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聖女の唄う鎮魂歌  作者: Allen
1章:始まりのエチュード
13/135

12:“死”












 決して油断していた訳ではない。

カインは背後の気配の接近に気付いていたし、それがどのような動きをしようと対応しきれる自信はあった。

故にこそ、背後からの奇襲に対しても、完全に反応して回避して見せたのだ。


 ただしそれは、あくまでも自分の身の安全に対して。

手が届かぬ程度には離れていたものの安全まで保障できるほど、カインは優れた察知能力を持っている訳ではない。

故に――手の届かぬ所で落ちてゆくセレーネを、救う手立てなど存在しなかった。



「あ、ぐぅ!? ぅ、あ……あ、あああああ!」



 岸壁に叩きつけられ、そのまま下まで転がり落ちてゆく彼女――けれどカインはその様子を確認する事も無く、背後に迫っていた気配へと向き直っていた。

そこに立っていたのは、杖を振りぬいた体勢のアイリーン。

そんな彼女の口元には、愉悦の笑みが浮かべられていた。



「何故あなたが落ちないの、あなたが落ちないから彼女が落ちたのよ……あなたが、悪い、あなたが――」

「……成程、《操縦士ヴェルソー》か」



 《奈落の渦》より現れる魔物のうちの一つ。

生物に取り憑き、生物を操るという、直接的な戦闘能力に優れるほかの魔物達とは性質の異なる存在だ。

掌大の蠍のような姿をしているそれの厄介な点は、外から見ても取り憑かれているかどうかが分かりづらいと言う事。

現に、ここにいる面々は、今この時まで彼女が取り憑かれている事に気付けなかった。



「あなたが、は、ははっ、あはははははははは――はぐッ!?」

「いや、やめて、来るな、こないで――あ、ああああああ゛あ゛あ゛が、げふッ……あ、あ゛……!」



 再び突き落とそうと襲い掛かってきたアイリーン――否、《操縦士ヴェルソー》を、カインは背後に響くセレーネの断末魔を聞きながら殴り飛ばす。

もんどりうって吹き飛ばされるその身体をよそに、カインは崖下へと視線を向ける。

そこでは、《兵士ミーレス》の鋭い爪に貫かれて持ち上げられながら、足や手に喰らい付かれているセレーネの姿があった。

既に虫の息ではあるが、未だに意識はあるのか――既にか細い悲鳴しか上げぬ彼女の視線が、カインを捉える。



「ぁ……たす、げ――」

「ああ、救ってやろう」



 喰らい付かれた手足がぶちぶちと音を立てて引きちぎられてゆく中、カインは取り出したファルクスを回転させながら投擲する。

空を裂く甲高い音を立てながら飛翔したファルクスは――寸分違わず、セレーネの首を断ち斬っていた。

転がってゆくその首を一度見つめ、カインは肩を竦めながら嘆息する。



「無意味な死に方だな……哀れな。だがまあ、敵に力を与えるような悪い“死”よりはマシだろう。安らかに眠れ」



 価値ある死を求めるカインにとって、無意味な死とは最も忌避すべきものだ。

“死”とは神聖なものであるが故に、《奈落の渦》に喰われ穢されるものであってはならない。

故にこそ、カインは自らの手で救いを与えたのだ。

セレーネはまだ死を与えられる段階だった。彼女は救われただろう。一切の疑い無くそう信じながら、カインは嘆息と共に視線を移す。

――《操縦士ヴェルソー》に魂を喰われ、既に死すらも冒涜されたアイリーンへと。



