第四十八話 静音伝 その参
少し前の回想です。
酒呑童子討伐すぐのお話。
暫しお付き合いください。
山中深くに建てられた社。おそらく、酒呑童子との闘いの場にあった堂を管理する者が住んでいたのだろう。今は空き家となっていた。幸い生活に必要な物は一式揃っており、清音は傷を癒す為に仮住まいとした。愛洲の看病の元、みるみる気力を取り戻していく清音は愛洲の愛情に触れ、お互いに惹かれてゆく。若い男女故に、一年後には子を授かった。
名前は静かに暮らしたいとのことで清音の一文字をとり、『静音』と名付けられた。名付け親は兵馬だったが、嫉妬されるのを嫌ってか、愛洲には黙っていてくれと口止めされている。二人ともあれ以来、良き修行相手となっていた。
静音が産まれて一年が経ったある冬の晩のこと。
「何故だ! 拙者はお主を…静音を愛しておるのだ。例え、愛洲の家を…いや、この剣を捨ててでもお主達は捨てられぬ。こんな物っ!」
愛洲は握り締めた髭切を床に叩きつけようとした。
「やめて! 貴方には私達よりも大事な物があるはずです。私達は大丈夫です。静音は私が育てます。だから、貴方はこのような場所に留まらず修業の旅を…」
涙を流しつつ、清音は愛洲の腕にしがみつく。
「馬鹿な! お主達より大切な物などありはせん。清音、お主と静音よりも」
愛洲はしゃがみこみ、床についている幼い静音の頬に触れた。愛洲の手の平の温もりを感じ、その小さな両の手で人差し指を包むように掴む。不思議と先程までの怒りが収まり、笑みがこぼれてゆく。
「静音は拙者とお主の子じゃ。お主の考えておるように素性の分からぬそなた達を愛洲の家には連れていけぬ。しかし、拙者は全てを失っても離れとうないのだ」
清音には痛いほど、彼の愛情が自分と娘に注がれているのが分かる。自分も同じだ。彼と離れたくない。いっその事、自分も全てを捨て去っても愛洲と幸せな暮らしを送りたい。
(でも…)
それが出来なかった。何故なら彼の未来を知っているから。愛洲は陰流の始祖。後に新陰流を起こし、剣聖と謳われた上泉信綱の師である。もし、愛洲がここに留まることになれば上泉信綱以降の陰流の使い手は絶たれてしまうのである。
(歴史が変われば、恐らく皆も…)
脳裏に岬やスピカ、千晶や柚子、充之、そして立石の顔が浮かんだ。
頑なに愛洲の気持ちを拒む自分と愛洲の愛情を受け入れたい気持ちが交差する。その度に、酒呑童子との闘いで受けた傷が呪いの如く痛み出し、高熱を発していた。
ふらふらと足元に崩れ落ちる清音の体を支えるように愛洲は受け止めた。
「清音っ! また熱が。暫く待っておれ。麓の村に病によく効く薬師が都から来ておると聞いた。朝までには戻ってくる。辛抱せよ」
ゆっくりと清音の体を床につかせると髭切を置いたまま外に出ようとする。
「いけません。刀をお持ちになって下さい」
清音は起き上がり、髭切を手に戸に手をかける愛洲の元まで歩み寄る。髭切は重かった。普段の清音ならなんとも感じない重さだが、今はただただ重かった。病のせいか、または知らぬうちに愛洲との別れを惜しむ心のせいか。
「…わかった」
清音の差し出した髭切を腰に差し、笠をかぶると雪降る夜の闇の中へ消えて行った。その後ろ姿を気配を絶ち、見つめる一つの影。兵馬であった。立ち替わり、兵馬が家へ入る。
「本当にこれでよかったのか?」
兵馬の問いに清音は静音の髪を撫でながら頷く。
「好きな男と別れる事よりも大事な物か。俺にはさっぱりわからんが」
翌朝、昨晩の吹雪が嘘のように晴れ渡った空。薬師にもらった薬を懐に入れ、積もった雪をかき分け戻ってきた愛洲の前には笑顔はなかった。戸を開けたそこには誰もいなかった。熊や山賊などに荒らされた形跡もない。外に足跡がないという事は昨晩の吹雪の中を立ち去った事は明白だった。
「清音っ! 静音っ! 何故だっ!」
愛洲の絶叫に返ってくる声はなかった。
愛洲との幸せな生活より未来を選んだ清音。
次回は、ようやく本題へと移っていきます。
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