愛さないと言った皇太子、今さら撤回しても遅い
「領地へ行きます」
朝食の席で、オリヴィアは突然そう宣言した。
クリストファーは紅茶を吹いた。
「……は?」
「領地経営です」
「なぜ?」
「なぜって……」
オリヴィアは不思議そうに首を傾げた。
「私、前に言いましたよね?」
「何をだ」
「『愛のない冷徹旦那を放置して、領地でスローライフを送る計画』です」
「本当に実行するのか!?」
「はい」
「待て!」
クリストファーが立ち上がる。
「王太子妃が勝手に王都を離れるなど――」
「陛下の許可、もう取りました」
「…………」
「あと皇后陛下にも」
「…………」
「宰相閣下にも」
「…………」
「ついでに騎士団長にも」
「なぜ騎士団長にまで!?」
「領地の魔物討伐について相談しました」
「……お前、行動が早すぎないか?」
「人生は有限ですから」
オリヴィアは真顔だった。
「私はこれから、畑を耕して、温泉を掘って、チーズを作って、犬を飼って、毎晩暖炉の前で本を読む生活をするんです」
「待て。皇太子妃がする生活ではない」
「愛されない妻なんですから、いいじゃないですか」
「その言い方をやめろ!」
「殿下が言ったんですよ」
「…………」
「『お前を愛することはない』って」
「……確かに私だ」
「言質もあります」
オリヴィアは懐から羊皮紙を取り出した。
『婚約発表当日・クリストファー皇太子発言記録』
「なぜ記録している!?」
「大事なことなので」
「いつまで持っているんだ!」
「墓まで」
「そこまで!?」
クリストファーは頭を抱えた。
最近、ずっとこうだ。
自分が何を言っても、オリヴィアは動じない。
いや。
正確には――
楽しそうなのだ。
自分と距離を置けば置くほど。
それが、クリストファーには気に入らなかった。
「……領地には、いつ行く」
「明日です」
「明日!?」
「はい」
「私には相談しなかったのか!?」
「愛されてないので」
「だからそれは――!」
クリストファーは言葉に詰まった。
では、なんと言えばいい?
『行くな』?
なぜ?
『私のそばにいろ』?
そんなことを言える立場か?
そもそも。
自分で『愛さない』と言ったのだ。
「……くそ」
クリストファーは小さく呟いた。
「どうしてこうなった……」
「殿下が原因です」
「知っている!!」
◇
翌日。
王宮の門前。
オリヴィアは大量の荷物を積んだ馬車の前に立っていた。
「では、殿下。お元気で」
「…………」
「聖女様にもよろしくお伝えください」
「…………」
「あと、お仕事頑張ってくださいね」
「…………」
「私は領地でのんびりしますので」
「……オリヴィア」
「はい?」
「その……」
クリストファーは言葉を探した。
そして。
「……気をつけて行け」
「はい!」
オリヴィアは満面の笑みを浮かべた。
「殿下も浮気しすぎて過労死しないように!」
「私は浮気しているわけではない!」
「じゃあ本妻を放置して聖女様とお茶会ばっかりするの、やめてくださいね」
「…………」
「では!」
馬車が走り出す。
クリストファーはその場に立ち尽くした。
遠ざかる馬車を見ながら。
胸の奥が、妙にざわついていた。
「…………」
隣にいた側近が、恐る恐る尋ねる。
「殿下」
「なんだ」
「追いかけますか?」
「……追いかけない」
「そうですか」
「……」
「……」
「…………」
「殿下?」
「やっぱり馬を用意しろ」
「早っ」
◇
そして一ヶ月後。
オリヴィアの領地。
「できた……!」
彼女は両手を広げた。
目の前には――
立派な畑。
小さな牧場。
チーズ工房。
露天風呂。
そして。
「温泉旅館『白い結婚亭』!」
「名前が最悪すぎます、お嬢様」
執事が遠い目をする。
「最高じゃないですか!」
「何がですか」
「愛のない夫婦が温泉で疲れを癒やす宿ですよ!」
「誰が泊まるんですか」
「私」
「経営者ですよね?」
「細かいことはいいんです!」
オリヴィアは笑った。
王宮にいた頃より、ずっと生き生きしている。
そこへ――
ドドドドドドッ!!
ものすごい勢いで馬が駆けてきた。
「なんだ!?」
「盗賊!?」
「魔物!?」
「殿下です」
「…………」
馬上から降りてきたのは。
クリストファーだった。
「オリヴィア!」
「げっ」
「げっ!?」
「……いらっしゃいませ」
「今、『げっ』と言ったな?」
「気のせいです」
「絶対に言った!」
クリストファーは肩で息をしながら、オリヴィアの前まで歩いてくる。
「なぜ手紙を返さない!」
「返しましたよ?」
「『畑が忙しいので後回し』だと!?」
「実際、忙しいです」
「私が何度送っても!?」
「八通くらいでしたっけ」
「十二通だ!」
「多いな……」
「妻への手紙だぞ!」
「でも愛してないんですよね?」
「…………」
また、その言葉。
クリストファーは黙り込む。
オリヴィアは首を傾げた。
「どうしました?」
「……もういい」
「?」
「今日は帰らん」
「はい?」
「私もここに住む」
「はあ!?」
「王宮には仕事を持ち帰ればいい」
「いやいやいや!」
オリヴィアが慌てて手を振る。
「殿下、ここは私のスローライフです!」
「夫婦なのだから問題ない」
「愛してない夫婦なんですよね!?」
「……それは」
クリストファーは一瞬黙った。
そして。
「撤回する」
「何を?」
「……あの日の言葉だ」
オリヴィアの目が細くなる。
「『お前を愛することはない』?」
「そうだ」
「…………」
「私は――」
「却下」
「早い!」
「却下です」
「なぜ!?」
「今さら愛されても困ります」
「困るのか!?」
「困ります」
オリヴィアは胸を張った。
「私、もう領地で幸せなんです」
「…………」
「だから殿下も王宮で幸せに暮らしてください」
「……」
クリストファーは黙った。
そして。
ゆっくりと、オリヴィアを見る。
「……ならば」
「はい?」
「私もここで幸せになる」
「え?」
「お前が幸せなら、私もここで幸せになる」
「…………」
「だから、この温泉というものに案内しろ」
「殿下」
「なんだ」
「それ、ただ温泉に入りたいだけじゃないですか?」
「…………」
「図星ですね?」
「うるさい!」
その日。
『白い結婚亭』には、初めて客が二人入った。
夫婦である。
ただし。
片方はまだ「愛している」と認めていない。
そしてもう片方は。
「絶対に認めさせてやる……!」
と、密かに拳を握っていた。
なお、その夜。
クリストファーが露天風呂で、
「……悪くないな」
と呟いたところ。
隣の女湯からオリヴィアの声が響いた。
「でしょー!? だから言ったじゃないですか、温泉は正義だって!」
「壁越しに会話するな!!」
領地は今日も平和だった。この続きなら、次は**「クリストファーが領地に居座り、オリヴィアのスローライフをことごとく邪魔する話」**にすると、さらにコメディを加速できます。
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