「他のもそうだが……テメェは特に気に入らねぇな」



 更に新たなファルクスを取り出し、カインは不機嫌な表情で《操縦士ヴェルソー》を睨む。

既に人としての意識は無く、《奈落の渦》によって完全に操られた存在。

それは、カインにとって認めがたいものだった。



「な……っ、クソッ、《操縦士ヴェルソー》か!」

「くっ、ここで犠牲者を出す事になるとは……!」



 異常に気付いたアルティやメーリュが、泡を食ったように戦闘体勢を整える。

だがどちらにしろ、アイリーンは最早助からない。

操縦士ヴェルソー》の厄介な点は、取り憑かれた時点で全てが終了してしまうと言う事だ。

個体の力は弱く、子供でも倒す事は可能だ。

しかし不意を突かれてしまえば、例え高位能力者であろうと、その支配に抗う事はできない。

無論、それを警戒してある程度対策を取っておくのが当たり前であるが――



「は、あは、は……!」

「回復系で霊的装甲が薄かった訳か……取り憑かれたのはロープを降りてた時だな」



 カインは肩を竦めて嘆息する。

早い段階で気付いておくべき事だっただろう。そうすれば、セレーネは死なずに済んだはずだ。

カインは彼女に無意味な“死”を与えてしまった事を悔やみつつ、再度襲い掛かってくる《操縦士ヴェルソー》へと刃を向ける。

この《操縦士ヴェルソー》はそれ自体の力も弱く、あまり高い知能は持っていないようであった。

嘆息交じりに刃を振るおうとし――カインは、思わず目を見開いていた。



「あ、え?」

「……!」



 《操縦士ヴェルソー》の操る、伸ばされていたアイリーンの両腕が、斬り裂かれて宙を舞っていたのだ。

驚くべき事に、それが切断された瞬間を、カインは認識する事ができなかった。

僅かに理解できたのは、自らの前を銀色の光が駆け抜けた事だけ。

そして、宙を舞う腕は――その先にいた女の手に、受け止められる。



「駄目ですよ、カイン様。《操縦士ヴェルソー》は私の獲物です」

「……何のつもりだ、貴様?」

「何のつもりと言われましても――」



 再び、その女――アウルの姿がぶれる。

それを目にしていた為に、カインも今度は何とかその動きを捉える事が出来た。

彼女は瞬時に地を蹴ると、片手に持っていたナイフを構え、失った両腕を見下ろしていた《操縦士ヴェルソー》へと向かってゆく。

その動きは認識できないほどに速く、そして無駄が無い。

そして、刃が振るわれる――瞬時に奔る銀閃は、反応する事すらもできなかった《操縦士ヴェルソー》の手足と首を、瞬く間に寸断していた。



「ぇ――」



 僅かな断末魔すら許されず、《操縦士ヴェルソー》は絶命する。

その吹き上がる血液の中、一滴として返り血を浴びず、アウルは陶然と上気した表情で声を上げる。



「――人を斬り刻んでリーゼ様に咎められない機会なんて、滅多に無いんですから。ふふ、胴は内臓が零れてあまり綺麗じゃないんですよ、カイン様」

「……そうかい」



 あえて口を挟むようなことはせず、カインは嘆息交じりに刃を下ろす。

その発情した顔で自らの体を抱きしめる仕草は酷く官能的であったが、それが狂気の一部である以上、安易に手を出そうとはカインも思えなかった。

ちらりと、カインは足元に散らばったアイリーンの死体を眺める。

――それに対しては、特に感慨が湧く事もない。



(抜け殻を壊しても、意味は無いか)



