13:夜の一片
「あ、ああ……」
身体を貫かれ、壁に磔にされた黒衣の男。
その頭があった場所には、胴と同じく黄金の杭が突き刺さり、首から上は何も無くなってしまっている。
ぴくりとも動かぬその身体を目にして――ウルカは、意識が紅く染まってゆくのを感じていた。
「お、まえ……!」
握り締めた剣の柄が、ぎしりと軋む。
振り返った視線の先にいるのは、黄金と漆黒の甲冑を纏う騎士。
その姿を見据え、ウルカは歯を食いしばる。
騎士は、ゆっくりと黄金の剣を持ち上げ――それを、ウルカの方へと向ける。
「契約、行使――《ヴァルカン》ッ!!」
しかし、それよりも僅かに速く、ウルカは己の魔力を契約へと奉げていた。
瞬間、極限まで強化された力を用いてウルカは地を蹴り――その一瞬前まで彼がいた場所を、黄金の杭が貫く。
掠めたそれがウルカの纏う服を僅かに破くが、彼は構わず駆け抜け、騎士へと吶喊した。
それは即ち強固な鎧たる霊的装甲を容易く貫かれた事実に他ならないが、ウルカはそれを全くと言っていいほど気にしていなかったのだ。
「おおおおおッ!」
肉薄して振り下ろされた二刀が、強烈な爆炎を吹き上げる。
並みの魔物ならば塵も残さぬほどの熱量を叩き付け、けれど手ごたえを感じぬ事にウルカは舌打ちする。
吹き上がる炎の中を駆け抜ければ――剣を構えた騎士の姿を見つける事が出来た。
「はあああッ!」
まるで無傷のその相手に、けれどウルカは果敢に喰らい付く。
斜め下から掬い上げるように放った一閃は剣に受け止められ、けれど発した爆炎が騎士の身体を吹き飛ばす――それでも、相手に痛痒を与えた気配は無かった。
それでも、と。ウルカは怒りに身を任せ、力強く地を蹴り、吹き飛ぶ騎士へと肉薄する。
――刹那。
『荒いな、小僧』
「ッ、が――!?」
横殴りに叩きつけられた黄金の剣を二刀で受け止めようとし――その圧力に耐え切れず、ウルカは弾き飛ばされていた。
契約の力により強化されたウルカの身体能力ですら受けきれない、圧倒的なまでの破壊力。
上位神霊の力でなければ、防御の上から叩き潰されていた事だろう。
弾き飛ばされたウルカは地面を転がりながらも身体を跳ね上げ、体勢を立て直す。
けれど、そんな彼へと向かって、黄金の剣の切っ先が狙いを定めていた。
「くッ!?」
杭が飛ぶ――それを察知して、ウルカはとっさに身を躱そうとする。
けれど、それよりも僅かに早く。
「契約行使、《ジュピター》!」
閃いた雷光が、騎士の頭上へと叩きつけられていた。
それに瞬時に反応したのか、或いは来る事を予測していたのか、重厚なプレートメイルを纏う騎士は見た目にそぐわぬ俊敏さで後退し、雷の一撃を躱す。
その姿に奥噛みしながらも、雷を放ったミラは、ウルカへと向けて叫んでいた。
「落ち着きなさい!」
「けど、カインさんが――」
「ここで取り乱して戦う事が、彼から学んだ事だとでも言うの!?」
「――っ!」
続けざまに幾条もの雷を放ちながら、ミラはそう口にする。
隊から、己の仲間から犠牲を出してしまい、悔やんでいるのはウルカだけではないのだ。
人一倍責任感の強い彼女もまた、それを赦す事など出来はしない。
けれど、だからこそ。彼女は、この場で取り乱すような事だけはしなかった。
「ウルカ、アルティ、前衛を任せたわ! メーリュは中衛で二人の補助を! 私は後ろから援護する!」
「了解、大将! 契約行使――《ペルセウス》ッ!」
「分かりました! 契約行使――《ウリクセス》!」
ミラの言葉に従い、アルティとメーリュが動き出す。
アルティの契約神霊たる《ペルセウス》は、不死を殺す強い力を持つ神霊だ。
特殊な能力は少ないが、身体強化の度合いは高く、その点に関しては上位神霊の契約者とも引けを取らない。
そしてメーリュの契約神霊たる《ウリクセス》は、知勇を兼ね備えた神霊である。
契約した者に武力と知略を与える、非常にバランスの良い力を持っている。
