豚汁で朝ごはん(3)
「本当は焼き魚も出したかったのですが、先日執筆で買い出しに行けず……」
「いやいや、十分です! この豚汁は汁物じゃなくてもうおかずですよ」
確認できるだけでくしゃくしゃになった豚肉、千切られた不揃いなこんにゃく、青みの残るネギに半月型の鮮やかなオレンジのニンジン、いちょう切りにされた半透明の大根があった。薄い茶の汁にところどころ浮いている黄金の油は豚肉のラードが溶けたのだろう。
湯気となって漂う香りが鼻に届き、永夢はごくりと唾を飲み込んだ。味噌と豚肉、野菜の出汁が複雑に絡み合った香りだ。特に、やはりゴボウの香りが強い。具としての主張は控えめなのにと面白くなった。
「ゴボウが本当にいいにおい。あっ、焼き豆腐も入っているんですね」
「底の方に里芋も沈んでいますよ」
「美味しそーう。私の実家ではサツマイモ入れていました。だから、豚汁にはほんのり甘いってイメージがあって」
「各家庭によっても違いますよね」
早速、二人で「いただきます」と手を合わせる。東海林との食事は初めてなのに、不思議とタイミングがぴったり合った。
「おっと、その前に」
東海林が永夢の席に置かれていたグラスを手の平で指し示す。
「まずこのヨーグルトを飲んでください。刻んだアロエ入りです。飲むタイプなので、牛乳のように滑らかですよ」
「これヨーグルトだったんですか。でも、どうして……」
「ヨーグルトはアルコールで荒れた胃の粘膜を保護する働き、アロエには解毒作用があるのですよ」
「へえ~」
ありがたくヨーグルトを一口飲む。冷たく爽やかな酸味と甘味と、アロエのプルプルした食感を舌で感じ、喉で感じ、胃で感じると、ウコンエキスやしじみ汁よりも酔いに効く気がした。多少残っていた胃のむかつきが綺麗さっぱり消える。
ふと、東海林は男性なのにまるで実家の母のようだとおかしくなる。母も娘が元気のない時、機嫌の悪い時によくフルーツゼリーを作って食べさせてくれたものだ。
やがてヨーグルトを飲み干し、「く~っ」と唸って親父のように口元を拭うと、永夢は豚汁のよそわれた木の椀を手に取った。
「それでは、今度こそ豚汁をば!」
まずは汁を啜る。
優しい旨みが口に広がった。味噌と野菜、ラードが合わさった出汁の向こうに一抹の香ばしさを感じる。煮込む前に具をごま油で炒めたのだろうか。いや、それだけではないと首を傾げる。
「東海林先生、ショウガとニンニク入れていますか?」
東海林の切れ長の目がわずかにだが見開かれた。
「ええ。レシピにはなかったのですが、目指す味に近付けたくてごくわずかにですが入れました。それと、すりごまも。よくわかりましたね。煮込んだので香りは大分飛んだと思ったのですが」
「やった、当たった! 私、鼻には自信あるんですよ。コクが出ていいですね」
永夢は箸でまずは焼き豆腐を摘まんだ。ハフハフしながら口に入れ、続いて豚肉を放り込む。更に熱々のご飯を頬張った。
「あー、もう、東海林先生、泣けるほど美味しいです! やっぱり日本人は味噌と米ですよね」
ヨーグルトとアロエで癒やされた胃に味噌がじわりと染み込んでいく。こんにゃくにも各野菜にもほどよい具合に汁が染み込んでいた。
「さっき目指す味と言っていましたが、老舗の料亭みたいな味にしたいんですか?」
東海林はまだ手を付けていない、自分の分の豚汁の水面に目を落とした。
「いいえ、プロの味を目指しているわけではありません。家庭料理なので、普通に美味しければいい」
「ふつうに、おいしい」
永夢は東海林の言葉を繰り返した。一見わかりやすく思えるが、普通とはなんぞやと哲学的な疑問を抱く。
そもそも、家庭料理ほど普通の定義が難しいものはない。豚汁ひとつを取っても具材にサツマイモを入れるだの、入れないだのと各家庭の味があり、美味しさの定義も変わるのだから。
では、東海林にとっての普通とはと首を捻り、ピンと閃くものがあった。
「あっ、おふくろの味ってやつですか?」




