14:帰還
「ふ、ふふっ」
クリュサオルを内側から食い破った黒い刃の群れは、その身体を包み込んでカインの体へと帰ってゆく。
肌を食い破り、黒い靄でできた体を覆い尽くすようにしながら集束して行くそのおぞましい光景に、リーゼファラスはただ愉快そうな笑みを浮かべていた。
そして隣に立つアウルもまた、その光景に目を輝かせている。
「リーゼ様、リーゼ様。あの方、もしかして――」
「ええ。資格を持つ者だとは思っていましたけれど、自力でここまで辿り着いていたのは素晴らしいですね。それに……貴方の望みにも叶う人材では?」
「はい! ああでも、つまみ食いしたりしちゃ……」
「物欲しそうな目で見ないでも大丈夫ですよ。貴方の力では、彼は殺せませんから」
くすくすと笑い、リーゼファラスはカインから視線を外して周囲を見回す。
《将軍》がいたと言う事は、ここはこの《奈落の渦》も最深部であると言っても過言ではないだろう。
本来ならもっと深い場所にあるはずなのだが、向こうから招き入れてくれたおかげで早く済ます事が出来たのだ。
それに関しては良い事だ、とリーゼファラスは胸中で呟く。
これ以上、この汚らわしい場所にいるのは我慢ならなかったのだ。
「さて……それでは核を潰すとしましょうか。ロズィーア、付いてきなさい」
「え、ええ……」
ミラは、カインの事を気にしつつ、それでも視界に入れるのを怖がるように逸らしながら、リーゼファラスの言葉に頷いた。
周囲では、アルティとメーリュが気絶している。ダメージによるものではなく、カインの姿を見た途端に意識を失ってしまったのだ。
今も尚震えの走る体を必死に押さえつけながら、歯の根が合わない口を引き結ぶ。
(何、あれは……)
誇り高く気高い意志を持つミラは、これまで恐怖を感じる事があったとしても、それを身体にまで表した事はなかった。
彼女はそれだけの強靭な意志を持っており、故にこそあの絶望的な状況でも立ち向かう事が出来たのだ。
けれど今、そんなミラが震えている。カインの持つ鎌が発する、本能的な恐怖から。
(見ただけで、殺された……それだけで、何十通りも何百通りも、自分が死ぬ様を見せ付けられた……あれは、駄目だ。意志が弱ければ、それだけで自分が死んだと錯覚してしまう……!)
ミラだからこそ、この程度で済んでいるのだ。
ウルカも何とか意識を保ってはいるが、立ち上がる事は出来ないでいる。
メーリュとアルティに至っては、それを目の当たりにしただけで気絶してしまった。
何とか息はしているため、見ただけで即死すると言う事態は避けられたようであったが。
(これが、資格? この力が、こんな力が……)
歩むリーゼファラス、ミラはその背中を追おうとして――隣に響いた足音に、戦慄した。
カインが、漆黒の死を纏う男が、そこに立っていたのだ。
「ッ……!!」
「おいおい、ちょっと待ってくれよ」
感じた恐怖心を隠す余裕すらなく、ミラは必死にその場から飛び離れる。
けれどカインはそんな彼女の事など歯牙にもかけず、リーゼファラスへと向けて声を上げた。
「分かる。あんたは強い。それこそ、この俺すらも殺せるほどに。あんたとの戦いは、俺にとって価値あるものになりそうなんだがな」
「つまり、私と戦って、敗北の末に殺されたいと?」
「強さを求め、自分より強い相手と戦って、死闘の末に殺される。その中であんたに一矢報いる事が出来るとすれば、それは価値のある戦いにはならないかね」
その言葉の意味を、意図を、カインという男そのものを全く理解できず、ミラは絶句していた。
彼が何を言っているのかが分からない。何を考え、何を思って、自ら殺されに行くような事を口にしていると言うのか。
《将軍》を全く歯牙にもかけないまま滅ぼした大鎌を手に、カインは口元を歪めて声を上げる。
「だから……戦ってくれないかねぇ、『最強の聖女』リーゼファラス。あんたの力は、俺よりも遥かに高い」
「――ふ、ふふ。あはははははははははははははははははははははは」
そして、そんなカインの言葉に――リーゼファラスは、どこまでも楽しそうな笑みを浮かべていた。
強大なる狂気と殺意、それを真っ向から受け止めて、尚も楽しそうに笑いながら。
隣で驚いた表情を浮かべているアウルを尻目に、彼女は振り返る。
「中々にいい力を持っていると思っていましたが、まさか私の力を認識できる領域にまで達していようとは! 貴方は素晴らしい、私の想像以上です」
「褒めていただいて恐悦至極。それで、やってくれるのかい?」
「ふむ……確かに私なら、今の貴方を滅ぼす事は可能でしょう。ですが、今それを為すのは私としても困りものです。私は貴方の力を必要としている。貴方を滅ぼすのは、私としても都合が悪いのです」
