王女様と騎士様
発声練習が終わって、いよいよ台本の読み合いが始まる。
「この村で暮らさないの?」
(この森で暮らさないの?)
ラダはイオラの助言通り、また自身でも意識して、ヤルミルの記憶を手繰り寄せて台本を読んでいた。
気持ちはあの頃に戻る。
目の前で騎士アレクセイを演じているヒューに、ウルシュアの姿が重なる。
森で助けた彼女は、森から出ようとしていた。
すでに恋に落ちていたヤルミルは彼女に出て行ってほしくなくて、そう問いかける。
「すまない。私は騎士なんだ。果たさないといけない義務がある」
――ごめんなさい。私は王女なの。果たさないといけない義務があるの。
ヒューの言葉に、記憶の中のウルシュアの声が重なった。
台本の読み合わせに過ぎない。
けれども、二人の周りには村の風景が広がっており、少女と騎士の姿が想像できた。すでにそこで劇が始まっているようなそんな雰囲気が流れる。
「凄いじゃないか。君!」
それを打ち破ったのが様子を見に来た団長の声で、ラダは夢から覚めたような気分になった。
(ああ、完全にヤルミルになっていた。あれからヤルミルは、マクシムに会うんだ。王女様を迎えにきた。思えば、あの時ヤルミルは悟るべきだった。違う世界の人だと)
「ラダちゃん!私びっくりしちゃったわ。吞まれたのは初めてからもしれない」
そんなラダに興奮してヒューが話しかけてきた。
すでにウルシュアの幻は消えていて、目の前の人物は中性的な美形のヒューだった。
「私もびっくりしました」
「そうなの。この調子で頑張ってね。楽しみだわ」
「はい」
褒められて悪い気はしないので、ラダは嬉しくなって返事をした。その後ヒューが彼女から離れて団長の所へ行くと、遠巻きに見ていた団員たちも次々にラダの元にやってきて、褒めたたえる。そこには昨日まで感じていた嫌な感情が含まれておらず、彼女はますます嬉しくなった。
☆
「それでラダちゃん、凄かったんっすよ!」
屋敷に戻ってきたホンザからアレシュは報告を受けていた。
ラダが上手く演じて皆に褒めらて、彼女自身も嬉しそうだった。
とてもいい事なのに、アレシュは素直に喜べなかった。
「じゃ、これで報告終わりっす!また明日戻ってきたら報告するっす!」
ホンザは彼の心がわかってか否か、今日も話すだけ話すとさっと部屋からいなくなってしまった。
(ラダは楽しそうだ。演劇に参加してよかったんだ)
頭では理解できていたが、なぜか自分だけが置いていかれたような気分になっていた。
(問題ない。心配しなくてもいい。俺は、俺のやることをやらないと)
謹慎中なのでやることと言っても騎士である彼には鍛錬以外にない。
でも気持ちが焦っていた。
「アレシュ」
扉が軽く叩かれ、兄に名を呼ばれる。
咄嗟にいない振りをしてしまおうかと思うくらい情けない気持ちだったが、謹慎の自分が部屋にいないなど、そこが問題なのでアレシュは素直に扉を開けた。
「酷い顔だなあ」
「……悪かったですね」
「まだ怒ってるのか?ホンザからラダちゃんの様子は聞いただろう?」
「怒ってないですよ。兄上は正しい」
「拗ねてるのか?」
「そうでもないです。ただ情けないだけです」
兄の前で取り繕っても無駄なので、アレシュは素直に自身の気持ちを吐露する。
ケンネルは空いている椅子に勝手に座り、彼を凝視した。
「確かに情けないな」
容赦なく言われ、アレシュは余計に落ち込む。
「まあ。素直なところはいい。アレシュ。これはエイドリアンからの手紙だ。どうせ、ラダちゃんのことだろう?」
「兄上は知っているのですか?エイドリアンの兄が役者だって」
「知ってるよ。ちなみに今回脚本書いたのはエイドリアンの父だ」
「兄上じゃないんですか?」
「当たり前だろう。私が書けるわけない」
「でも、あれは」
「ああ、原案は私だよ。大まかな筋と登場人物は私が考えた。まさか、あれほどヤルミルの悲劇に似るとは思わなかったけど」
「どうして、そんなこと!」
「当然だ。私たちは、イオラが剣を振るった場面を隠蔽する必要がある。その上、ラダに関する噂も、この演劇の宣伝だったとしてまとめるつもりだ。役に関しては素人であるラダちゃん、イオラ、ホンザを演劇に参加させるとしたら、演じやすい人物のほうがいいだろう?」
ケンネルにそう説明され、アレシュはただ黙るしかない。
(兄上はいつも正しい。……マクシムがそうだったように)
「……アレシュ。酷い顔をしている。前世は昔。私たちはそう決めたはずだ。もしかして、というかやっぱり、君がラダちゃんを好きな理由は、彼女はヤルミルだったからか?」
「そ、それは」
今のアレシュはわからなくなっていた。
ラダ自身に惹かれたはずなのに、ウルシュアのヤルミルへの想いと混ざり合っていて、混乱していた。
「やはりしばらく騎士に専念したほうがいい。アレシュ。私たちは今を生きている。君はアレシュ・ベルカなんだから」
「わかりました。兄上」
「そうか。まあ、この手紙は置いていくよ」
ケンネルは少し苦い笑みを浮かべたまま手紙を机の上に置くと、部屋を出て行った。