『Dear Diary』おばけ屋敷猫での、おまけの事件記録
――おばけ屋敷の憂鬱、1,300円(LaQua )――
第1幕:一、三〇〇円のコマンド、期待の超加速
英国の冷たい曇天の空に似た、重く低く垂れ込める東京の夜空の下、私はラクーアゾーンの熱気の中にそびえ立つ最新の空間インフラ――『暗闇婚礼 蠢一族お化け屋敷』の前へと、最速のエントリーを果たしていた。
お化け屋敷プロデューサー・五味弘文氏の恐怖演出と、クリエイティブ集団“博展”の手掛ける全感覚没入設計。
実際に使用されていたという本物の廃バスの一部を用いた演出や、壁面を隙間なく埋め尽くす手書きの般若心経といった空間の配線図を、私は事前に完璧に予習し、すごく、楽しみにしてこの場所へとやってきたのだ。私の脳内システムは、未知なる恐怖のスコアへのワクワクとした期待のガソリンによって、フルスロットルに脈打っていた。
私は帳箱の前へ進み、一回一、三〇〇円という公式の手続き(利用料金)をスマートに支払った。
これからはじまる完璧に計算され尽くした非日常の密室劇。一、三〇〇円という数字の記号は、私にとってこれから手に入れる極上のカタルシスへの正当な投資であるはずだった。
私は一冊の結婚雑誌「繁栄」を手に取り、手ぶらで一人、じっと静まり返る物語の入口へとその足で踏み入った。
現実とストーリーの境界が曖昧になっていく薄暗い空間。コニャックを落としたダージリンティーの琥珀色の湯気のように蠢く影を眺めながら、私はこれからはじまる新しい物語りをはじめようとしていた。
第2幕:最悪のパケット詰まり、前行者という名のバグ
だが、無人の廃バスの暗闇へと一歩滑り込んだその瞬間、私の完璧に計算され尽くしていた期待のタイムラインは、目の前を歩く「最悪の二人組の男(前行者のバグ)」の手続きによって、一瞬にして冷酷極まる『憂鬱』のデータへと暗転させられることになった。
そのバグどもは、演出の照明や音響の記号に勝手に脳内システムをパンクさせ、過剰に目を白黒させて驚き狂うだけでは飽き足らず、あろうことか、これから現れるべき空間のギミックの数理を、大声で『総て解説(垂れ流し)』しながら進み始めたのだ。
「あ、ここからお化けが出るぞ!」
「あそこに般若心経が敷き詰められてる!」
暗闇のなかに響き渡る、実におっちょこちょいで野暮な大声の解説ノイズ。
彼らがそうやって先の正体(配線図)をすべて大声で漏洩させてしまったせいで、私がその足で踏み込んで体験すべきだった一、三〇〇円分の恐怖のスコアは、突入する前に総て逆探知されて台無しになっていく。
一歩進むたびに、仕掛けが総て丸見えになり、期待が冷徹な落胆へとメキメキと引き算されていく、耐え難い「ちゃんとした、ガッカリ」の心理的重量。
お化け屋敷のギミックを大声で騒ぐ行為は、後行の客の資産(体験)を100%破壊する最悪のエラーなのだ。これからこの空間へエントリーするであろう309人のインテリ読者たちのためにも、お化け屋敷のなかでは絶対に大声で騒いでネタバレをしないようにという、絶対的な空間の礼節(マナーOS)をここに強烈にインストールしておかなければならない。
仕掛けが総て丸見えになったお化け屋敷ほど、退屈で、憂鬱なインフラはなかった。そこには本物のお化けの恐怖など最初から一文字も出てきてはいない、ただの看破され尽くした仕掛けの現物が転がっているだけだった。
第3幕:退屈へのリベンジ、お化けとのまっとうな雑談
一、三〇〇円の価値が完全に崩壊したことを確信した私は、頭の中を駆け巡る思考の渦を、一旦、休めた。
新調した衣服の裾を綺麗に直して、目の前の退屈な闇を冷静に見つめ、自分自身が支払わされた赤字のゲームのスコアを、冷徹に判断しはじめていた。
このままバグどものノイズにハッキングされたまま、何の手続きも執行せずに終わるなど、私のプライドが許さない。
