第二章 信用
宿の造りにしては食事が簡素な気がする。パンと野菜や薄いハムが入ったスープだけだ。
私は普段からこういう食事だったから別にいいんだけど、ロレンスとかアイリスはどう思っているんだろう。
私はそんな事を考えながらパンをちぎって口に入れた。
少し前に食べ終わったジェラルド、続いてロレンスがまるで合図でもあったかのようにほぼ同時に立ち上がった。今日はいつにも増して早い。おかわりしなかったのだ。
これだけで足りるの……?
気づけば、ジェラルドと目が合っていた。
「なんだ?」
「えっ?ううん、なんでもないわよ?」
……また、だ……。
首を横に振って見せると彼とロレンスはそのまま向こうの部屋に行ってしまい、私はアイリスと二人食堂に残された。
またやってしまったと密かに反省しながら、私は自分の食事に視線を戻した。
あの日から、私は無意識のうちにジェラルドを目で追ってしまっている。困った事に、ジェラルドは鋭い。視線に気づかれて振り返られると簡単に目が合ってしまう。私はその時になって初めて、自分がジェラルドを見ていたことに気づくのだ。彼とは逆に私は鈍すぎるみたいだった。
ジェラルドに「なんだ?」聞かれると返事に困る。さっきみたいに口に出して聞かれることは滅多になくて、いつもはなんだ?という顔をされるだけなんだけど、それでも十分に困る。
別に話したくて見ていたわけじゃないから焦ってしまって、どう返せばいいのか分からないのだ。何でもないと言うか、返事の代わりになに?という風に首を傾げて誤魔化してみせることになる。見ていたのは私なのに。
そんなことをもう何度繰り返したか……。今日も もう三回目……ううん、四回目かもしれない。私はしっかり数えないことにしていた。はっきりさせてしまうと落ち込む気がするから。
あの胸が締め付けられるような感覚は何だったんだろう。
きっと、それが知りたくて私は彼を目で追ってしまうのだ。
「お腹いっぱいなの?」
横を見ると、アイリスも食べ終えていた。椅子に背をもたせ掛けて深く座っている。もう完全に食事をする姿勢ではなくなっていた。
「ううん……食べる」
彼女の言葉に口と手の動きを再開する。温かかったはずのスープは冷めかけていた。
「最近ぼけっとしているわね」
「ぼけっとって……なんだか嫌だわ」
「あなたの様子そのままを言ったんだけど。なにかあるの?」
「ううん」
ジェラルドを目で追ってしまうんだけど、どうすればいいの?なんて聞けるわけがない。
「……そう」
言うとアイリスは立ち上がった。それを見た私は跳ねるように顔を上げた。
「行っちゃうの?」
「夜は魔法の練習に付き合うって約束したでしょ?その前に少しやっておきたいことがあるの」
「あ、そうなの……」
それなら引き止められない。
「サーシャなら一人で部屋まで戻って来られるでしょ?」
アイリスはちょっと笑いながら私を試すように言う。
冗談だと思うけど、明らかに子供に対して言うような口調だ。
「もちろんよ」
「真っ直ぐ部屋に戻って来るのよ。寄り道しないでね。知らない人に着いて行っちゃ駄目よ。お菓子あげるって言われても」
「分かってるわよ」
わざとうんざりよという顔をして見せると、彼女は笑いながら食堂を出て行った。
早く食べよう……。
なんとなくため息を漏らす。
「あら、あなた一人?」
「はい」
アイリスと入れ違いに宿のおばさんが出てきて、驚いたように言われた私は苦笑を返した。
言われてみれば、こうして一人残されるのも珍しい。みんないつもは大体待っていてくれるのに。
しばらくしてようやく食べ終わった私も立ち上がった。
「お手伝いしましょうか?」
「あらそう?悪いわね。じゃあ少しお願いしてもいいかしら」
私は洗い物を手伝ってから部屋に戻る事にした。真っ直ぐ戻るように言われたけど、これくらいならいつものことだし、大丈夫よねと考えて。
部屋に戻ろうとした私は階段へ続く廊下の途中で男の人と出くわした。
今日は民家じゃなくて宿に泊まっているから、他にも宿泊客が居るのだ。確か彼は男の人ばかりの4人組のうちの一人だった。食事の前にジェラルドとロレンスが話をしているのをちらっと見たのだ。お互い顔は知っているし、同じ客同士。全く素通りするのもどうかと思った私は軽く会釈して通り過ぎようとした。
「やあ」
にっこり笑いながら片手を軽く上げて声をかけられた私は思わず、立ち止まっていた。
やあなんて軽い調子で男の人に声をかけられたのは初めてだ。私はどう反応するのが正しいのか分からずに戸惑った。
「こんばんは」
とりあえず、挨拶を返す。
すると彼は気さくな笑みを浮かべた。
「お嬢さんは遠くから来たんだろう?」
「はい……」
私はおっとりと返事をしながら、頭の中で素早く考えた。
