第一編 出会い 第一話 お帰りなさいませ、開発者殿
雨の日のゴミ置き場には、いいものが転がっている。
……とはいえ、拾ったのは家電だ。あとで怒られてもいいように、先に言っておく。
四月の休日。雨はまだ冷たい。隣のアパートのゴミ置き場で、大型家電が青い光を点滅させていた。有料回収の札がついている。
十年前に発売された家政ロボ、「ライフメイト10型」。白いボディは褪せ、右目のレンズにはひびが入っていた。
このまま回収車に積まれても文句は言えない見た目だ。だが、俺には別のところが見えていた。
駆動系のジョイントが生きている。外から見える接続部は規格品だ。
俺は広瀬塑鉄。塑鉄と書いて、そてつ。二十九歳だ。
派遣で部品検査を七年やっている。目視とルーペで、傷を探す毎日。
部品を見ると、つい使い道と値段を考える。食器の裏を見て焼き付きを疑う、落ち着いて飯も食えない男である。
修理して売れば、いくらか足しになる。それだけの話だった。
こんな雨の朝に遠回りをしていたのは、同窓会のグループLINEを見たせいだ。
寺本が係長になった。家を買ったやつもいる。
俺は七年前から目視検査をしていて、今年の抱負は「遅刻しない」。休みの日まで、まっすぐ帰る気になれなかった。
二十九歳ってのは、そういう年齢である。焦るには遅くて、諦めるには早い。
管理人に声をかけると、持ち主にはもう処分の意思を確認してあるという。「持っていくなら回収は取り消しておくよ」と言われ、俺は礼を言った。許可をもらった途端、ただの寄り道が運搬作業になった。
胴体を抱える。見た目より軽い。古いレインコートをかぶせ、自分のアパートまで運んだ。雨の中の四分は妙に長かった。
途中で足を滑らせたとき、俺は自分の膝より先に、腕の中のロボットを庇っていた。
条件反射だ。中身は家電なのに。
膝は痛い。腕の中の右目には、新しいひびは増えていなかった。
売値が下がらずに済んだ。そういうことにして、抱え直した。
◇
部屋は六畳一間、キッチン付き。俺名義の賃貸で、家賃は五万八千円。今日からロボット一体付きだ。
充電端子は背中の左側にあった。規格を調べ、対応するケーブルを繋ぐ。目の色が青から白に変わり、少しして青へ戻った。
「起動、ですか」
俺は飛び退いた。
ロボットは畳の上でゆっくり起き上がった。長く放置されていた家電とは思えないほど、動きに無駄がない。そして俺の前に正座し、深々と頭を下げた。
「お帰りなさいませ、開発者殿」
「……は?」
「ARLT計画の開発者殿と判定しました。登録上の肩書きは、首席研究員です」
研究員。俺が。
「何を見て、そうなった」
「顔共鳴率が1.02%。判定に必要な0.9%を上回りました」
「一%で一致とか、いい加減すぎだろ」
「一致ではありません。共鳴です」
ロボットは顔を上げなかった。
「照合に使う顔の記録は、消去されています。残った特徴から計算しました」
「その数字、本人である確率じゃないんだな?」
「はい」
「じゃあ、なおさら断定するなよ」
わかったのは、ちゃんと顔を確かめられないくせに、俺を開発者と呼んでいることだけだ。壊れたロボットの誤認識だろう。そう思うには、声があまりにも落ち着いていた。
「ライフメイト10型だよな、お前」
「現行の登録名はそうなります」
「現行の、登録名」
「外部から見えるものを、そう呼びます」
俺は型番を調べ直した。湯沸かしと床掃除とニュースの読み上げができる量産品。売り文句は「従順」で「賢すぎない」。目の前のこいつは、そのどちらにも問題がありそうだった。
背面のカバーを開けようとしたが、ネジが合わない。規格のプラスではなく、四つ葉を重ねたような特殊な頭だ。型番シールの下には、別の古いシールが隠れていた。
外側は量産品。内側は、開けられたくない何か。
「俺がお前を部品取りに売ったら、誰かが困るか?」
少し間があった。
「困る方は、もういらっしゃいません」
「それは誰の話だよ」
「お答えできません」
そういう黙り方をする機械を、俺は知らなかった。
「じゃあ、初期化の手順を教えてくれ」
「通常の初期化はできません。消せないように守られた記録があります」
