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9.はぐくむもの

 後頭部に走った鋭い痛みで、アデラインは意識を戻した。

 鋭く尖った刃をあてがわれているような痛みの所為か、感覚が鈍っている。しばらくして、うっすらと視界が明るくなると、よく知っている天井の模様が目に入った。どうやらここは、二年もの間、アデラインが引きこもっていた“暇つぶし姫”の部屋であった。


「アデライン、起きたか」


 ウルツの、子供をあやす様な優しい声が聞こえてくる。

 アデラインの眠るベッドの横で、座って看病していたのだろう。冷えて白くなった手には、少し乾いた手巾が握られていた。


「ウ、ルツさま…私…」


「しゃべらなくてよい。あまり動くな」


 アデラインは、あの後どうなったのだろうと思案し、痛む後頭部へ手を寄せた。鏡台にぶつけた箇所は思ったよりも深手の様で、あの後縫い合わせたのか、包帯が巻かれていた。

 アデラインが包帯を気にしていると受け取ったのか、ウルツは眉間の皺を深くし、胸の内に溜めていた言葉をぽつりぽつりと吐き出した。


「君には、悪いことをしてしまった。怖かっただろう…痛かっただろう…、もっと早く見つけていれば…いや、違う…そもそも君に危険がふりかかることすら想定できなかった、私の落ち度だ。本当に申し訳ない」


 椅子の上で小さくなるウルツ。

 アデラインはこれではどちらが苦しんでいるかわからないな、と、くすりと笑みをこぼした。


「私は、構いませんの。ウルツ様のお役に立てたのなら、それで…」


 手巾を握りしめる手に、そっとアデラインは手を添えた。

 冷たい指先の震えを感じて、本当に心配してくれていることを改めて実感する。


(これだけ、心配していただける。それだけで、幸せなことですわ)


 もともと、結ばれる予定の無かった二人による偶然の結婚だ。少しでも妻として扱い、思いやり、歩み寄ってくれるのであれば、それは奇跡に近いことだろう。

 アデラインは、震える冷たい指先を慈しむように撫でた。


「…アデライン、君に伝えたいことがある。聞いてくれるかい?」


 ふと、指先の震えが止まった。

 ウルツは意を決したように、アデラインの顔をまっすぐと見る。


「ええ、もちろんですわ」


「私は、気が付いたのだ。ここまでしないと気が付かない愚か者と思うかもしれないが。…遅くなってしまったね、アデライン。私は、君を失うのが怖い。君を愛している」


 ゆっくりと、でも確実に。それはウルツの言葉で、紡がれた愛の言葉だった。

 アデラインは、自分には一生縁がないと思っていた言葉のプレゼントに、酷く狼狽した。


「あの時のドレスも、本当は君の為に作らせた。私にとっては君への贈り物は初めてで、君は勘違いしていたようだけど、あれは君の瞳の色に合わせた深海のドレスだった」


「そう、でしたの。てっきり、マリア様の夜空の瞳をイメージされたのかとばかり…」


「そう思われても仕方がない。本来は、君だけに着てもらう予定だったのだ。それなのに、あんな形になってしまって」


 ウルツは長い睫毛を伏せて、自分の手をさすってくれる妻の細い指を見つめた。


「君と私の関係は、曖昧で、恋をする間もなく夫婦になってしまったから。もう、遅いかもしれないけれど…」


 胸にいつも掛けていたマリアが入ったペンダントをウルツは丁寧に首から外し、手のひらにしまった。ちゃりちゃりと小さな金具同士がぶつかり高い音が、しんとした部屋に響く。


「ウルツ様、夫婦に遅いことなどありましょうか。私たちは、これから悠久の時を共にするのです。いつ愛に気が付いても遅いも早いもないと思いませんか?」


 アデラインは、ウルツの手のひらに包まれたマリアを取り出して、軽く唇を添えた。


「マリア様のことも、お忘れになる必要などないのです。マリア様あっての、私たちなのですから。そうだ、私も言い損じていたことが有りますわ。ウルツ様、私も愛していますわ」



 ◆



 愛憎劇は瞬く間に終焉を迎えた。


 社交界当日。アデラインが意識を失った後。

 カスペル、アダム、ベンジャミンはウルツの剣幕に委縮してしまい部屋から逃げ出そうとした。しかし、すでに相当な騒ぎになっており、聞きつけたフランクリン侯爵とフランに出くわしてしまう。

 さらに、廊下で不思議な洋紙を見つけたフランクリン侯爵夫人は、字体がウルツのものであることを見抜き、何か問題があるのではと警備隊を呼んで侯爵とフランより数分遅れで部屋に駆けつけたのである。


 それはもう地獄絵図であった。

 服や髪が乱れたフランとフランクリン侯爵に何があったかは言わずもがな。夫人は血を流して倒れた女性と、色香を否応なく出している小娘を見て何が起きたかを察し、烈火のごとく非難。時を見計らって、ウルツは夫人に事情を説明したところ、証言の約束を取り付け、殿下への報告も同行いただけることとなった。


 後日、夫人とウルツは、殿下へ真実を包みなく報告した。

 それは殿下の予想とは180度異なる真実だった。殿下は受け入れることができず、号泣して部屋に閉じこもってしまっていた。


「まったく、困ったものね。こんな木偶の坊だから、あんな小娘一人囲えないのだわ。王室教育はどうなっているのかしら!」


 と、夫人は怒りをあらわにし、現国王と王妃に告発状を送付。

 それから数日経って、王室から指導が入ったのか、殿下の心は折れたらしい。


 新聞には、フラン嬢の婚約破棄と身分の剥奪、また、関わった男性陣の処罰も同じように記載されていた。殿下については、2度も婚約破棄になったことで、殿下自身にも問題があると揶揄されることとなった。


 フランクリン侯爵については、大変恐ろしい夫人の仕置きがあったとのこと。

 本来、離婚は認められていない文化の国のため、どのような理由があっても、別れることは不可能。しかし、フランクリン侯爵の行いをどうしても断罪したかった夫人は金と権力で政治を動かし “不倫による離婚”を認めさせた。そしてその処罰第一号がフランクリン侯爵となったのだった。



 ◆



 あれから、ウルツとアデラインはもう一度新婚生活をやり直そうという話になった。

 結婚式や、お披露目パーティ、お互いの瞳の色に合わせた贈り物を選んだり、時には二人で出かけたり、二人にとってかけがえのない時間を過ごした。


 そうして平凡だったアデラインに伯爵夫人が定着した頃、グラットン伯爵家に新たな命が芽吹いた。生まれてきた子供は、美しいブロンズヘアーの深い海の瞳を持った女の子。

 ウルツとアデラインは、彼女に大切な名前を贈った。



「マリア」と。

 いま、三人は暇のない幸せな日々を過ごしている。



 暇つぶし姫 完


最後まで読んでくださった皆様、誠にありがとうございました。

またどこかでお会いできれば幸いです。

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