15:美しさとは
あまり広いとは言えない部屋の中に、ノックの音が響き渡る。
しかしそれ以前に気配を感じ取っていたカインは、小さく苦笑しながら扉の方へと声を掛けていた。
「入って来いよ、坊主」
『え!? あ、はい』
扉越しのくぐもった声は驚愕に跳ね、けれどどこか諦めたような調子で納得する。
そして、扉の前でしばし逡巡していたウルカは、ゆっくりと部屋の中に入ってきたのだった。
彼が目にしたのは、窓際でグラスを傾けている黒い男。
あのボロボロのコートこそ纏っていないものの、全体的に黒い衣ばかりを身に着けている事に変わりは無かった。
彼の周囲には酒瓶が散乱しており、かなりの量を飲み干している事が伺える。
「……自棄酒ですか?」
「あ? 何でだ?」
「いや、あの力を見せて回りに怖がられた事を気にしてるのかな、って」
「くはは、ンなもん何で俺が気にしなきゃなんねぇんだよ」
そういって笑うカインの表情の中には、どこにも無理をしている部分などは存在しない。
純粋に、他人の評価などまるで気にしていないと、そう口にしてカインは笑うのだ。
そんな彼の異質さに、ウルカは眉根を寄せる。
カインの示した向かいの椅子に腰掛けながら、ウルカは疑問を口にしていた。
「なら、どうして部屋で?」
「絡んでくる奴がいるからな。落ち着いて酒が呑めねぇんだよ。今回みたいに、一部の奴のみに力を見られた場合はな」
対し、カインは肩を竦めてそう口にする。
そんな彼の言葉に、ウルカの脳裏には、気絶していた二人よりもミラの姿が思い浮かんでいた。
今回の戦いの功労者は、彼女とウルカだという事にされている。
《将軍》に対して手も足も出なかったウルカとしても納得しがたい事であったが、神霊契約の力が第一であるとしている正印教会の人間には真実を話した所で通じないだろう。
それ自体は、納得はしていないものの理解はしている。
けれど――あの誇り高いミラには、それを認める事はできないだろう。
「彼女が、自分がやったのではないと口にすると?」
「言いふらしはしないまでも、ぽろっと零すぐらいはしているかもな。それに、半信半疑ではあったが、気絶してた連中にはあの女が直々に話している。嘘じゃない事ぐらいは理解しているだろうさ」
肩を竦め、カインは再びグラスを傾ける。
その中身を飲み干した彼の顔に、酔いの気配は無い。
一体どれだけ強いのかと、ウルカは思わず呆れの表情を浮かべていた。
「まあそういう訳で、無駄に絡んでくる連中がいない所でゆっくり酒を呑んでいた訳だが――お前は何の用事だ、小僧?」
「……っ」
改めてそう口にしたカインに、ウルカは思わず息を飲む。
別段、機嫌を損ねたという訳ではない。彼は、ただ単純に疑問を口にしただけだ。
けれど、その奥にあるあの漆黒を幻視して、反射的に恐怖が蘇っていたのだ。
あの人にあらざる力に対する恐怖は、紛れも無く本物だった。
神霊契約でもない、魔力銃でもない、あまりにも禍々しい力を纏った大鎌。
規格外の魔物を一撃で葬ったその力――圧倒的過ぎるそれに対し、けれど逃げる訳にはいかないと、ウルカは改めて視線をカインの瞳へと向ける。
「教えてください。貴方の事を……そして、貴方の力の事を」
「へぇ……面白いな、お前は。アレを目にして逃げるどころか、自分から関わってくるとは」
「カインさん」
じっと、目を背ける事無く告げるウルカ。
カインはしばし彼と視線を合わせ――小さく、嘆息を零していた。
「はぁ。ま、正直に言うとだな……俺も知らん」
「……は? いや、自分の力ですよね?」
「ああ、そうだな。だが、俺はコイツの詳細を知らねぇんだよ」
言って、カインは手を掲げる。
その仕草にウルカが疑問符を浮かべた瞬間、カインの掌を突き破って、一本の剣が姿を現した。
それは彼が普段使っているファルクスであり、飛び出してきたそれを握ったカインは、黒い刀身を眺めながら声を上げる。
「何故こんな事が出来るのか、何故死なないのか。俺は知らない……いや、死に過ぎてて記憶が曖昧になってるから、覚えてないのかもしれないがな」
「死に過ぎててって……」
「何せ、頭を吹っ飛ばされてもすぐに戻る。おかげで過去の記憶が曖昧だ。テッサリアの生まれである事は覚えているが、あの都市が壊滅した時の記憶はさっぱりだな」
