人間たちの事を想像する。なんでか分からないけど、ブレイクとか、アクセルとかが中心になって騒いでいる。
「なら、もう少しだけ、もう少しだけ、私は悪として生きるよ」涙をぬぐいながら彼女は宣言した。
泣き終わったアタナシアと話したのはこれからの事。でも重要な話じゃない。どれだけ身内が馬鹿なのかとか、どんな人間がいるのか。理想郷はどういうふうにするのかとか、そんな他愛も無い話だ。
方向は決まった。世界を取り戻すために戦う。そのために少しなら無茶をしていいと思えた。仲間のためなら身を投げ出せる。身を挺して守ることができる。
ブレイクのあの背中の意味がようやく分かった気がした。凄い人になるってのは___案外簡単なことなのかもしれない。




