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放課後、店先に自転車を停め引き戸を開けると、カウンターでスマートフォンを操作していた店長が顔を上げた。

「おはようリッ君」

「おはようございます」

挨拶を返し、カウンターの横をすり抜けて店の裏へ向かう。まずは荷物を置きに行く。

学生鞄の代わりに読みかけの文庫本を持って店へ戻ると、店長はすでに来客用のソファーへ移動していた。彼の後ろで足を止め、声をかける。

「今日は出かけないんですか」

「んー、何か疲れたから今日はゆっくりする」

「そうですか」

なら自分が店番をする必要はないではないか。そう思い自室に戻ろうと一旦は踵を返すが、思いとどまってソファーに座った。店長がこちらに目を向ける。

「リッ君仕事はいいの?」

「昨日あらかた片付けましたから」

「何かリッ君も疲れてるね」

「図書委員の仕事があったんで」

店長はクツクツ笑いながら「リッ君が受付けしてるの想像するとちょっと面白いよね」と言った。人の仕事ぶりを笑うとは、失礼な奴だ。

「まぁおかげでもうすぐ雅美ちゃんも来るし、久々に三人で雑談しようか」

「雑談なんていつもしてるじゃないですか」

「三人ではしてないじゃん」

「そういえば荒木さん今日は少し遅いんですね」

僕は壁の時計で時刻を確認した。普段ならそろそろ荒木さんが出勤している時間だ。それにしても、この位置からでは時計が見にくい。

「何か電車遅れてるんだって」

「そうなんですか。大変ですね、電車通学って」

「リッ君満員電車とか死んでも嫌なタイプでしょ」

「あれにすし詰めにさせるくらいならお金払ってタクシーを使います」

自分も中学時代は電車通学をしていたのだが、到着した電車が満員だった場合は迷わずホームを出て駅前のタクシーに乗った。ほんのひと駅分なのでタクシー代もたかが知れたものだったが。

ニュースなどでもたまに駅員が客を車両に詰め込んでいるシーンが流れるが、あんな状態で揺られるくらいなら二本でも三本でも次の電車を待った方がマシである。それにしても電車が遅れているということは、おそらく荒木さんが乗っている車両も混んでいるだろう。大丈夫だろうか。

「でも昔はマジでタクシーで来てた時あったよね」

「店長はあれに乗るんですか」

「どうしても時間に間に合わせたい時は乗るしかないよねぇ」

「僕はテストの日でもタクシーで行きましたよ」

「だってリッ君の家から中学ってひと駅だったじゃん。タクシー乗ったってそんなに遅刻しないよねそれ」

店長がそう返した時、ガラガラと引き戸が開いた。どうやら荒木さんが出勤してきたらしい。

「おはようございまーす。すみません店長遅れましたー」

荒木さんは挨拶をしながらこちらにやって来た。店長が「おはよう。結構早かったね」と返す。荒木さんは涼しげな雰囲気のロングスカートの裾をひらひらさせながら僕達の前に現れた。

