過去(1)
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担当編集者の安藤が三月に退職し、Uターンすると聞いたのは、一年前の年始の打ち合わせの最中こと。長崎の実家の家業を継ぐのだという。
安藤は全国チェーン店のカフェのうまくも不味くもないブレンドコーヒーをずずずと啜った。
「まあ、父が地元の名士ってやつなんですよ。俺も四十だし、そろそろ潮時かと思いましてね。今まで好きにさせてもらいました。先生のおかげで念願のベストセラー作も担当できましたし」
「そうだったんですか。残念ですね……」
安藤にはデビューから世話になっただけに名残惜しい。とはいえ、自分にとっても潮時いいだとも捉えていた。
もう小説を書ける気がしなかったからだ。すべてを吐き出してしまったからだろうか。心にぽっかりと穴が空いているばかりだ。次回作を最後に筆を折るつもりでいた。
その意思を伝えようと口を開く。
ところが、安藤に話を切り出すタイミングを奪われた。
「それでですね、担当の引き継ぎをしたいと思いまして」
「引き継ぎ、ですか」
「はい。一度顔合わせの機会をいただければ。あっ、ちなみに天野という二十代前半の女性です。好みは人それぞれでしょうが、なかなか可愛いコですよ。振り回してくれそうで、俺は結構好きですね」
「若い女性ですか……」
期待していた反応ではなかったのだろうか。安藤は眼鏡の向こうのギョロ目をギラリと光らせた。
「東海林先生……俺より若いしイケメンなのに、なんでいつもそんなに枯れてるんですか。霞だけ食って生きてますって顔しちゃって。悟りを開くには早すぎますよ」
「枯れて……いますかね」
「枯れていますよ。三十代なんて一番オラオライケイケワクワクテカテカしていい時期でしょう。まあ、三月までにご都合よろしい時間を教えていただければ」
「……」
浮かない顔になっていたのだろうか。安藤は何を勘違いしたのか、「仕事はできるコですよ」とフォローを入れた。
「俺が保証します。あと、ヤツの最終面接が社内で伝説になっていまして」
「伝説?」
青雲館の内々定に至る最終面接では社長、副社長のいずれかが立ち会う。
「で、社長がこの子は絶対に取れ!って人事に推して、まあ、その鶴の一声で決まったとの噂です。プレゼンが無茶苦茶面白かったそうで。内容は本人に聞いてください」
安藤はプレゼンの内容がよほど面白かったのか、話しながら途中ぷっと吹き出した。
つまり、期待の新人なのだろうか。ならばなおさら今辞めると言わなければ、引き継ぎ準備もあるだろうからその女性にも悪い。
「安藤さん、申し訳ないのですが──」
ところが、今度は高く澄んだ、弾むような明るい声に話を遮られた。
「あれっ、安藤さんじゃないですか~!」




