三十九話 幽霊騒動
とはいえである。
「……そのくらいなら、私は別に構わ────」
ユーミスさんからの一転して軽くなった要求に首肯しようとした私だったが、どうにかユーミスさんの拘束から逃れたルゥが私の顔面にぴたりと逃げるように張り付いた事で発言を遮られた。
ユーミスさんの先程の態度には、流石のドラゴンとはいえ、恐怖を抱かずにはいられなかったのか。
ルゥの身体は心なしか、震えていた。
ぴたりと私の顔に張り付いているのもそれ故だろう。
ただ、そのせいで私の息が苦しくなる。
「『無理! 無理無理無理無理!!』」
「ちょ、っ、ルゥ、苦しい……! 私、息が出来ないから離れ」
これまで一度として聞いた事もないような早口で、同じ言葉をひたすらに捲し立てる。
だけど、ルゥの身体で顔が塞がれてるせいで、息が出来なくて猛烈に苦しい……!
だから、強引に両手で引き剥がそうと試みて、それから数秒の格闘を経て漸くルゥを引き剥がす事に成功した。
「……はぁ、はぁ、死ぬかと思った……!!」
死因がルゥに引っ付かれた事による窒息死だなんて、笑うに笑えない。
鏡は手元にないけど、きっと今の私の顔は茹で蛸のように紅潮している事だろう。
視界の隅っこに映るユーミスさんは、ルゥからの徹底的なまでの拒絶の態度に少しだけしょぼくれていた。
「……べ、ベビードラゴンについてはまた後ほど話し合うとして。にしても、〝魔晶石〟絡みとは面倒だね。特に、今は時期が悪い」
「時期が悪い?」
咳払いを一つ挟み、気を取り直してと言わんばかりに口にされたユーミスさんの言葉に、ナガレが首を傾げた。
「ああ。なんでも、迷宮塔で〝幽霊騒動〟が起きてるらしいからねえ」
「迷宮塔? なんで迷宮塔が関係あるんですか?」
「ん? 知っててここに来たんじゃないのかい? 私がこうしてヴェザリアにいる理由は、ここに迷宮塔があるからさ。〝魔晶石〟の研究をするにあたって、必要な素材が多く採取出来る迷宮塔があるから、私はここで活動をしていた」
だから、迷宮塔で問題ごとが起きている今は時期が悪い。
という先の言葉に繋がるのだろう。
「〝魔晶石〟から魔力が失われた原因究明の力になりたいのは山々ではあるけど、もう薄々分かってると思うが、私は〝魔晶石〟の研究をもうしてない。だから、調べる為の素材が手元にない」
しかし、その素材は迷宮塔にのみ存在している。けれど、今は〝幽霊騒動〟がある為にどうしようもない。お手上げ状態なんだとユーミスはため息を吐いた。
「ちなみに、その素材の名前は」
「『露光の花』って希少な植物だよ。基本的に、出回ってるのは見たことないね。私が〝魔晶石〟を研究してた頃も、塔に潜ってる『冒険者』に高値で依頼をして漸く、といった感じだったから」
聞き覚えのない植物だった。
これでも一応、フィレールにいた頃に図書館にひたすら篭って錬金術関連の本を読み漁っていた。だから、植物の知識についてもそれなりにあると自負していたのだけれど────。
「知らないのも無理はないね。〝魔晶石〟の研究には必要な素材ではあるが、『露光の花』は、錬金術には無用の長物だからねえ。錬金術師が知らないのも無理はないさ」
眉間に皺を寄せて、どうにか記憶を掘り起こそうとする私の様子を見たユーミスさんから、そんな指摘を受けた。
「ちなみに、どこで手に入るんですか? その、『露光の花』は」
「迷宮塔50階。それより上層なら、どこにでも自生してるらしいけど……手に入れるなら高ランクの冒険者に依頼が現実的じゃないかな。ただ、〝幽霊騒動〟が起きてる今、依頼を受けてくれる連中がいるかどうか……」
「『……さっきから、〝幽霊騒動〟って言ってるけど、そもそもそれってなんなの?』」
私を盾にしながら、ルゥがユーミスさんに問い掛ける。
幽霊とは言っても、あえて幽霊呼ばわりをしているのだからレイスといったアンデッドに区分される魔物ではないのだろうけど、確かに一体、何なのだろうか。