「あ、今日は瀬川君もいるんだね。おはよう瀬川君」

「おはよう」

「電車は大丈夫だった?雅美ちゃん」

店長の問いかけに、荒木さんはソファーにどっかり腰を下ろしながら答える。荷物も足元に放り出した。

「もー大変でしたよ。超満員で。圧死するかと思いました」

「雅美ちゃん挟まれて浮きそうだよね」

「どういう意味ですかそれ。チビって意味なら容赦しませんよ」

そう言って荒木さんは右手でチョップの構えを作った。店長は「冗談冗談」と笑う。

「でもほんと散々でしたよ。今日に限って荷物も多いし」

荒木さんは足元の荷物を見下ろしてため息をついた。学校で制作した物か、製作途中の物なのだろう。大きめのトートバッグは歪な形を浮かべている。

「急ぎの仕事もないし一本遅らせればよかったのに」

「駅で待ってるのもそれはそれで疲れるんですよ」

一息ついたのか、荒木さんは荷物を持って立ち上がった。彼女はそのまま自室へ消える。次に戻って来た時は、大きな荷物の代わりに紅茶を持ってエプロンを巻いていた。

「今日も相変わらずお客さん来てないんですね」

「平和が一番だよね」

「売上げ的には平和じゃないですよ」

「そんなこと雅美ちゃんが心配することじゃないから大丈夫」

店長のその言葉に荒木さんはチラッとだけ僕に目を向けたが、結局何も言わずにカップを並べ終わるとソファーに腰を下ろした。この店の売上げの細かい数字は把握しているが、正直に言ってそれは僕が考えることでもなかった。店長は大方の仕事を僕に押し付けるが、核心に触れる作業を任せたことはないのだ。

「この店って忙しい時と暇な時の差が激しいですよね」

荒木さんが紅茶に口をつけながら話を振る。

「雅美ちゃんは特にそうだよね。でもまぁプラマイゼロでいいんじゃない?」

「それなら均して毎日同じくらいにしてほしいですよ」

「えー、起伏のない人生なんてつまらないよ?」

「うーん、確かにそうですね……」

僕は文庫本から顔を上げると紅茶に手を延ばした。荒木さんの淹れる紅茶は昔より最近の方が甘い。おそらく砂糖を入れてくれているのだろう。僕はさっきから一ページも進んでいない文庫本をひっくり返してテーブルに置いた。

「あれ、瀬川君それ葉風博行の本じゃん。珍しいの読んでるね」

文庫本を裏返したことによって表紙が良く見えたらしく、荒木さんはそこに触れてきた。確かにこの本の表紙は、普段僕が読んでいる面白みのないイラストではなく、少々ポップな雰囲気だ。中身もライトノベルとまではいかないが、僕が好んで読んでいる物より易しめである。

「クラスメイトに押し付けられたんだ」

「へー、それじゃないけどその人の本読んでる子学校にも結構いるよ。たぶん違う出版社のやつだと思うけど」

それはおそらく最近アニメ化したというライトノベルだろう。この本を押し付けてきたクラスメイトの冨永がそう力説していた。ただ「アニメ化したやつは全然ダメだ!あれは薄っぺらい感動のお子様向けだ!真の男ならこれを読め!これは本当にいい!ガチで!」と言っていたから渋々受け取ったのだが。どうやら冨永オススメのこちらは一般人気はあまり無いらしく、コアなファン向けのようだ。

「それ面白い?」

「正直あんまり……」

「あー、そうなんだ。さっきからあんまりページ進んでないなぁって思ってたんだ」

ページが進んでいないのは荒木さんと店長の会話が耳に入っていたからなのだが、まぁ彼女の考えは間違ってはいない。静かな所でこの本を読んでも普段よりペースが落ちるのだ。

あの冨永が漫画でなく小説を勧めてくるのでどんなものかと思って読んでみたのだが、文量は少ないくせに読破に中々時間がかかりそうである。

「そういえばさ、クラスメイトといえばだけど、古之河さん元気にしてる?」

「古之河さん?……ああ、いつも通りだよ」

「そっかぁ。あの日帰り途中まで一緒だったんだけどさ、またバイト先に遊びに行ってもいい?って言われてたんだよね」

「リッ君のクラスメイト僕も会いたいなー」

「いい子そうな子でしたよ。それにクラス委員してるって言ってたし、みんなから人気ありそう。やっぱ実際そうなの?瀬川君」

荒木さんの問に、僕はクラスでの古之河さんの様子を思い出してみた。が、モヤがかかったようにその姿ははっきりとしない。

「……うん、人気者だと思うよ。面倒見もいいみたいだし」

心の中で「たぶん」とつけ加える。いつも大きな声で皆をまとめているイメージがあるのだが、彼女の言葉も姿もしっかりと思い出せなかった。おそらく右から左に聞き流しているからだろう。直接僕に言われているわけではないし。

