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聖女の唄う鎮魂歌  作者: Allen
4章:追憶のセレナーデ
75/135

73:侵蝕都市テッサリア











「あ、あの、ミラさん……大丈夫ですか?」

「……」



 《エリクトニオス》が、道なき道を進んでいく。

当然、普段街道を進む時よりも遥かに揺れている車内に、ミラは蒼い顔をしたまま完全に沈黙していた。

テッサリアへの進軍が始まったこの日、カインたちは予定通り、軍勢とは別の方向から回り込むようにテッサリアへと向かっていたのだ。

当然、本来使われる道を逸れているため、道は舗装されても踏み固められてもいないため、非常に進みづらい状況となっている。

乗り物に弱いミラは、いっそ最近使えるようになった磁力で浮遊し続けようとすらしていたほどだ。

尤も、カインからの『計器が狂う』というクレームや、リーゼファラスの『魔力の無駄遣いだ』という至極真っ当な通告を聞き入れ、大人しく座席に座る事になっていたが。



「しかし、良かったのか、リーゼファラス?」

「……あの少年の事ですか?」

「まあな。こちらに敵意を抱いている訳じゃないが、正直何を仕出かすかは分からんだろう」



 前方の警戒を続けながら車を運転しつつ、カインは後ろの座席に座るリーゼファラスへと声をかける。

その話題は当然、この場にはいない能力者の少年の事だ。

アルベールは、結局カインたちと共に行動する事はなかった。

しかし、彼も戦線に参加する事には同意しており、結局傭兵達に紛れてテッサリアへと向かう事になっていた。

薄い笑みの下に本心を隠し、煙に巻くかのように話す少年の姿を思い浮かべ、リーゼファラスは深く嘆息を零す。



「重々承知していますよ。しかし、現状貴方の事を優先しなければならない以上、あの少年にかまけてはいられません。とてもじゃないですが、彼は一ヶ所で大人しくしているとは思えませんので」

「ま、それに関しちゃ同意するがな」



 軽く肩を竦め、カインは同意する。

アルベールは、気配を消す事にかなり長けていると考えられるのだ。

カインやリーゼファラス、アウルすらも意識的に探さねば発見できない相手であるため、戦場中ふとした瞬間に気配を消されれば、発見できなくなる可能性が高いのだ。

近場で訳の分からない事をされるよりは、遠くの戦場にいて貰った方が助かるのである。



「一応、プロセルピナの契約者である少女に声をかけておきましたが……どこまで監視できる事やら」

「上位神霊契約者と言えど、普通の人間だろう? あっさり撒かれるんじゃないのか」

「私の能力を込めた水晶を渡しておきました。ある程度は能力による干渉を抑えられるとは思います。が……相手の能力の正体が分からない以上、どこまで効くかは不明ですね」

「直接ならまだしも、間接的にはそんな感じですよねぇ」



 頬杖を突きながら窓の外へと視線を逸らすリーゼファラスの言葉に、隣に座るアウルがうんうんと同意する。

いかに超人的な能力を持つリーゼファラスと言えど、能力者相手には直接対応しなければ確実ではない。

しかしながら、今のリーゼファラスにとって、優先順位が高いのはカインなのだ。

カインが力を自覚する事でどういった影響が発生するのか、それがわからない限り、リーゼファラスは彼に集中せざるを得ない。



「正直、彼に関してはジュピター様に任せたいぐらいです……貴方以上に厄介ですよ」

「くはは、そいつはまた随分な評価だな」



 くつくつと笑いを零し、カインはちらりと視線を横へと向ける。

助手席の向こう側、遠景に見えているのは巨大な都市の影だ。

テッサリア――ファルティオンの九大都市のうち、三番目に陥落した大都市だ。

《奈落の渦》が発生した直後で混乱しており、体勢を立て直す前に三つの都市が立て続けに落とされてしまった。

今でこそ戦場を維持する事に成功しているが、テッサリア事件以前には、ほぼ一方的に攻撃を受けている状態だったのだ。



「テッサリア、か」



 カインの小さな呟きは、《エリクトニオス》の走行音の中に霧散する。

かつての大都市。30年前の大崩落から程なくして滅び去った九大都市の一つ。

上層と下層の差が最も大きく、下層は地獄であるとすら揶揄された街。

――カインの故郷。



(そう、地獄だった。死ぬ事すらも救いであるほどに。けれど――)



