過去(3)
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今夜は店の前で天野と待ち合わせている。
サンダース行きつけの寿司屋は、東京名物の某タワーが見える、大通りの裏のそのまた脇道の奥にひっそりと佇んでいた。
古びた瓦の軒にくすんだ白塗りの壁、格子戸は長年かけて染み込んだ湿気で黒ずんでいる。大木を輪切りにした看板には「寿し銀」と極太の筆書きがされていた。達筆ではないが味のある字だ。
以前ハリウッドの人気俳優がお忍びで訪れたとネットで話題になり、現在は数ヶ月前から予約を入れなければ店に入ることもできないのだという。今回、天野はサンダースの計らいで特別に席を用意してもらったのだとか。
「……」
湊は看板を見上げて溜め息を吐いた。
まずい。ますます借りが増え断りにくくなってきた。妹の渚を探し出し、両親の無念を晴らしたい。その一念しかなかった頃には何者にも流されるなどあり得なかったのに。警察官時代の部下には他人にも自分にも厳しく決して譲らない、近寄りがたいと評価されていたほどだ。
なのに、渚を手に掛けた連続殺人犯が逮捕され、ようやく発見された渚の遺骨を東海林家の墓に入れ、小説を書ききってしまって以来、魂を抜かれたように腑抜けになっている気がする。それ以上に──
「あれっ、東海林せんせ~い! 早いですねえ~! そんなにお寿司楽しみだったんですかあ~!?」
「あ、ああ、はい。久しぶりなので……」
天野のエネルギーに毎度負ける。鬼警視と部下に恐れられていた自分がだ。
この逆らいがたさは誰かに似ている。一体誰だったかと首を傾げてはっとした。
そう、元上司、つまり警視総監の妻にして身内としても世話になった響子だ。ならば、勝てるはずがなかった。
それにしても、なぜ天野はこうも元気なのか。確実に若さから来るものだけではない。全身から太陽のようなオーラを発していて、眩しいを通り越してほどよくコンガリ焼かれてしまいそうだった。
天野は湊を見上げニッコリ笑うと、露出狂よろしくトレンチコートの合わせ目をぱっと開いてみせた。
「東海林先生、見てください! 今夜はバッチリキメてきたんですよ! どうでしょう、似合いますか?」
普段はレギンスパンツにTシャツ、Gジャンばかりなのだが、万を超える寿司屋なのだからとお洒落をしてきたのだという。ベージュにフリルのあしらわれた可愛いデザインで天野によく似合っていた。今日は髪型もシニヨンではなく緩く巻いて下ろしている。
「ええ、よくお似合いですよ」
「ありがとうございます!」
顔中で笑うあの満面の笑みを浮かべる。
「去年のデート以来全然着てなくて、元獲らなきゃと思っていたんですよ」
「デート?」
と言うことは、恋人がいるのだろうか。
天野が頬を押さえて一人ノロケる。
「あっ、やだっ! 今の聞かなかったことにしてくださいっ! ムフフ、悠人君も永夢が世界で一番可愛いって褒めてくれたんですよお~」
聞かなかったことにしてほしいのか、聞いてほしいのかどっちだとツッコミたくなのを堪える。同時に、残念だと感じているのに気付いて目を瞬かせた。
「……?」
「東海林先生、どうしました?」
「そろそろ時間ですし入りましょうか」
「あっ、そうですね。お寿司、お寿司♪」
最近何が正義なのかも価値観もあやふやになっているがゆえの気の迷いだろう。そう自分に言い聞かせて天野に続いてのれんを潜った。




