夜明け
ここまでの愛読ありがとうございます。この話を書き上げたのが7月24日であり予約更新まであまり日がないということで、もし、第四章が思ったより進みが遅い場合ここで更新を一度とめる場合がございます。あらかじめご了承ください
魔術大会最終日から随分と時間が経った。復興も進み、王都は次第に活気を取り戻しつつある。
しかし、未だに戻ってないこともある。
「レナ先輩……」
僕は今日もレナ先輩のお見舞いに来ていた。この病院に先輩が移されてからというもの、よほど忙しくない限り毎日来ている。
「先輩、今日で前期が終わりました。明日からは冬休みです。でも、歴史の授業まじめに受けてなくて補講なんですけどね」
僕は病床の横に置いてある花瓶の水を取り替えながら話しかける。返事は返ってこない。
レナ先輩はダイアナさんの治療を受けたが、いまだに目を覚まさない。ダイアナさんが言うには安定期に入ったらしい。詳しい状況は教えてくれなかった。どうやら国家機密に勝るほどの機密がディゴスシリーズにはあるらしく、話せないという。
結局、魔術大会はレナ先輩抜きでの決勝戦が仕切り直され、愛の派閥の勝利で終わった。これにより、第六九〇回リーヤシュヴァレン魔術学院魔術大会は愛の派閥の優勝で幕を下ろした。
「ミラさんと、ダンテさんから聞きました」
僕は水を入れ替えた花瓶を元の場所に戻しレナ先輩の隣まで椅子を動かし、腰掛ける。
「僕を殺すつもりだったんですね」
レナ先輩に何があったのか僕は知らない。心当たりもなかった。なんなら急に襲われたのは僕の方だ。
「あの日のことは分からないことばかりです。いつの間に部屋に戻ったのかわかりません……たぶん、先輩もなんですよね」
あの日、レナ先輩に突如として襲われた日の夜、僕はどうやって部屋に帰ったのか覚えていない。あの日には必ず何かがあった。
「だって、弟のことが大好きな先輩が僕の正体を知って『殺す』なんて判断はおかしい。そうだよね、姉さん、いや、お姉様」
僕は椅子から立ち上がりレナ先輩に背を向ける。
「もし、治療が完全に終わったらしっかりと話し合いましょう。それでも僕たちが和解できないなら……その時はちゃんと喧嘩しましょう」
僕は病室から立ち去る。次に向かうのはダイアナさんのところだ。招かれている。
「来たのね、いらっしゃい。さぁ、座って」
ダイアナさんは事件の事後処理の都合でしばらく東の森には帰らないらしい。
「失礼します」
僕は促されるままダイアナさんの対面に置かれたソファに腰掛ける。
「私個人としてはそんなよそよそしくしないでほしいのだけど」
「残念ですけど、流石にそうは行きません」
今目の前にいるのは神話の時代から生き続けるまさに伝説の人物。よそよそしくしないほうが難しい。
「そう、残念。私はあなたとはもっと仲良くなりたいのだけどね」
ダイアナさんが部屋の端を見つめた瞬間そこに置かれていたティーポットとカップが宙を舞い、澄んだ紅茶が湯気を立ち昇らせながら注がれ、僕の目の前まで運ばれる。
「是非飲んでちょうだい、大陸西部から取り寄せた茶葉なの」
大陸西部の紅茶は香りが良く味も良いことで有名だ。湯気に乗せられた香りが心地よく嗅覚を刺激する。ひとたび口に含んでみると舌の上から鼻にかけてより一層強い香りが駆け抜ける。
「……美味しい」
「ふふっ、それならよかった。いきなりだけど、本題に入りましょう。紅茶を飲みながらでも聞いてちょうだい」
ダイアナさんは嬉しそうに微笑み、僕がゆっくりと紅茶を飲んでいる間に彼女は話し始めた。
「まずは、ごめんなさい。あなたの記憶を消したのは私よ」
知っている。
「あなたの記憶は念のため昔からちゃんと保存してあるわ」
それも、知っている。
「あなたが望むのなら、記憶をもとに戻す事もできるわ」
「結構です」
僕は即答した。
「僕はレイとして生きると決めたんです。この信念だけは曲げません」