 カインには、その詳細な記憶は残っていない。

いつごろそれを失っていたのかも定かではなく、カインの中に残っているのは、テッサリアに関する断片的な記憶だ。

薄暗い路地や、道端に座り込んだ人々。横行する犯罪や、その犠牲者達。

法など存在しない、ただ弱者が搾取されるだけの世界。

カインの記憶に残っているのは、そんな漠然としたイメージばかりだ。

どこで何をしていたのか、どのようにして暮らしていたのか、どうやって魔物達の襲撃の中を生き延びたのか――何も、覚えていない。



(あの日、何があった? 何が起きた? 俺はいつから……この力を自覚していた?)



 深く考えた事などなかったのだ。己が今まで、一体何をしてきたのかなど。

ただ目的の為だけに邁進し、それ以外のものになど興味を持たなかったのだ。

けれど、こうして眼前にそれを示された今、カインは己の過去を無視する事が出来なくなった。

――記憶の中を僅かにちらつく、白い女の影を。



(誰なんだ、お前は……一体、誰だ)



 果たしてそれは、テッサリアに足を踏み入れれば取り戻せる記憶なのか。

未だ全容の見えぬその姿に、カインはわずかに奥噛みする。

手が届きそうで届かない、そんな歯がゆさを感じながら――



(――誰だ)



