第四十九話 静音伝 その四
時が経つのも早いもので静音は六歳を迎えた。
名前に反して大層なやんちゃ娘に育ったのは清音の愛情あっての事だろう。
愛洲と別れて五年が経つ。あの場所には一度も戻っていない。今の住まいは兵馬のつてであの社からさらに北へ向かった先にあった。兵馬の故郷の村の近くである。
庭の墓石には山県優音ここに眠ると掘ってある。
(ユウ、貴女まで連れて来ちゃってごめんね。一人ぼっちにさせたくなかったから。お姉ちゃんわがままかな)
あの晩、小さな静音を背負い、胸には優音の遺骨の灰が入った小さな壺を抱えてきた。
兵馬にはかなり世話になっている。近くに鍛冶に用いる焼き釜を作るのを手伝ってくれたし、食材も時折持ってきてくれる。
今日も、野菜や干物、薬や衣服等を持参し訪れていた。
「おいおい、おしずは元気だなぁ。母上には似ておらぬぞ」
兵馬の足元をマロンと共にぐるぐると駆け回る。マロンも大人の鹿となり、立派な角を生やしている。時折、兵馬を突き刺し痛がらせているのは知ってか知らずか。
「あたいは父上に似てるの!ね、母上?」
「そうね」
清音は優しく微笑み、小分けにされた薪を運んでいる。
「あれから体調は大丈夫なのか」
「大丈夫ですよ。兵馬さんのお薬が効いているようで有り難い限りです」
兵馬は清音の顔色を確かめる。以前より痩せた感じはするが、今日は体調が良さそうだった。
「あいつは東国へ向かったぜ。ここ暫くは京の都を中心にお前を探していたようだが」
「そう…ですか」
気落ちした清音の顔に陰りが見える。まだ、病は治りきっていないようだ。心配させまいとする清音の心遣いに、愛洲の話を持ち出した事をいささか後悔した。
「兵馬おじちゃん、またあれやって」
兵馬は清音の顔をチラリと見て、頭を掻いた。
「仕方ねぇな、ちょっとだけだぜ」
そう言うなり、腰に下げた刀を抜き、上段の構えをとる。
「3」
静音ははきはきと数字を口にした。
「ならばこれはどうだ」
上段から切り下げた刀を流れるように中腰からの片手突き。
「7、4から2だ!」
「そうだ」
「やったぁ」
「!?」
清音の驚く表情を見て満足そうに静音は跳び跳ねている。
兵馬は刀を鞘にしまうと、ふぅっと息を吐いた。
「母上! マロンと遊びに行ってくるね」
静音は無邪気にマロンに股がった。女の子がはしたない…と言う気持ちはさらさらなかった。ただ、日頃から元気でいて欲しいと清音は願っている。
「気をつけろよ。遠くに行くなよ。この近くならいいが山の奥には猪なんかがいるからな」
「大丈夫だよ。マロンがいるし、これが守ってくれるから」
静音は腰に差した脇差しを帯から引抜き、高く掲げた。
それは、静音の護り刀として風刃一刀を打ち直したものだった。
静音がマロンと駆けてゆくのを見守っていた清音が厳しい目で兵馬を見据える。その目は母の目でもあり、酒呑童子と死闘を繰り広げた時の鋭い視線であった。
「何故、あの子に剣を教えたのですか」
その口調は疑問ではなく、叱責である。兵馬は懐に右手を入れ、左の手で顎髭を撫でた。
「あれを見た時、お前も分かっただろ。あの子には天稟の才がある。いずれ、俺や愛洲を越えるほどにな」
「……」
「静音の才能をこのままにしておくのは忍びないのだ。あいつが成長し、自分の意思で剣を学ぼうと言って来たら許してやってくれ。それまで、俺は待っている」
清音はただ黙している。
分かっていた事だった。しかし、静音を危険な目に合わせる事は出来なかった。
「マロン、こっちこっち!」
静音はマロンと共においかけっこに夢中だった。幼い子供にしてはごく当たり前の振る舞い。
「え?」
不意にぬかるんだ地面が静音の小さな足をすくう。
滑るように体が流れる。慌ててマロンは彼女の袖を噛み、引っ張るが、袖は儚くもちぎれた。
静音の絶叫を残し、彼女の小さな体は深い谷底へと落ちていった。