 突如として起きた惨劇に面々が右往左往する中、カインは興味を失って再び崖の方へと振り返る。

そこで蠢く魔物たちの数は、既に数えられるほどに減少してきていたのだった。











 * * * * *











 再び、ロープを使って崖下へと降りる。

先ほどの反省もあり、その最中に防御を切らすような者はいなかったが。

尤も、最初から防御をもたぬ人間も存在して入るのだが、彼らに対してそのような心配など無用の長物と言うものだ。

先ほどと同じくロープを使わず下へと降り、周囲の確認を行う。

既に魔物の姿は近くには無く、僅かに転がっているのは魔物の死骸と――セレーネの遺品だけであった。

ロープを伝い降りてきたアルティは、僅かに残ったそれらの前に駆け寄り、その中から鎖の切れたロケットを拾い上げる。



「……決死の覚悟では、あったけどさ。こんなあっさり、終わっちまうなんてね」

「そんなモンだろう」



 肩を竦め、カインは地面に突き刺さっていたファルクスを回収する。

少女の首を刎ね飛ばした漆黒の刃には、曇り一つ存在しない。

かつかつと爪先で地面を軽く叩き、周囲を一度見回した後、カインはアルティへと近付いた。



「まさか、誰一人死なずに戻れると思ってたんじゃないだろうな?」

「それこそ、まさかだよ。けど、悼むべきものは悼む。それが、生きてる人間に出来る事さ」

「成程な」



 小さく笑い、カインは手に持っていたファルクスをセレーネの遺品の前に突き立てた。

あまり長い刃ではないが、真っ直ぐと立つその姿は、どこか墓標を想起させるものであり――それを見つめたアルティは、目を閉じて顔を俯かせる。



「……感謝するよ、旦那」

「気にすんな」



 ひらひらと手を振り、カインは踵を返す。

その視線が向けられているのは、遠くの方へゆっくりと進んでゆく《重装兵クルス》の姿だ。

カイン達が到着するより前の時点で、この《渦》の魔物たちは果たしてどれだけの魔力と魂を喰らってきたのか。

多くの契約者の力を食らった魔物は、果たしてどの領域まで力を高めているのか。

懸念すべき事は、ただそれだけであろう。既にカインは、それ以外の事を完全に意識から外していた。


 《重装兵クルス》は巨体を持つが故に、ある程度離れたとしてもその姿を捕捉する事ができる。

今は焦る必要は無いと、カインは嘆息交じりに仲間の方へと振り向いた。

彼女たちは、一様にセレーネとアイリーンの死を悼んでいる。

それに関しては特に止めようとも思わず、視線を外した所で――ふと、外れた所に立っていたリーゼファラスと目があった。

じっと見つめていた彼女は、ふと相好を崩すと、小さく笑みを浮かべて見せる。

その笑みの中に、仲間の死を悼むと言った感情は存在しない。



(……よく分からん女だな、本当に)