ぎちり、と――カインが肩に担ぐ大鎌が、軋む音を上げる。
それによって吹き上がった殺意は、ミラが身動きを取れなくなるほどのものであった。
けれど、それを涼しい顔をしながら受け止めて、リーゼファラスは小さく笑う。
「それに私は、全力を出す事は禁じられております。その状態では、貴方を滅ぼす事は出来ないでしょう。それでも、やってみますか?」
「そうかい。残念だが――ま、やってみるとするかね」
口調こそ近所の店へ買い物に行くようなものであったが、溢れ出る殺気はそんな生易しいものではなかった。
空気を歪めるほどのそれを纏うカインは大鎌を構え、深く腰を落とし――地面を踏み砕くほどの勢いを以って、駆けた。
振り下ろされる大鎌は、あらゆる障害を死滅させながら駆け抜ける。
それが防御であれ距離であれ時間であれ、カインの認識する『邪魔』は悉く抹殺される。
けれど――
「ふ……ッ!」
リーゼファラスは、それにすら正確に反応していた。
振り下ろされる大鎌に対し、リーゼファラスは己が拳を振り上げる。
何の変哲も無いはずの、その一撃は――
「――本当に、素晴らしい」
カインの振り下ろした大鎌を水晶へと変えて粉砕し、更に突き抜けた拳がカインの頭部を同じように破砕していた。
砕け散った水晶が薄暗い光を反射して煌く。地に落ちて澄んだ音を立てて行くそれを見ながら、リーゼファラスは心の底から楽しそうな笑みを浮かべていた。
肘まで水晶と化し、透き通った己の右腕を見つめながら。
「まさか、その位階で私の体に傷を負わせるとは……想像以上ですね、カイン」
その腕は、拳から僅かに、けれど確実に黒く染まり始めていた。
進行は遅く、未だ黒い靄程度にしか見えぬそれだが、リーゼファラスはそれを確かな傷であると認識していた。
これが全身を覆い尽くせば、例え強大なる力を持つ己であろうが死に至ると。
それが愉快でたまらないと言うようにリーゼファラスは笑み――そして、拳を握り締めると同時に自らの右腕の肘から先を粉砕していた。
「リーゼファラス……!?」
「ああ、問題ありませんよロズィーア。彼ほどではないとは言え、私にも不死性はありますから。いえ、正確に言うなら、彼のレベルで私以上の不死性を持つ事自体が異常なのですが」
カインの大鎌が消え去った事で死の恐怖から逃れたミラは、右腕を失ったリーゼファラスに駆け寄る。
けれど彼女は何事も無かったかのように右腕を振るうと、その断面から水晶が伸びるように腕を形作る。
そしてその表面が砕け散ると共に、リーゼファラスの右腕は普段の肉感のあるものへと変化していた。
最早常識の範疇を大きく超えたそれに、ミラは深々と溜息を吐く。
「……本当に何者なのよ、貴方たちは」
「それに関しては、貴方の主に尋ねると良いでしょう。ジュピター様が答えてくださるなら、私も文句はありません」
そう答えると、リーゼファラスは倒れたカインの方へと視線を向ける。
頭部が水晶化し、粉砕されたその姿。普通に考えれば、生きている事などありえない。
首の断面まで結晶化しており、死していることは間違いない――その、筈だと言うのに。
その断面を砕き割るように、いくつもの黒い刃が噴出した。
「ッ……!?」
黒い刃から感じる嫌な感覚に、ミラは思わず悲鳴を上げかける。
黒い刃と共に溢れ出した靄は人の頭部の形を作り上げ、それ覆い尽くすように黒い刃が広がってゆく。
そしてそれが完全に固まった時――リーゼファラスと同じように、元の顔が再生していた。
「ふぅ……成程ねぇ。全力を出せば俺を殺せると」
「恐らくは。けれど、許可はそうそう下りないでしょう。私が全力を出せるのは、それに値する強大な相手との戦いの時だけです。つまり――」
「俺に、その領域まで強くなれ、と。くはは、いいね。面白そうじゃねぇか」
何事も無かったかのように立ち上がり、笑うカイン。
彼のその表情の中に、先ほどのような狂気は微塵も存在していなかった。
明確な目的を見つけて笑うその表情は、皮肉な事に、どこか生き生きとしたものだったのだ。
「それならまぁ、しばらくはあんたの話を聞いておこう。さて、核を潰すんだったか?」
「ええ。このような汚らわしい場所が、世界に存在する事自体が認められません。さっさと行きましょう」
「へいへい」
そんな人間らしい表情と、何事も無かったかのような会話。
それに対し――ミラは、恐怖と嫌悪を覚えていた。
リーゼファラスやカインの力、拝謁の資格、ジュピターの知っている事。