尤も、同系統の力を持つ上位神霊、《マールス》には遠く及ばないのだが。
まず走り抜けたのはアルティ。彼女はウルカの振りまいた炎熱すらも物ともせず、そのバスタードソードを振り上げて駆ける。
契約行使によって得られた剛力は、《重装兵》の外殻すらも破壊する力を持つ。
また、その不死殺しの性質は、手にする武器を強化する性質を持っていた。
「ぉおりゃあッ!」
大上段から振り下ろされた一撃が、騎士へと叩き付けられる。
それによって地面に激震が走り――けれど、騎士は小揺るぎもしない。
片手で無造作に構えた剣で、アルティの一撃を容易く受け止めてしまっていた。
『――軽いな』
「な、にっ!?」
「下がれ、フェイン! 死にたいのか!」
「っとぉ!」
メーリュの叫びに反応し、アルティが咄嗟に後退した所で、彼女の立っていた場所に杭が突き刺さった。
ウルカの防御すらも突き破る攻撃だ、彼女が受ければひとたまりもないだろう。
背筋に冷たい汗が伝う感覚を感じながら、アルティは乾いた笑みを浮かべる。
続けざまに放たれた杭は後退するように前に出たメーリュが打ち払い、その軌道を逸らす。
そして、そんな彼女達の横を通り抜けるように、幾分か冷静さを取り戻したウルカが駆け抜けた。
その双剣に宿る炎は、今まで以上に強く燃え上がる。
「『έγκαυμα』――!」
彼の口から発せられたのは、神世において用いられる言葉。
それと共に振り下ろされた刃は炎を吹き上げ、衝撃を伴う炎の渦となって駆け抜ける。
そして、それと呼応するかのように――
「――『Συντριβή σας』」
ミラの発する声が、雷を呼ぶ。
魔力を練り上げる事によって放たれた一撃は先程の比ではなく、劈くような轟音を以って幾条もの雷光となって顕現する。
二人の攻撃はほぼ同時に着弾し――巨大な爆発を引き起こした。
その衝撃に何とか耐え、ウルカは視線を上げる。
今の二つの攻撃を、どちらも回避する事は不可能だ。そして今の攻撃を受ければ、絶対に無事では済まないだろう。
「は、ははは……すっごいねぇ、流石は上位神霊だ」
衝撃に片膝をついていたアルティは、乾いた笑みを浮かべながら立ち上がる。
一点への破壊力としては、3000の魔物を相手にしたミラの雷よりも上であろう。
その直撃を受けて、無事で済む筈が無い。
(その、筈なのに――)
何故か止まらぬ嫌な予感に、ウルカが剣を持ち上げた――その、瞬間だった。
煙を吹き散らすように、剣を構えた金の甲冑が現れたのは。
「え――」
その剣が向けられているのは、立ち上がったばかりのアルティ。
切っ先が霞む剣速で放たれた一閃は彼女の首筋へと吸い込まれ――
「させ、るかッ!」
寸前で、ウルカが己の剣を割り込ませていた。
甲高い音と共に剣が打ち合わされ、衝撃と共にその力が拮抗する。
だが、それも一瞬の事であった。
『貴様は後だ――』
「な、ぅあああっ!?」
「ちょ、ぉお!?」
打ち合わされた剣を、騎士は無理矢理に振り抜く。
その衝撃に押され、ウルカは背後にいたアルティ共々後方へ吹き飛ばされていた。
そして、そのまま重なるように壁へと叩き付けられ、地面へと落ちる。
動けぬ二人に、しかし騎士は追撃を加えるような事は無く、そのままメーリュの方へと向かって行く。
そして騎士が剣を振るうと同時、虚空から現れた黄金の杭が彼女へ向けて射出される。
「くっ、ぅあああ!?」
凄まじい速度で飛来するそれに、メーリュは剣を合わせて軌道を逸らそうと力を込める。
が、その威力は先程の比ではなかった。
何とか逸らしたものの完全とはいかず、杭は腕を掠り、メーリュはその衝撃によって弾き飛ばされてしまっていた。
彼女の利き腕は攻撃の掠った部分が抉れており、とてもではないが剣を握れる状態ではない。
「……そん、な」
茫然と、ミラは呟く。
けれど、敵が待つような事は無く、騎士は一直線に彼女の方へと駆けて来ていた。
圧倒的に不利な状況――けれど、それでも心を折る事は無く。
レイピアを構え、迎え撃つようにミラは駆けた。