旅の人は村から出ない人たちよりも、当然、物知りな事が多い。グーテンベルクについてだって知っているかもしれない。
だからジェラルドやロレンスは同じ宿に泊まっている人がいれば、進んで話をする。私の瞳を見られて騒がれないように、彼らにどれくらいの知識があるのか探りを入れるのだ。貴族がお忍びで旅をしている場合もありうるらしいから、私も相手の身なりには特に注意するように言われている。
もし、ジェラルドやロレンスが、同じ宿に泊まっている人が紫の瞳とグーテンベルクを結びつける事ができると判断すれば、私は目を合わせないように気をつけることになる。食事も部屋で取る事になし、部屋からも出られなくなるのだ。前に一度だけそういうことがあった。あの時は本当に緊張した。
今日の人たちについては、ジェラルドもロレンスも何も言わなかった。だから心配は要らないだろう。それに、身なりもそれほど立派だとは言えない。私の方がいい服を着ていると言えるくらいだ。
そう考えた私は少し緊張しながら慎重にその人と言葉を交わしていた。
「サーシャ、何をしているんだ?」
振り向くと、二階から降りてきたらしいロレンスが近づいてきていた。
「少しお話していたの」
彼は硬い表情で男の人の側をすり抜けてやって来ると、私の横で立ち止まった。
「彼女に何か?」
男の人はロレンスの冷ややかな視線を受けると少し表情を引きつらせた。
「いいや、何も。お嬢さん、引き止めて悪かったね」
そう言った彼はどこかぎこちなく私に笑いかけた。
「いえ……」
まだそれほど大した話もしていない。
「行こう」
男の人に笑みを返した私はロレンスに肩を抱くようにして引き寄せられ、そのまま背を押されて歩き始めさせられていた。なされるがままだった。
静かだけど有無を言わせない口調。私はその時になってようやく、ロレンスが怒っている、という事に気づいた。階段の下で私から手を離したロレンスは振り返らないまま先に上って行く。
「どこまで行くの?」
歩みを緩めない後姿を追いかけながら問いかける。私は少し焦っていた。
「部屋まで送るよ」
「でも、なにか用があって降りてきたんじゃないの?」
「後でいい」
あっさり言われてしまうと、それ以上は何も言えなくなる。
「ねぇ……?」
ロレンスは部屋の手前で立ち止まって、私に向き直った。
「サーシャ、前にも言ったね。君は少し警戒心がなさすぎる。もう少し警戒してほしい」
その冷静な眼差しに息を呑んだ。そうだ、私は前にもロレンスにやんわりと咎められた事がある。知らない人をすぐに信用してしまわないようにって。
でも、今回は私なりにちゃんと考えたつもりだった。
「ロレンスとジェラルドが話しているのを見たから……大丈夫だと思って」
恐る恐る見上げると、彼は首を横に振った。
「男に対する態度と女に対する態度が豹変する男もいる。私たちが大丈夫だったからと言って 君に危険がないという理由にはならない。こんな事は言いたくはないが、君が口を塞がれて部屋に連れ込まれでもしたら力では絶対に敵わないんだ」
オルディアでの出来事を思い出して唇を噛む。けど、あの時の人と今日の人は明らかに違った。
「悪い人には見えなかったわ」
「見た目ですぐに判断するんじゃない。君はジェラルドの時も見た目で判断していただろう?」
「あ……」
……その通りだ。
彼はほら見ろ、という顔をした。
「でも、初めから疑うの?」
それは失礼じゃないの?という意味を込めて、私は顔をしかめて見せた。
「それくらい用心してもし過ぎることはないよ。君なら知らない男には近づかないくらいでもちょうどいい」
確かに瞳のことはあるし、私は人より注意しないといけないって分かっているけど、そこまでするのはやりすぎだ、と思った。知らない人に近づくなと言われると、私はこれから知り合いを増やせなくなる。
「分かったね?」
「……はい」
言ってしまってから、うな垂れた。念を押されて、思わずはいと返事をしてしまったというのが正直なところだった。
私の判断だけじゃ不十分って事?
これから男の人と話している所を見られたら、また今日みたいに怒られるの……?
そう考えている内に、ロレンスは部屋をノックしてアイリスに扉を開けてもらっていた。
私は思考がまとまらないまま部屋に入った。
「あら、二人一緒だったの?」
事情を知らないアイリスは私とロレンスを見て不思議そうな顔をした。
「少しいいか」
ロレンスに呼ばれたアイリスは私とロレンスを交互に見ると怪訝な表情で部屋を出て行った。二人が出て行くと扉が閉められて、私は一人ぽつんと部屋に残された。
とりあえず、ベッドに座ってみる。
納得できたような、できないような複雑な心境だった。
どうしてロレンスがあんなにも強硬な態度に出たのか、私はいまいちよく分っていなかった。
男の人と話すのはダメだけど、女の人とならいいの?