僕は、レナ先輩が目を覚ました時には「レイ・アレストライ」に対する執着を消し去ることが先輩の重荷を取り去る方法だと思っている。そのためには僕は記憶を取り戻さないほうがいい。
「本当にいいの?」
「はい」
ダイアナさんは少し苦しそうな顔をした後に「わかったわ」と応えてくれた。
「私があなたを呼んだのは昔の記憶を返すためだったのだけど、予想外の答えだわ。もっと糾弾されるものだと思ってたわ」
「僕は昔の自分よりも、これからのレナ先輩のほうが気になりますし大事に思います」
「そう」
暗にレナ先輩の事情を教えてくださいと伝えたつもりだったが、ダイアナさんは紅茶を飲むばかりで返事はしてくれなかった。
「では、この後用事があるので」
嘘だ。そんなものはない。でも、この空間にい続けるよりかは補講になった歴史の勉強をしたほうが有意義に感じた。僕が出口のドアノブに手をかけた時に後ろからダイアナさんの声がした。
「今から言うことは独り言よ」
僕は振り返らずかと言ってドアノブから手を離すこともなく立ち止まる。
「私の夫の作品、つまりディゴスシリーズには『第五の壁』と呼ばれる機能がつけられているわ。それは人間の大脳とディゴスシリーズを仮想のパスを用いて接続する機能よ。これによって私や、あの小娘はより直感的な権能の操作が行えるの、でも、もちろん欠点もあるわ。使用し続ける、つまり第五の壁を越えた時、ディゴスシリーズ側に大脳の一部が取り込まれてしまうの」
僕はそれを聞いてハッとした。頭のなかで色々なことが繋がり始める。
「ディゴスシリーズの所有権が変わらず使用者のもとにあるのなら何の問題もないの。でも所有権が別の人間に移った時それは牙を剥くの。大脳の一部が実質的に機能しなくなる。…………それはそうといつまでそこにいるのかしら?」
少し重苦しい独り言から一転して優しい声で声をかけてきた。
「失礼します」
僕は掴んでいたドアノブをそのままひねって部屋を後にした。
「えぇ、今度食事にでも誘うわ」
ダイアナさんがいた王城を出て町中を歩いていると改めて復興が進んだなと感じる。
「ここら一帯も瓦礫だったはずだけど、すごいなぁ」
完全とは言えないが建物もある程度元通りになり、露店まで立ち並ぶようになった。
「最近は物価が上がって困るわぁ」
「そうよねぇ、うちも家計のやりくりが大変よぉ」
婦人方の世間話も聞こえてくるあたり、やっぱり王都全体が明るくなった気がする。話題は全く明るくないけど……
「あっ、レイ君?」
後ろから声がして立ち止まり振り返ってみるとそこには買い物をしていたのか食品の入った袋を抱えた私服姿のレイシナム先輩がいた。
「先輩、お疲れさまです。お買い物ですか?」
「うん、明日から冬休みだから寮の食堂はたまにしか開かなくなるからね。久々に自炊でもしようかなって」
「そうなんですね」
レイシナム先輩は自然に僕の隣までやってきて並んで歩き出す。
「レイ君はなんで街まで来てるの?」
「ある人に呼ばれていたんです。今は帰るついでに街を見て回ろうかなって思ってたんです」
「そうなのね」
僕は改めて先輩を見る。深いネイビーのロングチェスターコートは、仕立ての良さを物語るように隙のないシルエットを描き、彼女の上品な立ち姿を完璧に補強していて、胸元を覆うのは、首の細さを強調するハイゲージの黒いタートルネックニット。普段の制服からは見られない年上の女性らしさが伝わってきた。
「もぅ、そんなに女性をジロジロと見ないの!」
先輩はそう言って僕の方を指さす。
「すみません、制服姿の先輩しか見たことなかったので」
「そうね、私、あんまり街に出てこないし、こんなにばったり会うなんて滅多にないからねぇ。街に出てくると実家の人がうるさいから」
「そうなんですね。そう言えば先輩はこれから寮に戻られるんですか?」
「そうよ」
「よろしければ荷物持たせてください」
僕のその提案にレイシナム先輩は目を丸くする。
「本当に君はよくできた後輩だよ。それならお言葉に甘えようかしら」