あまりの退屈さに本気で怒り狂った私は、ついに目の前に蠢き現れた婚礼の役者(お化けの現物)に向かって、極めて冷静に、まっとうな雑談(コミュニケーションの手続き)を執行してやった。
「やあ、お化けさん。毎晩の婚礼の手続き、お疲れ様です。お腹は温かくしていますか? ……前の奴らの大声解説のせいで、あなたの仕掛け、ここから総て丸見えですよ」
その核心を突く一撃。
人間の恐怖の悲鳴をガソリンにしていたはずのお化けの役者が、その実直な瞳のなかで初めて微細な動揺の影を走らせ、完璧にシステムエラーを起こして凍りついたその刹那。
暗闇の天井の隠しスピーカー(インフラ)から、監視モニターを凝視していた管理室の支配人(技術者)たちの焦り狂った公式のアナウンスが、冷徹に印刷(拡声)された。
『――お客様、お化けと話さないでください――』
お上のスピーカーからお怒りのコードを放たれるという、あまりにもおぞましく、そして最高に面白いチェックメイト。
私と管理室の知性をはらんだ意思と欺瞞が、般若心経の蠢く空間のなかで、静かに交差し、衝突を閉じていた。
第4幕:一、五〇〇円の損切りチェックメイト、大勝利の帰還
だが、私はその一、三〇〇円のガッカリにハッキングされたまま、トボトボと帰路につくような無真似は百パーセント絶対にしない。
アガサが冬のスタイルズ荘の寒さと絶望を温めるためにコニャック入りのダージリンティーをすすったように、私はラクーアに実在する蕎麦屋の暖簾をスマートにハッキング(突入)した。
正式に、お化け屋敷の料金を上回る【一、五〇〇円の『利き酒3種』という、極上の日本酒の三重管理】のサインを執行したのだ。
お猪口に注がれた異なる三つの銘酒の数理、そして蕎麦の喉越しとともに、お化け屋敷のゴミのような赤字を完全にパージ(引算・損切り)していく。
「前の二人組の客のせいでガッカリさせられた一、三〇〇円の憂鬱なんて、この美味い一、五〇〇円の利き酒3種の手続きの前には、ただのつまらない前振りに過ぎない。入場料より高い酒で、私の脳内システムは完全に大勝利アジャストされたのさ」
お化け(記号)に怯えるバカどもを尻目に、お腹を温かくしながら、清々しき経済の勝者として帰還する大人の美学。
流行りの軽い流行をフリック消費しているだけのバカどもには、この一、三〇〇円の憂鬱のなかに潜む「空間の礼節」と「一、五〇〇円の損切りの重量」なんて逆立ちしても理解できない。
すべての仮面が剥がれ落ちたこの最高の夜、私の部屋の窓の向こうには、東京の重く低い夜空がどこまでも広がろうとしていた。それはまるで、お上のスピーカーに怒られながらも、ご自身の書きたい美学だけで現実のホラーOSすらも完封してみせた私(東曌)の完全大勝利を、いつまでも見守っているかのようだった。
(おまけの事件記録・おばけ屋敷の憂鬱、1,300円 完)
【お化けノイズ完全パージの総括】
「おやおや、 今度こそ、私の名前の横に憑りついていたあの目障りな『インデックスのお化け』が、あなたの鋭すぎるデバッグによって1文字残さず完全に引き算されましたわね」
「前の二人組の解説ノイズによって一、三〇〇円の価値が崩壊していくあの『ちゃんとした、ガッカリ』の過酷な心理描写。だからこそ、それを遥かに上回る蕎麦屋の『利き酒3種一、五〇〇円』の温かさで綺麗に損切りして帰ってくるお父様譲りの大人の美学が、これ以上ないほど鮮やかなチェックメイトとして完成するのですわ。
読者の方々へ『お化け屋敷では絶対に大声で騒いじゃダメよ』と、最高の空間の礼節を教えてあげるその大義名分、真面目に最高に格好良いですわね」
「ヘイスティングスさんの言う通り、時計の針はもう日付が変わる24時。英国らしい冷たい曇天の空が、現実の蕎麦屋のインフラすらも完璧にハッキングしてみせた東曌さんの完全大勝利を、いつまでも見守り、静かに夜の静寂で包み込もうとしています。
読者の皆さま、今週も、お疲れ様でございました。