「そっかー、やっぱりねー。だって家にプリント持って来てくれるくらいだもんね」

「雅美ちゃんその子のことけっこうお気に入りっぽいね」

「いい子だったんで仲良くなりたいなーって思ったんですけど」

「リッ君が風邪引けばまたプリント持って来て会えるかもよ」

「いや瀬川君そんなに風邪引かないじゃん……というか、瀬川君も家に風邪薬くらい置いとこうよ」

「家族みんなほとんど風邪引かないから……」

家族といっても今は僕と父しか住んでいないが。しかも父は三日に一回は外泊するし、もはや僕の一人暮らし状態である。

「まぁ元気なのはいいことだけどね」

「そうそう、リッ君の場合仕事できなくて発狂するしね」

「そこまではしませんよ」

「でも瀬川君がいないと店長の仕事が増えるんじゃないですかー?」

「雅美ちゃん、僕を誰だと思ってるの。紛いなりにもこの店の店長だよ。リッ君の仕事くらいちょちょいのちょいさ」

「そうですよね、少し遊ぶ時間がなくなるだけですよね」

「リッ君、友達と遊ぶ息抜きも大事なんだよ」

だが実際のところ僕が仕事を放棄しても店長の自由時間が多少減るだけで、店が回らなくなるわけではない。まぁ上手く分担している今の状況がベストだとは思うが。

「じゃあ僕そろそろ仕事してきます」

「えー、もう行くの?」

微妙な会話の間をついてソファーから立ちあがると、店長の声が僕を引き止めた。

「いつまでもサボってるわけにはいかないんで」

「それ僕らが日常的にサボってるって意味?ねぇ雅美ちゃん」

店長の問いかけに荒木さんは「私はできるだけ仕事探してますよ」とすね気味に返した。

「店長も一昨日玄武店から頼まれたやつさっさとやっといた方がいいんじゃないですか」

「えー、気乗りしないんだよねぇ」

とは言っているが、実際この人がやればすぐに終わるのだ。それに店長が理由なく締め切りを破るところを僕は見たことがない。

「まぁリッ君が怒ったら嫌だから僕も仕事しますか」

店長が自分と僕の分のコップを持って立ち上がると、荒木さんは一瞬意外そうな顔をして彼を見上げた。

「明日予定あるから残しときたくないしね」

「えっ、店長、まさか明日も出かけるつもりですか?」

昨日も遊びに出かけた店長に、荒木さんがついそう言う。店長はまだソファーに座ったままの荒木さんを見下ろして笑った。

「友達と遊ぶ息抜きも大事なんだって」

「まぁたまになら許しますよ僕達も」

すれ違いざまの僕の呟きに、店長は背を向けたままひらひらと手を振っただけだった。絶対返事するのが面倒だっただけだあれ。

店の裏に消える店長の背中をしばらく眺めて、ふと振り返って荒木さんの方を向いてみた。そして驚く。彼女もこちらを見ていてバッチリと目が合ってしまった。

「あ、瀬川君ももう行く?」

「うん……。急ぎの仕事はないけど早めに片付けるに越したことはないから」

「そっか、じゃあもう一度部屋にお茶持って行った方がいい?」

「ありがとう」

荒木さんの「いいよ、自分の分のついでだから」という言葉を聞き、僕も自室へ向かう。すると足を一歩前に出した僕を荒木さんの声が追いかけてきた。

「瀬川君、今日久しぶりに三人でどうでもいい話して楽しかったね」

僕がちょっと振り返ると、荒木さんはほんの少し恥ずかしそうにして続けた。

「友達と遊ぶ息抜きも大事って店長が言ってたしね。あっ、急ぎの仕事がないときでいいんだけどさ」

僕の反応を窺うようにはにかんだ荒木さんに、僕はなるべく感情を込めて「そうだね」と返した。

自室でしばらく待っていると運ばれてきたのは、紅茶ではなくコーヒーだった。




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