のどぐろ県兼六園市(1)
第二話開始!
小説を出版し、読者の手に渡るまでにはいくつかのステージがある。
まず、編集者が企画を立て、企画会議で通った場合、小説家に執筆を依頼する。
その後小説家が書き上げた最初の原稿を初稿と呼ぶ。初稿はほぼそのまま使われることもあるが、大抵の場合何かしらの矛盾点や、商業化するに当たって不適切、もしくは面白くない設定、展開を修正する必要がある。この作業を改稿という。
改稿がある場合、特に人気小説家の作品やミステリーの場合は、担当編集者だけではなく数人の編集者に編集長、時には編集部全体で初稿をチェックし、相談し、改稿案をまとめる。
東海林のシリーズものの新作も例外ではなく、永夢は昨夜改稿案と赤字を入れた初稿のファイルを東海林にメールで送信した。その後東海林から一度話したいと連絡があったので、永夢から電話を掛けたのだが──
「先生、メールのお返事をありがとうございます。改稿案は確認していだけましましたか?」
『ええ、一点を省いてどれも納得できるものでした』
「編集部で確認しましたが、事件と推理にはなんの矛盾もありませんでした。さすがです。いくつかエピソードを付け加えた方がいいと思う点と、キャラクターの設定についてご提案がありまして」
『はい、エピソートについては理解できるのですが……』
東海林の声に戸惑いが混じる。
『キャラクター設定について質問が。主人公のライバルの鷲尾ですが、"鷲尾を探偵としてだけではなく恋のライバル、つまり当て馬にもしてください"とは一体どういうことでしょう』
「当て馬とは恋愛ものには必須要素です! 東海林先生の小説には恋愛要素もあるでしょう」
恋愛要素を入れろとはもちろん永夢の提案だった。効を奏したのかどうかは不明だが、東海林のミステリーシリーズ「神楽に解けない謎はない」は女性にも人気である。
『確かに恋愛要素は入れましたが……』
「先生、よろしいですか。クール系と熱血系、二人のイケメンに取り合われるって女の夢なんです」
『……』
東海林の沈黙にもまったくめげずに、永夢はデスクに身を乗り出し鼻息を荒げた。
「とにかく、騙されたと思って一度書いてみてください! 損はさせませんから!」
結果、哀れな鷲尾を当て馬とすることを約束させたのだった。
電話を切り達成感で一杯の永夢に、斜め前の席の錦戸が声を掛ける。
「いやあ、よくやるよ」
呆れ半分、感心半分といった顔だった。
「お前ってイケメンへの愛で生きてるって感じだな」
「でも、永夢ちゃんの読みって結構当たるからね」
錦戸の二つ右隣の三上──永夢の三年上の女性編集者がパソコンを打つ手を止める。
「しかも、データで読み切れないところ」
三上は文芸では一番の美人だ。肩に掛かったゆるやかに波打つ髪と、丁寧にルージュの塗られた唇が女性らしい。服装が自由な編集部において常にスーツにヒール付きのパンプスで、そのキリリとした姿が逆にそそると男性から人気だった。
もちろん、永夢は社内人気女性ランキングでは「俺はロリ趣味はないから」と常時選外である。
「ああ、確かに」
錦戸はデスクに頬杖をついた。
「天野はその辺の直感は鋭いよな。直感っていうか嗅覚か」
「ちょ、人を犬扱いしないでくださいよ」
永夢は抗議しつつも腕時計に目を落とした。
「五十七秒、五十八秒、五十九秒……。よし、帰ります!」
午後六時、青雲館の退社時間である。
もちろん、普段は長い、短いの違いはあるものの残業しない日の方が少ない。だが、今日は是が非でも帰らなければならなかった。
「あら、永夢ちゃん、今日は定時? ああ、そうだった。従姉の結婚式があるって言っていたかしら」
「そうなんです。明日だから今日中に帰らなくちゃいけなくて。明日の十一時から十五時頃までは電話を取れないので、連絡はLINEかメールでお願いします」
もうじき三十歳になる従姉の美羅が「三十歳までには結婚する!」との意気込みで、凄まじい婚活の末についに滑り込みセーフで年貢を納めたのだ。担当の小説家の一人がちょうど婚活がテーマの小説を執筆するところで、現在資料を収集中とのことなので、出席ついでに美羅にインタビューし、一役買おうという意図もあった。
また、もう一つ今回の帰省には目的があった。
「永夢ちゃんの実家ってどこだった?」
「のどぐろ県兼六園市です」
「どこだよそこ……って、なるほど、石川県金沢市か」
東京駅から郷里の金沢駅までは北陸新幹線で直通で行き来ができる。だが、今回東京に戻る際にはその途中駅、長野駅で一度降りる必要があった。
八月にデビュー作を出版予定の長野県在住の小説家の卵、高岡万次郎に会う必要があったからだ。万次郎は二日前永夢に電話で「実際にお会いして、打ち明けたいことがある」と思い詰めた口調で告げていた。