 アウルもそうであるが、彼女の性質も理解からは程遠い。

カインは現状、彼女が力を使った場面を一度として目にしていなかった。

尤も、目にしたところでその底を知ることなど出来はしなかっただろう。

アウル以上の、異常の塊――カインの目には、リーゼファラスの姿はそのように映っていた。

まるで、彼女だけが異なる世界に存在しているかのような――



「――カイン」

「ん……何か用か、隊長さんよ」



 かけられた声に、カインは視線を戻す。

見れば、一人抜け出したミラが話しかけてきている所だった。

彼女はセレーネの墓標となった場所をちらりと見つめて声を上げる。



「彼女を必要以上に苦しませないでくれて、感謝するわ」

「何の事か、分からんな」

「それなら、それでもいい。とにかく、私は感謝している……ただ、それだけよ」



 踵を返すミラの姿に、カインは小さく肩を竦める。

能力によるものか、或いは地面に突き刺さっていたファルクスから推測したのか――どちらにしろ、カインにとってはあまり興味の無い事柄であった。


 ミラが全員に指示を発し始める頃には、既に仲間の死を悼む者は無く。

それを確認したカインは、普段と変わらぬ様子のままに先行し始める。

そんな彼の隣に、同じく先行するウルカが並んだ。



「……やっぱり、こうなりましたね」

「ま、落ちるなら一番に落ちるだろうと思ってた奴らだったな……気にしてんのか、小僧」

「……はい」

「慣れりゃいい。戦場ってのは、そういうもんだ」



 かつかつと爪先で地面を叩き、カインはそう口にする。

その言葉に視線を伏せたウルカは、カインの足元を見て疑問符を浮かべた。



「どうかしたんですか、カインさん?」

「ああ。地面の傷が少なすぎると、そう思っただけだ」

「地面の傷……?」

「ああ、ここが蟲毒だとするならば、常日頃ああして魔物同士が殺し合っているはずだ。なのに、地面の傷が少ない」



 カインが発した言葉に、ウルカは大きく目を見開いて周囲へ視線を向ける。

周囲はカインが口にした通り、傷の少ない地面が広がっている。

ある程度は存在しているが、昔から幾度も戦いが行われてきたとすればあまりにも不自然だ。

あれだけの巨体を持つ魔物達が暴れているのであれば、あまりにも傷が少なすぎる。



「……これは、どういう事なんでしょう?」

「俺が思うのは、ここがもう一つの出口なんじゃねぇかって事だ」

「と言うと……大量の魔物を外に出すための、ですか」

「そうだな。つまり、魔物を生産するのであればここである事が望ましい。無駄が無いしな」

「……それって危ないんじゃ?」

「まあ湧いて出てくる可能性はあるが……さっき殺し合いをしたばかりだ。となれば、最後の一匹である奴は目的を終えている。なのに移動する意味は何だ?」



 カインの問いかけにウルカは沈黙する。

経験の浅いウルカには、全くと言っていいほどその理由が思い浮かばなかったのだ。

その様子に小さく苦笑し、カインは声を上げる。



「張り替え、とでも言うべきか。恐らく、この床が移動装置になっている。破壊した地面もそうして元通りになっているって訳だ」

「……なら、あれはどこに向かっているんですか? あの《重装兵クルス》が歩いてる場所も、あまり傷は無いみたいですけど」



 移動速度が遅いため、距離は詰まってきている。

しかし、元々鈍いためか、或いはカイン達を誘っているのか――《重装兵クルス》が襲い掛かってくる様子は無い。

そんな疑問を抱き、ウルカが視界に映っている巨体を凝視した瞬間――その足元が、黄金の輝きに包まれた。



「っ!?」

「どうやら、大当たりだったらしいな」



 息を飲むウルカと、笑みを浮かべるカイン。

後ろが付いて来ている事を確認すると、二人は《重装兵クルス》が姿を消した場所へと近寄った。

その足元は、最早不自然なほどに傷が無く、平らな地面が広がっている。

ファルクスでその表面を軽く引っかきながら、カインは後方へと視線を向けつつ声を上げた。



「さて、隊長さんよ。敵さんからの招待らしいが……どうする?」

「こういう仕掛けである以上、素直に乗り込まなければ辿り着けない可能性も高いわね。それなら、正面から打ち破るまでよ」



 レイピアを引き抜き、ミラはそう宣言する。

そしてそれに同調するように、メーリュやアルティもまた、己が武器を抜き放って構えた。

充足した魔力が渦を巻き、力を喚起しようと荒れ狂う。

その様を確認し、カインはゆっくりと身体を起こした。



「成程……いいね、分かりやすい。なら行こうじゃねぇか」



 くつくつと笑い、カインは傷一つ無い地面の上へと足を進めてゆく。

そして、それに続くように他の面々も足を踏み入れ――その瞬間、地面が黄金の輝きを放った。

目を眩ませる光の中で咄嗟に視界を庇い、けれど周囲への警戒は怠らぬようにしながら。

――彼らの視界は、一瞬で別の場所へと変化していた。


 そこに、あったのは。



「なっ!?」



 先ほどの《重装兵クルス》と思われる固体が、黄金の杭に貫かれて絶命している光景だった。

その異様な光景にウルカは思わず目を見開き――そして、その向こうにあったものに息を飲む。

そこにいたのは、金と黒の混じったプレートアーマーを纏う、一人の甲冑騎士。

騎士は、その手に持った黄金の剣の切っ先を、ゆっくりと持ち上げる。


 ――刹那。



「え――」



 ――カインの体が、吹き飛んだ。


 ウルカが認識できたのは、隣に立っていたはずの男が猛烈な勢いで後方へと吹き飛んでいった事。

その身体へ、二度、三度と、黄金の杭が打ちつけられた事。

――そして、壁に打ちつけられた彼の体からは、その頭部が消滅していた事だけだった。




















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