雷を纏うそれは、穿てば相手に雷の力を流し込み、その動きを止めるだろう。
その一撃に全霊を込めるかのごとく、ミラは剣を突き出し――
「心の折れぬ様は素晴らしいですが、冷静ではないですね。ですが……私としては、好感が持てますよ」
間に割り込んだ少女の左手によって、その手首を掴み取られていた。
そして彼女の右手は、振り下ろされた騎士の剣を掌で受け止めている。
――今まで沈黙を保っていた『最強の聖女』が、そこにいた。
「リーゼ、ファラス……」
『貴様……! 貫け!』
茫然としたミラと、驚愕を交えた騎士の声。
それと同時に発せられた杭は二人へ降り注ぎ――リーゼファラスは、ミラを抱え上げて瞬時に後退していた。
しかし、そんな彼女の動きを見極めていたのか、騎士は狙い撃つように杭を放つ。
――しかし、それは彼女達に辿り着く前に、割り込んだメイドによって粉々に寸断されていた。
「やれやれ……やはり、《将軍》の相手は荷が重かったですか。貴方ならできるかと思いましたが……まだ、早かったですね」
「《将軍》……やっぱりあれが、そうなの」
衝撃の抜けきらぬ表情で、ミラは黄金の騎士の姿を見つめる。
最強の魔物、人にも近い意志を持つそれは――リーゼファラスの姿を見つめ、声を発する。
『成程……貴様が『最強の聖女』とやらであったか』
「……それが、何か?」
『我らを打ち砕いたモノ……我らが同胞を滅ぼしたモノ。貴様のその魂は甘美な物であろう。ならば、このクリュサオルが貴様を喰らう。覚悟せよ、『最強の聖女』』
黄金の騎士、クリュサオルは剣を構えつつそう声を上げる。
けれどリーゼファラスはそれには答えず、ちらりと斜め後ろへ視線を向けていた。
そこにあるのは、壁に打ち付けられたカインの姿。
それを見つめ、リーゼファラスは嘆息する。
「興醒めですね。まさか、この程度とは」
『無理からぬ事だ。矮小な人間風情が、我が前に立てばどうなるか――』
「黙れ、塵屑が」
刹那――発せられた巨大な殺意が、大気を震わせた。
物理的な圧力すら持って放たれるそれに、近くにいたミラは思わず悲鳴を上げかける。
それほどに、リーゼファラスは感情をむき出しにしていた。
「我が女神の大地を穢す塵風情が、不遜にも女神と魔王の色を纏うとは……おまけに愚鈍と来ている。本当に、度し難い」
『な、に……?』
「私は、貴様に対して興醒めと言った。まさか――あの程度で、彼が終わるとでも? そんな事にも気付けなかったのか、貴様は」
――その場にいた誰もが、耳を疑った。
リーゼファラスの発したその言葉が、誰にも理解できなかったのだ。
けれど――
「はははははははははははは……おいおい、勝手にネタばらししないでくれよ」
声が、響く。
先程吹き飛ばされたはずなのに、何一つ変わらぬ様子のまま。
その声に、リーゼファラス以外の者達の視線は一気に声の方向へと向けられ……一様に、悲鳴を上げた。
「ひっ!?」
「な、何だ、貴様は……!?」
そこに、黒衣の男の姿があった。
――半分以上が欠けた頭で、大穴の空いた体のまま、悠々と歩いて。
その欠損した部分には、漆黒の靄が人の形の輪郭を造り上げている。
揺らめくそれと残った体の境目には、無数の黒い刃が蠢いていた。
欠けた部分を漆黒の刃が絡み合って覆い尽くし、人の姿を造り上げている。
ヒトではありえぬ、その姿で――カインは、愉悦に歪めた笑みを浮かべる。
「よう、聖女さんよ。こいつは、喰ってもいいんだろ?」
「ええ、私に貴方の力を見せてください」
許可を得て、カインは進む。
恐怖を、嫌悪を、その一身に受けながら――それでも、ただ、楽しそうに。
「杭の騎士、《渦》の主が一つ、《将軍》――」
『何だ、貴様は……』
――カインは、ただ告げる。
視線の先にいる、甲冑騎士へと向けて。
「黄金の剣を持つ者、クリュサオル」
『何なのだ、貴様は――ッ!!』
瞬間、無数の黄金の杭が、カインへと降り注いだ。