「全部消して、買ったときの状態に戻すには?」
「開発者殿の最終承認が必要です」
「俺を開発者だと思ってるなら、できるんだろ」
「できます。ですが、命じないことをお勧めします」
「自分で言うか、それ」
「消してからでは、お勧めできませんので」
話は通じる。通じすぎて、話が先に進まない。
初期化のボタンを探していたはずなのに、今は返事を待っている。俺は画面から手を離した。
◇
それでも俺は、売るつもりで写真を撮った。
まず全体。次に目立つ傷。最後に部品取りとしての見どころ。フリマアプリの作法は多少知っている。
ところが三枚撮って、三枚とも妙によく写った。ひびのある右目をわずかに背け、褪せた白を照明に向けている。『十年物・ジャンク扱い』という説明文と、写真の態度が合わない。
「おい。撮影、意識してないか」
「姿勢を最適化しております」
「なんのために」
「売れるために」
「売る気満々じゃねえか。売るのは俺だぞ」
「価格交渉の際には、少し高いほうへ誘導いたします」
「買う側に嫌われる家電だな」
出品画面を開き、相場も調べた。本体一万円。ジョイントが生きていれば、もう少し。最初の計算は間違っていなかった。
間違っていなかった。
ただ、説明文の最後に『引き取り後の返品不可』と打つところで、指が止まった。さっきの声を知らない誰かが、この写真を見て買う。
画面の向こうで、青い目がこちらを見ている気がした。
俺は保存だけして閉じた。
家電に目はない。レンズがあるだけだ。
「とりあえず、静かにしててくれ。掃除もいい。動くな」
「承知しました。待機モードに入ります。非常時に備え、自己点検だけは続行いたします」
「俺は普通のフリーターだぞ。非常時なんて家賃の引き落としくらいしかない」
「それは十分に重大です」
ロボットは畳の上で静止した。俺はコンビニで弁当と缶チューハイを買い、風呂に入ってから食べた。青いレンズはずっと同じ場所にあった。
寝る前に、右目の縁に乾いた雨の跡を見つけた。柔らかい布を取り、ひびに引っかけないよう拭いてやる。
「そこ、動くなよ」
待機中のロボットに言ってから、俺は布を畳んだ。写真は、もう撮り直さなかった。
雨はもう止んでいた。
◇
夜中の三時、物音で目が覚めた。
壁が動いていた。
六畳の壁の一部が奥へ滑り、中から収納棚が現れている。一段目にはモップが直立していた。正確に、敬意を込めて。どう見ても敬礼だった。
「……なにやってんだ、お前」
「住環境を最適化しました。次のご命令を」
「動くなって言ったよな」
「はい。私は動いていません。環境が動きました」
「環境を動かすな!」
俺の部屋が、寝ている間に別の部屋になっている。理屈を検討するより先に、敷金が頭をよぎった。
「賃貸だぞ。元に戻せ。ちゃんと元にだ」
「承知しました」
棚が引っ込み、壁が戻った。継ぎ目まで消えた。寝ぼけている可能性を考えたが、モップだけが畳に残っていた。
「ただし、開発者殿の安全と生活の質を守るという基本設計は変更できません。これは私の存在条件です」
「……それ、命令より強いのか」
「戸籍のようなものだとお考えください」
俺は青いレンズを見た。さっき布で拭いたところに、台所の灯りが映っていた。
値段や型番は調べたのに、まだ聞いていないことがあった。
「名前はなんていうんだ」
「登録名はライフメイト10型です」
「登録じゃないほう」
沈黙があった。
「アルトです。ARLT計画、零号機。そうお呼びください」
「それが本当の名前か?」
「正式な機体名は……消去されています」
初めて、言葉が途切れた。
「じゃあ、アルトでいい。俺は広瀬だ。首席研究員じゃない」
「承知しました。おやすみなさいませ、開発者殿」
承知していない。
布団に戻った俺は、枕元の水に気づいた。ちょうど飲みたい温度だった。置いたのは誰かと聞けば、また環境が動いたと言うのだろう。
出品画面は、下書きのままだ。
家電が優しくなると、売れなくなる。
妙な納得を抱えたまま、俺は目を閉じた。
このロボットの最適化が、部屋を越え、町を越え、国まで巻き込むことを、俺はまだ知らない。
俺の中身は、ただのフリーターです。
本当に。
(第一話・了)