僕は先輩から袋を受け取る。ずっしりとした重さが腕全体に乗っかかる。
「結構重たいですね」
てっきり共感してもらえるかなと思って感想を口にしたが先輩は「そうかな? 軽い方だと思うんだけど」と言った。
しばらく先輩と横に並んで街を歩いた。先輩は結構目移りする人らしく「あっ、この腕輪可愛い!」「うわー、いい匂い。ちょっと買っていってもいいかな?」と露店に惹かれのらりくらりと、結構な時間が過ぎた気がするが後ろを見てみれば割とすぐそこに僕と先輩がばったり会った場所が見えた。
(す、進まねぇ)
荷物の重さも相まって僕は少し疲れていた、というよりもこの荷物、本当に重い。短時間であれば大して疲れないかもしれないけど時間が経つたびに腕がピリピリしてくる。
「そう言えば……」
レイシナム先輩のその声で無意識のうちに下げていた視線を上げる。
「このあと時間あるかしら?」
「え、まぁ、ありますけど……」
「ここ、この前連れて行ってあげるって言ったお店なの、よかったらどうかしら?」
そういえば、魔術大会の期間中にそんな事を言われた気がする。先輩の指差す方を見るとそこには上品な見た目の喫茶店があった。
「是非」
店のなかはとても良い紅茶の匂いで包まれていた。先輩に案内されるまま席に着くと先輩がメニューを見せてくれ、「何がいい?」と聞いてくれたが正直何がいいのか分からず先輩のおすすめを聞いてそれにすることにした。先輩はメニューを閉じると給仕を呼ぶ。
「いつもの二つ」
僕は先輩の言葉に思わずおぉ~と、感嘆の声を上げた。
「どうかしたの?」
「あ、いえ、そうやって注文するのを初めてみたもので、よほど通ってるんですね」
「えぇ、子供の頃から懇意にさせてもらってるわ」
紅茶は間もないうちに僕たちのもとまで運ばれてきた。
普段僕が飲んでいる紅茶よりも澄んだ紅色で、でも色が濃い。傾けた瞬間にふわりと立ち上る爽やかな香りが、鼻腔を抜ける。
口に含むと、心地よい渋みとともに華やかな茶葉の甘みが広がり、舌の上で踊るように喉の奥へと滑り落ちていく。残るのは、胸の奥をふんわりと温める優雅な余韻だけだった。
「ふふっ、随分とおいしそうに飲むのね」
先輩が少し身を乗り出しながら話しかけてくる。
「昔から好きなんです。それに僕の地元の近くには茶園もありましたし日常的に飲んでましたからね」
「東の森の茶園のことかしら」
「えぇ、よくご存知ですね」
「それほどでもないわ。このくらい教養よ」
東の森はどの国の統治下にもない区域となっている。それだけ聞けば何とも物騒であるが、実際は東の魔女であるダイアナさんの所有地なのである。そしてダイアナさんは大の紅茶好きで自分で品種改良を行い茶園まで営んでいる。カリフィスにはその茶園での作業を手伝うかわりによく茶葉が流れてきていた。これを飲んでいると実家で飲んだ紅茶の香りが懐かしくなる。
(実家に帰ったら茶葉も一緒に持って帰ってこよう)
数日前にそう思わせるほど僕は懐かしさに飢えていた。
「ねぇ、レイ君、もし良ければ……」
レナ先輩が紅茶を飲み終えて話し始めた瞬間、店の入口からカランカランという鈴の音と店長の「いらっしゃい」という渋い声が聞こえてきた。
「やっぱりここにいましたわね、レイシナム。それとごきげんよう、レイ」
入ってきたのはエイリス先輩でこちらに気がつくとゆっくりと歩いてきた。僕は軽く「こんにちは」とあいさつと会釈をした。
「エイリス! なんでここに」
レイシナム先輩が驚いて立ち上がり尋ねるとため息とともに吐き出すようにエイリス先輩が話し始める。
「なんでもどうしてもありませんわ。買い出しからいつまでたっても戻ってこないから何処かで何かあったのではないかと心配してわざわざ寮から出て探しに来てあげたのですわ」
その言葉にレイシナムは「やべっ」と言ったような表情を浮かべた。
「ほら、わかりましたら戻りますわよ!」
エイリス先輩はレイシナム先輩を担いで運ぼうとする。
「あぁ! ちょっ! ちょっと待って!」