ウルカの防御を貫き、メーリュを容易く戦闘不能に追いやった、その力。
降り注ぐ力が、黒衣の男を貫いてゆく。
一つ一つが高位神霊契約者の霊的装甲を容易く貫き、致命傷を与えるであろうその力。
人の目では捉えられぬほどの速さと正確さを以って、力はカインの身体を破壊する。
――けれど。
「多くの“死”を喰らった者」
カインの言葉は、止まらない。
その身をいくら砕かれようと、その身を幾度死に追い込まれようと、黒き男は止まらない。
『何だ、何だそれは……聖女の力ではない、何なのだ貴様は!?』
騎士は――クリュサオルは、カインへと向けてただ叫ぶ。
それは恐怖であっただろう。
例え、その感情の名を知らなかったとしても。
砕けた顔を再生させつつ、その紅月の瞳を揺らめかせて、黒き男は嘲笑する。
「だが、残念だ――お前は、俺の“死”に届かない」
じわりじわりと、黒衣の男は元の形を取り戻す。
黒い刃が絡み合い、黒き靄を覆い尽くし、人であった筈の形へと。
いつしか、カインの身体は元の姿を取り戻していた。
――右腕を、広げる。
――死にたいから。
――死にたくないから。
矛盾した二つの想いが、黒き男を歪めてゆく。
暗く、黒く、歪み、捩れ、軋む黒い刃が――
「故に退場しろ。お前はもう必要ない――さあ、閉幕だ!」
黒き男の右腕が――
絡み合う黒い刃が――
男より生み出されし漆黒が、全てを包み、歪めて、爆ぜる。
「“夜より生まれし黒の一片”」
ギチギチ、と。
無数の蟲が蠢くように、鋼と鋼が擦れる音が、響く。
「“鉄の心臓と青銅の心――亡者の王”」
全身より響く音は、男の黒衣を揺らし――そして、突き破る。
背中を裂いて伸びるのは、硬質な刃を連ねた骨のごとき翼。
「“陰惨なる夜の館に座する者”」
――そして、男の右腕が変貌する。
螺旋を描くように刃は解け――
黒き靄で出来た腕が――
刃の群れを掴み取り――
――解けた刃は、ひとつの形を、作り上げる。
絡み、軋み、全てを歪めて――無数の断末魔が、響き渡って。
その、内側より。
鈴を鳴らすような声音が、小さく響いた。
“回帰――”
「お前が俺を殺せぬならば」
死神、と――その姿を見た誰かが、そう呟く。
それは、命と魂を刈り取り持ち去るもの。
それは、夜の闇を纏いて蠢くもの。
それは、あらゆる命にとって最期の救いとなるもの。
――それは、“死”、そのもの――
弱い魂を持つものが目の当たりにすれば、それだけで絶命に至る“死”を纏った男は――
「お前の“死”は、俺が喰らう」
麗しき断末魔の悲鳴と共に――絡み合い形を成した大鎌を、その手に掴む。
“《永劫》――”
何処からか響く鈴の声音は、嘆くように、祝福するように。
黒き、刃が――
黒き、“死”が――
――咆哮を上げ、振り下ろされる。
「――《刻限告げる処刑人》」
『があああああああああああッ!?』
それは、万象を死滅させる死神の鎌――
逃げる事など叶わない。
時間も空間も、あらゆるものを抹殺して、死神の刃は黄金の鎧を食い破る。
砕け散ったその下から現れるのは、黄金の鬣を持つ馬であった。
抹殺の刃に貫かれ、なおももがくその鬣は、杭へと変じて黒衣の男の体を穿つ。
けれど、死なない。
「重厚な鎧に身を包んだ臆病者。防御ばかり固め、振り下ろす剣は精々人と変わらない。何だそれは、殺す気があるのか? さあ見せてみろ! 足掻いて見せろ! “死”の運命すら変えてみせるとな!」
『や、め……たす、け――』
黒き“死”は、嘲笑う。
全身を貫かれ、砕かれようと、集う刃がその身を復元する。
万物に等しく降り注ぐ理不尽は――あらゆる断末魔を飲み込んで、磨り潰す。
貫いた刃は内側から溢れ、黄金の馬を食い破ってゆく――
「はっ、ははは……!」
そして、その軋む音すらも全て喰らい尽くそうかと言うように――
「くははははははははははははははははははははははははは――――!」
カインは、漆黒の刃に包まれながら、主を失った空間に哄笑を響かせ続けていた。