 カインはただ、胸中でそう繰り返していた。











 * * * * *











 テッサリアに限らず、ファルティオンの大都市は、全て上層と下層に分かれている。

それぞれの都市での差は、その分かれ方がどの程度顕著かという点だ。

ファルティオンのように、二重構造になって外壁で仕切られているようなものが一般的であるのだが、テッサリアにおいては――



「……これが、テッサリア?」

「下層の街……外壁が無いん、ですか」



 ミラとウルカは、その様を目にして呆然と呟いていた。

テッサリアは、大きな外壁の周囲に、まるでスラムであるかのように粗雑な家々が並ぶといった外観をしていたのだ。

尤も、そんな家々も既に朽ち果て、ボロボロの跡地と化している。

人々が住んでいたと思われる家であるが、住民を護る為の外壁は存在せず、外から簡単に入って来れてしまう状況だ。

そんな廃墟の様子を目にして、カインはぽつりと呟いていた。



「いや……確か、柵程度はあった。大したモンじゃなかったがな」

「朽ちて無くなってしまったのでしょうね。尤も、そんな物があろうと無かろうと、魔物の襲撃を防ぐ事は不可能だったでしょうが」



 ぐるりと周囲を見渡して、リーゼファラスはそう呟く。

当然ながら、廃墟の群れの中には人の気配など存在せず、物悲しい気配が流れるだけだ。

加えて魔物の姿も見えず、リーゼファラスは僅かに眉根を寄せる。



「多少はこちらにも魔物が襲い掛かってくると思っていたのですがね……」

「襲ってくる気配は、無いみたいね」



 乗り物酔いから復帰したミラが、周囲を見渡しつつそう呟く。

廃墟の中には魔物の姿も見えず、静寂は保たれたままだ。

これ以上壊れる場所もないほどに壊れているため、物陰も数多く存在しているが、それでも動くものの気配は皆無である。



「しかし……噂には聞いていたけど、酷いわね。ここの下層は、外的から身を護る手段が皆無だったんじゃない」

「ここにいた上層の連中にとって、下層に暮らしてる奴は人間ですらないという認識だったからな。生きようが死のうが、どっちでも良かったんだろう」

「ッ……生まれる前とはいえ、申し訳ないわ」

「はっ、お前が責任感じる謂れはねぇだろうよ。傲慢ってんだよ、そういうのは」

「ええ……そうね、分かっているのだけど」



 ミラは上層の人間とはいえ、所詮は一個人に過ぎないのだ。

そんな彼女が上層の総意を語った所で意味は無い。すべては彼女が生まれる前に起こってしまった事であり、結果として今があるだけなのだから。

そしてカインもまた、テッサリアの下層の代表という訳ではない。

唯一の生き残りである事は恐らく事実であろうが、その言葉を受け取る義理もないと、カインはそう考えていた。



「上層の外壁は、結構無事に残ってるんですね」

「正面にでかい門があるが、それ以外の出入り口は少ない。構造上、かなり強固なのは事実だ。まあ、その所為で逃げ道が少なく、正面を打ち破られて棺桶同然になった訳だが」

「下層を拒む潔癖症の結果がこれですか。皮肉なものですね」



 そんなリーゼファラスの言葉に、アウルが何やら言いたげな視線を向けていたが、賢明にもその内心を言葉にする事は無かった。

彼女は軽く息を吐き出し、じっと遠方へと目を細める。

肉体のスペックに関して、リーゼファラスを除けば他の追随を許さない彼女は、その視界にあるものを捉えていた。



「……リーゼ様、リーゼ様、ちょっと外壁の上を見てください」

「何ですか、アウル。一体何を……む?」



 下層の敷地はそれなりに広く、その入り口に立ったばかりの現状、外壁の重畳までは直線距離でもかなりの間が開いている。

しかし、そんな距離などものともせずに、リーゼファラスの瞳はその姿を捉えていた。

外壁の重畳に付着し、壁の向こう側へと続いていると思われる不思議な物体――



「あれは……ロープ、でしょうか。中に向かって続いている?」

「何か妙に黒いですし、魔物の作ったものではないでしょうか?」

「ふむ。となると、内部は相当妙な事になっている可能性がありますね」



 内側に伸びていると思われる黒いロープ状の物体。

それが一体何なのかは、この位置から把握する事は不可能だ。

しかし、《奈落の渦》から発生した物体であると考えられる以上、安全であるとは言えないだろう。

どうにした所で殲滅は急務。穢れを許さないリーゼファラスにとって、許しがたい光景なのだ。

けれど、リーゼファラスは一時的にその怒りを飲み干していた。



「さて……あの内側の敵を殲滅する事も我々の目的の一つですが、今回それよりも重要なのは、カインの記憶を取り戻す事です」

「あら、先に都市の奪還を行って、それからゆっくりと……という風になるのかと思っていたのだけど」

「そちらの方が余裕があるのは事実ですが……戦闘中に記憶の手がかりが消し飛んでしまっては困りますからね。できる限り、戦いが激化する前に手がかりを発見します」



 元より、《奈落の渦》に侵蝕され、汚染されてしまった都市を再利用する事は難しい。

更に、隊員の命を優先するようにとの命令が下されているため、到着した兵達は周囲の破壊を気にせずに攻撃を行うだろう。

そうして今現在の状態以上に街並みを破壊されてしまえば、カインの記憶の手がかりも失われてしまうだろう。

ここまで来た以上、それだけは避けねばならない。



「あまり時間はありません。カイン、ある程度でも覚えているならばその場所へ――」

「あ、リーゼ様。カイン様、一人で勝手に行っちゃってます」

「……まあ、おぼろげにでも覚えているのなら、闇雲に探さずに済んで助かりますが」



 言葉を無視するような形でテッサリアへと足を踏み入れていくカインに、リーゼファラスは若干ながら頬を引き攣らせ、そう呟く。

そんな彼女の姿に苦笑しながら、ミラは一人進んでいくカインの背中へと視線を向けていた。

ゆっくりではあるが、何か確信を持って進んでいくその姿。果たしてその先に、何があるのか。



「とてもじゃないけど、気分良く聞ける話では無さそうね」



 ミラはぽつりと呟き、カインの背中を追って歩き出していた。

僅かに想像しただけで、この地がどれほどの地獄であったかを垣間見る事ができる。

その地で幼い頃から生き抜いてきたカインにとっては、それ以上の苦しみを味わった場所であっただろう。

忘却とは、辛い出来事を記憶から消し去る防衛機能の一つだ。

同情などカインが望んでいない事は分かりきっているため、そういった言葉を発する事はないが、到底幸せな記憶であるとは考えられない。



(……それでも)



 ――聞かねばならない。

彼がこの先どう在るつもりなのか、それを知るためにも。

カインを先頭とした一行は、《奈落の渦》に侵蝕されたテッサリアへと足を踏み入れていった。





















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