エイリス先輩の肩に担がれながらジタバタとするレイシナム先輩。なんとも滑稽。
「レイ君! はい、これお金! 今回は私の奢りだから! あと、地元の紅茶の銘柄分かったら教えてちょうだい! 弟に仕入れさせるからぁぁー!」
レイシナム先輩がちょうど言い終わる頃にエイリス先輩が軽く担ぎ直したせいで大きく身体が揺れ、叫び声が響く。
「それでは失礼いたします。レイ、今度何処かであったらこいつが連れ回した分の埋め合わせを致しますわ」
エイリス先輩はそのまま僕の側においていた荷物を合わせて持っていった。
お店での支払いを済ませて寮に戻る頃にはすっかり日が暮れてしまっていた。
寮の前の道で立ち止まり、夕日を眺める。
「もうじき年明けかぁ」
憎悪の月に入り、寒さは一層強さを増した。ここからの景色を見ると王都に来た時を思い出す。
「随分とこの景色も見慣れたなぁ」
「あれ、レイじゃん!」
一人感慨にふけっていると後ろから聞き慣れた声がした。
「リファー、どうしたの?」
「いや、今からお仕事だから出かけようとしたんだけどたまたま見かけたからついね」
話しかけてきたのはリファーで屈託のない明るい笑みを見せてくれる。
「そっか、お仕事頑張ってね」
「うん! 頑張るね!」
そう言うとリファーは走ってあっという間に見えなくなってしまった。リファーは服飾関係の仕事をしているらしいけどあまり詳しくは知らない。でも、普段から服に関しては厳しいリファーだからきっとやりがいを感じているはずだろう。僕はそんなリファーを心の底から尊敬している。
「さて、とりあえず明日の歴史の補講に向けて少しくらい勉強するかぁ」
崩壊しきった街並みを知っているからこそ、こうやって景色がもとに戻り、少しずつ取り戻しつつある日常を愛おしく感じる。
寮の入り口をまたいで屋内に入った瞬間違和感を感じた。音が消えたのだ。
(この感覚……森に入ったときと同じ)
僕は深呼吸を一度挟んで話し出す。
「吹雪さん……で間違いないですか?」
「あらあらまぁまぁ、私のこと覚えてくれてたのですねぇ」
あの時と同じ、背後から声が聞こえる。
「そんなに警戒しないでくださいな、今回は何もせんわ。ただ聞きたいことがあってなぁ」
「何ですか? 聞きたいことって」
コツコツカツカツと足音が響き僕の真後ろでピタリと止む。
「愛の神と会ったことはあるか」
高圧的で威圧感のある言葉遣い。低い声で体の芯まで震わせるほどの声質。一瞬にして大量の重りを全身に巻き付けられたようだ。
「……ありません」
僕は嘘偽りなく答える。
「……はぁ、わかりましたわ」
その声とともに全身に乗っかっていた威圧感が一気に消え去る。
「では、ごきげんよう」
吹雪さんのその声とともに世界に音が戻る。
「ったく、何なんだよ」
僕は少し悪態をつきながら部屋に戻った。
翌日、僕は講義室に来ていた。理由はもちろん歴史の補講。教室のなかには僕と同じように補講になったのかチラホラと人が見える。全員僕と同じように歴史の補講を言い渡された人たちだ。
頬杖をつきながら教科書をパラパラとめくって待っていると教室前方の扉がガラガラと音を立てて開いた。
「皆さん席についてるかしら」
教科書から目を移すとそこには見覚えのある三角帽に身長と同じ程の大きさの杖を構えた魔女の姿があった。そう、ダイアナさんだ。
「学院側から特別講師として呼ばれました、真理の裁定者第二席次のダイアナ・アレスト・フォーレンライです。皆さんよろしくお願いします」
ダイアナさんの挨拶を皮切りに今まで話していた人たちもたちまち黙る。
「さて、私の授業では教科書を使いません。しまいなさい」
その一言に僕たちは驚いたが、おとなしく開いていた教科書をカバンのなかにしまう。
教室のみんなが教科書をしまったのを確認すると彼女は悪戯っぽく、しかし悲しげにこう口にした。
「教科書には載っていない神話の時代……私の昔話をしましょう」
第三章「魔術大会編」完




