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第2話 旧友ユウキとホロウ・シンドローム

 あの後も、テンの不思議な「瞬間」が、煌の頭の片隅に引っかかっていた。

 だが、今はそれどころではない。


 2089年——「第三次均衡時代」。

 AIが全ての仕事を代替し、ベーシックインカムで暮らせるようになった時代。わざわざ働く人間は珍しく、働く意味を見失った若者たちが「ホロウ・シンドローム」と呼ばれる無気力症候群に蝕まれている。

 煌は、そんな時代でも働くことを選んだ数少ない人間だった。


「よう、煌くん」


 馴染みの廃品回収業者、権藤が声をかけてきた。


「今日はいいパーツが入ってるぜ。軍の払い下げだ」


 権藤のトラックの荷台には、山のようなジャンクパーツが積まれていた。煌の目が光る。


「このコイル、まだ使えるな。それと、この軸受け——」


「まとめて買うなら、三万でいいよ」


「二万五千」


「坊主、容赦ねえなあ」


 結局、二万七千で手を打った。


「うちのじいさんが言ってた。『商売は駆け引きだ。だが、相手も生かせ』ってな」


「いい言葉だねえ。じいさんによろしくな」


 パーツを抱えて歩き出す。テンが翼膜を広げ、煌の肩を包むように寄り添った。


 帰り道、煌は古い橋を渡った。

 欄干には落書きが残っている。子供の頃、ユウキと一緒に描いたロボットの絵だ。もう色褪せて、何が描いてあるかわからないほどだが、煌にはわかる。腕が四本、足が六本。頭からビームが出る「最強のロボット」だ。

