過去(14)
窓の外の弱々しい、今にも掻き消えそうだった陽光が徐々に闇を押し出し、空の色をオレンジ色へ、やがて世界を光溢れる地へと変えていく。小鳥が囀り朝が来たのだと湊に伝える。
もう涙は乾いており拭う必要はなかった。
何かを振り切るようにソファから立ち上がり、この数年ですっかり使い慣れたキッチンへ向かう。もういつも朝食の支度を開始する時間になっていた。
米を研ぎ、炊飯器にセッティングし、浸水する間にありあわせの野菜とこんにゃく、豚肉を冷蔵庫から取り出した。まずは野菜の下処理だ。
料理を独学で始めてわかったことがある。毎日決まった時間に手を動かすことで心身のリズムが整う。母はいつも鼻歌を歌いながら作っていたのは、その感覚が心地良かったというのもあったのだろう。
規則正しいきちんとした暮らしが健やかな心身を保つ。外食ばかりの日々から自炊に切り替えそれを実感していた。このニ年、何気ない日常こそが自分を支えてきてくれたのだ。決して犯人や理不尽な運命への復讐心などではなかったと今なら実感できた。
唯一残念なのは俺たちのジェラート屋で初めてバニラを食べた時のように、不味いわけではないのだが、美味しく感じないことだろうか。材料や分量、手順を間違っているわけではないのになぜなのか。
渚とともに母を手伝って作った料理を並べ、父を加えて家族四人で囲んだ食卓。その味を再現したくて、今日こそは、今日こそはと数え切れないほど挑戦しているのにいつも味気ない。
今朝は夢で見た最後の晩餐の豚汁を再現しようと、十七年前の記憶を頼りに調理を進めていく。その間に天野が目を覚ましたようで、恐る恐るキッチンを覗き込んできた。
土下座する勢いで謝罪される。
「せっ……先日は大変申し訳ございませんでしたっ……!」
申し訳ないどころか天野には随分と救われている。むしろ礼を言いたかった。
「それより、朝食にしましょう。顔と手を洗ってきてくれますか?」
誰かと朝食を共にするのは何年ぶりだろう。なんとなく心が弾む。
天野が洗面所へ行くのを見送り再び豚汁を煮込む。早炊きにしておいたご飯もいい具合に炊けたようだ。蒸気が豚汁のゴボウの香ばしい香りと入り混じっている。
二人分の椀に豚汁を盛り付け、天野には胃もたれ対策にアロエ入りのヨーグルトドリンクも用意する。
その後ダイニングテーブルに料理を並べていると、天野が戻ってきたのか声を掛けられた。
「東海林先生、石鹸とローションとタオル借りました。ありがとうございます」
「ああ、ちょうどいいところに来ました。ご飯はどれくらいの量にしますか?」
次の瞬間、不意に「ふふっ」と嬉しそうに耳元で笑われたので目を見開いた。
渚の声だった。同時にふわりとそよ風が吹き抜けた気がした。
思わず顔を上げその姿を探す。
「渚……?」




