姉弟喧嘩 02
目の前で起こったことをレイシナムは冷静に観察していた。
(神話の時代の遺産に匹敵するのか、ディゴスシリーズというのは……)
レイシナムは作戦としてレイにレナの一撃を耐えるように命令したが実際のところそれが可能であるという保証はほとんどなく、強いて言うならいつかに見た文献にディゴスシリーズ第三番は第二番の改良版であるという記述を思い出したからである。改良したから性能が優れているわけではないことくらいはレイシナム自身も理解している。
(我ながら酷だったわね。でもこうでもしないとあの女と私たちの戦力差は埋まらない。いまでも勝率は二割といったところかな)
愛の派閥の頭領としてこの女は勝たねばならない。そのプレッシャーは常人が感じるそれとは格が違うものだろう。時には勝算が明確でない大博打に出なくてはならないことだってある。実際、その博打に今回は勝つことができた。元来より勝つために考えていた核心部の破壊を成し遂げた。
しかし、レイシナムの表情に安堵の様子は微塵もない。むしろ余計険しくなっていく。
(なんだろうな、相手の動きがイメージとずれる)
微かな違和感。まるで普段机の上に置いてる鉛筆の位置が、かすかに右にずれている時に感じるような、場合によっては違和感にすらなりえないようなほんのわずかな異質さがレイシナムに強い焦燥感を与えていた。
「エイリス、私たちも出るわよ。魔法陣はここに置いていく」
「わかりましたわ」
レイシナムは瓦礫の隙間に魔法陣を隠し、懐から杖を取り出す。その瞬間、崩壊した中央の核心部から爆発音が聞こえてきた。レイシナムの胸騒ぎが一層激しさを増す。
「レナ・アレストライ!」
目線をやるとその先には二人の人影があった。
(駄目だ! レイ君じゃ絶対に勝てない!)
「走りなさいエイリス! 私は準備を整えるわ!」
レイシナムはエイリスに即座に命令する。エイリスは両手のこぶしを互いに叩き合わせる。エイリスのコード使用。全身の血が流れる速度を急激に加速させる魔術。
エイリスはすぐさま駆けだした。
その様子を見届けてレイシナムも別の方向ではあるが駆け出した……しかし。
「どーもー」
いつの間にかレイシナムの目の前には一人の男が立っていた。
「ダンテさん」
終焉の派閥右翼担当、ダンテ。それがその男の名前だった。
「君に恨みとか個人的な因縁っていうのはアガリスと違ってないんだけどさ、邪魔させてもらうよ」
ダンテはそう言ってレイシナムの足元を爆破させる。
「なっ!」
予想外の、しかも視界外からの攻撃にレイシナムはもろに吹き飛ばされる。しかし流石幼い頃から鍛えているとだけあり華麗に一回転し、受け身を取る。
「クッソ!」
焦りからか口調が歪む。
「さあ、僕の仕事を全うさせてくれよ」
ダンテはレイシナムの足元に目線を向ける。それをレイシナムは見逃さなかった。
『《飛翔!》』
レイシナムは浮遊魔術を唱え宙を舞う。
次の瞬間、先程まで立っていた場所の地面で爆発が起こり地面が大きく抉れる。
『《飛翔》』
ダンテも静かに唱え、宙を舞う。
「じゃあ始めよう」
ダンテの言葉と同時に五つの火球が生み出されレイシナムに向かって突き進む。
「もう! しつこい!」
対するレイシナムも同じく火球を生み出し射出する。それらは互いの中央で衝突する。宙を蹴るような甲高い破裂音と共に、二つの影が上空で激突する。
「あはははっ! 流石愛の派閥の頭領さんだ!」
ダンテが無邪気な笑声を響かせながら右手を振るう。無詠唱。指先から放たれたのは、直径一メルにも及ぶ巨大な火球の群れだった。単なる直線的な攻撃ではない。魔力回路が複雑に編み込まれたそれらは、まるで意志を持つ獣のように軌道を変え、全方位からレイシナムへと殺到する。
(出力は高い。でも、単調ね!)