始まりの《渦》たるコーカサスの大崩落と、そこから溢れ出た魔物により壊滅したテッサリアとティーヴァ。
その生き残りであるというだけでも驚愕の事実であったが、生憎とそれはウルカの知りたかった情報ではない。
眉根を寄せる少年の姿に苦笑しながら、カインは続けた。
「だが、少しだけ分かる可能性はある」
「……と言うと」
「リーゼファラス、そしてあのメイド。あいつらの持つ力は、俺のものと同じとは言わないが同質のものだ。そして、奴らはそれが何なのか知っている節がある」
「つまり、彼女たちに聞けと?」
「聞いて答えてくれるかどうかは知らんがな」
肩を竦めるカインに、ウルカは沈黙する。
『最強の聖女』と呼ばれる存在――そんな人物と、下層の人間があっさり話が出来るとは思えない。
そういう意味では、《奈落の渦》の跡地からクレーテに向かう最中が最も大きなチャンスだったのだが、ウルカはそれを逃してしまっていた。
それを考えて落ち込んだ表情を見せるウルカに、カインはくつくつと笑い声を上げる。
「ま、進展があったら話してやるさ。俺はオリュークスを拠点にしているからな。お前も、会いに来ようと思えば来れるだろう?」
「あ、はい。僕もあそこに住んでいるので……向こうに到着したら、一度案内して貰えませんか?」
「ああ、問題ないさ」
ひらひらと手を振るカインに、ウルカは小さく微笑んで頭を下げる。
用はそれだけだったのだろう。ウルカは声をかけて席を立ち、退出しようとする。
そんな彼の背中に、声がかかった。
「小僧」
「はい、何ですか?」
「お前は、俺を恐れないのか?」
その、言葉に――ウルカは、思わず肩を跳ねさせていた。
振り返ったその視界に入ったのは、グラスを傾けながら窓の外へと視線を向けるカインの姿。
その姿は普段と変わらない。けれど――窓に反射するその姿は、漆黒の靄と浮かび上がる紅の月へと変貌していた。
それが彼の本質。漆黒の刃に包まれた死神。
それに恐れを感じなかったと言えば、嘘になってしまうだろう。
――けれど。
「貴方の技量については、納得できたから。幾度も死にながら、それでも戦い続けて、その努力の果てに身に付けた力だと分かったから――僕は、貴方を尊敬したいと思うんです」
「…………」
「では」
それだけ告げ、ウルカは部屋を去っていった。
窓の反射越しにそれを見つめ――カインは、小さく嘆息する。
そんな言葉を掛けられるとは、露ほども考えていなかったから。
(努力、ねぇ)
それは、確かに事実だろう。
自らの死に場所を求めて戦場を渡り歩き、けれど中途半端な死など認められないと己の力を磨き続けた。
結果としてここまで死ぬ事も出来ず、満足できる戦場にも出会う事は出来ず――こうして今も戦い続けている。
己の願いと真摯に向き合い、戦い続けてきたのだ。それは、見方を変えれば『努力』と呼ぶ事が出来るのかもしれない。
「少し、興味は湧いたか――」
そう呟き、カインは立ち上がる。
その手に、先ほど生み出したファルクスを握りながら。
「それで、テメェは一体何の用事だ?」
「はい、カイン様に会いにですよ」
振り返ったその先に、音も無く佇むメイドの姿。
彼女、アウルは――ウルカが部屋を出たその瞬間、閉まろうとしているドアの隙間から気付かれる事なく侵入していたのだ。
その相変わらずな技量には驚嘆しつつも、カインは油断無く構える。
アウルの狂気は、彼にとっても理解不能なものであったのだ。
「俺に会いに、とはな。夜這いにでも来たのかよ」
「はい、その通りでございます」
「……は?」
一瞬、カインは虚を突かれて目を見開く。
それはほんの一瞬に過ぎなかったが、アウルにとっては十分すぎる隙であった。
彼女はその場で刃を振るい――離れた場所にあったカインの腕を、切断していた。
「な……ッ!?」
刃は触れてはいない。だが、身体が切断されている。
その矛盾に驚愕しながらも、カインはすぐさま腕を再生させていた。
が――
「ああ……っ! 素敵です、カイン様」
陶酔した、湿った熱の篭った声音を零しながら、アウルは再び刃を振るう。
それによって足を切断され、カインは一瞬だけバランスを崩す。