自らの信じていたものが崩れ去ってゆく感覚に、ミラは拳を握り締める。
「……この世界は、一体」
その答えは出ないまま――けれど己の責務を忘れるような事はせず、ミラは二人の後に付いて行ったのだった。
* * * * *
核を潰した後の《奈落の渦》の中は、普通の洞窟のような場所へと変化していた。
クリュサオルによって連れて来られた場所は洞窟の奥地であり、普通に戻るには中々に時間のかかる場所。
結果としてこの洞窟の内部で一夜を明かし、一行は外へと出ることになった。
そこから、戻ってきた馬車に乗ってしばらく。一行は、ようやくクレーテへと帰還していた。
巨大な歓声と歓迎に出迎えられた一行であったが――ミラの表情は、晴れないままだ。
「どうかなさいましたか、ミラ様?」
「あ……アルテア様」
祝勝会の一角、権力者ばかりが集っているような場所。
ベランダに出てぼんやりと外を眺めていたミラに、アルテアの声がかかった。
振り向いたミラの表情に、アルテアは小さく苦笑する。
「クレーテを救ってくださった英雄の表情ではありませんよ、ミラ様」
「分かっては、いるのですけれど」
小さく苦笑し、ミラは再び視線を遠景へと戻す。
浮かない表情を消す事が出来ない程度には、ミラにも未熟さと言うものは存在していた。
本来ならば、そんなものを人前で見せることは無いのだが――
「部下を亡くしてしまった事が、そこまでショックでしたか?」
「……否定は、出来ません。けれど、それは覚悟していた事ですし、彼女たちも必ず生きて帰れるとは思っていなかったでしょう」
もしもそれだけであるのなら、ミラはここまで態度に出す事はなかっただろう。
尤も、周囲の者達はそう勘違いしているため、彼女の優しい印象を広めるのに一役買っていたが。
ともあれ、ミラが気にしていたのはもっと別の事だ。
「……アルテア様」
「はい、何でしょうか?」
「私たちの力とは、一体何なんでしょうね……」
ミラを悩ませていたのは、揺るぎ無いと思っていた力に対する疑問だった。
強大なる上位神霊の力を操る、『ケラウノス』の称号の持ち主。
その名に驕っていた事は無いが、それ相応の力を持つ自負は彼女にもあった。
けれど、それは《将軍》相手にはほぼ通用しなかったのだ。
実際に敵を倒したのはカイン――彼の持つ異様な力が、ミラたちに勝利をもたらした。
「私は、ほぼ何も出来なかった。なのに、契約者でもない者が、ああして倒してしまった」
最高の神霊契約者である『ケラウノス』――無論、有する力が最高位であるというだけであって、実際に戦えば勝てない相手をミラは知っている。
けれど、カインやリーゼファラスのそれは、それらとすら隔絶されたものだったのだ。
それ故に、称賛を受ければ受けるほど、ミラの心は締め付けられていったのだ。
自分の弱さに対する、嫌悪を抱いて。
「ミラ様……貴方は、我々を救ってくださったお方です」
「いえ、ですから私は――」
「あの大量の敵が溢れ出て来た時。少ない兵を纏め上げ、率いて戦ってくださったのは間違いなく貴方です。貴方は、それだけの強さを持っているのですよ、ミラ様」
優しく、慈愛に満ちたその言葉に、ミラは思わず口を噤む。
未だ若く、多くを背負うには経験が足りず、それでも必死に戦い抜こうとしている少女。
そんなミラの姿に、アルテアは痛く感銘を受けていたのだ。
「それでも足りぬと思うのならば、多くの事を知るべきでしょう。貴方はまだ若い。多くの事を経験して、その中で成長してゆく事が出来るはずです。そして、貴方はその中で、貴方なりの答えを見極めればよいのですよ」
「私なりの、答え……」
小さく呟き、ミラは言葉を失う。
今回の事だけでも、ミラは多くの事を学ぶ事が出来たと思っている。
単純な戦いの事から、下層の事。
ウルカという少年の言葉――そして、リーゼファラスの語った事。
どれもこれも、ミラにとっては非常に価値のあるものだった。
そしてそれを知って、自分がどう在るべきか――見極めるべき場所はそこなのだと、アルテアに告げられた言葉をミラはしっかりと理解する。
「もう、大丈夫ですか?」
「――ええ」
小さく笑い――ミラは、視線を上げる。
その瞳の中に映っている覇気を感じ取り、アルテアは小さく笑みを浮かべていた。
この気高い少女の行く末に、期待を抱きながら。
「まだ、私は経験が足りない。けれど、必ず向かうべき場所を見極めます」
「はい……いずれ、成長したあなたを見られる事を楽しみにしています、ミラ様」
振り返ったミラは、真っ直ぐと瞳を見つめてそう口にする。
そんな彼女に対し、アルテアはどこまでも楽しそうな笑顔を見せたのだった。