それとも、他の旅人はみんなダメなの?
どっちにしても、私は私なりに十分に注意していたつもりだった。そこが一番納得いかない。ロレンスは初めから決め付けるように私の注意なんてあてにならないというような言い方をした。
……男の人って分からない。
私は今初めて、笑顔じゃないロレンスは近寄り難い雰囲気を持つんだと気づいた。さっき旅の人に向けていた冷ややかな眼差しと牽制を含んだ口調はいつもの彼には見られないものだ。
親しみやすいロレンスにも私が知らない一面がまだまだあるのだ。ううん、親しみやすいと思っていたからこそかもしれない。私は今まで彼の見えない側面に気を配った事なんてなかった。
見た目だけで判断するなって言われたのは、何も他の人に対してだけじゃないのかもしれない……。
そんな事を考えた私は俯き、それを追い払おうと頭を振った。
こう考え出すと皆をありのまま見ることができなくなってしまう。誰もが思っていることをそのまま顔に出すわけじゃないってことくらい、私にも分かっている。けれど、それはいつまで『そう』なんだろう。仲良くなっても、信頼していてもありのままを隠して振舞うことがあるんだろうか。
私に精霊の秘密があるように、人にはどうしても知られたくないことがあるのは仕方がないことだとしても、だからといって、日常の些細な動作の一つ一つを全て疑うような真似はしたくない。
適度に疑って、適度に信じる。こう言うのは簡単だ。でも、その線引きをどこで判断すればいいの。
私はため息をついた。
心から信じられる人がいないのは寂しい。この広い大陸で自分は一人ぼっちだと思うたびに、私は途方もない不安に押し潰されそうになる。おばあちゃんが居ない今、私が信じていると言える人は誰なんだろう……。
こう考えた私は落ち込んだ。分かっていた事でも、意識すると暗い気分になる。今の私には、私の事を一番に心配してくれる人がいないのだ。
私は戻ってきたアイリスに問いかけた。
「何の話だったの?」
「別に大したことじゃないわ」
「ねぇ、もしかして私のこと?ロレンス、なにか言ってた?」
「いいえ、違うわ」
私はその答えに違和感を覚えた。
「うそ」
そう言うと、アイリスがかすかに笑った。
「あら、鋭いじゃない」
私が見抜けたのはアイリスに隠す気がなかったからだ。その通り、彼女はロレンスに何か言われたとあっさり認めた。
「なにを言われたの?」
「サーシャが男に話しかけられていたからもっと気をつけるようにって」
「……私、……ロレンスに信用されてないの?」
私だけじゃなくてアイリスまで注意するなんて。私は今度からもっと気をつけると約束したのに。
驚きと悲しみで、裏切られたような気分になった。
「信用とかそんな話じゃなくて。心配しているのよ」
「それは分かっているけど、でも……」
私の顔を見て納得していないと分かったらしいアイリスは私の目を覗き込んだ。
「この中ではサーシャが一番年下で力の弱い女の子だからよ。私たちはみんなサーシャを守らないといけないの」
情けないけれど、それは事実だ。
「アイリスだって女の子なのに」
「私は魔術師なんだから、いざとなったらそこら辺の男より強いわよ。だから、私とサーシャが二人でいたら私があなたを守らなくっちゃいけないの。でも、さっきはあなたを一人にしてしまった。私はロレンスに怒られても当たり前なの。分かった?」
「……うん」
返事をしてから、思い出した。そういえば、オルディアで皆から逸れた時、ジェラルドもロレンスも私に謝った。私が危険な目にあえば、それだけ皆は自分を責めることになるのだ。私が弱くて、守るべき対象だから。
このままじゃ、いけない……。
必要以上に心配をかけたくない。精霊の力を大っぴらにすることはできないから、せめて、魔法が使えれば少しは違うはず。まるで私の心を読んだかのように、アイリスは私に笑いかけた。
「魔法の練習するんでしょ?」
「うん」
私は胸騒ぎを閉じ込めて微笑んだ。
とりあえず今、私はアイリスのこともロレンスのこともジェラルドのことも信じていると言える。彼らだってそうだと思いたい。
それで、十分でしょう……?
そう自分に言い聞かせた私はまた、いつものように込み上げてくる不安に目をつぶった。
☆どうでもいい後書き☆
遅くなって本当に申し訳ありません……!
どうしても忙しく、九月中もかなりゆっくりペースになりそうです。
毎回読んで下さっている方、本当にありがとうございます!感謝、感謝です。
この場でのお知らせが遅くなりましたが、少し前にSide Storyも更新済みです。目を通していただけると嬉しいです。