レイシナムは短く呼吸を整え、冷静さを取り戻す。レイシナムの瞳が冷徹に細められ、視線すら動かさず、滑空する軌道上に無詠唱で《氷柱》を複数展開した。
激突。爆発。炎と氷が相殺し合い、要塞上空に濃密な水蒸気の煙幕が爆発的に広がる。
「目隠し?」
ダンテは一切の躊躇なく《飛翔》の速度を上げ、煙幕のど真ん中へと突っ込んだ、視界など関係ないと言わんばかりに速度を上げて。
『《破天の嵐!》』
ダンテの魔力が大気を激しく掻き回す。発生した竜巻が煙幕を瞬時に吹き飛ばし、周囲の鉄骨や瓦礫ごとレイシナムを飲み込もうと牙を剥く。さらに、竜巻の風に先ほどの《火球》の残滓が巻き込まれ、それは巨大な炎の渦となって天空を焦がす。
「力強い男性は好みだけど、言動が幼いのは減点!」
炎の竜巻が迫る中、レイシナムは冷静に杖の切っ先を「空間」へと向けた。
無詠唱の《泥濘》。
本来地面に対して付与する魔法であるが、レイシナムのそれは竜巻に巻き上げられ、高速で回転している『巨大な瓦礫の表面』を対象としての行使だった。遠心力で飛び散った粘着性の高い泥の雨が、竜巻の回転力そのものに物理的なブレーキをかけ、乱気流を発生させて炎の渦を自壊へと導く。
風の均衡が崩れ、竜巻が霧散した直後。レイシナムの唇が淀みなく動いた。
『《繝ャ繝シ繝エ繧。繝?う繝ウ!》』
大気が悲鳴を上げた。レイシナムの杖の先から、触れるものすべてを灰にするまで燃え続ける絶対の炎槍が射出される。竜巻の崩壊で一瞬体勢を崩したダンテの胸部へと、それは一条の光となって突き刺さる――かに見えた。
「あぶなっ!」
ダンテの身体が、物理法則を無視したような挙動で真横にスライドした。《飛翔》の魔術による強引な軌道修正。しかし完全には避けきれず、炎槍が彼の左腕の肘から先を跡形もなく消し飛ばす。
「……っ! あーあ、痛いなぁもう。《繝ェ繧ク繧ァ繝阪?繝》」
痛みに顔を歪めたのも束の間、ダンテが魔術を口にすると、失われたはずの左腕の断面から肉芽が異常な速度で膨れ上がり、わずか数秒で新たな腕を再構築してしまった。
(継続回復も使えたのね、しかもなかなか……なら)
レイシナムは《飛翔》でゆっくりと後退しながら、詠唱を密かに紡いでいた。
『光の残影、ここに留まる
《桜散》』
音もなく、光もない。レイシナムが後退したその軌跡上の空間に、不可視の斬撃の網目が固定される。相手が自ら触れるのを待つだけのカウンター魔術。
(継続回復を持つ相手には、重い一撃よりも「回避不可能な連続した致命傷」を与える!)
「撃つだけ撃って逃げるのぉ? 一派閥の頭領らしくないなぁ! 燃えちゃえよ! 《灰燼之余!》」
その瞬間、レイシナムの眼下に広がっていた空中要塞の甲板や残骸が、ドロドロのマグマのように赤熱し始めた。灼熱の空気が上昇気流を生み、レイシナムの《飛翔》の制御を激しく乱す。
「逃げているように見えたのなら、貴方はとてつもなく目が悪いわね」
熱波の中で、レイシナムは妖艶に微笑んだ。
ダンテは気づいていない。灼熱の大地を作り出し、上空へと逃げ場を限定されたレイシナムを追撃するため、彼自身が今まさにレイシナムの仕掛けた《桜散》の死地へと飛び込もうとしていることに。
だが、レイシナムが感じていた『違和感』が、ここで警鐘を鳴らす。
(何かがおかしい。この男、本当にただの力任せの馬鹿?)
ダンテの瞳の奥底に、狂気とも虚無ともつかない暗い光が宿っているのをレイシナムは見逃さなかった。罠にかかる直前、ダンテはふらりと空中で立ち止まったのだ。
「ははーん」
まるで子供が虫の知らせを感じ取ったかのような、直感のみによる停滞。
「……野性の勘、というわけね。なら、無理やり引きずり込むまでよ。《恋人の鎖》」
レイシナムが杖を振り下ろす。虚空から、重々しい金属音と共に漆黒の鎖が無数に出現した。使用者の『欲望の深さ』に依存するこの魔術。彼女が内に秘める、誰にも言葉にしたことのない劣情。理想の雄と理性のたがを外して交わりたいという欲望。それらを具現化した鎖は、ダンテの想像を絶する太さと圧倒的な質量を持って全方位から彼に襲いかかった。
「うわっ、何これ! 気持ち悪っ!」
数本の鎖がダンテの手足を捕らえ、強引に《桜散》の罠が張られた空間へと引きずり込もうとする。不可視の刃にダンテの背中が触れ、鮮血が舞う。
「痛い! でも、耐えられはするね!」
四肢を縛られ、血を流しながらも、ダンテは笑っていた。その笑顔は、純粋な破壊を喜ぶ狂人のそれだった。先程自らに付与した継続回復によって傷は食い込む刃を押しのけながら塞がり、そして再び裂かれる。想像を絶するであろうその痛みのなかでもダンテは静かに詠唱していた。
『常世の門よ、開き給え
我は天理に背き、世の理を逸脱せん
欲するは黄泉の道
輪廻は絶える
世界を離れ、世界へ至り、全てのものに終焉を
そなたの欲する全てのものを我はここで否定しよう
《終焉の法・夢幻泡影》』
ダンテがその言葉を口にした瞬間。爆発でも、閃光でもない。ダンテを中心とした半径数十メルの空間が、前触れもなく『黒く塗りつぶされた』のだ。レイシナムの放った《恋人の鎖》も、空間に固定されていた《桜散》の不可視の刃も、赤熱していた瓦礫も、すべてが存在を抹消されていく。
(虚無――!? 因果の消失、いや、法則の任意崩壊!)
レイシナムは全身の産毛が総毛立つほどの悪寒を感じ、魔力を飛翔の魔術回路に回して後方へ吹き飛ぶように離脱した。
黒い空間が晴れた後、そこには鎖を引きちぎり、無傷のまま宙に浮くダンテの姿があった。彼の周囲だけ、まるで最初から何も存在しなかったかのように、虚ろな空間がぽっかりと空いている。
「今回は『消去』だったみたい」
ダンテが首を傾げる。何が起こるか本人すら分からないという最悪の魔術。
「デタラメね」
レイシナムは杖を握り直す。手のひらにはじっとりと冷や汗が滲んでいた。学院一の知恵者の頭脳が、必死に次の一手を弾き出し始める。