「かれこれ、一ヶ月くらい前だったかねえ。とある冒険者パーティーから正体不明の魔物に襲われたって報告が上がったらしくてね。それが始まりだったって私は聞いてるよ」
冒険者とは、ヴェザリア特有の呼び方。
塔に潜り、そこで得られる物品を売買する事で生計を立てている者達の総称だ。
「それから、正体不明の魔物に襲われる冒険者の数が段々増え始めて。初めは物を奪われる程度の被害だったらしいんだけど、ここ最近になって、姿を消す冒険者が出たらしくてね。しかも、高位冒険者の一人が姿を消したって事で大騒ぎ。問題の解決に色々と動いてるらしいけど、進展があったって話は聞かないねえ」
つまり、その〝幽霊騒動〟があるせいで迷宮塔には今は潜るに潜れない状況なのか。
「とはいえ、これでも〝魔晶石〟を研究してた身ではある。件の〝魔晶石〟を見せな」
ユーミスさんに言われるがまま、ガロンさんから渡されていた〝魔晶石〟を差し出す。
すると、ユーミスさんは手に取るや否や、矯めつ眇めつ注視を始めた。
「確かに、魔力が発生してないね。だけど、目立った外傷は特に無いし……手を加えたというより、これは……吸われたに近い?」
「吸われた?」
「いや、詳しくは調べて見ないことには分からないけど、現状で適当な言い方をするなら、この〝魔晶石〟は枯れてるね。本来、魔力を発生させる鉱石だけど、急激に魔力を吸われるなりした事で枯れてしまってる。これが人為的かどうかは兎も角、今の私に分かるのはそこまでだねえ」
これ以上の事を知ろうとするならば、それこそ『露光の花』が必要になってくる、という事なのだろう。
「……流石に、魔力を吸われてる。という情報だけではガロン達もどうしようもないな」
大事なのは、何が理由で〝魔晶石〟から魔力が吸われて枯れてしまったのか。
その部分が分からない限り、こちらとしてもどうしようも出来ない。
となると、やはり『露光の花』は必要不可欠か。
「……とりあえず、ギルドに顔を出してみたらどうだい。もしかすると、『露光の花』があるかもしれない。なかったとしても、ダメ元で依頼を出してくるくらいの事はしておいて損はない筈だよ」
* * * *
迷宮塔都市ヴェザリア。
この地特有の冒険者と呼ばれる者達が集う場所──ギルド。
そこは、迷宮塔に関わる全ての事が出来る場所であった。
迷宮塔で得た物品を売る事、買う事。
依頼を出すこと、受けること。
全てこのギルドが担っている。
ギルドと呼ばれる建物は特に広い作りになっており、人がごった返していた。
流石にルゥの存在は目立つと言うことで、一応、と持ってきていた大きめのリュックの中に隠れて貰っていた。
開いたままのリュックから時折、『どうしてぼくがこんな扱いを……』なんて声も聞こえてくるけど、こればかりは仕方がないとしぶしぶながら納得をして貰っている、はずだ。
「にしても、ユーミスさんから貰ったこの地図、暗号過ぎるよね……」
ギルドどころか、ヴェザリアに来た事も初めて。という事もあって、ユーミスさんから軽くではあったけどギルドについての説明も、彼女の下を後にする前に教えて貰っていた。
ギルドは広いからと、依頼を出す場所も色々と簡易的な地図で説明して貰った事には貰っていたのだけれど、簡易的過ぎて最早、暗号だった。
どこからどうみても、◯と△とこの辺。と書かれた矢印しか地図に記載されてない。
一応、迷った時用にと渡されていた地図が全く地図の役目を果たしてくれていなかった。
「……そこらへんはダウィドにそっくりだな。あいつも絵心だけは相当酷いからな」
具体的なエピソードでもあるのか。
そんな事を口にするナガレの表情は苦々しいものであった。
「だけど、〝幽霊騒動〟があるって割には盛況だよね。このギルド」
