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イケメン推理小説家の今日の献立  作者: 東 万里央
最終話「コンソメ仕立てのロールキャベツ」
80/85

過去(12)

 目的のアクアリウムバーは予想通り混んでおり、テーブル席はほぼ全席埋まっていた。全体的に若いカップルや友人連れが多い。 

 

 ただこの場を楽しむだけの、とりとめのない会話や止まないポップなBGMとは対象的に、周囲に設置された巨大な水槽はタンザナイトにも似た青紫の光に照らし出され落ち着きがある。水中を泳ぐ魚の動きがゆったりしていることと店内の薄暗さもあり、深い海の底にいるような錯角に陥る。


 こんな夜にちょうどいい店だ。盆を手にしたウェイターに声を掛けると、中央のカウンター席を勧められた。幸い、そちらの席はまだ空いている。


 そのうちの一席に腰掛けていた頭頂部にシニヨンをまとめ、カジュアルな服装の女性が何やら隣の男性と揉めている。その小柄な後ろ姿に見覚えがある気がした。


 あいにくバーテンダーは接客で忙しいのか姿がない。例えカップルの痴話喧嘩であっても、特に男性が酔っている場合、暴力沙汰に発展しやすい。万が一の事態に備えいつでも対応できるよう、呼吸と気配を殺してカウンター席へ向かった。


「ちょっと、やめてよ! この無駄に万年発情期のセクハラ変態ロリコンオヤジが! 寄るな! 触るな! ウザい! キモい!」


 男性であればなかなか傷付く罵倒である。可愛い声であるだけになおさら胸を抉る。そして、その声にも聞き覚えがあった。


 まさかと思いながらも間に割って入ろうとした次の瞬間、女性が立ち上がり、バランスを崩して背から倒れそうになる。


 素早く抱き留めると彼女は驚いたように顔を上げて目を瞬かせた。


「しょっ……東海林先生!?」    


 やはり天野だった。


 ひとまずナンパ男を追い払い落ち着かせるためにスツールに座らせる。


 なんでも大学時代からの恋人である愛しの悠人クンに振られてしまったのだとか。今夜は先輩のツケでやけ酒を飲んでいるのだという。


 天野はボロボロ涙を流し、時折鼻を噛みながら愚痴った。なるほど、絡み酒の泣き上戸体質らしい。


「悠人クンの浮気者! イケメン! 人でなし! あ~ん、でもやっぱりイケメン! どうしてすっぱり嫌いになれないの……って、仕方ないじゃないあの顔ど真ん中で好みなんだから~!」


「あ、あはは……」


 ドン引きす……いや、いっそ清々しいほどの面食いである。また、こんな時でも一人ボケツッコミのお笑い風味だった。


 この分ならきっとすぐに立ち直れるのではないか。彼女にはそう信じられるエネルギーがあった。よしよしと宥めつつバーテンダーに前菜盛り合わせを頼む。


「天野さん、おつまみも食べましょう。チーズなどの乳製品は二日酔いを防ぎますよ」


 苦笑しつつも天野の世話を焼いていたのだが、途中、店に入る前まであった息苦しさを、その時になるまで意識せずにいられたことに気付く。終わりのない暗いトンネルを一人歩き続けていたつもりが、いつしか彼女の世話を楽しんでいたことも。


 なぜかと自分に問い掛けたのと同時に、天野が噎せてうっと口を押さえる。


「天野さん、どうしました」


 涙目の天野に事態の深刻さを察する。


 まさか吐きそうなのか。


「……!」


 なりふり構っている場合ではない。あの飲みっぷりでぶちまけた場合、腐乱死体の発見された真夏の事件現場並に悲惨な事態になる。何せ胃の中でアルコール、チーズ他おつまみ各種、胃液が混じり合い、更に体温でほどよく温められて、恐怖の混合物Xと化しているに違いないからだ。


 血相を変えて天野の背と膝裏に手を回し、抱き上げてまっしぐらにトイレに向かう。


 恥ずかしいなどとは微塵も感じなかった。

 

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