すぐさま再生する事で転ぶ事は免れたが、その時には瞬時に移動したアウルによって体当たりされ、横にあったベッドへと押し倒されていた。
「貴様……!?」
「ふ、ふふふ」
一度見た攻撃だ、本来ならば反応する事は出来た筈だ。
そう舌打ちしつつも、カインは己が躱し損ねた理由を理解していた。
彼女の攻撃には、一切の殺意が存在していなかったのだ。
常人であればショック死していてもおかしくないような攻撃を繰り出しながら――彼女には、一切と言っていいほど殺す気と言うものが存在しなかったのだ。
言うなれば、相手をベッドへと押し倒しただけ。その為に、相手の足を切断した。
あまりにも当然の様に行われた行為に驚嘆しつつも、霞を打つような感覚を覚えて反撃の意志を見失う。
結果として、カインの口から出たのは単純な疑問の言葉だった。
「……何の、つもりだ?」
「言いましたよ。夜這いだと……リーゼ様には許可を頂きましたので」
「どうしてあの女の許可を貰う必要があるのかは知らんが。普通の人間ならさっきので死ぬぞ?」
「え? ……あ、そうですね」
まるで虚を突かれたかのように、アウルは目を見開く。
そんな事は一切考えなかったと、そう言うかのように。
彼女の見せたそんな反応に、カインは再び眉根を寄せる。
「……なら、質問を改める。何故俺なんだ? 力に興味を持ったからとて、いきなり寝たいなどとのたまうとは思えんのだが?」
「それはもちろん、カイン様が私の理想の男性だからです」
「俺が、理想だ?」
「はい」
ごく自然に頷いて笑みながら――アウルは、再び刃を振るった。
それと共に、カインの右腕が半ばから切り落とされる。
切断された手を持ち上げ、彼女は熱の篭った視線でそれを見つめていた。
「私は、人間の断面がとても綺麗だと思うのです。赤と、白と、黄色と……ああでも、リーゼ様の透き通った水晶や、カイン様の漆黒はそんなものとは比べ物にならないぐらいに美しいと思います」
切断されたカインの腕の断面は、漆黒に染まっている。
しかし、それは彼の腕が再生してゆくと共にボロボロと崩れ、消滅していた。
消えてしまったそれを切なそうに見つめてから、アウルは改めてカインに向き直る。
「それを見ていると凄く興奮して、芯が熱くなって……でも、普通の男性はすぐに動かなくなってしまうのです」
「そりゃ、まぁなぁ……成程、切断した人体に性的興奮を覚える異常性癖、と。そういう事か」
カインも下層で生きてきた人間だ。そういった異常者は幾度も見かけてきた。
アウルは、あくまでも生理的な欲求として人間を切断しているのだ。
自慰代わりに人の身体を切り刻み、その結果として人が死んでいる。
そこに殺意と言うものは無い――彼女はただ、己の性的な欲求を満たそうとしているだけなのだから。
三大欲求の内の一つが殺人によって満たされると言うのであれば、彼女は生粋の殺人鬼であると言えるだろう。
「成程――」
カインは、笑みを浮かべる。
見上げる少女の手入れをされた銀髪と、紫水晶の瞳。
文句なしに美少女である彼女が求めてきていると言うのであれば、カインとしても否は無い。
己の欲求に従い、カインは己の腹部を貫き突き出した刃で、アウルのメイド服の前を斬り裂く。
「きゃ――」
「よっと」
それでもアウルはしっかりと反応していたが、虚を突くには十分だった。
全身が凶器の塊であるカインには拘束など大した意味は無い。
僅かながらに隙を見せた彼女の胸倉を掴み、カインは体勢を反転させる。
アウルをベッドに組み敷き、嗜虐的な笑みを浮かべ――
「いいぜ、いくらでも切り裂けばいい。だが、俺もお前を食わせてもらう」
「ああ……やっぱり貴方は理想の男性です、カイン様」
満足げに、陶酔した笑みを浮かべるアウル。
そんな彼女の様子に己を高ぶらせながら、カインは彼女の唇を貪る。
「んっ! ふ……ん、む……!」
同時に、バランスを崩しかけて何とか堪える。
ベッドに手を付いていた左腕を切断されたのだ。けれどすぐさまそれを再生させながら、同時に首筋に宛がわれた刃の感触を感じつつ――
「――本当に面白いな、お前たちは」
唇を離し、半ばまで首に食い込んだ刃を見つめながら、カインは彼女の身体に没頭していった。