 あの頃は全てが輝いていた。二人で毎日のように設計図を描き、じいさんに笑われながらも、本気で作れると信じていた。


 橋の下を流れる水は、今日も変わらず穏やかだ。

 川面に映る空が揺れている。スマートシティの高層ビルの影が、水面にまで伸びてきていた。この町にも、少しずつ時代の波が押し寄せている。

 テンが橋の欄干に飛び乗り、川面を覗き込んだ。水に映った自分の姿に首を傾げている。

 煌はその姿を見て、少しだけ笑った。



           *



 商店街を歩いていると、見知った顔に出くわした。


 VRカフェの前。ゴーグルをつけた若者たちが並ぶ薄暗い店。現実を見ることなく、一日中仮想空間に浸っている。

 「ホロウ・シンドローム」——生きる意味を失った人々が陥る虚無感の病。今や若者の三人に一人がこの症状を抱えているとも言われていた。


「よう、煌」


 真島ユウキ。煌の幼馴染。

 だが今のユウキの目には、光がない。

 髪は伸び放題で、典型的な「ホロウ」の症状だった。


 テンがユウキの足元に飛び降り、すりすりと体を寄せた。


「煌、お前まだロボットいじりやってんの? AIに任せりゃ一瞬で終わるのに」


「別に」


「働かなくても金は入るし、娯楽はAIが無限に作ってくれる。なんでわざわざ汗かいてやるわけ?」


 煌は答えられなかった。


「最後に『楽しい』って思ったの、いつだ?」


 ユウキの顔から、表情が消えた。


「わかんね」


 煌は視線を逸らしたまま言った。


「じいさんが言ってた。『働くってのは生きることだ。金のためじゃねえ、自分が自分であるために、人は何かを作り、何かを成す』ってな」


「昭和かよ」


「うるせえ。俺はこれが好きなんだよ」


「でも、お前のそういうとこ、嫌いじゃないよ」


 煌は目を逸らし、耳まで熱くなるのを感じた。


「じゃあな、煌。また、店寄るわ」


 ユウキが去っていく背中を見つめながら、煌は昔のことを思い出していた。


 八歳の頃。両親を亡くしたばかりで誰とも話さなくなっていた煌に、最初に声をかけてきたのがユウキだった。


『なあ、お前んちロボット屋なんだろ? すげえじゃん』


 無遠慮な声。人懐っこい笑顔。強引に店まで連れてこられ、ジャンクパーツの山を見て『すっげえ……宝の山じゃん!』と目を輝かせた。

 普通の子供なら「ガラクタ」と笑うところだ。


 その日からユウキは毎日のように店に来た。ある日、言った。


『なあ煌。俺たちでロボット作ろうぜ』


 二人で描いた設計図。腕が四本、足が六本、頭からビームが出る——めちゃくちゃな「最強のロボット」。


『いつか、これ動かそうな。約束だぞ、煌』


 その時、煌は両親を亡くしてから初めて、笑った気がした。


 あれから、九年。

 約束は果たせていない。ユウキは「ホロウ・シンドローム」に蝕まれ、生きる気力を失ってしまった。

 煌には何もできなかった。


「クソ」


 小さく呟いて、煌は歩き出した。テンが心配そうに見上げてくる。


「大丈夫だ」


 大丈夫じゃない。でも今は、やるべきことがある。



 煌はアリーナの出口で立ち止まった。人波が横を通り過ぎていく。歓声の残響が、高い天井にこだましている。

 壁にもたれ、息を吐いた。蛍光灯の白い光が、やけに目に痛い。

 ユウキの背中が、まだ瞼の裏に焼きついていた。光のない目。投げやりな声。あれが——かつて一緒にロボットを夢見た友達と、同じ人間なのか。

 無意識にポケットへ手を入れた。指先に、紙の端が触れる。

 古いノートの切れ端だ。八歳の頃、ユウキが「設計図ノート」と呼んでいた大学ノートの、最後の一ページ。表紙はとっくに捨ててしまったが、この一枚だけは——ずっとポケットの中にある。

 取り出して広げた。折り目がすっかり擦り切れ、端がほつれている。

 子供の字で、二つの名前が並んでいた。


『煌+ユウキ 最強のロボット計画』


 腕が四本、足が六本、頭からビームが出る——あのでたらめな設計図の、表題だけが残っている。隣にはユウキが描いた笑顔の棒人間。「かんせいよていび らいねん」と添えられた文字は、もう薄れかけていた。


「ピィ」


 テンが煌の膝にふわりと飛び乗った。小さな鼻先をノートの切れ端に近づけ、くんくんと嗅いでいる。前足がそっと紙の端に触れた。古い紙が微かに震える。


「いつか——お前と一緒に、また作るからな」


 誰に向けた言葉かは、自分でもわからなかった。ここにいないユウキに、か。それとも——自分自身に、か。

 煌はノートをゆっくり折り畳み、ポケットにしまい直した。紙の感触が、指に残る。

 壁から背中を離し、立ち上がった。テンが肩に飛び乗り、尻尾を煌の首にそっと巻きつけた。

 歩き出す。足音がアリーナの通路に静かに響いた。



 夕方。藤堂機械店。

 煌と鉄心は、向かい合って夕食を取っていた。質素な献立。味噌汁、焼き魚、漬物、白米。


「煌。東海リーグの地区予選、申し込んだぞ」


 煌は箸を止めた。


「マジかよ」


「お前の機体も仕上がった。そろそろ実戦で試す時だ」


 ロボット闘技大会「東海リーグ」。AIに仕事を奪われた時代、ロボット操縦と整備は、唯一残された「人間の雇用」だった。優秀なパイロットやマイスターは国家にスカウトされ、最前線で活躍する。


「俺みたいな無名が出て、意味あんのか?」


「意味があるかどうかは、やってみなきゃわからん。それにお前の腕を、世間に見せてやりたい」


 煌は黙って箸を動かした。だが、祖父の言葉が引っかかっていた。


 テンが食卓の端から煌の膝に飛び移り、翼膜で煌の拳をそっと包んだ。

 まるで——行こう、と背中を押すように。

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