かなり深刻そうに話していたから、もっと寂れているのかと思っていた。
けど実際は、多くの人で溢れている。
だから、私的には驚きだった。
「そりゃあ、オレらの食い扶持は迷宮塔だけだからなぁ? 〝幽霊騒動〟があるからって活動を辞めてちゃ、食いっぱぐれちまうだろう?」
そんな中、喧騒に紛れて私の耳に一つの声が届いた。
私に向けられた言葉な気がして、声のした方向────後ろを肩越しに振り返ると、そこには青髪の青年がいた。
肩付近にまで伸ばされた髪を三つ編みに結っており、細身の身体もあって一瞬、女の人かなとも思ってしまう。
ただ、聞こえてくる声の質が、その考えが間違いであると訴え掛けていた。
「さっきからぐるぐるとギルドの中を歩き回ってるけど、もしかして誰か探してんのかい?」
ユーミスさんの地図であって地図でないものを見ていたせいで、ギルド内をぐるぐる歩き回る羽目になっていた。
この青髪の青年は、そんな私達を見かねて話しかけて来てくれた、という事なのだろう。
「いや、依頼を出したいんだが、知人に渡された地図が暗号でな」
この通りどこに行けばいいのか皆目見当がつかないと、ユーミスさんお手製の地図をナガレが彼に見せつける。
すると、みるみるうちに渋面に移り変わってゆき、「なんだこりゃ?」なんて反応が来た。
うん。それが普通の反応だよね。
「依頼を出したいんですけど、どこで出せばいいかご存じないですか?」
折角、こうして話しかけてきてくれたんだ。
だったらもう、この人に聞いてしまおう。
そう思って尋ねると、青髪の青年は私から見て斜め前に位置する場所を指さした。
「あそこの受付で、依頼を出せるぜ。とは言っても、上層階の依頼だと今は中々引き受けてくれる奴がいないだろうけどな」
「もしかしなくても、〝幽霊騒動〟が原因で……?」
「ああ。〝幽霊〟はこれまで、30階より上の階層でのみ出現してる。だから、上層階の依頼はこれまで以上に受ける人間が少ないってこった」
お陰でほら。
上層階の依頼ばかり残ってやがる。
そう言って指さした先にある大きな掲示板のようなものに彼は目を向けた。
早足で向かってみると、そこには彼の言う通り、上層階にあたる階層向けの依頼がずらりと残っていた。
「だから、上層階の依頼なら、〝幽霊騒動〟が落ち着くまでは待った方が良いかもな」
少なくとも、好き好んで上層階に潜る奴はそうそう居ねえだろうぜ。
青髪の彼はそう言葉を締め括った。
「……でも、〝幽霊騒動〟が落ち着く目処は立っていないんだろう?」
「まぁ、な」
ナガレの指摘はもっともだったらしく、青髪の彼はばつが悪そうに目線を逸らした。
「……あれ。迷宮塔の依頼なのに、こんな依頼もあるんですね」
そんな中、一枚の依頼書を私は指差す。
それは、上層階向けの依頼に混じって残っていた依頼の一つ。
迷宮塔とは全く関係ない依頼だった事もあって、私の目を惹いた。
「麻痺薬の製作依頼、か。もしかしてお嬢ちゃん、錬金術師か?」
「まだまだ未熟ではありますが、これでも一応、錬金術師です!」
胸を張ってみた。
これまでの私だったら、卑下するところではあったけど、もうお抱えの錬金術師という立場。だから、卑下の言葉はもう口にはしない。
そんな事をしちゃったら、アストレアの錬金術師のみんなにも失礼だから。
「へえ。なら、〝幽霊騒動〟が落ち着くまで、ギルドの依頼をこなすのも有りかもな。これが意外と、割りの良い依頼も偶にあってなあ?」
〝幽霊騒動〟は兎も角、〝魔晶石〟の問題解決の為にそれなりの期間、ヴェザリアに滞在する事になる可能性は高い。
だから、その為の資金繰りを折角なので依頼をこなすという形でどうにかするのも悪くないかもしれない。
ヴェザリアの冒険者さん達と接していれば、『露光の花』を得る手掛かりも見つかるかもしれないし。
そんな考えの下、私は青髪の彼の話にふむふむと聞き入っていた。




